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第11章 荒涼の古家

 病院を出たネッツは、かつて住んでいた空き家に向かった。ネッツが一人になりたい時、寂しさを感じた時、行く場所でもある。

 病院からそんなに遠くはない通りにあるのだが、小さな家々がひしめき建つ地域。そこにある崩れかけの家。煉瓦はなんとか組み合わさっているような状況で、本当にあばら家だ。

 ネッツが覚えている一番古い記憶はこの場所でのことだ。キーウェルという年老いた男と二人で暮らしていた。

 石の白い壁はネッツが住んでいた頃からそのまま薄汚れており、扉も外れて傾いたまま。ネッツがこの家を出てから、五年が経つだろうか。そのまま誰にも触れられることなく、家は残っていた。

 雨季の強い雨と乾期の日差しが人の手から離れた家を弱らせて行った。今では砂も防げないほどになっていた。

 ネッツがこの家で過ごした最後の夜、キーウェルがネッツに赤い石で出来た小さな輪をくれた。キーウェルはそれに紐を通して首から下げていたものだから、本来は指輪ではない。皺だらけの節の太い大きな手で、ネッツの手にそっとその輪は託された。

 キーウェルは、この輪は珍しい石で出来ているから、大切にしろとだけ言った。指輪にしたのは、当時のネッツの親指にその赤い輪がちょうどぴったりのだったからである。

 今は右手の中指にその指輪がある。すでに成長したネッツの指からは外れない指輪だ。キーウェルとの唯一の思い出の品でもある。それ以外、キーウェルが残してくれたものは何もなかった。

 翌朝、孤児院から迎えが来て、ネッツは孤児院に引き取られた。今思うに、キーウェルは去り際をネッツに見せたくなかったのだろう。しかし、キーウェルは今もどこかで長い髭を揺らし、すきっ歯を見せながら皺くちゃな顔で笑っている気もする。

 ネッツたちが住んでいた時から古かった家だ、今では取り壊しが決まったらしい。壁に貼られた張り紙がそう告げていた。

 古びた家を見つめるネッツのもとに、薄汚れた白い毛玉が軽やかに舌をだしてやって来た。

 曇天とは裏腹に、スキップをするように跳ね、中途半端な長さの尻尾を振る。この毛玉のような小さな動物は、立ち耳、すこし薄汚れた毛並みだった。首輪だけが不自然なくらい立派なものをしている。人を怖がらないことからも、飼われていたものが逃げて迷子になっているのだろう。野生動物のような鋭い眼光を放つこともなく、人懐っこく舌を出してネッツを見上げている。ネッツにも友好的に艶やかな瞳を向け、ネッツの足にまとわりつくように駆け回った。

 ネッツは白毛玉の追随を交わしながら、空き家に入る。日が差し込み、崩れた壁の破片が散らばる。

 白い毛玉はネッツについてきた。きゅうきゅう言いながら、空き家に残されたものの匂いを嗅ぐ。

 数年の間、人がだれも寄り付かなかったのだろう、砂ほこりまみれで、雨が沁みた後で壁が薄汚れている。ネッツはここを走り回っていたが、こんなに狭い部屋だとは思わなかった。家がもっと広く大きく見えたのは、ネッツがまだ小さかったからだ。それを部屋の片隅の椅子に座って、父親のように見ていたのがキーウェルだった。キーウェルの椅子のあった場所にはもう何もない。

 ネッツは毛玉を抱き上げた。小さな爪が地面から離れる。だらんと力を抜いて、呼吸と心臓の速い鼓動がネッツにも伝わる。

 抱き上げても嫌がらないところから、人に相当懐いている暖かいもこもこだ。

 この荒屋を取り壊すためか、シャベルのついた大型の重機マキシカが家のすぐ隣に置いてあった。

 ネッツが抱き上げた毛玉は、ネッツの腕をするりと抜けて通りの方は駆けていった。大型のマキシカを見て驚いたかのように。

 マキシカは眠っているらしく、瞳に光は点っていない。

 目立つように明るい緑色に塗られた外壁、体に対して大きすぎるくらいのシャベル。これが動き出したら、すぐにネッツの思い出の詰まった家も崩れてしまうだろう。

 どうしてこんな機械がいきなり暴走するのだろう?ネッツは右手でマキシカに触れた。

 ――ネッツに触れられたマキシカは、瞳に光を灯し、青から赤へと目の色を変えた。マキシカが地響きのような音を立てて目覚めた。その鳴き声はネッツの手に振動として伝わる。

