不知
「…妙な首輪がついていないと安心すべきか、歩く危険物に自覚がないことを嘆くべきか…。コーネリア」
「はい」
「お前はものを知らない、と言ったな。それは正しい」
「…はい」
御当主様はようやく私から視線を外し、続けた。
「メイは昨日お前からこれを見せられ、その足で私の元に来た。緊急案件だと言って。お前が気軽に下げ渡そうとしたこれはそれくらいの価値があり、それくらい危ういものだ。そしてお前にはそれが分からなかった」
「…申し訳ありません」
「責めているのではない、もっと自覚をしろと言っている」
自覚、とおうむ返しに呟く。御当主様の厳しい表情を見つめた。
「この部屋に呼ばれてお前はどこまで話すべきか考え、言葉を選んで話したな?それはお前が人間とは、貴族とは信用のおけるものではないと知っているからだ。その警戒をなぜ石を手に入れたときに持てなかったか、それは魔石の価値をお前が知らなかったからだ」
もはや仰る通りなので大人しく頷く。
これほど御当主様が話すところを初めて見たかもしれない。一語ずつ力の乗った言葉だ。
圧倒的な大人に感情ではなく理屈で諭され、太刀打ちできない自分を自覚する。
「知らぬことは今更だ。これから学ぶしかない。だが、お前は自分がものを知らぬことをよくよく理解せねばならない。そして、それに相応しく知ろうとしなければならない。何も考えずに踏み出した一歩が、お前の未来を狭めるだけでなくお前が守りたいと思っているものを理不尽に奪われることに繋がるかもしれないのだから」
理解したか、と静かな声で問われ、はい、と頷いた。
「ならばこの話はもういい。分かっているとは思うが、その石を下げ渡すのはやめておけ。…そうだな。陛下の誕生パーティに身につけていけるよう加工でもしてもらうといい。クライヴには話をしておく」
話は以上だ、と手を振って退室を促す御当主様に、ぺこりとおじぎをする。
後ろを向いて扉に向かい、ノブに手をかけ、そしてまた御当主様の方を向いた。
その時私を突き動かしていたのは何なのだろう。遅れてやってきたもやもやしたもの。不安か、憤りか、恥辱か。
「…御当主様」
御当主様はすでに私の方を見ていなくて、机に積み上げられた書類の一枚を手に取っていた。
構わず呼びかける。
「御当主様、私は」
この人に言うことじゃないよ、と頭の中のちょっとだけ残った冷静な部分が制止する。
じゃあどうしたらいいの、と感情的な私が熱を上げ叫んだ。
人の世の常識を知らないことは、森を出てすぐ痛感したことだった。こればかりは人の世で過ごした時間分しか身についていない。
でもそれが弱みとなりうるのならば、一体どうすればいいの。
「…アルバートが6歳の頃、王子殿下にまともな口を利けずぶん殴ったことがある。フレドリックは家庭教師に悪戯を繰り返し、やはりぶん殴ったことがある」
ぶ、ぶん殴…?
御当主様の口から聞こえた似合わない言葉に、言いたかったことが引っ込んで目を瞬かせた。
「お前に比べ察しが悪く覚えも悪く意欲もなかった二人だが、結局勘当することもなく今を迎えている。クライヴはじめ屋敷のものは相当苦労したようだがな」
「はあ…」
そこでようやく御当主様が書類から視線を外した。片眉を上げてこちらを見る。
「お前も同じだ。生まれて六年しか経ってしない正真正銘の子供にそもそも期待などしていない。お前に求めているのは、先程言ったように己が無知であることを理解すること、そしてそれを埋めるために精進することだけだ。そうすれば周りがどうにかする」
「…はい」
「言いたいことは以上か。であればもう戻れ。教師が来る時間だろう」
「そう、ですね。戻ります」
あれ、私何を話したかったんだっけと困惑しながら礼をとり、今度こそ扉を開けて廊下に出る。
追い立てられるようなもやもやした塊は御当主様の切れ味鋭い言葉に滅多刺しにされたようだった。
正真正銘の子供扱いに、三十余年の私も余波を食らってダメージを受けているけれど。
廊下にはメイが立っていた。
ロボットのようだと思っていた、私付きのメイド。
私が何らかの危険に巻き込まれているのではと心配し、当主の部屋にまで駆け込んだ私のメイドだ。
「お嬢様」
「メイ」
呼びかけて、何を言おうか迷った。
ありがとう?迷惑かけてごめんなさいかな。
慌てて微笑み口を開いたけれど、いつもの如く無表情の彼女を見て思い止まる。
…やっぱりロボットなのではなかろうか。
普通、自分の告げ口で仕えている主人が呼び出しされたら、善意であろうが多少は申し訳なさそうな顔するんじゃないかな。
迷っていた台詞を取りやめ、小さく息を吐いた。
苦笑い。
「…メイ。私、非力だったのね」
苦笑いはメイじゃなくて自分に向いている。
森での教えと異界とはいえいい年まで生きた経験があれば森に帰るその日までなんだかんだ上手くやっていけると思っていたし、やっていけていると思っていた。
でも実際は自分が思う以上に隙だらけみたいだ。
お前は子供だと言われ、無知だと突きつけられ、ショックだった。でも、守りたいと思っているものを理不尽に奪われる、と言う御当主様の言葉で気がついた。
母様の笑んだ顔が浮かぶ。例えば、迂闊な私を通じてあの笑みに手を伸ばす輩がいるかもしれないのだ。
迷惑を被るのは私だけじゃないということは衝撃的だった。
そしてそんな事態にならないよう力を貸してくれるという。利害が一致する限りとしても、あの厳しい御当主様がそう口にしたことに驚いた。
この一年見ていたが、御当主様はその場凌ぎの言葉を放つタイプではなかったから。
フィッツロイって実はお人好し揃いなのかな。
高位貴族なのにお人好しって大丈夫だろうか。
いつかこの家を出るときの御礼は奮発しよう、と改めて心に決める。
「ねえメイ。長くはならないと思うから、引き続き私に力を貸してね」
「恐れ多いことでございます」
メイはいつもと同じように腹部に手を当て深く頭を下げた。
いつもと同じ角度、同じタイミングの礼を見て、ぴっちり結えられた髪の向こう、首元あたりに電源ケーブルを挿す穴でもあるんじゃないの、と目を凝らした。




