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第21章 冷雨の一手

 夜の議会の翌日。朝から大粒の雨が降り、屋根や雨どいから落ちる雫は賑やかだ。こんな大雨の日はスナバラには年に数度しかない。都市を囲む礫沙漠は乾いた肌に雨水を次々と染み渡らせているのだろう。

ネッツは昨晩の議会に一人で立ち向かう少女を思い出していた。昨日のコーリィは、大人達の前で発言し、議会にイルズ・カーンなる人物について調査をすることを約束させたのだ。それは、ネッツのためでもある。

 メグリエ家の人間だけが知る、マキシカを暴走させる方法も気になったが、ネッツはメグリエ家ではない。コーリィに尋ねても教えてくれることはないだろう。マキシカの暴走にメグリエ機関が必要であることが明らかになった。

 盗まれたメグリエ機関はマキシカを暴走させるために使われた。そして、それにはネッツの孤児院での兄姉、エレック・トリークとシャルテ・ポーンが、カーンの仕事を手伝う形で関わっている。昨晩、コーリィとナガレにそのことを話した。

 表戸をけたたましく叩く音。男の声で、コーリィの名を呼んでいる。

「今開けますよ、リオード様」

 ナガレは客人がリオード・P・マキシカだとわかったらしく、扉を開け、迎え入れた。

「朝早くから、どうされましたか?」

 和かなナガレと対照的に、リオードは新聞をつかんで慌ててやってきたらしく、ズボンには泥が跳ねていた。いつも何時もアイロンのかかったシャツやズボンを着た若い紳士だというのに、何があったのかという慌てぶりである。

「酷い!イルズ・カーンってやつの仕業か!?」

 リオードは手にしていた新聞をコーリィの前に差し出した。

 それはスナバラ・タイムズの新聞。雨に濡れたリオードが握りしめてきたものだった。

「私も読んだわ」

 いつも机で新聞を読むコーリィは、メグリエ家に届けられた新聞を代わりに広げた。リオードの持つ新聞は濡れていてすぐに破けてしまいそうだったからだ。

 コーリィは少しだけ不満げな顔をしただけだった。だから、ネッツはそんな大事だとは思わなかった。

「どういうことだ?」

 ネッツの問いにコーリィは息を吐いただけだった。

 ナガレも目を見開いて、震えている。その様子から、とてもひどいことが起こっていることがネッツにも伝わった。

「メグリエ家、マキシカ暴走事故で死亡した孤児の遺体隠蔽か?」

 人ごとのようにコーリィは見出しを読み上げた。

「この孤児って、もしかして俺のことか?」

 ネッツに詳しくは分からないが、新聞は暴走したマキシカの事故に巻き込まれて死亡した孤児の遺体をメグリエの家が隠していると報じている。

「そうだよ。イルズ・カーンが正体を暴かれる前に、メグリエ家を潰そうと動いたんだ。昨日の議会にカーンの味方がいるってことになる」

 リオードは昨晩に集まった議員の中に、そんな人物が紛れ込んでいることが許せないらしい。リオードは何人も議会議員を輩出してきたマキシカの家の人間だから、許せないのだろう。

「俺、生きてるのに」

 ネッツは小さな声で言った。コーリィが助けてくれたから、生きている。なのに死んだことにして、コーリィを陥れようとしている奴がこの都市にいるのだ。

 記事は、マキシカ事故で亡くなった孤児がどこの墓地にも埋葬された記録がないことから、この情報に裏付けがあると強く主張していた。孤児の遺体を埋葬せずに遺棄した。スナバラを囲む礫沙漠のどこかにだとまるで見たかのように記事にしているが、いい加減な話だ。ネッツは生きているのだから。

「ネッツ坊ちゃんの死亡届のことから話を広げているのでしょう」

 ナガレは唸るのみだ。赤毛の孤児の少年は書類上死んだことにされていた。

「死亡届・・・?」

 ネッツは初めて知ったことだった。ネッツがコーリィの方を見ると、コーリィは申し訳なさそうに言った。

「ネッツ、なぜか貴方は死んだことにされているの。もちろん、それは誤りだと届けているわ。なぜこんなことになったのかわからないから、保留になっているのだけれど」

 ネッツはコーリィが自身のために、奇妙な事件を解決しようとしていることが嬉しかった。マキシカ暴走事故に巻き込まれただけの孤児にここまでしてくれるのだから、感謝しかない。しかしまだ解決できていない問題がある。ネッツは死亡届が受理されたままになっているというのだ。

