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第12章 泡沫のマキシカ

 その日の朝、朝食の席から慌ただしい空気をネッツは感じ取った。

 マキシカが暴走しなければ、1日中、机に向かって勉強しなければならない日々とは何かが違う。

 ナガレが言うには、今宵、雨期の訪れを祝う貴族たちの夜会があり、コーリィは着飾ってそれに出席することになっている、だそうだ。

 コーリィはその時期かと頷いた。そこまでは良かった。

「ネッツ坊ちゃんもパーティに参加していただきます」

 その言葉をナガレから聞いたときは、やっとうまく使えるようになったナイフで切ったソーセージをフォークで刺し損なうところだった。

「パーティ!」

 貴族が集まり、見たことないご馳走が用意され、参加者を楽しませるための魔法や音楽が披露される。パーティとは、ネッツが話でわずかに聞いたことのあるだけの、おとぎ話のようなもの。孤児院の小さな女の子たちが、パーティごっこをしていたが、誰一人、パーティに参加したことはなかった。

「ど、どうしたらいいんだ!?」

 その憧れのパーティに参加できることへの期待と、心の準備ができていないことに、ネッツは慌てる。

「ネッツ坊ちゃんは堂々としてればいいのです。落ち着いて紳士のふるまいをするのです」

「何を着ていけばいいんだ?」

「ネッツ坊ちゃんのお召し物も用意しておりますし、心配することはありませんよ」

 嬉々とした表情でうろたえるネッツを見て、涼やかにコーリィは言った。

「ネッツがパーティを掻き回してくれると、少しは面白くなるのに」

「お嬢様、それは困ります。ネッツ坊ちゃんは、執事見習いとして、パーティに参加するのですから」

「ネッツ、これも勉強ね」

 コーリィはネッツを試すような口調だった。

 ネッツにとって、これは挑戦かもしれないし、もしかしたら美味しい食べ物にありつけるかもしれない。パーティという未知の世界に乗り込むのだ。

 はしゃぎたい気持ちを抑え込めなくなり、すっかり気分が高揚しているネッツにコーリィは釘をさす。

「くれぐれも粗相のないように、ネッツ」

「お嬢様、昼過ぎにマダム・ファニスターがいらっしゃいます」

「わかったわ、ナガレ」

「ネッツ坊ちゃんも準備がありますよ」

「はーい」

 ネッツは今晩の決められた予定に少しばかり戸惑いながら、パンにかぶりついた。コーリィのもとに来てから、柔らかいパンや肉の入ったスープを食べることができるだけでも、食べ物に関して幸せであった。しかし、パーティではそれ以上の食べ物が振舞われるだろう。ネッツの想像を超える世界が待っているのだ。朝から楽しみで仕方がない。

 コーリィは食事を終え、店先で日課である新聞を読む時間に入る。ネッツはそれにお伴し、新聞記事からコーリィが気になったことをネッツに意見を求めるのだ。ネッツはこの時間がコーリィと話せる楽しい時間であり、コーリィの質問に答えるのに頭を使う難しい時間でもあった。

 一ヶ月ほど前におもちゃ製造のマキシカからメグリエ機関が盗まれ、数日前にも博物館のからくり時計のメグリエ機関が盗まれたことが判明した。この奇妙な事件の捜査の進展が連日、新聞に掲載された。すでに一つのミステリーと化し、様々な憶測が飛ぶまでになっていた。

 メグリエ機関が消えるのは夜のうちのこと。ほとんどのマキシカは夕方の使用停止を知らせる音楽が流れる時刻には停止しなくてはならない。

 工業用の大型マキシカでは、夜も動かしていることもあるが、太陽熱や空気熱を主な熱量源にするメグリエ機関は、気温の下がる夜の稼働は効率が悪い。稼働により熱が生み出されるため、それがまたメグリエ機関に熱量として供給されるが、夜の空気に熱を奪われてしまう。マキシカを動かし続けずに、夜間は冷却期間として超低速運転または、完全停止がマキシカ管理局により義務付けられている。

