第17章 曇天下のお出かけ
数日後の雨の降りそうな曇天の日。コーリィは出かけるようだ。ネッツはそれにお供することになった。
スナバラが年に二度の雨期に入ると、少し気温も下がり、太陽が顔を見せなくなる日が少しだけ増える。太陽熱で動くマキシカの熱量効率が悪くなるために、多くのマキシカも雨期休みとなる。それに伴って、修理屋がマキシカの点検や修理をする。そう修理屋のユーゼンが言っていた。
そして、太陽のない今日のような日は、マキシカが暴走するのに必要な熱量を得ることは難しく、暴走は起こりにくい。そうコーリィはそう読んで出かけることにしたようだ。
コーリィのお供はナガレだったようだが、ナガレはその役目をネッツに譲った。
金の髪を靡かせて歩くコーリィに、ネッツがついていく。ワッカの首輪に紐をつけて、散歩も兼ねることにした。今日はいろいろなところを回るから、ワッカの本当の飼い主に会えるかもしれない。
コーリィはワッカの立派な首輪についていた紅い石を外したらしい。小さなワッカの負担になるだけでなく、コーリィによればこの石はとても珍しい宝石で、ワッカを飼い主に返す時に石を失くしてしまわないために保管することにしたそうだ。
お嬢様と、少年と小さな毛玉のお出かけ。 白い岩の中に自然に空いた空洞と人が運んで積み上げた煉瓦を組み合わせた白い家々が並ぶ街並み。そこに雨期の前に飾られる黄色い布や旗が映える。
雨期に数度ある豪雨に備えて家屋の屋根や壁を補強する人や、空の様子を伺いながら洗濯物を干す人、雨期休みで学校が休みの子供たちは通りで遊ぶ。なんとも平和な日だ。
灼熱と乾燥の乾期から、恵みの雨期に踏み入れた季節の変わり目は、せわしなく、都市全体がかき回される感じもする。
今度の雨期にはどんな嵐が来るのか、ネッツもこの時期は落ち着きがなくなってしまう。嵐が去った後は、どこから飛ばされてきたかわからないものが沢山あって面白かったからだ。
「今日はどこに行くんだ?」
ネッツは尋ねた。紺色のワンピースのコーリィは、同じ紺色のリボンのついた白い帽子を被り、軽やかに歩く。
「行くところがいくつかあるから覚悟しておいて」
「わかった」
「第八通りまでいくわよ」
スナバラはおよそ直径16.7オクルカの円形の街だ。中央が高く、街の外れに向かってなだらかな坂になった丘のような街である。スナバラの中心から12の大通りが通っており、全てが環状道路になっている。大通りは内側から第一通り、第二通りと名前がつけられ、官庁などはスナバラの中央に集まっているため、ほとんどがニ番通りの内側に存在していた。最も外側の第十二通りは一周40.8オクルカもある通りとなる。
ネッツのいた孤児院のあった第十二通りの外側の地域は、スナバラの淵と呼ばれる街外れを指す。スナバラの淵は、畑や家畜の放牧が多く、まばらな家屋が立ち、第十二通りの内側の喧騒や人の密度が嘘のような場所だ。スナバラの淵は沙漠に面している地域のため、飛んでくる砂が住居に入らないよう、防砂壁も建てる場合が多い。都市の中に入れば入るほど、防砂壁を見ることは減っていく。
はじめに二人が向かったのはエレックのいる修理屋だった。第八通りの西側にある。
それは、ナガレからお遣いを頼まれたからでもあった。ヒャリツから出てきたコーリィとネッツにお茶を出してくれたお礼にと、ナガレがケーキをもたせてくれた。メイドのマァレットが焼いたフルーツのケーキだ。ケーキの入ったカゴを持っているネッツは、その甘い香りを纏っていたが、ネッツはケーキよりもイルズ・カーンに連れて行かれた兄貴分と再会できたことが嬉しくてたまらなかった。
コーリィと修理屋の前にやってくると、雨期の前に持ち込まれた機械や部品たちが修理工の男たちによって修理や点検を受けていた。修理屋としてはかなり大きく、鉄の柱を集め、鉄板の壁と屋根によって建てた作業場は、大型マキシカが二、三運び込まれても、その屋根の下では余裕で作業できるほどだ。
「こんにちはー」
ネッツは大きな声で挨拶をした。金属のぶつかる音やモーター音で騒がしい修理屋の人たちに気づいてもらえるだろうか。
「こんにちは。今、エレックを呼んでくるよ」
修理工の一人がコーリィとネッツに声をかけてくれた。
ワッカの首輪に付けられた紐を表の門に引っ掛ける。ワッカは修理屋の番を一時的に担うことになった。
奥から禿頭のにこやかな修理屋社長と、彼について少年の修理工がやってきた。
