それぞれの報い(ヴィクター)
マーガレットの兄の名前を間違っていました。
正しくはヴィクターです。
お恥ずかしい間違いで、全力で穴を掘って潜りたい。。。
マーガレットが女神に召されたと知った日から十年、ヴィクターは早朝の礼拝堂への参拝を日課にしている。
平民となって礼拝堂の近くで暮らし始めてからは庭で育てたマーガレットを一輪供えて祈りを捧げている。
この日も祈りを終え、祭壇を離れた所で年配のシスターに声を掛けられた。
「このところあまりお顔色がよろしくありませんね、お悩みがおありでしたらいつでもいらしてくださいね」
「・・・心の整理が付いたら、聞いて頂きたいことがあります」
その日、そう返事をして帰途に就いた。
財産整理の時に頼った弁護士のベック氏に字の美しさを大層褒められ、平民として暮らすなら代書の仕事をしてくれないかと頼まれた。こんな境遇になった自分でも誰かの役に立てるならと、一階が事務所になっている小さな家を買って様々な書類や手紙の代筆を請け負う事にした。
手習いの手本を書いたことがきっかけになり、孤児院で子供たちに字を教える奉仕もさせてもらえるようになって、街の皆にも温かく迎え入れられ、新しい生活は穏やかに始まった。
数年が過ぎ、平民の暮らしがすっかり板に付いた頃、あれから何かと世話になっているベック氏の元で彼の姪のメアリーが事務員として働く事になったと紹介された。
ベック氏の仕事を請け負う度に顔を合わせるようになって懇意になった頃、彼女との縁談を打診された私は、彼らが離れていくことを覚悟の上で妹のマーガレットへの仕打ちを全て告白して自分には家族を持つ資格がないのだと断った。
しかし、ベック氏とメアリーは事情を知ってなお寄り添い支えてくれた。
自分の子に同じ過ちを繰り返してしまう事を恐れる私に、子がなくともそばに居たいと望んでくれるメアリーと私は昨年結婚したのだった。
子は出来ないように気を付けていたのだがこればかりは神の思し召しなのだろう。
愛するメアリーが私の子を身籠ったと聞いた時、一番にこみ上げたのは喜びだった。
告げる時に張り詰めたような顔だったメアリーは、喜ぶ私の姿にほっとした表情を向け、ベック氏は近所に触れ回って皆で盛大に祝ってくれた。
温かく受け入れてくれる街の人々。
愛と喜びに満たされた我が家。
愛する妻と共に子を迎え家族となる幸福。
幸せを噛み締める度、心の奥底に澱の様に積もった感情がふと舞い上がる。
マーガレットにあれ程の仕打ちで世を捨てさせたお前が穏やかに暮らすなど許されるのか。
マーガレットをあれ程傷つけたお前が自分の子を幸せになどできるのか。
マーガレットをあれ程虐げたお前が幸せになるなど許されて良いのか。
その心の声は毎朝礼拝堂で跪くたびに大きくなっていった。
シスターに声を掛けられてからちょうど二月。
子はもういつ生まれてもおかしくないらしい。
初産だからねぇと、近所のおかみさんたちが日に何度も様子を見に来ては気を配ってくれている。
その日、私は早朝の礼拝と供花を終えると告解室に入った。
聴罪人が隣室に入った気配に、何から話せば良いのか考えあぐねていると、あの時声を掛けてくれたシスターの声が告解室に小さく響いた。
「・・・あなたは聖女マーガレットによく似ておいでですね。お顔立ちだけでなく信心深さもお心根も」
思わず小部屋の仕切りに身を乗り出す様に問いかけた。
「マーガレットをご存知なのですか」
密やかな声は続いた。
「あなたもご存知の通り、この礼拝堂のシスターたちは交代で早朝に祈りを捧げます。聖女マーガレットの事は当時ご一緒した事のあるシスターは皆、ずっと慕っております。彼女がそうしたように、あなたもまた皆の負担にならないよう早朝の祈りの時間に合わせて礼拝にいらしているのでしょう?
・・・それから・・・聖女マーガレットの聴罪人は、私でした」
その言葉に私の迷いは吹き飛び、マーガレットが生まれた時の事、母の事、それ以来の父と自分のマーガレットへの非道な対応とその態度を謝る事も出来ないままマーガレットを失ってしまった事、そしてマーガレットの誕生日に放ってしまった(お前が死ねば良かった)という取り返しのつかない罪深い言葉への深い後悔がとめどない言葉となって溢れた。
「そんな自分が父親になることなど許されない。
そんな自分が周囲にこんなに温かく迎え入れられるなど許されない。
そんな自分が幸せになるなど許されない。
この十年間、幸せだと感じた瞬間には必ずその言葉が胸の奥底から湧き上がってくるのです。
私がマーガレットにした事は許されなくて当然、それは生涯私が背負っていくべき罪であり、心の声を忘れる事なく一生をかけて贖っていくつもりです。
しかし、罪のない妻と子は私の手で幸せにしたいのです。どうか二人を愛し幸せにすることを許してください」
手を組み首を垂れると、聴罪人の声が告解室に厳かに響いた。
「あなたが彼らを愛し幸せにすることを神は許されました」
礼拝堂を出ようとしたところで、扉の前に立っていた別のシスターから出産祝いだと言って小さな包みを渡された。
「この十年のあなたの真摯な祈りと贖罪は聖女マーガレットに届いていると思います。
どうか、あなたご自身もご家族と共に幸せになることを、ご自分に許してさしあげてください。」
そう言って礼拝堂を後にする私を見送ってくれた。
家に戻り、メアリーと共に包みを開けると、出てきたのは一冊の絵本だった。
表紙をめくり、タイトルを目にした瞬間、カッと目頭が熱くなった。
流れるように流麗なその字は、かつて王都一と賞賛されたマーガレットの手跡だ。
最後に見たマーガレットの字は、美しい手跡に似合わぬ悲壮な願いが綴られた遺言書だった事が思い出された。
しかし、今手にしている絵本は美しい飾り文字に似合いの優しさあふれる挿絵に彩られ、一人ぼっちだった女の子が周囲の皆に温かく守られ、愛する人と結ばれて可愛い娘を授かるまでの幸せな物語が綴られている。
彼女の娘の名はヴィクトリア。
絵本の字を指でなぞりながら涙をこらえきれない私の背を、一緒に絵本を読んでいたメアリーはずっと優しくさすってくれた。
数日後、メアリーは無事に元気な女の子を生んでくれた。
生まれたばかりの私にそっくりな娘を抱くメアリーの側で、感極まり言葉にならずぽろぽろと涙を流す私を、お産の手伝いに集まってくれた近所のおかみさんたちは呆れながらも励まし、皆で祝ってくれた。
娘の名前はマギー。
もしも子供の頃、仲の良い兄妹だったなら、あなたはきっとそう呼んだわと、メアリーが勧めてくれたのだ。
早朝の礼拝堂。
今日も私とメアリーと娘のマギーは聖女像に庭で大切に育てたマーガレットを一輪ずつ供えて祈りを捧げる。
この広く続く同じ空の下のどこかに居る私たちの家族が、今日も一日私たちと同じように幸せに過ごせますように。