 しかし、メグリエ機関泥棒に味方をしたのは、雨季であるこの時期は点検をするマキシカの多くが完全停止することだ。おもちゃ製造のマキシカは雨季本番の修理屋の混雑を避け、一月早くマキシカを停止した。からくり時計のマキシカも一日前に停止し、二日後に修理屋が来ることになっていた。メグリエ機関を盗み出すには格好の時期だったわけだ。

 しかし疑問はまだ残る。停止したマキシカにうまく潜り込めたとしても、都市にある数百のマキシカは、マキシカ社が製作したオーダーメイドの機械であり、部品の配置が異なっている。どこにメグリエ機関が仕組まれているのかを見つけ出すのが難しいという。真っ暗なマキシカの中で見つけるのは、過密な部品と頑丈な鎧のような厚い金属の板で覆われたマキシカの内部から月を見ることくらい難しい。修理屋だって、マキシカを完全に止めて、修理のために用意された小さな戸を開いてやっと、マキシカの内部に入る許可が降りる。

 そしてメグリエ機関を手に入れても、他の利用方法が思い当たらない。別のマキシカに組み込むにも、都市にあるマキシカとメグリエ機関の数はほぼ同じ、メグリエ機関を欠くマキシカはほぼ存在しておらず、一つのメグリエ機関は一つのマキシカに合わせて作られており、別のマキシカに組み込むにも一筋縄ではいかない代物だった。それができるのは、現在、コーリィの父だけだった。だから、このメグリエ機関の盗難事件の犯人の動機やその特殊な盗みの技術はミステリーとされた。

「メグリエ機関を盗んでどうするのか、犯人の目的がわからないわ」

 コーリィは曽祖父たちの作り出した発明品の、マキシカを動かす以外の使い道について考え始めた。

「暴走したマキシカを止めるときに、壊し屋がメグリエ機関を破壊したことで、失ったメグリエ機関の代わりにでもするため?でも、メグリエ機関もマキシカ管理局に管理されていて、そう簡単に他のマキシカには組み込めない」

「私は部品が欲しいからではないかと考えますね」

 ナガレは飲み物をお盆に乗せて二人に持ってきた。

 新聞を広げて考え込むコーリィと、新聞のお菓子の広告を見ていたネッツ。

「部品?」

「メグリエ機関にはいろんな部品が使われております。その中にどれか欲しいものがあるのでは?」

 ネッツにはメグリエ機関という小さな塊がマキシカという大きな塊の腹の中にあるといったイメージしかなかった。

「メグリエ機関の部品・・・」

 コーリィはすっと立ち上がって、奥の部屋へと廊下を歩き出す。コーリィが真一文字の口をさらに固く結ぶ時は、何かを一生懸命に考えている時であるらしい。

 ネッツもナガレに促されてコーリィの後についていく。

 コーリィが開けたのは一番奥の部屋だった。まだネッツの入ったことのない部屋。ナガレに許可なく入ってはならないと言われていた部屋の一つ。コーリィの父親の書斎である。

 特別にその部屋に入ることを許されたネッツは、冷静さと古臭さを感じた。

 ほぼ円形の部屋の中心には大きな書斎卓があり、壁という壁は本棚で埋め尽くされ、分厚い本やノートなどがびっしりと並べられ、本棚に囲まれた部屋だった。

 コーリィの父親の部屋はメグリエ機関の発明者の孫らしく、先代から譲られた資料や集めた資料などがあるのだろう。ネッツには価値も内容も全くわからない代物で埋め尽くされている。コーリィはどこからか一巻きの黄ばんだ紙を持ってきて、立派な書斎机の上に広げた。

 ネッツが覗き込むと、細い線で精密な設計図が描かれていた。古くて紙なのに重厚感があり、繊細な線と小さな文字に囲まれたそれは、メグリエ機関の元となった設計図であった。

