エレノア・ノートン子爵令嬢(中)
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ノートン子爵は、エレノアが十歳になった頃から商会や商談に伴い、後継者教育を進めていた。
そして、彼女が十五歳になったばかりのある日、エレノアは誰もが驚く才能を披露した。
周囲は、彼女が幼い頃から色や造形に独自のこだわりがあると気づいてはいたのだが、新たに企画した化粧品の開発の場でその力を目の当たりにする事になったのだ。
化粧方法に強い興味を示したエレノアに、試しに実演をさせてみると、完成品ではなくテーブルに並べた材料の中から独特の色を選んで重ねていく。その過程を周囲が興味津々で見つめる中、完成したモデルの姿に誰もが言葉を失った。
モデルは商会の売り子見習いの一人だったが、その魅力が最大限に引き出された姿に周囲から感嘆の声が上がった。
そして、仕上げに、それまで材料の一つでしかなかった真珠の粉を、乳鉢で更に細かく砕くと、大きな刷毛に少量乗せて、撫でるように一刷きしたのだ。
すると、その粉は日の光を受けて淡い光を放ち、まるで魔法にかかったように輝いて見えたのだ。ノートン子爵はじめ、その場にいた者は皆、度肝を抜かれた。即座に商会の極秘事項として箝口令が敷かれ、エレノア主導で様々な商品の開発が始まった。
開発が始まって一年後、ノートン商会は新たな化粧品と、革新的な化粧方法を発表した。
それは、目や肌の色に合わせて、様々な色の中から、その人に合った色を組み合わせて使う事で、魅力をぐっと引き立てるというものだ。皆がこぞって流行の色を使用するという、それまでの常識を覆すものだった。
店頭では、新しい化粧法でそれぞれの個性を際立たせた売り子たちが注目を集め、ノートン商会の化粧品は、瞬く間に王都中で噂の的となった。
それと同時に、紹介制の美容サロンが企画された。一人一人の肌や髪、瞳の色に合わせてぴたりとはまる色と化粧を組み合わせていく特別なサロンだ。仕上げに使う、ノートン商会謹製の真珠の粉は、このサロンでしか販売しない。
紹介制のサロンとしたのは、施術者のエレノアが、社交デビュー前の学園生であり、学業優先のため一日一組が限界だったことと、デビューまでは名を明かさないという約束を守ってもらうためだった。
そのサロンに一番乗りしたのが、古くからの顧客である舞台女優のニーナだったことも功を奏した。役に合わせて、気品あふれる貴婦人から蠱惑的な悪女まで、彼女の演技力も相俟って、まるで別人のような扮装と化粧が新たな評判を呼んだ。
エレノアは、高位貴族からも覚えめでたい化粧師として成長していった。
◇◇◇
エレノアが十六歳の年、貴族学園に入学して半年程経った頃、ノートン子爵家の順調な商売と、金の卵を産む鶏であり、跡取りのエレノアの評判を聞きつけた高位貴族家から、入り婿の申し込みが殺到した。
それら多くの候補者の中で、最も高位のブノワ侯爵家からの強い要請に押し切られる形で、次男のオーギュストと婚約が結ばれたのだ。
ブノワ領には金山があり、産出した金の加工技術も持っている。ブノワ侯爵家の家業の一つである宝飾品部門は、宝石を産出するいくつかの貴族家と契約を結んでおり、国内の真珠の流通を一手に担っているノートン家も、そのリストに名を連ねている。
エレノアよりも二つ年上のオーギュストは、貴族学園を卒業後、その宝飾品部門を任されている兄の補佐をしており、政略としては申し分ない縁組だ。
とはいえ、顔合わせが行われる前に、半ば強引に決まってしまった婚約である。ノートン子爵は今更ながらと思いながら、子飼いの者たちを使って出来るだけの情報を集めた。
子爵は、手にした報告書に心配するような記載がなかったことで、一先ず胸をなでおろしたものの、取り立てて特筆された点もないことに、一抹の不安がぬぐえずにいた。
迎えた婚約式当日、会場の中央礼拝堂にやって来たオーギュストは、濃い金の髪と青い瞳の整った容姿に、報告書の通り、物腰の柔らかい、大人しく優しい印象の少年だった。
それにしても、なぜブノワ侯爵はこれほど強く次男のオーギュストを推したのか。侯爵閣下は、爵位を笠に着ることなく、どの家とも対等な取引をしてくれる。ノートン子爵には、その彼が何故、という思いが捨てきれなかった。しかし、オーギュストの領主教育を進めるうちに理解した。