「あれ?」

 ネッツは後ずさりをする。恐怖で体が震えて、血の気が引く。マキシカに触れた手が不自然に冷たくなる。

 マキシカは唸り出し、その瓦礫の上でも進める大きく太い大きな溝のある車輪を動かす。マキシカは急に高い声を上げたと思うと、空き家に飛び込んでいった。

 ネッツは震え上がった。

 コーリィと出会った日、暴走したテイラーマキシカの縫い針の餌食になる直前で助けられた。

 再び目の前でマキシカが暴れ出すとは、なんとも不運だ。

 空き家の壁に大きな穴を開けたマキシカは前のめりになってシャベルを地面に突き刺していた。家の壁を形作る煉瓦はがらがらと音を立てながら崩れ、噴煙の舞う中で、マキシカはシャベルを不器用に動かし、自身の巨大な図体を起き上がらせようとしている。

 ネッツは足に自信がある。今なら走れば逃げられる。

 でもこの辺一体の家々は、マキシカによってネッツの住んでいた空き家のように壊されてしまうだろう。重機マキシカだ、元来の仕事は建物を解体すること。それが手当たり次第に破壊していけば、この辺一帯は瓦礫となってしまう。

 早く止めなければ、コーリィに知らせなければ、制御を失った金属の塊が少し動いただけでも、何を壊すのかわからない。

 ネッツは何をすべきか立ち止まったまま、マキシカを見つめる。

 砂埃の視界の悪い中、唸り声を上げる機械。

 コーリィに知らせるか、いや先ずは周りの人に逃げろというべきか、足も声も竦む。近くに人はいないが、人気はないわけではない。

 転んだマキシカは起き上がろうと動き出す。

 声を出そうにも息を吸いすぎてうまく出ない。コーリィも呼べない。危険を知らせることもできない。

 ネッツの視線の中でマキシカが半分ほど図体を起こす。

 完全に立ち直ったら、マキシカは暴れ始めるだろう。

 どうしよう。逃げる。知らせる。その前に、足が動かない。

 マキシカは立ち直り、次の標的探しを始めそうだ。唸るシャベルとそれを支える岩鉄でできた腕。

 家屋だけではない、人にその頑丈なシャベルが向けられたら――


 乾いた発砲音とともに、ネッツの目の前が光った気がした。

 粉塵の中で輝くのは自我を失ったマキシカの涙が舞ったかのようだった。マキシカの動きがぎこちなく、そして遅くなり、屋根が崩れると同時に、瓦礫の中に大きな音を立てながらその体は沈んでいった。

 粉塵の中、マキシカはきらきらと光る。

 夕日に照らされた埃が輝いているわけではなかった。

「コーリィ!」

 そこにはいつもの男装姿とは違った、少女の格好のコーリィがお得意の口径の広い銃を携えていた。

「ネッツ、大丈夫?」

 コーリィが急いでここに来たことがわかる。

 額の汗。病院に行ったままの格好の少女は荒い呼吸をしている。

「怪我は、ない?」

 ネッツは首を縦に振った。

 コーリィは胸を撫で下ろしたようだった。

 マキシカが暴れて多大な被害が出る前に止められたからだろう。

「なぜこんなところにいるの?」

 不機嫌な青いワンピース姿の彼女には、不恰好な銃は似合わない。しかし、彼女はネッツを助けに来てくれた。

「なんで俺がここにいるってわかったんだ?」

 コーリィは少し顔をしかめた。

「ネッツが私の後をついてきたから、私も真似をしただけよ」

「そっか・・・俺、一人でどうしようかって・・・」

 もうネッツがいたずら書きをした壁も、走りまわった床も、崩れてしまった。すぐに取り壊される家なのに、目の前で崩れるのは、ネッツの胸に穴が空いたような感覚。そしてマキシカの暴走にまた巻き込まれ、コーリィに助けられた安堵。落ち着かない心がざわざわしたまま、ネッツは言葉を絞り出す。

「俺の家、壊れた・・・」

「ネッツの家だったの・・・ここ?」

 少し驚いた様子のコーリィは崩れた家を見つめる。

「じっちゃんと住んでいた」

「そう、ここが」

 コーリィはそう言って崩れた瓦礫を見つめた。彼女はネッツの過去に興味があるのか。しかし今となっては瓦礫の山に成り果てて、ネッツが住んでいた頃を想像は難しい。

 ネッツがキーウェルと暮らした日々もまるでなかったかのように崩れてしまった。キーウェルとの接点がまた一つなくなったことに、空虚感がネッツの中に広がる。思い返せば、もともとネッツとキーウェルのつながりを示すものは多くはなかった。この瓦礫になった廃屋とネッツの指輪だけ。キーウェルと過ごした時間もほんの少しだ。