 平らな玄糖石(ショコライト)——集熱板が太陽熱をとらえ

 大木の広げた根——集熱フィラメントが熱を伝え

 柱石——蒼明石(アオゾライト)が熱を濃縮し

 小さな小さな――紅夜石(クレナイト)が熱を熱量に変えてマキシカを動かす。

 仕組みとしては簡単だが、メグリエ機関はこんなに手の込んだ作りのものらしい。

 そして、設置型のマキシカは、その熱量の遮断のために、ヒャリツからの冷たい風を受けるようになっているようだ。

 太陽熱がアクセル、ヒャリツからの冷風がブレーキとなり、熱量を加減しながら、マキシカは制御される。

「部品といっても、他に流用できるもの・・・」

「岩鉄はいかがですかな?」

 ナガレがメグリエ機関の一部品の蒼明石の額縁を示す。岩鉄は頑丈でなければならないマキシカの体の大部分を構成する合金である。

「確かに丈夫な素材で使い道はあるけれど、蒼明石の枠のみならば、同じ岩鉄で出来たマキシカの歯車一つをとってきた方がいいわ」

 岩鉄は、金属ながら熱伝導がほとんどなく、丈夫で硬く摩耗を知らない金属部品を作ることができるが、その硬さゆえに加工が難しい。よって、マキシカ以外ではほとんど使われていないとコーリィはそうつけ加えた。メグリエ機関以外にもマキシカには岩鉄が使われており、量や盗み出しやすさを考えると歯車の方がマキシカの体の中にたくさんあり取り外しやすいものもあるはずだ。

「どれも純度の低いものなら沙漠で採れる鉱物や金属がほとんど。わざわざマキシカの中から盗むなんて、純度の高い鉱物が必要なのかしら?」

 コーリィは設計図を眺めながら呟く。スナバラで生まれたメグリエ機関は全ての材料がスナバラやスナバラを囲む礫沙漠から調達された。

「メグリエ機関がないとマキシカは動かないのか?」

「当たり前よ、メグリエ機関はマキシカの動力源を作り出すものだもの。メグリエ機関あってのマキシカよ」

「じゃあ、マキシカを止めたいんじゃないのか?マキシカが動かなかったら、暴走もしないしな」

「マキシカを止めたら生活できなくなる人が出る。スナバラの人間に嫌がらせでもしたいのかしら?」

 マキシカの中には、地下水を汲み上げるポンプマキシカや食品などの生産に関わるマキシカ、発電マキシカもある。マキシカを止めるために次々とマキシカからメグリエ機関が盗み出されれば、沙漠の街が立ち行かなくなることは目に見えていた。

