2. 婚約者はなぜか優しい
婚約式はヴァランベリー国で盛大に行われることになった。
各地の貴族が集められ、王女の婚約にみなお祝いの声を上げた。
そんな中、ドロテアは美しいドレスを身に纏う。
エルーザがわざわざ仕立ててくれたのだ。
母からのプレゼントが嬉しくて喜んでいたが、当日渡された、顔面を覆い隠すマスクを見てその気持ちも萎んでしまった。
不気味なマスクだった。
醜い顔を隠すためだとはいえ、よくわからない呪術のような文様が描かれたそれは、列席者に気味悪がられるだろう。
(お母様はマスクを際立たせるために、わざと綺麗なドレスを準備してくれたのね……)
些細な嫌がらせだ。
だが、長年幽閉されていたドロテアの心は、簡単に傷を負う。
落ち込んだドロテアに声をかけてくれたのは、なんと婚約者となるオズワルドだった。
「緊張されてますか?」
醜い女と結婚するなんて一体どんな物好きなのかと思っていたが、相手は綺麗な青年だった。
「い、いえ」
ドロテアは驚いていた。
飾り気は少ないものの上質そうな衣服であるし、身なりも整っている。不気味なマスクを見ても、嫌がる様子もなければ、高圧的な態度もない。
セルノーブル国の王子だと言うが、国同士の繋がりのためとはいえ、他にも人はいただろうに。
「大丈夫ですよ。俺がちゃんとエスコートします」
「ですが、私はとても醜くて」
どんなに不気味なマスクだとしても手放せない。
「……この場では難しいですが、そのマスクが気に入らないのでしたら、式が終わり次第新しいものを作りに出かけましょう。いずれ結婚式も行う予定ですし」
優しい言葉遣いが身に沁みた。
(私ったら単純ね。でもこんなに優しい言葉を掛けてくれた人を他に知らない。私を気遣ってくれる人なんていなかった)
たくさん読んだ物語の中には確かにいたが、出会ったことはなかった。
優しい人間は本当に存在したのだ。
「この婚約式が終われば、俺とセルノーブル国へ行くことになります。式の参列者の中にはこの国の王女を攫っていく俺を快く思わない人もいるでしょうが、あなたのことは必ず守りますから」
「……い、いえ。みんな私がこの国を出て行くことを望んでいますから」
自分の常識とは真逆を言うオズワルドに、きっとこの国の情報に疎いのね、とドロテアは考えた。
であれば、きちんと説明しなければ、不誠実だ。
どんな理由であれ、醜いドロテアと結婚してくれるのはオズワルドなのだから。
「今はマスクで顔を隠しておりますが、本当に私は醜いのです。この不気味なマスク以上に、まるで人の顔とも思えないような、顔で」
「ドロテア嬢!」
話し出した矢先、オズワルドは遮るように名前を呼ぶ。
急な強い口調に、びくりとした。
「あ……驚かせてしまって申し訳ありません。ただ、俺は、自分を卑下するような言葉が嫌いでして。どうか俺の前だけでも言わないでいただきたい」
(ああ、不快にさせてしまったのね……確かに卑下する言葉は気持ちの良いものではないもの)
ドロテアは素早く謝罪した。人の怒りには敏感になっていた。
「こちらこそ申し訳ございません! 決して不快にさせるつもりはなかったのです。ただ、その、こちらでの私の立場をよくご存じないようでしたので、お伝えしようかと」
そんなドロテアにオズワルドは言葉を重ねたのだ。
「ああ、大丈夫です。あなたの価値を見い出せない者たちの意見など、俺には不必要なので」
自分を庇うような言葉と笑顔。どうして、とドロテアは不思議に思う。
だって会ったのは、今日が初めてだ。
(だとすればどうして? ヴァランベリー国の王女だから、少しでも褒めてくれようと? それとも、形ばかりとはいえ自分の婚約者を貶められたくない、かしら)
マスクの顔で首を傾げたが、オズワルドは飄々と言った。
「これから婚約式ですが、ドロテア嬢の想像通り、嘲りや嫌悪が向けられることになるでしょう──が、それは全て俺に向けられています」
「え」
「もう一度言いますね。これから向けられる全ての悪感情は、外部の人間である俺に向けられたものなので、ドロテア嬢が気にされる必要は一切ありません」
そうして繋がれた手は、婚約式が終わるまでずっと離されることはなく。
おかげで、怯えも多少和らぎ、慣れない複数の目にも耐えることができた。
狼狽えることもあり完璧とまでは言えないものの、ドロテアにとっては及第点と言えた。
婚約式は、ドロテアに疑問を残しつつも、無事終えることができたのだった。
◇◇◇
婚約式の後、セルノーブル国へ行くことになったのは、エルーザのせいだった。
通常、婚約をしたとしても結婚をしていない限り家を出ることはないが、結婚前に交流を深めておくべきだというエルーザの主張が通ってしまったのだ。
早く追い出したかったのだろう、とドロテアは思っている。