 雲間から夕日が顔を出す。二人の顔を朱色の光が照らす。

 大きな音がして、人々が様子を見に集まってきた。崩れた廃屋とひっくり返った重機マキシカを見て、何が起きたのかと人々が騒めきだす。

 人垣を掻き分け、やってくる人物がいた。

「大丈夫ですか?マキシカの暴走が起こったのはここで合っていますか?」

 ネッツの感傷を吹き飛ばすように現れたのは、陽気な若い男だった。

 銀に近い金髪に深緑の瞳、スッと伸びた鼻筋。誰もが振り返ってしまうような整った顔立ちであるのに、親しみやすい笑顔を浮かべる。

 貴族の御曹司がマキシカの暴走事故の野次馬に現れたのかと思われた。

「コーリィじゃないか!今回も君が止めたのかい?」

 どうやらその男はコーリィと親しいようだ。

「そうよ、リオード。これが初仕事?」

「現場に出るのは初めてさ!君に会えた!」

 コーリィに馴れ馴れしく話しかける男にネッツは唖然としたまま立ち尽くす。

「リオード君!明日でもよかったものを」

 懐中時計を手にもう一人の初老の男性が現れた。若い男とは違い、少しくたびれたシャツとズボンを召し、明るい髪色は本来の色に白髪が混じった、顔にシワを刻んだ男だった。

「お嬢ちゃんが止めたのか。さすがあのミッゲルの姪っ子だ」

 二人ともコーリィを知っているようだった。ネッツは三人をぼうっと見ていた。

「巻き込まれたのかな?大丈夫?どこか痛いところは?」

 リオードと呼ばれた青年がネッツに駆け寄り、心配そうに見ている。

 ネッツは首を横に振った。

「うちで見習いを始めたネッツよ。彼が偶然、事故に居合わせたの」

 二人の男は顔を見合わせた。その小さな見習いの少年を見て少し戸惑った様子だった。

「よろしくな、私はオゥサン・アリブレ、しがないマキシカ管理局員さ」

 ネッツはアリブレを知っていた。博物館見学の後、マキシカ管理局を案内してくれた職員だ。アリブレにとってはたくさんいた生徒の一人だから、ネッツのことを覚えていなくてもおかしくはない。

「勇敢だねぇ、こんな少年までマキシカを止める仕事を手伝うのか」

 アリブレは感心しつつも、驚いた様子だ。

「ネッツくん。よろしく。私はマキシカ管理官、リオード・P・マキシカだ」

 青年は溢れる笑顔でネッツを一人の人間として握手を求めてきた。

「マキシカ?」

 ネッツは聞き返した。

「リオードはマキシカを作ったマキシカ家の人間よ」

 コーリィの言葉に、勉強したことがネッツの頭に浮かんだ。博物館にあったこの都市に重要な人物の一人、ハージ・M・マキシカ。ハージの末弟の孫リオードと、オリーナル・メグリエの弟の曾孫のコーリィと知り合いというのも納得だ。

「私たちマキシカ管理局は、マキシカ暴走事故の現場に来てマキシカの暴走の原因を突き止めに来たのだが」

 朗々と使命感を話すリオードは、真っ直ぐで仕事熱心の若者のようだ。

「もう夕陽の音楽が鳴っているというのに、初仕事だからって飛んできたんだ、このお坊ちゃんは」

 やれやれと、若者に振り回されながらも現場にやってきたアリブレはため息をつく。

「アリブレさん、私たちの仕事なんですから!それに音楽が鳴り終わるまでは勤務時間ですよ」

「真面目だねぇ」

「夕陽の音楽ってこれか?♪かが~やく たい~よう かぜとねむる~ってやつ」

「古い歌なのに歌詞を知ってるんだねぇ」

 アリブレは目を細め、ネッツを親戚の子供のように褒めた。

 少し寂しげな音楽は日が沈むころに都市中に流れる。ネッツがたまに口ずさむ古い曲だ。

「この曲はマキシカを止める合図なんだ。それを流しているのが我々マキシカ管理局だよ」

 何も知らないネッツにもリオードは丁寧に教えてくれる。

「さっさと書類にサインをもらって帰るぞ、リオード。あとはお巡りさんと明日の仕事だ」

 アリブレは集まった野次馬に説明して解散させた。アリブレは声を張り、マキシカの暴走があったがすでに安全であること、ここには近づかないことだ。そして、くずれた建物にマキシカ管理局名で張り紙をした。