「いま盗まれたのは、おもちゃ製造のマキシカと時計台マキシカ。すぐには生活に影響はないけれど」

「おもちゃがないのは、つまらないな」

「持っているおもちゃで遊べばいいでしょう」

 コーリィが熱くなったところで、ナガレはふふっと笑う。

「ネッツ坊ちゃんがいらしてから、コーリィお嬢様の表情がコロコロかわりますな」

 コーリィは少し不満そうな顔をした。

「さて、メグリエ機関盗難事件は、もう少し情報が必要ですな」

 盗まれたメグリエ機関の謎は解けなかった。

 宝石や宝物を盗む怪盗の話を古びて色あせた絵本で読んだことがあったネッツには、機械の部品が宝物とは納得がいかなかった。

 コーリィはもっと納得がいかなくて思考の海に落ちていたが、ナガレはコーリィを我に返させる。彼女が謎に対して考え始めるとのめり込む癖を知っているナガレの気遣いだ。



 ――けたたましく電話のベルが鳴った。

 それは店先から鳴る、マキシカの暴走の知らせ。ナガレが足早に部屋を出て電話をとった。

 応対するナガレの様子から、出動になりそうだ。コーリィとネッツはすぐに支度を始めた。

 クールショットガンを持ったコーリィは、ナガレが電話を切ったのと同時に準備を整えて現れた。

「染色マキシカが暴走したそうです。高温の染料の液体を樽に貯めているため、熱量の遮断にはコツが必要になりそう、かと」

 コーリィは深く頷いた。

 ナガレが地図で現場を示す。コーリィは白い煙を纏った弾丸をクールショットに込める。弾丸はヒャリツによって冷やされているのだ。

「染色マキシカ、メグリエ機関92号、150ズール。中型…」

 コーリィがまたぶつぶつと呟いた。

「コーリィ、その数字はなんなんだ?」

「移動しながら教えるわ」

 ネッツもコーリィに少し遅れてブーツに履き替えて、表に出た。コーリィが屋敷の脇から自動二輪に乗って出てくる。

「乗って」

「おぅ!」

 ネッツはコーリィにしがみついた。そうではなくては自動二輪から振り落とされるだろう。ネッツの頭には、白くて大きな、艶のある花びらの花が思い浮かぶ。その花の名前は知らないが、ネッツの中でこれがコーリィの放つ空気の印象だ。

 相変わらず、コーリィの運転は荒いのか、彼女の体に似合わない大型のアンティークな自動二輪が荒っぽい走りを好むのか。どちらにしろ、ネッツは振り落とされないように彼女にしがみつくので精一杯だった。

 少女の腰に手を回すだけでも、ネッツは躊躇ってしまうのだが、躊躇っていては振り落とされてしまう。風は気持ち良く、ネッツが走るよりも自動二輪は早く駆けていく。

「さっきの数字のことだけれど」

 コーリィは話を始めた。風に混じって聞こえる。

「うん」

「メグリエ機関には、作られた順番に数字が振られているの。染色マキシカは92号、92番目に作られたメグリエ機関で動いているの」

 コーリィは染色マキシカだときいただけでその番号をすぐに口にした。

「そして、150ズール。これはメグリエ機関が生産できる熱量の最大値のこと。大きなマキシカになればなるほど、たくさんの熱量を作ることができる。150ズールまでは中型のマキシカよ」

 ネッツにはそれはさっぱりだった。

「テイラーマキシカは300ズール。アグリマキシカは350ズールだけれど、年代物なので280ズールくらいに低下していたと思うわ。どちらも大型マキシカよ」

 ズール、それは、大きいマキシカだと数字が大きくなるもの、ネッツにはそれくらいしか理解できなかった。

「その、メグリエ機関の何号ってやつと、ズールってやつをコーリィは全部覚えているのか?」

「ええ、もちろん」

 コーリィはさも当たり前に言った。博物館で、マキシカは300超あると聞いた。もしそれをコーリィが全て暗記しているとなれば、相当な記憶力ではないか。ネッツが驚いていると、コーリィは話を続けた。

「メグリエ機関には欠番があるのだけれど、360号まで覚えているわ」

「嘘だろ・・・それはすごいな!」

 素直にネッツは驚いた。緊張感のなさに、いち早く現場に行きたいコーリィの焦りが自動二輪を加速させた。マキシカの暴走は場合によっては多大な被害が出る。建物を壊し、人を傷つけることもある。それを知っているネッツには、コーリィの焦る気持ちもわかる。

 雨期が間近な少しばかり雲のある淡い青空のもと、空気を切り裂きながら、疾走する。

 ある古くからある店ばかりの通りに差し掛かった時、ネッツの目に見知った顔が見えた。

 目にかかるくらいの艶やかな黒髪に灰色の瞳の少年。一年半前に孤児院を出て行ったネッツの兄貴分エレック・トリークだとすぐに確信した。

 しかし、ネッツにはエレックに声をかける暇もなく、コーリィの自動二輪は駆け抜けていった。

 孤児院を出て行ってしまってから、ネッツはエレックに会っていなかった。エレックもまた、孤児院からイルズ・カーンに連れ去られたかのように立ち去った孤児であった。

 孤児院を出て行った後、エレックは一度も便りを寄越したこともなく、ネッツはエレックがどこにいるかも知らなかった。エレックは緑色のつなぎに身を包み、一生懸命な顔をして働いているようだった。

 彼は明るくひょうきんなところもあり、孤児院の中でも年長だったから、カーンは彼が自立できると考えて、修理屋を紹介したのだ。

 エレックは小さな部品を集めて来て、それがなんなのかも知らずに、何か別のものに使えないかといつも考えていた。不思議な動きをするおもちゃを作ることはいつもだった。だからきっと、仕事も楽しくやっているのだろう。

