あなたの哀れな僕
緊急イベント、もといフィッツロイ家の晩餐の場で、顰め面の御当主様からアルバート様のご婚約についてのお話があった。
さすが高位貴族、跡取りの婚姻はお家の一大事の扱い。
寄宿学校を卒業し準成人扱い、公爵家の嫡男であることを考えたら遅い方なのかな。
喜ばしいことね、と熱のないテンションで微笑む奥方様はまあいつものことである。
フレドリック様は事前に話を聞いていたようで、落ち着いてはいたが楽しそうに目を細めていた。
御婚約者様のこと、これからの予定を割合淡々と確認した後は、会話は近日中に行われる山狩りの話へと移っていった。
えらくあっさりしているなとも思ったが、そもそもこの晩餐の場で話題に出したのは奥方様や私への配慮なのだろう。黙って話を聞いておく。
食事を終え御当主様と奥方様が退出された後、未だにグラスを傾けていたアルバート様とフレドリック様の元へそっと近づいた。
「アルバート様、ご婚約おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
少し照れたような表情で頷くアルバート様を横目に、フレドリック様がにやにやと顔を寄せた。
「こう見えて兄上は一途でいらっしゃる。苦節十年、寝かせに寝かせた思いがようやく実って関係者一同ほっと胸を撫で下ろしているんだ」
「うるさい、フレッド」
まあ、と本気の感嘆が口をつく。
手に入らないものなどないように思えるフィッツロイ家の嫡男の、ひとかたならぬ恋模様か。
何より政略的なものかと思っていたがどうやらそうでもないらしい。
「…いやでも、どうにかここまで漕ぎ着けたよ」
その一言に万感の思いが込められていた。
「お披露目は新年の宴でしたっけ。城には?」
「近いうちに呼ぶ。正式な手続きも完了したことを確認できているし、やっと人目を気にせず会うことができる。…コーネリアも、会ってくれるか」
「はい、是非」
人目を気にせず、という言葉に違和感を感じながらも、アルバート様の声掛けに笑みを浮かべて諾と返す。
お相手は馬の産地として名高い由緒正しき伯爵領のお嬢様らしい。
フレドリック様に端々で茶々を入れられながらも婚約者様のことを説明するアルバート様は優しい瞳をしてらして、私は恋する癇癪玉・レイラ様に胸中でそっと手を合わせたのだった。
ドンマイッ!
明くる日の空は晴れ渡っていた。
再びの調律の日だ。
この日を迎えるまでに作戦会議を幾度重ねたか。
御当主様からのオーダーである「新年の宴にアップルヤードの竪琴を演奏してもらうこと」をクリアするため、手練手管を色々相談していたのだがメイにしてもクライヴにしてもまあ強気。
「聞きたいから弾け、で宜しいのでは?」
宜しくないと思うよ。
相手も貴族、しかも聞く限り明らか面倒そうなタイプである。
どんな物言いなら失礼に当たらないか色々考えているというのに。
もの悩みながらも調律師と青年を歓迎するため楽器室へ向かえば、そこに広げられた数多の楽器に目を丸くすることとなった。
先日訪れた時には見た覚えのないものばかりだ。
「…これは?」
「ああ、御使よ!やはり夢でなかった!再び見えることができてとても光栄です」
日焼けを知らない白い肌を上気させた青年に手を掬い取られそうになったところで、メイが後ろからさっと私を抱え上げ横にずらした。
調律師のお爺ちゃんはさっさと本題のクラヴィアに向かってしまっている。
「アップルヤード様、ご機嫌よう。あの、これは?」
「あれから寝ても覚めてもあなたの姿が瞼から離れないのです。そのうちあれは幻だったのかもしれないと…でも会えた、夢ではなかった」
跪いて視線を合わせてくる青年。
「ああ、あなたの唇から零れる私の名は宝石のよう…ちょっと気絶しても?」
「ダメです。これは一体?」
詩人のような大げさな物言いはそのままに、妙な方向に煮詰まった青年は同じ質問を三回繰り返してようやく意思疎通ができるようになったみたいだ。きょとんとした後、ぱっと晴れやかな表情で腕を広げ楽器室一面に広げられたそれらを指し示した。
「先日お約束したでしょう?あなたにアップルヤードの楽器を見せて差し上げると!」
あー…そうですか。
メイを見やれば、だから言ったでしょと言わんばかりに見返される。
確かに持参してくるとは言ってはいたけど、それにしたって量が多いな!総額いくらになるんだろうコレ。
ゴマスリにしても憐れみにしてもサービスが過ぎる。
「たくさんあるのですね」
「これでもまだ厳選した方なのです。お聞かせしたい音色はもっとあったのですが抵抗勢力がおりまして」
「そう…」
もはや何とも言い出せずに相槌だけ打つ私の様子を気にも止めず、青年はずずいと広げた楽器を手に取っては様々な楽曲の一節を奏でていく。
折れそうな体躯からは想像できないくらい力強い旋律が広がる。
燦く音粒は星のよう。その音色の見事さに、呆れた気持ちはするすると落ち着いていった。
「…素敵」
「…!あなたに喜んでいただけたなら、これ以上なく幸せなことです」
ぱあっと輝いた笑顔はしかし一転悲しげな顔へと変わった。
「でも一番お聞かせしたかった竪琴は持って来れなかった」
「…竪琴」
「ええ。古いなりに味のある響きを出すのです。弾いてやる以外に使い途など無かろうに、そんなほいほい持っていくなんて格式がどうのと煩くて」
竪琴ってあれ?秘蔵のってやつ?