「エレックだ!」
コーリィはネッツの肩を叩いた。小さな子供を叱るように、そして正しい行動を促すようにだ。
「こんにちは」
艶のある黒髪と深みのあるアッシュグリーンの瞳を持つ少年の修理工は、幼さも残る顔立ちと大人と変わらない背丈が少々不釣り合いだ。そのため、エレックは灰色の作業着の丈は合っているが、細身のために作業着に着られているように見える。
「こんにちは、ネッツとお嬢様」
エレックは挨拶をした。コーリィに対しては少しぎこちない。
「ご機嫌よう、ユーゼンさん、エレックさん」
「今日はどうしたんだい?」
光を反射する広い額と親しみのある笑顔でユーゼンはコーリィたちを迎えた。作業着の修理工に混ざって社長自らも作業しているため、彼の作業着は勲章のように人一倍油汚れがついている。
「先日のお礼に参りました。うちのメイドが焼いたものですが、皆さんで召し上がってください」
コーリィが深々とお辞儀をし、ネッツの持ってきた焼き菓子を社長に差し出す。
「これはこれは丁寧に、どうも。風邪を引かなかったかい?」
「はい」
コーリィは深々とお辞儀をし、少しだけ笑って見せた。
「うん!ありがとう!」
ネッツは満面の笑みで答えた。
「わざわざすまないね。うちはメグリエさんとこと協力してやっていければ充分なのに」
ユーゼン社長は申し訳なさそうだったが、コーリィを娘のように思っているらしく、嬉しそうでもあった。
「エレックはここで何をしてるんだ?修理か?」
「エレックは修理も得意だが、ガラクタで発明をするのも得意な器用なやつさ」
ユーゼンの言葉エレックはバツの悪い顔をさせた。ユーゼンはそれを聞いて大声で笑った。
「ネッツ、お仕事の邪魔をしてはならないわ」
コーリィはネッツをなだめたが、ユーゼンはエレックの肩を叩いた。
「ガラクタから物を作るってのは、技術の向上にもなる。まだ一年目なのにエレックは仕事もきっちりできる」
ユーゼンが大袈裟に褒めるものだから、エレックは少しだけ照れた顔をした。
「見せてやんな、お嬢様も機械は好きだしな」
「ぜひ、拝見したいです」
コーリィの一声で、ネッツとコーリィはエレックの作品を見せてもらうことになった。
「そんな見せるほどのものでもないから!」
「俺、見たい!」
ネッツは純粋にエレックの作品を見たかった。孤児院にいた時とは違い、ここなら様々な部品が手に入るだろう。
修理屋の片隅に案内されると、エレックは大きな箱を持ってきた。作業台に乗せられたその箱の中に、エレックの作品が詰まっていた。
「お嬢様が見ても面白くないかもしれないけれど」
「お気になさらず、父がいろんな機械をいじってましたから、こういう方が好きなんです」
コーリィがやけに積極的であることにネッツは引っかかった。コーリィはいつもどこか冷めているのに、今日はご機嫌だ。もしかしたら、コーリィは単に機械の類が好きなのかもしれない。ネッツの目にはコーリィは父親がいなくなってしょうがなく、家業の暴走マキシカを停止させる仕事をやっているように見えていた。しかし、半年前に卒業した学園ではカミーエ・テンヘンと研究をしていたというし、これが本来のコーリィの姿なのかもしれない。
「えっと、これが双眼の望遠鏡なんだ」
エレックはネッツに二つの金属の筒を並べたものを寄越した。ネッツが持つとずしっと重たい金属の筒だが、青緑色の筒とそれよりも少し太い茶色の筒が束ねられている作品だ。
「なんの発明だ?」
「遠くを見るもの」
コーリィも目を見開いてそれを見ていた。
「両目で見られる望遠鏡ね」
「実は二つの望遠鏡をくっつけたんだ。大きさもわかるように目盛りも入っている」
ネッツは恐る恐るその二つの筒を覗き込む。
「何も見えないぞ」
「壁を見てもしょうがないよ、外を見るんだ」
ネッツは顔を上げて二つの不恰好な筒を向けた。
「あ!」
修理屋の向かいのガラクタ置き場に、ガラクタの隙間から青い花が咲いているのが手に取るように見えた。見える範囲は狭く、歪んで見えるが、遠くのものが見える感覚をネッツは初めて知った。
「花が見える!」
コーリィたちはネッツの見る方を見たが、ガラクタの山しか見えない。
「ネッツ、私にも見せて」
コーリィに渡すと、コーリィはじっと目を凝らすようにネッツの見たという青い花を探す。右目の望遠鏡にもともと目盛りが写り込むようになっており、見ているものの大きさが測定できるようだ。