 今度、エレックがいたあの通りに行ってみよう、孤児院で兄のような存在であった彼に聞きたいことがたくさんある、そうネッツは決めた。

 染色マキシカはメグリエの屋敷から少し距離があるようだ。ネッツはたまらずコーリィに話しかけた。

「コーリィ、またあのクールショットを撃つんだよな?」

「ええ」

「俺、撃ってみたい」

 コーリィは少し沈黙した。

「――ダメ」

「なんで?」

 もちろん良いと言われるとはネッツも思ってはいなかった。あわよくば、あの銃口が大きくて氷の花を咲かせるあの不思議な銃を暴走するマキシカに向かって撃てたら格好いい。そう思っただけだ。

「ネッツは集熱板の場所がまだわからない。クールショットの使用、私は議会に許可されているけれど、ネッツはされていない」

「許可?」

「銃及び銃の形態をしたものを発砲・発射する場合は、許可が必要。銃を持つことができるのは警察と自衛軍くらいでしょう?」

 ネッツはああそうかと納得した。確かにクールショットは銃の形をしているものだ。人に向かって撃つことはあってはならないが、もし誰かに当たっては凍りついてしまうので、これは危険なものだ。

 気づくと、マキシカの暴走の現場に近づくほど、ネッツの頭上には、透き通って柔軟に形を変えながら飛んでいく小さなシャボン玉が舞っている。

 それは風を受けても割れることもなく、数が増え、シャボン玉同士が集まって、なんとも幻想的な風景にかわってきた。コーリィはシャボン玉を作り出すマキシカにでも向かっているのだろうか。ネッツには自動二輪が進む先はコーリィの後ろに乗っているために見えない。

 このままシャボン玉の煌めいた、明るく楽しい世界にでも行くのだろうか。

 コーリィが自動二輪を停止させた。

「降りて。これ以上は進めない」

 言われた通りに自動二輪から降りたネッツは、奇妙な光景に出くわす。

 黄色い泡が通りに溢れている。通りから過密に建てられた建物まで黄色く染めんとする、泡につぐ泡。細かい泡は塊となってあたりを埋め尽くしていた。明るいイエローの泡の海が波打つ。その一帯は、鼻に付くようなツンとした香りが空気を染め上げる異様な光景だった。

「この匂い、この泡、全て染料だわ」

 コーリィは泡だらけの路面には自動二輪は適さない。走るたびに泡の塊が舞い上がり、車体の前側にこびりつき、車輪も滑りやすくなるから、これ以上の走行は危険とコーリィは判断した。通りの傍に二輪を停めて、泡の波を越えてマキシカを止めに行くらしい。

 染料の匂いは、ツンとした癖のある匂いで、その黄色い泡に彩られた非日常的な風景と、人々の驚く声と、気分を明るくするような黄色い布を染めあげるための眩しい染料の色、そして、マキシカを止めに行く勇者のような使命感に、ネッツの気分はすっかり高揚していた。

「これ、すごいな」

 ネッツはコーリィに続き、膝より上の高さまでの泡の塊の中を進みながら、黄色い泡を片手ですくってみる。石鹸の泡よりももっと頑丈で細かく、弾力もある泡。

「服が黄色く染まってしまうわ」

 コーリィは神妙な面持ちで徐々に深くなる泡の海を漕ぐように二人は進む。

「これ、すごく黄色だ」

 ネッツは非現実的な様子に出た言葉は滑稽なものだった。

「ウカカンコンの色よ。植物の根から取る染料。糸や布を染めるマキシカが染料をここまで撒き散らしてしまったのだわ」

 この時期になると街にはこの目の覚める黄色で染めた布を飾る。その色は植物からもらうとネッツは初めて知った。

「黄色の泡だらけにして街中染める気か!」

 怒りのこもった声で雄叫びをあげたのは、通りの向こうにいるがっしりとした体つきの男性だった。白髪混じりの短髪に、シャツを黄色く染めながら、なんとか現場に向かっているというようだった。それに渋々ついていく夕陽色の髪の細身の若い男もおり、彼は対照的につまらなさそうな不機嫌顔をしている。