オーギュストは、理解力に優れ、教えた事はすぐに吸収して言われたことは何でも卒なくこなす。物腰も柔らかく、人にも優しく接するため、子爵家の人間に打ち解けるのはあっという間だった。
その一方、効率を考えた先回りや根回しは苦手のようで、その都度、必要な準備から全ての手順の説明が必要なのだ。教育が始まった当初は、慣れない事だからと、丁寧に説明していた子爵だったが、それが半年たった今でも全く身につく様子がない。一から十まで細かく指示をしなければ動けないのだ。ただ、指示したことは完璧に成果を上げる。
なるほど、文官ではなく、兄の補佐を務めていたのも頷ける。
また、彼のこの性質は、婿入りしてから良からぬことを画策して行動することができないことを物語っている。加えて優しい人柄で、エレノアを大切にしている様子を見れば、婿として歓迎すべき人物だ。そして、これは裏を返せば、ブノワ侯爵家が、彼の能力が両家の事業の補佐としては最適であると判断しただけでなく、おとなしいオーギュストが、婿入り先のノートン子爵家で蔑ろにされる事はないと判断したからともいえる。
子爵の心配をよそに、初対面でお互いに好印象を持ったオーギュストとエレノアは、順調に交流を重ね、すっかり打ち解けた様子だ。両家は二人の姿を温かく見守っていた。
オーギュストは、領主教育のためノートン子爵家に訪れる度に、必ず花束や小さなプレゼントを持ってやってくる。エレノアと二人で仲良く語り合う睦まじい様子に、子爵も使用人も皆が安堵していたのだ。
◇◇◇
その頃、ノートン商会では、真珠の他に絹織物の輸入が本格的に決まり、子爵自ら契約と流通ルートの最終確認を行うために東国に赴く事になった。東国にルーツを持つノートン家は、現地の一族が絹織物を特産品としている。この国に来た時、自身の一族の生地の品質の良さに気付いた先代が、大規模な輸入のための量産体制と、その時の為に販路の開拓を始め、ようやく安定した商品を供給できる準備が整ったのだ。
広い海を隔てた東国の往復は、順調な航海であれば、一か月で辿り着ける。航海のためには潮目と風を利用する必要があり、滞在期間と途中の寄港を含めた旅程は約6カ月の予定だ。気がかりだった、オーギュストとエレノアの仲も順調であり、ノートン子爵は憂いなく出発の準備を進めていた。
半年間の当主不在は商会にも家政にも支障が出る。そのため、ノートン子爵はエレノアを当主代理として貴族院に届けを提出した。
加えて、もしも自分に何かあった場合、速やかに爵位継承ができるよう手はずを整えておかなければならない。出発前、ノートン子爵は、未成年のエレノアの後見人について相談するため、ブノワ侯爵邸を訪れた。
「本来、夫となるオーギュスト様を後見人にするべきかとは思いますが、まだ婚約から日が浅く、引き継ぎも始まったばかりです。そこで、今回は侯爵閣下に後見人となっていただきたく参上いたしました」
そう願い出たノートン子爵に、ブノワ侯爵は鷹揚に頷いた。
「相談してくれて良かった。まだ子爵家の内情が分かっていないオーギュストに、後見人は些か荷が重い。なに、半年間だけのこと、その間にエレノア嬢にしっかり教育してもらえば良い」
侯爵は和やかな雰囲気でサインをした書類を子爵に渡すと、ふと思いついたようにたずねた。
「家中のことに口出しするようで心苦しいのだが、奥方の姉とその娘のことだ。その娘が通っている王都の女学校で、自分は子爵令嬢になるのだと触れ回っていると耳にした。その事実はないと思って良いのだな? 貴殿の口から直接聞いておきたい」
子爵は毅然と答えた。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。女学校には対応を依頼し、校内外の噂は終息しています。その娘の荒唐無稽な思い込みには、妻を通じてはっきりと否定を伝え、家令から妻の姉夫婦に対して、そのような根も葉もない嘘を口にしないように厳重に注意し、二度と繰り返さないよう釘を刺しております。本邸に立ち入ることも禁じておりますし、私はその娘と顔を合わせた事も、言葉を交わしたこともございません」
その答えを聞いた侯爵は、表情を緩めて頷いた。
「余計な口出しをしてすまなかった。良い航海を。無事の帰還を楽しみにしているよ」
ブノワ侯爵邸はそう言ってノートン子爵を送り出した。
侯爵は、本邸に立ち入ることもない使用人の妻子など、取るに足らないとオーギュストに注意を促さなかった。その判断を、最期の瞬間まで後悔し続ける事になるなど、この時には夢にも思っていなかった。