 新聞を眺めながら、コーリィは考え込んだ。

「イルズ・カーンを追いつめると都合の悪い人物が昨日の議員の中にいたと考えていい。ネッツ君、昨日の議会には、彼はいなかったんだろう?」

 リオードはネッツに尋ねた。

「あいつはいなかった」

 イルズ・カーンという面長の男は議会にはいなかった。それはつまり、カーンの協力者が昨日の議会にいたと考えてよい。なぜなら、昨日の議会は内密に行われた非公式の議会であったため、故意に漏らさなければ、カーンを探し始めたことを知ることはできないだろう。

 リオードは怒りでいっぱいだったと同時に、無力さを感じているようで、穏やかな笑顔など消え去っていた。

 コーリィは一人、無表情で新聞の記事を読み終えた。

「はっきりしたわね。昨日の議会にいた人物の中には、カーンとの接点がある人間がいる」

 評議委員は七人だ。

 カナー・カレズ都市議会議長

 リア・ウーチス議員

 ジンリー・リック議員

 ロマーク・クラム議員

 シューコー・テジュネ議員

 クイン・テーネ議員

 チュート・パルナー議員

 リオードにとっては見知った人間ばかりだ。疑うことも躊躇してしまうが、この中に敵と通じる者がいる。

 カレズ議長、ウーチス議員、パルナー議員はどちらかと言えば、マキシカ肯定派という認識だった。リック議員とクラム議員、テジュネ議員、テーネ議員はマキシカ反対派や慎重派だろう。マキシカ評議委員はマキシカ肯定派と反対派の両方の意見を聞くために、カレズ議長が四十ほどいる都市議会議員から選抜した委員であった。

「あの議員の中で怪しいのは、マキシカ反対派のリック議員と、クラム議員、テーネ議員かしら。テジュネ議員は表立ってマキシカを批判はしないし、パルナー議員は中立派とも言える微妙な立ち位置・・・」

「気になるのは、メグリエ機関やマキシカに異議を唱えるリック議員ですな」

 ナガレの意見は最もだ。リック議員は、マキシカの危険性の面から、常に批判的な立場にいる。最近のマキシカ暴走事故の頻発を受け、最近は新聞に連載記事を載せており、彼の率直な意見が掲載されていた。スナバラにマキシカの安全性に疑問を持つ人間は少なからずいるのは事実だが、その中心的存在はリック議員だ。

 リオードは怒りに打ち震え、冷静さを失いかけていた。一方で、ネッツにはコーリィはとても冷静に見えた。

「私達でイルズ・カーンを見つけ出さなくては」

 コーリィはその青い瞳で淡々と前を見据える。感情を表に出さない彼女も怒りを覚えているのだろうか。

 少女が一人で相手にできるのだろう、しかし、ネッツだって何をしたら彼女の助けになるのかなんてわからない。

 自身が生きていることをネッツが言えばいいのだ。生きているならば、遺体はない。だから墓の埋葬記録なんてものは最初からないのだ。マキシカ事故に巻き込まれた孤児が生きてることを証明するには、どうするべきか」

「議会で、俺が生きてることちゃんと言えばよかった!」

 ネッツはその重たい負の空気を変えたくて勢いよく言った。

「ネッツ。確かにそれが信じてもらえればいいが、今度はメグリエ家が何処かから赤毛の子どもを連れてきてネッツと名乗らせたんだと言い出すだろう」

 リオードの言う通りだ。こんな嘘を相手はでっち上げてきたのだから、コーリィを不利にする嘘を次々と重ねていくだろう。ネッツは、自身はその孤児だとリック議員に言ったことはあったが、信じてくれなかった。

 嘘は一つ付けば数珠繋ぎにつき続けることになる、そうネッツはミセス・トッドマリーに言われたことをネッツは思い出した。では、ネッツにできることはなんだろう。

「議会で、ネッツの正体をあえて言わなかったのだけれど」

「なんで?」

 コーリィは評議会の議員の前で、ネッツはコーリィの助手とだけ紹介したが、マキシカ事故に巻き込まれた孤児だとは言わなかった。それは、コーリィがネッツの出自を気にして明かさないという配慮が理由だけではなかった。