「御機嫌よう、お巡りさん」

 コーリィはその二人組の男に声をかけたことから、知り合いであることをネッツは悟った。

 スナバラ警察のトレードマークである淡い緑色のシャツの制服ではなかったが、彼らは警察官らしい。初老の場慣れした警官と若い警官の二人組だ。

「メグリエの嬢ちゃんか。通報があって来てみたらこんな有様。マキシカの暴走だな?」

 その体格のいい男は、マキシカ事故を担当するディージ警部である。厳しい顔をしており、強面の男だった。マキシカの暴走であると知り、彼が現場に向かうことになったのだろう。

「はい。すぐに止めます」

 コーリィは腰のクールショットガンを示し、二人に会釈すると、暴走する染色マキシカのある方へと向かった。夕陽色の髪の若い警官はコーリィが持つ銃を見てびくりとした。

「ディージ警部、あの子に銃なんて持たせていいのですか?」

 彼はまだマキシカの事故の担当になったばかりのランクス・シダバー巡査である。コーリィのことを聞いていたものの、コーリィが実際に暴走マキシカを止める場に立ち会うのは初めてのことだ。少女には不釣り合いな、銃口が異常に大きな不格好な銃を所持していることに戸惑うのも無理はない。

「あれはマキシカ用だ。メグリエ家は特別なんだ。間違えても彼女を任意同行するなよ。我々の立場が危うくなる」

 それを聞いたシダバー巡査は身震いをした。スナバラの中では銃を持っている者は警察とスナバラ自衛軍くらいだ。コーリィの持つクールショットは武器としての銃ではないが、警察に使用の許可を得た経緯があった。

 コーリィは泡が増える方向へ進む。黄色の泡がすでに二人の腰くらいまでの高さになっており、足元は泡で見えないため、障害物がない道の真ん中を歩かなくてはならない。道の端には荷台や二輪車など置かれていることがあるが、この泡に隠れている場合があると危険である。ネッツはなんとかコーリィについていく。

「おい、そこの赤毛の坊主、危ないからここで待ってなさい」

 ディージ警部は、少女に惚けた顔をしてついていく赤毛の少年が、興味本位で彼女についていく子どもに見えたのだろう。ネッツはびくりとした。いくらその警部が優しく言っているとはいえ、不機嫌で今すぐにでも怒鳴り出しそうなその面構えにネッツは怒鳴られる気がしてしまう。

 ネッツの前を歩くコーリィがぴたりと歩みを止めた。

「彼はうちの見習いです」

 そうとだけディージ警部達に言い放ち、コーリィはちらりとネッツの方を見た。

「俺はだ、大丈夫、早く行こう、コーリィ」

 ネッツは急いでいるであろう、コーリィの足手まといにならないよう必死だった。

「マキシカに立ち向かうとはすごいのだが、危険なことはするなよ!」

 ディージ警部は二人に向かって叫んだ。彼は声の大きな人だ。彼には、ネッツはまだ小さな少年に映るらしい。大人たちはそう言うが、そんな小さな少年がマキシカに立ち向かうことに驚くからだろう。コーリィが一人でマキシカを止めに行っていた時も、きっと驚かれていたに違いない。

 コーリィは物怖じせずに、泡の海を進む。ディージ警部とシダバー巡査も付いて来た。ディージ警部は染色液の泡を物ともせず、寡黙に突き進む。一方でシダバー巡査は泡が顔のあたりに飛んでくるたびに驚き、心底嫌そうな顔をする。染色液は材料の植物の独特な鼻をつく匂いを放ち、シャツを染め上げてしまうからだ。

 やがて弾力のある泡はコーリィたちの胸ほどの深さの海になった。早く進もうにも体に押された泡に阻まれ、黄色い泡をかき分けて進むしかない。

 四人が通りを曲がったところで、街を黄色く染めたマキシカが見えてきた。

 それはやけに背の高いマキシカであった。

 染色を担う店の前で活躍していただろう。染料の入った大きな樽、樽に糸や布を沈めるための籠、染料が糸や布と馴染むよう樽を温めるための断熱線が囲む。染料をかき混ぜたり、染料につけた糸や布を絞るための装置もそのマキシカには備え付けられていた。