そりゃお家の人も必死で止めるよ。私だってそんなの急に持って来られても困るよ。
けれど鼻に皺を寄せる青年は私の引き攣った表情に気付くことなく、先ほどから感情と表情をくるくる変えて忙しい。
そして次の瞬間、ああ!と手を打った。
「演奏会でも開きましょうか。本来はあなたに聞いていただけたらそれだけで十分ですけど、人を呼べば家の者も多少は黙るかもしれません」
「まあ…」
情緒の不安定さに恐怖を感じるんだけど。
そんなに興奮して大丈夫だろうか。ひょろひょろの体に青白い容貌のせいか、これ以上負荷をかけたら本当に倒れてしまうんじゃないかと不安になってしまう。
いいこと思いついたと言わんばかりににこにこ微笑む青年から目を逸らしメイに視線を送れば、メイはこちらを見てこっくりと頷いた。
…ああ細かいことは気にせずに行け、ってことですね?
正直、今のこの人に関わるのはちょっと気が向かないが、小さく息を呑んで青年に相向かった。
「アップルヤード様。でしたら、そう、その竪琴の音色は新年の宴で披露いただくなんていかがでしょうか」
声、震えてないだろうか。
オイオイ、ウチの名器を箔付に使おうなんていい度胸じゃねえかと凄まれでもしたら、ごめんなさいとしか言い様がない。
「もとより演奏のご予定があったと聞いております。新年の宴には名家の皆様をお呼びしていますし、フィッツロイのお城の大広間でしたら格式も十分ではありませんか」
「あなたがそう仰るならそのように。私は何時でも何処でも構いません」
ちらっと青年の方を見上げれば、青年はにこにこ微笑みながら即答した。
おお、なんかよく分からないけれどあっさりオーダークリア!
思わぬ成果に胸中で快哉を叫んでいると、ただ、と続けた青年がゆっくり首を傾げた。
鈍い光を湛える双眸がまっすぐこちらを見ている。
とろりとした何かに絡みつかれるような、おやこれは悪寒では。
「その調べが僅かでもあなたの御心をお慰めできたのなら、あなたの哀れな僕に慈悲を分け与えてはいただけませんか」
「…慈悲?」
「ええ。あなたへ曲を捧げる栄誉を」
傾いだ顔のまま瞬きの少ない熱っぽい目で見つめられ、息が詰まった。
…言葉のチョイスが不穏すぎやしませんかね。
芸術家肌のひとってどこか変わっていると言うけれど、やっぱりこの人もちょっとおかしい。
七歳児相手の囀りにしてはアダルトにもほどがあると思うのだけど。
…と、ドン引きしている私の様子は見て取れるだろうに、メイは前回ほどシャットアウトしてくれないのはなぜだ。
今日こそストップかけないと事案なんじゃないの?
ああ、私が絆されていないなら問題ないってこと?ミッションもあるしって?
「…曲を書いてくださるのですか」
「お許しをいただければ」
言質を取ろうとするようなやりとりは好かない。口がへの字になったが、先に仕掛けたのは私の方なのだから仕様がない。
固まった首の筋肉をどうにか動かして僅かに頷いた。
それに目を留め、青年はにこっと微笑んで光栄ですと囁いた。
「…アップルヤード様が奏でる竪琴が心を照らす妙なる調べであろうことは疑いようもありません。書いてくださるというその曲を新年の宴でお聞きすることはできますか」
これは咄嗟に出た一言だ。
このままだと作った楽曲を聞くために来年以降また会うことになりそうで、それはご遠慮しようかな、なんて。
曲自体に興味はあるし期待もしているが、なんだか気付いたら次々とお願いを聞くことになりそうな気がしてならないのだ。さっさと逃げよう。
新年の宴、私は当日出席しないけどまあ演奏を聞くくらいならどうとでもできるだろうし…なんて下心マシマシで言うだけ言ってみると、青年は瞳を潤ませ手を胸に当てた。
「喜んで。なればあなたに拝謁したこの歓びを込め身命を賭して作り上げましょう」
「待って待って待って」
テーマにも姿勢にも私が喜べる要素がひとつもない。本当にこの人は想定の斜め上を行く。
暴走したまま崖の上から飛び降りそうな青年を掌で押し留め、暫し考え込んだ。
「そうですね。でしたら、長き思いの実りを主題に書いてくださいませんか」
新年の宴でアルバート様の婚約が公表される。いい感じにロマンチックになれば。
私宛の楽曲にされると重たいな、いやだな、なんて思ったわけではありません、ええ。