「見えたわ、すごい発明ね。拡大して見えて、長さも測れるなんて」
エレックの発明品が入った箱を見ていたコーリィは奇妙な形のものを凝視していた。
それは二つの頑丈な金属製の洗濯バサミ、瓶と瓶から伸びる長い口、そして手回しの取っ手が合わさった、見たことのない形の発明品だった。
「これは何かしら?」
「えっと、加熱装置、かな。この瓶に油をいれてここに挟んだものを加熱するんだ」
コーリィは興味深くそれを眺めていた。二つのピンチで挟み、二つのピンチの間に伸びた瓶の口から出る炎が何かを加熱するのだろう。手回しの取っ手を回すと二つのピンチの距離をゼロ距離から数ルカほどまで変えられるようだ。ピンチは小さいながら頑丈な作りで、小さな万力のようであった。
「これは何を加熱するの?」
コーリィは無邪気に質問をする。
「挟めるものはなんでも。火力が強すぎるから、調節する方法を考えないとならないんだ」
エレックは無理に笑ったが、コーリィは続けた。
「加熱しながらこのピンチで引っ張ることもできるのね、加熱しながら引っ張って、あの硬い岩鉄を切れるといいのだけれど」
エレックが一瞬、真顔になった気がした。
「それを目指していたんだけど、なかなか加減が難しくて」
若い修理工は頬を赤く染め、苦笑いをする。
「これはメグリエ機関みたいね?」
エレックの持ってきた箱の底に、箱からいくつかの線がはみ出たものがある。両手に乗るサイズの金属の箱で、中は見ない。
「あぁ、これは二分の一の寸法で作ったレプリカみたいな」
少し恥ずかしそうにエレックは言う。
「見せてくださる?」
「メグリエの人におもちゃを見せるなんて」
エレックはレプリカを箱から取り出し、ふたを開けた。そこにはひと抱えの機械の塊、部品が複雑に絡みあった、ネッツの見たことのないものがあった。
「メグリエ機関を再現するなんて、とても器用ね」
コーリィは感嘆の声を上げた。
「修理をするから、観察して真似して作ってみたんだ。手に入らない部品や何の部品かわからないものが多くて、レプリカだけど。作ってみて勉強になった」
「すごいわ!こんなに再現度が高くて、しかも半分の大きさなんて!」
コーリィがこんなふうに他人を素直に褒めたことなんてあっただろうか。ネッツは見たことがない。コーリィは本当にエレックを尊敬し、称賛しているのだ。
「さ、ネッツ。そろそろ行かなくては。エレック、貴方には才能があるわ。また新しい発明をしたら是非、見せてくださいな」
そう言ってコーリィはエレックに深々と礼をした。
「あ、ありがとう。そんなに褒めてくれて驚いたよ・・・」
エレックは驚き、まごつき、どう笑っていいのか自信がなさそうに、少なくともネッツには見えた。
コーリィは、エレックらに礼を言い、ネッツを連れて修理屋を出た。店先に繋がれていたワッカが、ネッツを見て喜ぶ。ネッツはワッカにつながる紐を取って、歩き出す。ワッカは小さな足を早歩きにしてネッツについてくる。
コーリィはさっきまでエレックの発明品を見ていて楽しそうだったのに、今は険しい顔をしていた。コーリィは本当に機械が好きなんだとネッツは思った。ネッツはエレックには敵わない。孤児院の兄弟たちの中で、抜きん出た才能があったのだ。だから今も修理屋で働いているし、コーリィが喜ぶようなものを作ることができる。
「彼は機械やマキシカ、それにメグリエ機関に詳しいのね」
コーリィは呟いた。
「孤児院にいる時からいろいろ作ってた」
ぶっきらぼうにネッツは言った。
「彼は修理屋で能力を生かせているわ。発明の才能もある」
コーリィがエレックを褒めているのを見ると、ネッツの胸の奥が少しだけ痛んだ。家を出た兄弟が能力を生かして立派に働いている。ネッツにとっては家族が褒められて誇らしいことなのに、自身はどこか釈然としないのだ。
ワッカが淡い黄色の尾を振り駆け出す。思わずネッツも駆け出し、前を歩くコーリィを追い抜いた。ワッカが立ち止まったので、ネッツはワッカを抱き上げた。
ネッツが後ろを振り返ると、コーリィが歩いてくる。コーリィは、少し俯いたまま、悲しそうな顔をしていた。
「帰るのか?」
ネッツはコーリィに言った。
「ここから近い部品屋に行くわ」
コーリィはまたいつもの仏頂面に戻る。さっきまでなぜあんな悲しそうな顔をしていたのだろう。