 そのマキシカが暴走し、黄色の染料をかき混ぜるための巨大な泡立て器が暴走した結果、粘性の高い染料は泡に次ぐ泡を生み出し、通り一帯を黄色の泡で埋め尽くしてしまった。

 自身の作り出した染料の泡に囲まれ、そのマキシカは満足げかと思えば、今までのマキシカとは様子が違った。

 自身の吐いた泡にまみれた染色マキシカは、無残にも多くの傷がつけられ、取れかけた部品が束ねられたケーブルで辛うじてぶら下がっている。上に伸びていたと思われる多数の管も乱暴に折られていた。それはそれは無残な姿だった。

 腹に抱えていた樽の中で、黄金色の染料の液体と布をかき混ぜるマキシカの腕が染料から泡を作り出し、やがて樽から黄色い泡として溢れ出した。雨期を祝うウカカンコンのサルファーイエローで街を染め上げたかった。しかし、その夢は途中で絶たれ、マキシカは力尽きていた。

「おう!クールな嬢ちゃん!ちょっと遅かったな」

 得意げに手を振るのは、壊し屋のゴワだった。フュールイ学園のアグリマキシカの暴走を止めに行った際、光源をもって現れた壊し屋の二人組のうちの一人だ。

 彼は柄の長いハンマーを持っていた。マキシカを破壊する大きなハンマーは、筋肉隆々のゴワでなければ扱えないような重たい武器だ。

 ゴワは薄汚れたタンクトップを黄色く染め、真っ白な歯を見せて大口開けて笑う。

「本件はメグリエ鉱物研究社にきた依頼です」

 コーリィは腹の底から低い声を出して、怒りを露わにした。

 黄色い幻想的な世界に惚けていたネッツはコーリィの気迫に現実に引き戻される。睨みつけるコーリィをなだめるように、いや、神経を逆撫でするように、ゴワは自慢げな表情を浮かべる。

「俺たちの方が早かった。通りをこれ以上、黄色に染めるわけにはいかないと、店主も了承済みさ。恨みっこなしだぜ、嬢ちゃん」

 ゴワは得意げに、そして勝ち誇った笑顔だ。

 コーリィについてやってきたディージ警部とシダバー巡査は、その有様を見て唸る。

「うちとしては暴走マキシカが最小限の被害で止まればいいのだが、今回の被害は…」

 マキシカの暴走事故を扱う担当警察官であるディージには、正直、暴走マキシカを止めるのは誰であっても構わない。しかし、この染料の泡で通りを埋め尽くしてしまったという広範囲の被害は、頭を抱える事故になってしまった。頻発するマキシカ暴走事故のなかで、先日、孤児がマキシカによる事故死が起きたことにより、ただでさえ仕事が多いというのに。通りの片付けだけではない、被害状況を記録に残す仕事も甚大だ。

 ゴワの背後で、不気味な音を立てて、最後の力を振り絞ったマキシカが辛うじて繋がっている腕を上げようとしたーー

「おっと!」

 マキシカの左方から飛び込んできたのは、ゴワの兄ヤブ。ゴワとそっくりながたいの良い男だ。ヤブは大柄ながら、小回りが効き、即座にハンマーを高く上げ、マキシカの最後の足掻きを叩きつけた。

 その瞬間、マキシカに雷のような、電流が走り、ネッツの目の前でフラッシュした。なお泡は飛び散り、染色マキシカの腕が弾き飛ぶ。マキシカのその腕は泡の中に沈んでいった。

 コーリィの武器がクールショットガンならば、壊し屋の武器は柄の長いハンマーだ。熱量逆流ハンマーという名で発明登録がされている。

 ハンマーの打撃によって起こる熱量により、メグリエ機関に流れる熱量の流れを逆流させることで、メグリエ機関をマキシカもろとも破壊する壊し屋の商売道具だ。

「おっと、まだ生きていたとは、頑丈なこった。さすがマキシカだ」

ヤブはマキシカに止めを刺したことを得意げに、そしてコーリィへ優越感にあふれた視線を送る。しかし、コーリィは壊し屋に先を越されたことに苛立っているわけではなかった。

