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臓器くじから考える利己的遺伝子

作者: だるまんず

 臓器くじという思考実験があります。


 多数の命を守るために少数の命を犠牲にすることが正しいかどうか、という問いかけです。


 「生活維持省」と「イキガミ」の類似性で有名になった命題とよく似た命題です。

 トロッコ問題なんかも、同じではないですが似た命題です。


 利己的遺伝子にとって、臓器くじは魅力的です。

 実際に臓器移植を待つ人は世界に多く存在し、その多くは移植を受けられずに死んでいます。仮に1人の健康な人間から各部品を取り出し、移植を待つ人たちに移植すれば、数人の危機的命が救えます。と同時に健康な人間が1人死にます。


 利己的遺伝子は多くの遺伝子を未来に運ぶ選択をします。その手段としての臓器くじ。それが種として正しい選択であると理解した上で、種に貢献する命を個として差し出すことを受け入れられるのか。


 種としての利己性が個の利己性と戦う時、シロアリのように一部の生物では種が優先されている。働きアリは個の遺伝子を未来に送れない。同じ遺伝子を持つ種の一部として生きる。

 一方で、一部の子殺しをする動物のように、個の遺伝子を残すために同種の他の遺伝子を抹殺する行為が見られる。

 いずれも利己的遺伝子で説明は出来るものの、種と個のどちらを優先するのかという点で異なる行動となっている。この差はなんだろうか。


 種にとっては、前者が有利なのは間違いない。役割が分担されており効率的。その実績は億年単位で積み上げられている。

 後者は種にとっては不利に見える。いくら生まれても、数が増えることが難しい。多様性も損なう。実績も万年単位とそれほど長くない。


 天敵の少なさ、数を減らしても十分に未来に生きられるならば、個の利己性が強く、現環境により適応した遺伝子を選別して残せることが種の強さにも繋がる、という選択なのだろうか。


 振り返って人間の天敵は人間以外にいない。それが理由で個が種より優先される動物であるのであれば、臓器くじの選択は、種の修復より個の存続が優先されると計算が出来るのかもしれない。


 でも、これはずいぶん都合のいい理屈だ。


 個の遺伝子は脆い。個と言っても過去から受け継いだものであり、種には同じ遺伝子を受け継ぐ者も多い。遺伝子が利己的であるならば、個の遺伝子が利己的であるとしても、種にある同じ遺伝子を失うのは、個の遺伝子にとっても利己的であるとは言えない。子殺しをする遺伝子は、自分の遺伝子を伝える子が殺されることも想定する。遺した遺伝子を失うリスクを含有する。


 人間は子殺しを基本的にしない動物ではあるけれど、臓器くじを認めない考えは暗に死にかけている遺伝子を見殺しにすることを容認する判断になる。これは、個が移植を必要とする立場になった時に、見殺しにされることを容認するのと同じで、利己的判断とは言い難い。

 つまり、利己的であるならば、臓器くじは歓迎するのが自明。


 現実世界では、1人の人間を分解したところで、複数人の人間の命を少し伸ばす程度までしか技術が無く、健康な人間の生きる年月が、移植を待つ人が生き延びる年月の合算を明確に上回る期待が出来ないために制度として成り立たないが、これが明確に逆転した時、臓器くじは容認できるだろうか。


 私自身は容認すべきと考えながら、その政治判断に投票する時が来たら迷うように思う。

 なぜ迷うのか。


 直感的に人を殺すことに抵抗がある。

 でも、救える命を救わないことは人を殺すのと同じではないか。


 おそらくはリアリティの問題。臓器移植を受ける必要がない状態である自分。つまり、この法律は今の自分にはメリットのない法律であり、同時に終わりのないロシアンルーレットに参加するようなものになる。デメリットしか感じられない。

 もし、自分が臓器移植を受けなければ3年も生きられないとわかっているならば、迷わず賛成するだろう。成立すれば高確率で延命できる。低確率のロシアンルーレットよりメリットが大きい。大義として、同じように苦しんでいる人を救えると言える。


 こう考えると、この法案は通りそうにない。臓器移植を受ける必要のない人の方が圧倒的多数だからだ。そう、多数。この問題は多数か少数かがキーになる。


 最初に多数と少数を並べているが、日本で移植を待つ人は約14000人。少なくはないけれども、日本の人口から考えると0.01%程度あり、日本人という種で考えるならば少数と言える人数。利己的遺伝子が取るべき行動として、その少数の命を救わないことが種としての大きな危機とならないことがポイントなのではないだろうか。


 個の利己性を犠牲にせずとも、種の利己性は十分確保できているから臓器くじは積極的には求めない。

 別にそこまでしなくてもいいけど、した方がいいかな、みたいな種の判断になりそう。

 種が積極的に臓器くじを選択しない。


 ならば、個の短期的リスク回避の判断、臓器くじは容認できない、が答えだろうか。

 僅かでも種の利益になる臓器くじを求める、が答えだろうか。


 いや、答えは最初から分かっている。その答えを受け入れたくないための理由を必死に探しているだけだ。


 自分自身を振り返り、毎日ジョギングをするなり運動をして、食事の量は少なめに、菓子は食べず、規則正しいリズムのある生活をすることが、自分自身の為であると知っている。

 でもジョギングなんてしない、腹いっぱい食べる、生活リズムはガタガタ、結果として肉体的に弱くなり、脂肪を蓄え、寿命を減らす生活を続けている。


 野生の動物であれば、無駄なエネルギーを使わない様に動かない、食べられるときに最大限食べる、太陽が沈めば休息する。

 人間もそういう物理遺伝子を受け継いでいる。環境が変わったことで同じ行動が必ずしも利己的に機能していないだけだ。過去がそうであったように、利己的に振る舞えなくなった遺伝子は衰退する。


 でも、人間は文化遺伝子でそれを補う。適度な運動や食事制限は文化遺伝子に属する。臓器くじも文化遺伝子。物理遺伝子が現在の環境に適さない要求をすることを理解し、どう物理遺伝子を守るのかを教えてくれている。それに従うべきなのだ。


 でも今日も一日ほとんど動いていない。

 臓器くじを否定する理由。

 それは物理遺伝子の利己性が環境変化に対応していないためではないか。


 げ、2600文字も書いてる。

 今回はこのへんで終わります。

書いていて疲れた。

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