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無個性症候群

作者: ウダユイ


「個性のない人間は透明になるのさ。そんなわけないって思っていそうな顔だ。じゃあ君は——」


 狭く薄暗い路地で、黒い外灯を羽織った男——特別化粧もしていないのにもピエロのように胡散臭い男が言った。


 僕の足はとっさに逃げることができなかった。正面に立ち、気味の悪い笑みをこぼす男に僕の足は無意識に服従していたからだ。


 この男との会合は、不意の出来事だった。それこそ影が音もなく忍び寄るような——まるで避けようのない不運な事故だった。


*****


 足元を注意して歩くでもないが、下を眺めながら歩いていた僕は、大通りから一つそれた狭い路地に入った。

 一歩、二歩。歩みを進めていた。するといきなり、


「もしもし、もしもし。そこの少年?」


 と声をかけられたので、前を向くと、黒い外灯を羽織った、薄味の悪い男が僕の目の前——本当に目の前、僕の鼻と男の外灯が触れるくらいの距離にいたのだ。

 僕は慌てて後ろに下がった。次の瞬間、僕の心臓は跳ね上がる。


 男に肩を掴まれたのだ。


 男の手に力は入っていないものの、僕の足は「逃げろ」という脳の命令を完全に無視する。


「少年、君は揺れている。とても危ない存在だ」


 不気味に謳い始めた男はさらに続けた。


「何か悩みがあるだろう? ああ、まだ私の自己紹介がまだだったね。まあ名乗るほどのものでもないからドクターと呼んでくれ。医者をやっているんだ。主に向こうの住人のね?」


 向こうの住人?


「君、個性がないって悩んでいるだろう? そして、よく誰かに無視されたりしないか?」


 図星だった。今日、いつも通る大通りから外れこの薄暗い路地を歩いているのも、個性が原因だ。僕には特別個性がない。何をとっても普通の僕は、影が薄いのかクラスメイトからしばしば無視されることがあった。けれど今日はついに担任の先生にまで無視されてしまったのだ。そもそも今の時代、一芸を持たない——つまり個性のない人間なんていない。地球の人口は大きく減ってしまったけれど、和気藹々とした陽気世界に、僕は不適合で、不純物で、不必要なのかもしれない。

 なんで知っているのか? 僕がそう問いかける前に男は話し出す。


「顔を見ただけでわかるさ。私は君のような人をたくさん見てきた」


 木の枝のように細長い人差し指を暗い空へ突き上げ、男——ドクターは不気味に謳った。


「この世界は個性に溢れている。実際にそこらを見渡せば個性豊かな人間がいる——いいや一見、個性豊かな人間しかいない。けれども、よく考えてみたまえ。個性とはなんなのか……と。特殊なこと? 特別なこと? 目立っていること? 考えると分からなくならないか。事実、個性とはオリジナリティだ。オリジナル——つまり唯一無二というわけだ。そこで君の話だ。君はこの世界にもうひとりいるのかい? いないだろうね。だって君は君以外に存在しないのだからね。これをオリジナル——唯一無二と言わずしてなんと表現したらいいのだ——少年? まあ君のように、個性がないと悩む人間は大勢いる。気づかないかもしれないがね。たとえ鏡を使っても、自分の姿を正確には捉えることはできないからね、それは仕方がないんだ。ところで、君は『無個性症候群』という言葉は知っているかい? 知らないだろうね。だって私が作った言葉だから。まあ簡単に説明すると個性のない人間が認識されなくなる現象さ。個性のない人間は透明になるのさ。そんなわけないって思っていそうな顔だ。じゃあ君は視界に入っている全ての虫を正確に認識することができるかい?そういうことだよ。誰にも認識されなくなるのさ。君が気づいていないだけで、個性のない人間はそこら中にいるのさ——見えないだけでね。ん? 証拠がない……か。そうだね。見えないからね。じゃあ、ひとつ、考えてみてくれ。部屋の電気を消して真っ暗にした直後、君は真っ暗の部屋の中を正確に捉えることができるかい? 真っ暗だから何も見えないだろうね。でも、次第に目はなれるのだ。徐々に暗闇の中が見えてくる。うんうん、わかってくれたね。じゃあ、わかるかな? 個性の話もこれと同じなのだと。眩く強い個性ばかり目に入る人間が、急に個性のない人間を見ることができると思うかい? そう、強い個性で目が眩んでいる君にはまだ見えない——でも、強い個性を見なくなった時、君の目は何を見るのかな?見えるかい?この光景が。個性がないと錯覚して、誰からも認識されなくなった人間だったものが……」


 僕は背筋に走る冷や汗を実感した。

 その薄暗い路地にはたくさんの人間がいたのだ。汚れた服を着た、一昔前の家を持たないような人たちだ。

 今まで見てきた眩い世界と反対の世界だった。

 光の裏には影があり、水面の裏には世界がある。


「ここにいるのは個性を放棄した悲しい存在さ。こうなってしまったらもう二度と戻ることはできない。心配することはないさ、少年。君は運がいい。まだ戻れる。君が消えないためにはまず、自分を認めてやることからだ」


 ドクターはそう言った。


「もうこっちの世界に足を踏み入れるんじゃないぞ、少年。ああ、そうだ。私の少年という呼び方も良くないね。名前は立派な個性だ。最後に君の名前を教えてくれないか?」


「僕の名前は——近松門左衛門」


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