 彼女は悔しそうに、いや、それを通り越して、自身に責任があるかのように、唇を噛み締め、死んだマキシカを恨めしく見つめていた。

 クールショットガンはマキシカを止めて、再び目覚めさせることができる。壊し屋は破壊しかしない、二度とマキシカが動くことはない。

 コーリィの曽祖父たちが発明したメグリエ機関の一つが、そして、メグリエ機関という命によって動いていた体ーマキシカーも目の前で終わりを迎えた。

 それは彼女にとって耐え難いことなのだと、必死に怒りをこらえて肩を震わせる少女の横顔からネッツは悟った。

 メグリエ機関を発明したコーリィの曽祖父たちにとって、メグリエ機関は我が子のような存在だろう。代々、メグリエ機関を見守ってきたその家の人間として、その子供達を見守る役目を担う者として、その大切な存在が目の前で壊されるのは、コーリィには断腸の想いだろう。

「・・・帰る」

 絞り出されたコーリィの声。怒りと悲しみ。精一杯、ヤブとゴワを睨みつけ、泡の海を踵を返して少女は歩きだす。

 ディージはコーリィに聞こえるように言った。

「彼らに先を越されたことは残念だが、俺は嬢ちゃんみたいな子がこんな危険な仕事をするのは心配でならない」

 ディージの発言は、コーリィを軽んじた発言にも聞こえたが、少女が制御を失った機械を停止させる危険な仕事を担うことを是としない大人の発言だろう。市民の安全を守る警察官だからこその言葉だ。

「坊主、お前もだぞ」

 ネッツはどきりとした。コーリィがネッツのためにやってくれたこと、その代価にネッツはコーリィの仕事を手伝うことになった。マキシカの暴走が危険であることはネッツがよく知っている。

「俺はコーリィの助手だ」

 ネッツはディージ警部にそう言った。自分で選んだことだと自身に言い聞かせたかった。

 ネッツは、原型が失われた廃墟のようなマキシカを背にして、コーリィに着いて行く。あのマキシカの中で、メグリエ機関は二度と目覚めない。

 永久とは言わずとも、数十年は動き続けるメグリエ機関が手荒に破壊されて終わりを迎える。コーリィには使命であり、宿命でもある、そして先祖が残した宿題でもある暴走したマキシカを止める誇りのある仕事をあと一歩で横取りされたのだ。

 確かに、都市全てのマキシカをコーリィ一人で対処するのは難しいだろう。危険も伴うことだってある。今のところ、穏便に止める手立てはコーリィのもつクールショットしかないが、必ず仕留めるためには、マキシカに近づく必要があるため、危険が伴う。それをコーリィは一人でやってきた。

 ヤブとゴワの兄弟みたいに、コーリィに兄弟がいて、父親から一人一丁ずつ、クールショットガンを渡されていたら。少なくとも、一人で頑張ってきたコーリィをサポートする人物がいたら。ネッツが彼女をサポートする役なのだが、まだまだ役立たずだ。

 せめて、メグリエ機関やマキシカを救えなかったコーリィに声をかけたいが、ネッツは言葉に詰まってしまった。

 黄色い泡はまるでネッツが雲の中を歩いているような気分にさせた。あのマキシカは本当の雲の上にある天国に行くのだろうか。

 マキシカは機械だから、死んだら沙漠を旅してやがて星になるといったお伽話には該当しないのだろうか。

 ひとたび、暴走を始めれば、手もつけられない暴れん坊だが、疲れを見せず、淡々と仕事をこなし、長きにわたり人のパートナーとしても働くマキシカ。その命のようなメグリエ機関。マキシカに恐怖しか抱かなかったネッツは、心に寂しさと悲しみを抱いていた。ずっと一緒にいられる機械のはずだったのに、あんな壊され方をしては、かわいそうだ。大柄な機械に向けるには不釣り合いな感情をネッツは抱く。


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