 リオードはカバンからバインダーに留められた紙切れを出し、コーリィにわたす。

「ここにサインを」

 コーリィはさらさらとペンを走らせる。

「それはなんだ?」

 ネッツは尋ねる。

「マキシカを止めた人がサインする書類よ。報酬がもらえるの」

 コーリィのサインの入った紙切れを受け取ったリオードは、ネッツの目の前でコーリィの薄紅色のほおにキスをした。

「さすが、僕のコーリィ」

 その一瞬を見てネッツは口をあんぐりと開けた。

「またね、コーリィ」

 そう言ってリオードとアリブレの二人のマキシカ管理局員は去っていった。コーリィはリオードのキスに動じもせずに、彼らに小さく手を振っていた。

「な、なんてやつ!」

 ネッツは口に出していた。

「彼はそういう人なの」

 コーリィは平静だった。

 彼の行動をコーリィは不思議に思わないのか、コーリィも嫌がらないのか、彼との仲では許しているのか、ネッツは彼女に尋ねたい言葉が一度に浮かんで、ネッツは結局口を噤んだ。

 ネッツはしょんぼりとしていた。そんなネッツをコーリィはちらりと見やった。

「ネッツはマキシカに好かれているかもしれないわね。危険だから、一人の時はマキシカに近づかないで」

 コーリィに関わることになったテイラーマキシカの暴走から、編入した学園のアグリマキシカの暴走、今日の重機マキシカまで。マキシカの暴走を止めるメグリエ鉱物研究社に身を寄せることになったとはいえ、こんなにマキシカの暴走に出くわすとは思わなかった。

 コーリィはあんな巨大な機械でも一人で静止させてしまう。しかし、ネッツはマキシカの恐ろしさを知ったから、暗い顔をしているわけではない。

 思い出の家が目の前で壊されたことと、リオードのコーリィへのキスだ。夕日の中、ネッツの少し前を歩くコーリィは、マキシカの暴走事故があったことさえ、顔色一つ変えない。そのままネッツとコーリィは一言も話さずに帰宅した。ナガレが二人を迎え入れる。

「お疲れ様でした。暴走マキシカをお止めになったそうで。リオード様から連絡がありましたよ」

「ネッツはマキシカの暴走に出くわす天才かもしれない。ネッツが来てくれてよかったわ」

 コーリィはネッツが尾けていたことを知っていたのだ。では、病院で覗いていたことも知っているだろう。

 コーリィが来てくれなければ、またネッツはマキシカの餌食になるところだったから、コーリィには感謝しかない。

「ネッツ坊ちゃん、お腹すいたでしょう。夕食を用意できていますから、どうぞ」

 ネッツは頷いた。ナガレが促すままにダイニングへと向かう。

 コーリィのふんわりとした頰にキスをしたリオードに、驚いた自分と、驚いたことに驚いた自分と、その理由がすぐに見つからなくてネッツはもやもやしていた。

 


 薄暮の中、佇む一人の紳士。暴走した重機マキシカによって壊された空き家を前にして、満足げに頷いた。

 壁は崩れ、屋根は傾き、重機マキシカの走った太いキャタピラの車輪の跡が瓦礫にも深く残った。

 暴走したマキシカ事故の後を見に来る野次馬たちもいたが、その有様を口々に言って、日が完全に落ちた頃にはほとんどが去っていった。

 都市はマキシカに依存しすぎていた。マキシカはすでに疲弊している。人類の歴史ならば、新しい機械、新しい動力源が発明されていてもいい頃だろう。マキシカの頑丈さとメグリエ機関が半永久に熱量を生み出すことで、スナバラではマキシカを使い続けている。かつてマキシカは最先端、いや、世に現れるには早すぎる機械だった。この都市だけが何十年も前の技術を使い続けた結果、今は他の都市から取り残されている。

 愛着のあるマキシカを使うのはよいが、暴走事故が起こるようになった今、次世代の産業を担う新しい熱量生産と、それにあった機械を登場させなくてはならない。そう、男は考えている。

