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プロローグ:『墓場』

「ここで、あってるよな……」

阿久津倫之助17歳。高校二年生。年齢を偽ってキャバクラに行き、親からもらった1億のほぼすべてを溶かした生粋の阿呆。現在の所持金は10万円。

彼はたったこれだけの金でDoleを買おうとしているのである。Doleの相場を知るものが聞いたら鼻で笑うだろう。Doleの相場は1億から10億。10万円ぽっちでは何もできはしない。

しかし、そんなことは倫之助だってわかっている。だが彼は先日行ったキャバで小耳にはさんだのだ。どうやら破格の値段でDoleを買える店があると。その店の名前は


「いらっしゃい」


『墓場』。神託によって不老不死となった少女――『Dole』のなかでも、その能力や性質に難がある個体を安く売っている、いわば裏取引を行っている店の名である。




EP1「墓場」


「あの、ドールが安く売ってるって聞いたんですけど、ここであってますかね」

「あってるよ。いりくんだところにあって見つけるのに苦労したでしょう。ご苦労様」

店の奥からでてきた30代前半くらいの男性は「ミソノ」と名乗って、倫之助を店の奥のほうまで案内した。

店は場末の入り組んだ路地をかなり奥まで進んだところにあった。そこに店があると知らなければ誰も立ち入らないようなさびれた裏路地の果て。倫之助だってキャバに一億近くを突っ込んでしまったためにはした金でドールを買わなくてはいけないという事情さえなければこんな不気味なところに足を踏み入れたりはしなかっただろう。

ただ、『墓場』の内装はたって普通だった。どこぞの雑貨屋のような雰囲気で、小綺麗な洋服が一、二点マネキンに着せてあったり、質のよさそうなコロンが棚に置いてあったり、異国の茶葉らしきものが売っていたりした。加湿器のぶんぶんなる音をききながら、倫之助はミソノに連れられて店の奥まで入っていく。

「この店はドール以外のものも売っているんですね」

倫之助が壁に掛けてある不思議な文様のタペストリーを見ながら呟くとミソノはかすかに笑った。

「ごくごくたまに、ドール以外をお求めの方が来るんです。迷い込んだ人もいれば、あなたのようにどこからか伝え聞いた人もいる。そういった人のために。あくまで本業ではありません」

店の奥、ミソノは古びたピアノの前に立った。

「どうぞそのままで。一曲聞いていってください」

ミソノはグランドピアノの椅子に座ってふたを開けた。かなり古そうなピアノで、ろくな手入れもされていなさそうだと倫之助は思った。昔、彼がまだ兄と仲が良かったころに二人で連弾をした記憶がよみがえる。ピアノはそれなりに楽しかったけれど、倫之助がコンクールで良い成績を残すたびに兄から笑顔が消えていくのが嫌で、だんだん弾くのをやめるようになった。倫之助は大抵のことは兄よりうまくこなした。でもうまくやればやるほど兄との距離は広がる一方で。兄に好かれたいと思ってわざとできないふりをしても、結局兄との仲も、他者からの評価も、何もかも失った。何も残らなかった。

ミソノは倫之助の様子には一切頓着せずピアノを弾き始めた。その音は倫之助の想像に違わずひどい音で、何年調律されていないのか、考えるだけで気が遠くなりそうだった。

(勘弁してくれ)

倫之助はこんなひどい音を聞くためにこの店を訪ねたんじゃない。しかも音がずれすぎているせいでミソノが弾いている曲が何の曲なのか判別することすらできなかった。暇を通り越して苦痛である。

そんな倫之助に対して、ミソノは楽しそうであった。音の外れた古いピアノの弦をたたいて笑っている姿はいっそ奇怪ですらあったのに、倫之助は言葉を発することができなかった。発してしまえば、自分はこの空間にいられなくなると本能的に感じ取った。いや、断じてこの不快な音の塊を体内に取り入れたいわけではなかったが、彼とて十万という破格でドールを買えなければ明日には家なき子になってしまう身。ドールを買えないまま不用意に店から叩き出されるような真似は避けたかったのである。


「どうぞこちらへ」


ミソノが曲を弾き終えると、彼はそう言って椅子から立ち上がった。そして、ピアノが置かれている近くの壁を押す。

すると壁紙がべりべりとはがれおちて、扉が現れた。なんともまぁ、おかしな話である。倫之助はてっきりあの奇怪な音色によって扉が現れるといった話かと思っていたのに、この感じでは扉はもとからあったとしか思えない。じゃあなんのためにピアノを弾いていたのか。倫之助には理解ができなかった。

「ピアノは何のために弾いたんですか」

理解ができないことは聞いてみなければ始まらない。倫之助が尋ねるとミソノは笑みを深くして言った。

「あの歌はね、とある孤児院で歌われていた子守唄なんです」

何の答えにもなっていないそれを倫之助に投げつけて、ミソノは扉の向こうへ消えていく。

倫之助は慌ててミソノを追いかけた。




「これは双子のドールで、レイとノノといいます。気性は荒くなく扱いやすいですが、いかんせんまだ精神的に幼いうえ二人を引きはがすと手が付けられなくなるため単体での売買はしておりません。予算は十万円ほどとお聞きしましたが、この子たちは二人で百万円からのお取引となっておりますのでお勧めは致しませんよ」