「ネッツが、この新聞にある少年ネッツであることは伏せていた状況で、カーンの協力者が気づくかどうかを試したの」

「さすが、お嬢様。ネッツ坊ちゃんを見たことがない方なら、坊ちゃんを見ても助手の少年と思いますね。しかし、ネッツ坊ちゃんを知っている、赤毛だと知っている方なら、お嬢様のところに例の少年がいることに気づき、次の手を打ってきたというわけですな」

 議会の場で、赤毛のネッツを見て慌てたカーンとの内通者は、行動を起こしたことになる。コーリィにとっては、その内通者の存在を炙り出すきっかけとなったのだ。

「そう、あの議員の中にカーンの協力者がいることがわかったのだから、私たちにも勝機はあるわ」

「結局、誰が悪い奴なんだ?」

 コーリィの冷静な瞳が珍しく怒りに燃えていた。カーンの協力者が誰かはわからないが、沙漠の果てまで追いかけてもつかまえるという意気込みが感じられる。

「まず、イルズ・カーンを見つけるのよ。彼は直接手を汚してはいない。だからなかなか尻尾をつかめないけれど、少し関係者が絞られただけでも進歩はあった。でも」

 コーリィは議員の中の誰かは絞りあぐねていた。

「イルズ・カーンはテンヘン先生に似てるから、兄弟ってことはないよな?」

 ネッツは恐る恐る言ってみる。カミーエ・テンヘン先生にあった際のあの衝撃は忘れられないほど、彼はイルズ・カーンに似ていた。

「先生に兄弟がいるって話は聞いたことがないわ。本当に先生に似ているの?」

「似てる。テンヘン先生に初めて会ったとき、間違えたくらい。そういえば、先生もカーンもパーティに来ていた!見た人がいるはず!」

「パーティ?雨期のお祝いの?」

「うん」

「招待者の一覧に名前がある可能性があるな」

 パーティの招待客の一覧があるはずだ。リオードはいかにその招待客の書かれた一覧表を手に入れるか策を巡らしていた。

「彼が招待状を送られた人物ならわかるわ。でも招待状を持つ人物のお供なら、招待客の一覧には載っていない」

 あのパーティは、沙漠の都市にやってくる雨期の訪れを祝い、乾期を共に乗り越えた使用人や従業員たちをねぎらう催しという位置付けだった。招待客は名の知れた人物だが、カーンが誰かの元で働く人間ならば、招待客の一覧には名前がない可能性もある。招待客は都市議会議長から招待されていることになっており、招待客の一覧表を見せてもらうこともできるかさえ、わからない。