「それなら婚約式なんてせず、結婚式をしてくれればよかったのに」
そうすれば、婚約者という曖昧な身分で、セルノーブル国に移住せずともよかった。
だが、エルーザの思いもわかってしまう。
「……私の醜さを、みんなに見せつけたかったのかな」
嫌われているのは身をもって知っている。
鬱憤を晴らすために、ドロテアを笑い者にしたかったのだろう。
もちろん慣習に従ったというのもあるだろうが。
ふう、とつい溜息を零すと、思いがけず返事があった。
「俺は、婚約式、できてよかったと思いますよ。ドロテアの綺麗なドレス姿を拝めましたから」
本を広げながら物思いに耽っていたドロテアは、目の前の衝立を見て。その奥にいる人物を思い浮かべた。
「……オズワルド様。聞いて、」
「酷いですね。読書をしましょう、とご一緒したではありませんか」
マスクなしの素顔だったからすっかり気が緩んでいた。
くすくすと笑う声に恥ずかしくなり、謝罪の言葉を口にした。
「も、申し訳ありません。つい、集中してしまったようで」
「咎めてなどおりません。ここはもうドロテアの家なのですからお好きなように過ごしていいのです。リラックスされているようなら俺も嬉しいですし」
オズワルドが住む城には本が多かった。どんなに財政が苦しくとも本だけは手放さないらしい。
ドロテアは時間のある限り、狭い一部屋に籠り本を読むということを続けていた。
あまりヴァランベリー国での生活と差は無いように感じるが、人との交流は増えていた。
オズワルドはわざわざ衝立を準備してまで──ドロテアへの配慮によるものだ──同じ空間にいることが多く、また使用人たちもドロテアの世話を決して嫌がったりしなかった。
オズワルドの指示によるものなのか、セルノーブル国の気性によるものなのかはわからないが、ドロテアが嫌がることは一切しなかったのでドロテアも徐々に警戒心を解いていた。
が、疑問は常に抱いている。
(どうしてこんな私なんかに、ここの人たちは優しくしてくれるのかしら。こんなに醜くて汚い、役立たずの私なんか)
そんなことを思っていると、オズワルドはお見通しだとでも言うように、必ず否定してくれる。
「この国にドロテアがきてくれてみんな嬉しいのです。メイドたちはもう喜んでしまって。多少張り切りすぎているようなので、もし不快でしたらそう言ってあげてください」
ドロテアには全くわからない。
「どうして、こんなに醜いのに」
我慢できずにそう問えば、口を塞ぐように「しーっ」と音がする。きっと衝立の向こうでは唇に人差し指を当てている。
「俺の世話ばかりで飽き飽きしていたのでしょう。やはり女性を飾り立てたいと彼女たちは楽しみにしていたようです。結婚式は、ドロテアの好きなドレスを作りましょう。俺も楽しみです」
セルノーブル国は豊かではない。王城も大きくはあるが、飾り気はほとんどなかった。
本当はドレスを作るお金すら、勿体ないはず。
(しかも、ドレスなんて似合わない私なんかのために。みんなのご飯やお給金にした方がよっぽどためになる……)
衝立で見えないことをいいことにドロテアは顔を歪めた。
向こう側で本を閉じる音がした。
「……ドロテア。言霊はご存知ですか?」
言葉の意味は知っていたのでこくりと頷く。
「え、はい」
「さすがですね。言葉には力が宿り、口にした言葉通りの影響が実際に起きるというものです。……俺は、言霊ってあると思うんですよ」
責めることも押し付けることもせず、淡々と言うオズワルドの声は心地よかった。
「以前にも言いましたよね。自分を卑下する言葉は嫌いだと。それが言霊となると、そう思うからです。それなら楽しいことや幸せなこと、これからの希望や願いを口にした方が、得だろうと思うんです」
「得……」
「ああ、得です。ドレスの話にしたって、ドロテアは”自分には似合わない”なんて思っていそうですが、俺からすれば”ドレスを着慣れていないだけ”だと思います。だから似合うと思えるようになるまでたくさんのドレスを着てもらいたいと感じますし、ドロテアに似合うドレスを見つけたいと思うんですよね」
一拍置いて、オズワルドは言った。
「それでドロテアが気に入るドレスを身に纏えたなら、幸せな気持ちになれるでしょう? 似合わないから、とドレスを諦めるなんて勿体ない」
損得には少々うるさいんですよ俺、と財政難を示唆しつつ笑った。
「……得」
そんなことを考えたことは無かった。
いつもドロテアは現状を耐え忍ぶだけ、嘆くだけで。
確認するようにドロテアがもう一度呟いたが、オズワルドは何も言わなかった。
衝立の向こうからは再び本をめくる音がした。
その音に──人の気配に、いつの間にか安心感を覚えている。
どこか懐かしい感覚にドロテアは驚き、慌てて手元の本へと視線を戻した。