ショーケースに入った双子の姉妹を指してミソノは言った。倫之助としてもドールは二人もいらないし何より金がないのでこの二人を買うつもりはない。しかし。

「生きているんですよね。どうしてショーケースに入っているんです?」

ドールというのは不老不死の少女のことであって、何も本当に人形なわけじゃない。生身の人間がこうしてショーケースの中で目を閉じているのはいささか気味が悪いものがあった。

ミソノはまた笑う。

「急にしゃべりだしても困ってしまいませんか?」

私を買ってくれと縋りつかれても知りませんよ、と彼は言う。倫之助の質問の仕方が悪いのか、それとも絶望的に相性が悪いのか、ミソノと倫之助の会話はこれっぽっちもかみ合わない。

「こちらはアンジェリカ。可愛らしいでしょう。うちで一番人気の子ですよ」

一番人気とはどういうことなんだ。みんな眺めるだけ眺めて買いはしないのだろうか。それとも、欠陥品だから安いというだけあって、買われても戻ってくるのだろうか。

「たしかにとても可愛らしいですね。人間とは思えない」

アンジェリカはたしかに他のドールとはなにかが違っていた。陶器のように滑らかな肌、まろい頬、ほんのり赤味のさした唇、明るい銀の髪。幼い少女のはずなのに、どことなく大人びているような、怪しげであるような、だがしかし年相応にあどけないような、不思議な色を纏った少女だった。

「ふふ。この子はとても可愛いんですがね。過去に何人か持ち主を殺しているんです。この話をしたら、皆さん顔を真っ青にして去って行かれますよ」

「え」

人殺しは普通に犯罪だし何人も殺しているのなら極刑は免れないのでは、と言いかけて倫之助はやめた。

ドールは死なない。死刑など意味がない。だからこうして『墓場』にて安値で叩き売られているのだ。

「ふふ。あぁ、こちらは……」

ミソノは布がかけられたショーケースを一つ素通りして次のショーケースに向かって歩き出した。素通りされたショーケースに掛けられた布にはずいぶん埃がかかっていて汚らしかった。アンジェリカという美しいドールの隣のショーケースだったこともあって余計にそのみすぼらしさが目を引く。

ミソノが次のドールの説明をしているというのに、倫之助はそのショーケースから目を離せなかった。

ショーケースの中にドールはいないかもしれない。というかいないだろう。いるならミソノは素通りしないで倫之助に説明をしたはずだった。しなかったということはドールはこのショーケースの中にいないはずだ。だってこんなに汚い布がかかって、何年も前から放置されているような感じがするのに。

「阿久津さん?どうしました?」

ミソノが振り返る。そのとき、なぜか倫之助は焦った。ミソノに「そのショーケースの中にドールはいない」と言われてしまえば、自分は納得して、このショーケースにかけらの興味も抱かなくなるだろう。そうして自分はミソノの説明を聞いてから気に入ったドールを一人買って家に帰るのだ。家に着いた頃にはこの汚い布で覆われたショーケースのことなどすっかり忘れてしまっているだろう。そんなのは耐え難いと思った。なぜだかはわからなかったけれど。

倫之助はろくでもない人間だった。なににもなれず、何にもなろうとしなかった。毎日を棒に振って刹那を生き、親と最愛の兄に反抗し、最後の恩情だった一億もキャバに溶かした。正規品のドールを買うことすらできない愚か者。家の格だけしか生きている価値のない阿呆。替えが利く歯車ですらない。

ただ、倫之助は勘だけはよかった。ここぞというときに正解を引く力を持っていることを、彼は自覚していた。自分はろくでもない人間になり果ててしまったが、そんな自分でも今日まで生きてこられたのはいつだって正解を引いてきたからだ。だから、今日、いまもきっと、自分の直感を信じるべきなのだと彼は思った。


倫之助はショーケースにかかっていた布を引っ張る。布はひらりと舞って空中に埃をぶちまけた。ミソノが何か言おうとしたが、舞い散った埃を吸い込んだせいで咳きこんでしまって、声になっていなかった。



そのショーケースの中に、ドールは存在した。


腰まで届く金の髪をした12、3歳ほどの少女だった。その目はぱっちりと開いていて、どこかうつろだったが、しっかりと倫之助を見つめていた。紫色のガラス玉のような瞳が倫之助を貫いて、彼は言葉をなくした。

「アレッタ……」

ショーケースの端に刻印された名前。それを読んだ時倫之助は理解してしまった。彼女だ。自分が買うべきは彼女なのだ。

「阿久津さん、その子は」

「買います」

たとえ彼女がいくらでも、自分はこのドールを買わねばならなかった。いやというほど埃が舞った部屋で、ショーケース越しに宝石と目を合わせながら倫之助は確信したのだ。

「……その子はやめたほうがいい。あなたの得にはなりません。ただの役立たずですから」

「役立たずなら俺と同じですね。俺も阿久津の恥、ただの役立たずですからお似合いでは」

アレッタは相変わらずその瞳に倫之助を映し続けていた。

「でて、きてくれないか」

倫之助は懇願した。自分より5歳以上も年が離れた幼子に、今なら土下座したって靴をなめてやったって、一生彼女の奴隷になったっていい気分だった。ミソノは困ったように倫之助を見て、でもそれ以上は何も言わなかった。

アレッタが目を伏せる。

小さな音を立てて、ショーケースがゆっくりと開く。

小さな足が、埃が積もった床に足跡をひとつ、ふたつとつけて、それから立ち止まって。その小さな体にもたらされた二つの宝石が倫之助を見上げた。

「……あなたの、おなまえは?」

それが、阿久津倫之助とアレッタの、邂逅の瞬間であった。





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