 イルズ・カーンはパーティにいたとネッツは言うが、コーリィは彼を見ていないのは、都市の中で最も人が集まる宴であるからだろう。

「例えば、孤児院の閉鎖に関わる人物はどうだろう?」

 リオードは孤児院との接点を気にしていた。

「確かに、首謀者がミセス・トッドマリーの失踪や孤児院の閉鎖の真相が知られるわけにはいかないとしたら、ありえる話だわ」

「人が失踪、ネッツが事故死したことになっていることを誰も不思議に思わないほうがおかしい。裏で揉み消すことができた。議員なら可能だろうか」

 リオードは頭を悩ませる。

 コーリィは考えた。議員のうち誰がイルズ・カーンに繋がりがあるかなどわからない。

「でも、彼に会ったことのある人物がいる」

 コーリィは一度目を閉じた。ネッツはイルズに会ったことがある。その長い睫毛が再び天を指し示した時、コーリィは言った。

「ネッツ、お願いがあるわ」

「俺にできることがあるのか?」

 コーリィがネッツに頼ることがあるとは、驚きだった。やっと役に立てるかもしれない。

「えぇ、ネッツ。貴方にしかできないことよ」

「何をしたらいいんだ?」

 コーリィが頼ってくれていることにネッツは浮足立ってしまう。

「計画の大枠は考えてあるの。でも、少し準備が必要だから、準備ができたらお願いするわ」

「わかった」 



 コーリィはその夜、屋敷の台所にやってきた。使用人の仕事場であり、ここにコーリィが来ることはまれだ。

 レンガを積んだコンロやオーブン、作業台など古くても手入れの行き届いており、ナガレとマァレットがここで料理をする。

 ネッツはもう寝てしまっただろう。コーリィはナガレと話すためにやってきた。

「ナガレ、お茶をいただけないかしら」

「かしこまりました」

 ナガレはケトルでお湯を沸かし始めた。

「困りましたな。フレイザ様がご不在の時に」

「ええ」

 コーリィは晴れない顔をしていた。コーリィが赤ん坊の頃から執事を務めているナガレは、その不安を吐き出す機もわかっていた。

「お嬢様は何を心配されておいでで?」

「ネッツはあの日、ミセス・トッドマリーと同様に何処かに連れ去られる計画だったんじゃないかと」

 コーリィが議会に呼ばれた夜に、リオードが持ってきた資料は実はもう一つあった。それは、テイラーマキシカ暴走事故の日からのウミナト行きの汽車の空席情報だった。暴走事故のあった日の夕方の便に、大人一人と子供一人の空席があった。汽車の席は予約制で、予約の取り消しの連絡はなかったそうだ。この席がネッツをウミナトに連れて行く誘拐のために予約された席ではないだろうか。

「カーンはネッツを仲間が連れていったから、計画はうまくいったと考えた。実際は私が連れてきた」

「でも、お嬢様のもとにネッツ坊ちゃんがいることが判明して、彼は慌てたということですかな」

 カーンはネッツをまた連れ去りに来ることも考えたかもしれない。ネッツが閉鎖された孤児院やミセス・トッドマリーの失踪について証言したら、計画の妨げになる可能性があった。しかし、ネッツが保護されたのは、メグリエ家だった。ことが大きくなることを避けて傍観するどころか、それを利用する計画に変えたのだろう。

「それで、あの新聞記事になったわけですな。ネッツ坊ちゃんが生きていると主張しても、どこかから子どもを連れてきてあの少年だと名乗らせている、と批判すればいいと」

 ナガレは茶葉をポットに入れ、沸かしたお湯を注ぎ始めた。香ばしいお茶の香りが広がる。眠りを妨げない淡い茶色のお茶は、心を静める効果のあるものだ。

 コーリィは暗い顔のままだ。

「ネッツ坊ちゃんが拾われたのがメグリエの家なのが幸運でした。議員の方々もネッツ坊ちゃんの顔を覚えておいでです。ネッツ坊ちゃんに何かあれば、ことは大きくならざるを得ませんから」

 ナガレの言う通り、ネッツに何かあれば、ネッツでない赤の他人だったとしても、子どもが失踪した事件として都市中に広まるだろう。

「私だけでこの家を守り切れるかしら」

 コーリィが珍しく弱気な発言をした。ナガレはお茶の入ったカップをコーリィの前に置いた。

「マキシカ家もお嬢様を助けてくれるはずです。こんな時にフレイザ様は一体何をしておられるのか」

「そうね。お父様を頼りにしても仕方ないわ」

 コーリィとナガレは足音に気づく。

「ネッツ!まだ起きていたの?」

 暗がりの廊下から赤毛の少年が現れた。生成りの布で仕立てられたパジャマを着て、不機嫌そうな表情だった。

「うん、眠れなくて」

 ネッツはそうとだけ言った。眠いのだが、心配で眠れなかった。自分がどうこうできることじゃない。ずっと考えて、観念したかのようだ。

「コーリィ、エレックとシャルテを助けてくれる?」

 少年の声は弱々しい声にしかならなかった。ネッツはここでコーリィに賭けることにした。コーリィはネッツを助けてくれた。カーンの悪事を手伝わされている兄姉も助けてくれるだろうか。

「どうしたら、二人を助けたことになるのかしら?」

 コーリィはネッツに尋ねた。

「えっと」

 ネッツは口籠もった。エレックはイルズ・カーンに言われて悪いことをしている。シャルテもきっとそうだ。それを見逃せとは言えないだろう。コーリィはマキシカ暴走事故を解決しようとしている。その解決の工程には、二人の兄姉がやったことも明らかにすることが含まれているはずだ。どうしたら、二人を助けられるのだろう。

「ネッツ坊ちゃん、もし、心配事があるなら、話してくださいませんか?悪いことにならないように、私たちはネッツ坊ちゃんの味方になって、何かできることがあるはずです」

 ナガレはそう言ってにっこりと笑った。

 ネッツは俯いて少し考えた。そして、コーリィとナガレにエレックから聞いたことを話し始めた。

 コーリィは難しい顔をしながらも、頷き、ネッツの話を聞いてくれた。そして、二人を助ける方法を考えると約束してくれた。


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