「カーンさん?」

 漆黒の髪の青年が、半壊した家を見つめている男に声をかけた。

「今晩は、エレック」

 イルズ・カーンに声をかけたのは、一人の少年だった。

「今回は死傷者を出さず、もうすぐ解体予定だった家が破壊されただけで済んだ。予定にはなかったが、計画には都合がいい方にことが進んだな」

「はい」

 エレック・トリークは抑揚のない声で答える。

「ワンガが逃げてこの辺りをうろついていたらしい。あの娘はそそっかしいが、ワンガは嗅ぎ当てられるようになってきたってことかな」

 エレックは頷く。カーンはシャルテにマキシカの暴走を嗅ぎ当てられる動物の育成という都市初の訓練を任せていた。

 壊し屋にいるシャルテのほうが、暴走事故に遭遇しやすいから、ワンガを預けたとカーンは言っていた。シャルテには、ワンガとできるだけ暴走しそうなマキシカに触れさせる訓練をさせていたのだが、先日、そのワンガを彼女は逃してしまったらしい。

「この事故も新聞に載る。詳しい原因はわからないが、一人でにマキシカが暴走したとなれば世論はもっと傾く」

 カーンは満足げのようだ。

「もうあんな悲劇を繰り返したくはないだろう?」

 カーンの言葉通り、エレックもそして、シャルテも、二度とあんな悲劇を繰り返したくないと強く思っていた。だから、エレックはカーンの言う通りに仕事を手伝っていた。

 エレックは不特定多数の都市の人々を暴走したマキシカから守るための仕事をカーンから任されたことに始まる。荒療治とも言えるカーンの作戦は、マキシカに依存しすぎた都市を新しい技術に目を向けさせるためだと言った。しかし、エレックは作戦の全貌は知らされていない。それが不安にさせることもある。

 そんなときに、先日、悲劇は起きてしまった。

 エレックが孤児院にいた時の弟のような存在であった少年がマキシカの暴走事故に巻き込まれて亡くなったのだった。もうそんな悲しい出来事があって欲しくはない。

 だから、エレックはカーンの計画を手伝うのだと自身に言い聞かせた。カーンの言うことを聞いていれば、シャルテだって幸せに暮らせる。都市を根底から覆す、革命を水面下で起こしている。エレックはその手伝いをしているだけ。

 イルズ・カーンは、マキシカから新しい安全な機械や熱量生産に移行させることが今のスナバラに必要だと言った。スナバラの外では、競うように新しい技術が開発され、熱量もより効率的なものを追い求め、発展し続けているという。マキシカとメグリエ機関を使い続けすでに数十年、進歩の見られない街はスナバラくらいだというのだ。このままではやがてスナバラが取り残され、古い機械の都市と言われるだろう。



 すっかり疲れた顔をしてネッツは自室に戻っていった。夕食は間食したようだが。

「ナガレ、わかったのね?」

 コーリィはナガレに小声で尋ねた。

「はい。ネッツ坊ちゃんはテイラーマキシカの暴走事故の日に死亡届が出ています。いくらなんでも早すぎます。病院に運ばれた記録も見つかりませんでした」

 ナガレは不可解な調査結果を令嬢に話した。

「翌朝の新聞にネッツのことが掲載されているなんて、素晴らしく計画的ね」

「はい。孤児院の院長ミセス・トッドマリーの行方もわからず、孤児院の建物も閉鎖されたままです」

「ネッツはイルズ・カーンという人物が孤児を次々と連れていったと言っていたわ。ミセスはどこかに連れ去られ、孤児院に誰もいなくなっている」

 ネッツによると、彼女は足が悪く一人で遠くまで出掛けることは考えづらいと言う。ネッツがマキシカ事故に巻き込まれたその数時間の不在の間に、彼女は何者かによって連れ去られたと考えていいだろう。

「事件でしょうか」

「まだ事件は起こっていないように見えるけれど、何かが動き出しているのかもしれないわ。ネッツは何か知っているのかしら」

「知らずに利用されている可能性もあります。本当に殺されなかったのが救いです」

 あの日、コーリィがテイラーマキシカを止めに行かなかったら、ネッツは大けがをしていたかもしれない。

「この事件の首謀者の目的は何かしら?孤児院の閉鎖だけじゃないはず」

 コーリィもナガレも、孤児院を閉鎖する目的の検討がつかなかった。

 孤児院の建物や土地が売りに出されるとの噂もある。都市のはずれの孤児院の建つあの土地は沙漠からの砂も飛んでくるため、あまりいい土地とは言えない。つまり土地や建物を売った金目当てではない。何か目的は別にあるとナガレとコーリィは考えた。

「情報が足りない。お父様がいてくれたらよかったのに」

 ナガレは申し訳そうな顔をした。コーリィ一人には重荷だ。 


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