コーリィに連れられて、三区画ほど歩くと、修理屋の多い通りのはずれに出た。ガラクタから集めた部品を磨いて売る小さな間口の店がコーリィの目的の店だった。
くたびれた厚紙の箱にたくさんの部品が詰め込まれ、それが積み上げられている。それにより、ただでさえ小さな間口は人一人通るのがやっとであるほど。入口に立てかけてある看板は煤けて文字が読めないこともないが、じっくり見ないと読み間違えそうだ。なんとかその看板を読むと、部品屋であることだけはわかる。しかし、かつて何に特化した部品屋だったかはもう字が消えかけていてわからなかった。
その隙間から見えるのは、頭に白い布を巻いたつなぎの男性と看板娘である。二人は存在感のある鼻筋と厚めの唇がそっくりで、暗い色の巻毛からも親子だとわかる。看板娘の少女はコーリィと近い歳だろう。
「コーリィ!注文の部品、入ってるよ!」
お転婆な看板娘は高い位置でその無重力のように舞う髪二つにまとめており、幅の広い縞々模様の前掛けを弾ませて、コーリィの姿を見て嬉しそうに店先に出てきた。彼女が笑うと白い歯が見える。快活で物怖じしない性格のようだ。
「こら、お客様になんで口の聞き方してるんだ、クーヤ!」
店の中に積み上げられた部品の入った箱を崩さないように、大きな体をのそのそを動かし、店長の男が出てくる。煤けたつなぎ服は修理屋や部品屋の多いこの地区では制服のように皆着ており、店長も例外ではなかった。
「父さん!コーリィは親友なの!」
店長である父親に叱られて、少しばかり拗ねる少女は小麦色の頬を膨らませる。
「そうやって話しかけてくれるのはクーヤくらいよ」
「私たちは親友でしょう?当たり前!」
いつも不機嫌なコーリィが楽しそうに見えた。同じ歳くらいの少女と話したり遊んだりしているのが、本来の彼女の姿なのかもしれない。
彼女は大人ばかりに囲まれた貴族の付き合いや、巨大な機械と対峙することばかりを強いられて、背伸びした彼女は年相応のことなんてやってこなかったのではないだろうか。
「その子は?ボーイフレンド?」
クーヤは赤毛の少年を、その真価を見極めるかのように、少し上から物珍しそうに見つめている。
「最近雇ったネッツよ。私の仕事の手伝いをしてくれているの」
「へぇ、コーリィが誰かを雇うなんて初めてじゃない?」
「人手不足」
コーリィはそれ以上は言わなかった。
「あら、その子もいるの?お供が増えたのね」
クーヤは助手がつれているワッカを見て優しい眼差しを向ける。ワッカは初めて会うクーヤにも、お行儀よく首を傾げた。
「この子はワッカ。染色マキシカの暴走事故の時に見つけたの。元々は白い毛なのだけれど、飼い主が見つからなくて」
ワッカはネッツの足元に駆け寄り、きゅんと鳴いた。
「わかった!みんなに知らないか聞いてみるね」
クーヤは白い歯を見せて笑う。
コーリィの友達を初めて見たネッツは、コーリィも年相応の少女であったことに驚いた。コーリィはいつも忙しそうで、友達と遊ぶコーリィの姿を想像できなかったからでもある。
「頼まれてた微力でも動く回転羽はなかったけれど、オルゴールがあったわ」
クーヤは積み上がった部品の入った箱の一つを引っ張り出し、手を入れてかき回す。コーリィの目の前に小さな部品を出した。
鋲の打たれた円柱とそれに弾かれる櫛のような鍵盤。手回し式にしては、指でつまむのには小さすぎる取っ手が付いている。
「夕日の曲が流れるの。珍しいでしょう?」
「ええ、それをもらうわ」
「23アシス6ミタリだけど、23アシスにおまけするね!」
「ありがとう」
コーリィはその小さなオルゴールを買った。自身の指で奏でるには小さすぎるオルゴールだ。
コーリィがクーヤに数枚の四角い硬貨を渡すと、クーヤはオルゴールを広告の紙で包み始めた。
「クーヤ、染色マキシカの黄色の泡はここまで来なかった?」
「あの辺まで来てたけど、うちは大丈夫だったよ」
クーヤが指差すのは数件隣の店の前だった。染色マキシカのあった通りからは、何度か道を曲がらないと辿り着けないその場所まで泡が来たことは、事故の被害範囲の広さを物語っている。泡の届いた範囲は最大で染色マキシカから直線距離で数百クルカほどだったと言える。
「コーリィ、マキシカの暴走が多いけど、気をつけてね!」
クーヤは紙に包んだオルゴールをコーリィに手渡した。
「ありがとう」
部品屋の看板娘に手を振り、購入したオルゴールを鞄にしまい、コーリィはまた歩き出す。ネッツはクーヤに会釈をしてそれに続いた。