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竜の旅人(1)……虚の夢

 冬とは思えない、春のような温かい空気に満たされ、苔むした洞窟を出ると、朝陽の下に見知った黒髪の男性がいた。

 その姿を認め、ラズは手に持っていた鞘から剣を引き抜く。チャキ、と軽い音がした。

 そしてそのまま数歩、何気ない風を装って歩み寄り、あと数歩のところで、トン、と滑りそうなくらい苔むした岩の角を蹴った。

 ラズの放った一閃を、彼──レノは背中を向けたまま避ける。そして、振り向き様に指先でラズの額を突いた。

 それがあまりに自然な動作だったため、避けるのを忘れて振り抜いた姿勢のまま硬直する。


「傷口が開きますよ」


 落ち着いた様子でレノが言った。


「──このくらいなら大丈夫」


 ラズはにっと笑って後ろに退がり、今度は高く跳んで飛び越えながら回転し、腕の内側から剣を振り抜く。この軌道は避け難いからか、あるいは大きく動くのが面倒だからか、レノは白銀のガントレットを瞬時に形取って防ごうとした。


 ニヤ、とラズが笑う。──<是空(ぜくう)>!


 剣に纏わせた振動がその籠手ごと深く切り裂く。黒い血液が飛び散った。

 体を捻って着地した足で地を蹴って肩口を狙って突きを放つ。その切っ先が届く前に、蜘蛛の糸で絡められたかのようにラズの動きが止まった。

 いつの間にかレノの指にはワイヤーを操るリングがはまっている。


「一撃入れられたのは初めてですね」

「──へへ、油断大敵ってね」


 彼はラズの刃の振動に気付き、打ち消そうとしていた。しかし、簡単に打ち消されないようにラズは波動を強めた。──その一瞬の攻防を押し勝ったのはラズだったという訳だ。

 これなら、先日の小鬼や、巨人の術の打ち消しにも対抗できるかもしれない。

 体の自由を奪うワイヤーが煙のように溶け消えて、ラズは膝を突いた。


 滝の郷での一件からまだ一晩しか経っていない。

 今、小人の女司祭ウィリは重い怪我を負った竜人シャルグリートの看病をしてくれている。赤竜は朝から口を閉じたままだ。


 顔を上げると、レノの腕の傷はもう塞がっていた。


「速っ……もう治ってる」


 さらに言えば、黒いシャツの袖の裂け目も消えている。

 驚くラズに、レノは淡々と返す。


「私がそもそも得意なのは、擬態なんです。体の構成要素をイメージ通りに操る力」

「竜は、竜人と同じで特定の元素しか操れないって言ってなかったっけ」

「前の黒竜も違ったでしょう。例外というやつです」


 少し湿った岩に腰をつけていると、湿気が伝わってきて冷たい。

 プラチナの瞳と、目が合った。


「──怒っていますね」

「ウィリやシャルを怖がらせたから、少し。……結局、竜人たちに存在をひけらかした狙いは何だったの?」

「ディグルエスト……今はマガツと名乗っているようですが……彼に、君を狙うなら私を先に相手にしないといけない、と思わせるためです」

「知り合いなの?」

「いいえ。でも、『白銀の竜』の存在はそこそこ知られているので、効果があると思います」


 レノの表情は少し硬い。決して楽しくてやっている訳では無さそうだった。


「──で、なんで僕が狙われるの」

「君が特別な存在だからです。そして君の次は、ファナ=ノアでしょうね」

「特別な……存在?」

「<(しろ)の王>の影響を色濃く受けた者……とでも言いましょうか。分かる者にはその気配が分かります。そして、殺してその魂を取り込めば、大きな力を手にすることができる」

「……!」


 ──もしかして、以前相対した黒竜を殺した際、ファナ=ノアの気配が増したのも、同じ理由だろうか。でもそういうことなら……


「それって、レノも標的になるんじゃないの?」


 彼も明らかに非凡だ。黒竜でそうなら、レノもそういう存在であって不思議ではない。


「まあ、そうですね」


 レノは白銀の鱗を舞わせながら、何でもないように答えた。

 彼のこの術は、ファナ=ノアの見聞きの術と同じようなことができるようだから、今も竜人の郷を探っているのかもしれない。


「ただ、野生動物が獲物として幼獣を狙う方が多いのと同じ理屈で、私を狙ってくる可能性は低いです」

「だから、レノが僕を守っている、って言えば狙われることがなくなる?」

「ええ。でもどうやら、火に油を注いだだけみたいなんですけどね。まとめて狩る気でいるようだから」


 彼はふう、と息を吐いた。怯えている様子はないが、少し緊張感が漂っている。


「……ディグルエストさんってそんなに強いの?」

「少なくとも、あの赤竜を傷だらけにして退却を余儀なくするくらいには」

「……!」


 ──まさかとは思っていたが、あの傷はディグルエスト……いや、マガツがつけたのか。

 赤竜に手も足も出なかった時点で、ラズには手に負えないだろう。レノがいなかったら、あっさりと殺されて終わりかもしれない、と思うとぞっとした。


「──ただ、<魂を喰らう者(イーター)>相手は、単純な戦闘力だけが勝敗を決める訳ではありません。心が屈しなければ、魂を奪われることはない。逆に、力で勝っても、相手の心を折らないと殺せない。……苦手なんですけどね、そういうの」


 言いながら彼は面倒そうに顔をしかめる。

 彼は敵のことを<魂を喰らう者(イーター)>と表現した……特殊な存在の力をつけ狙う者は他にもいるということだろうか。


「……さっき、気配が分かる人には分かるって言ったけど、レノも分かるの?」

「ええ」

「その、マガツ?の気配も分かるの? それって、どうやるの?」

「彼が気配を漏らしたのは最初だけです。私もそうですが、だいたい気配を隠すのが当たり前なので──、で、察知する方は、もう少し成長すれば、自然にできるようになると思います」

「ふーん……。ディグルエストさんが僕の気配を知ることができるなら、ここもバレてて、いつ襲いに来るか分からない?」

「差し当たりそれは大丈夫です。ここは、<(しろ)の領域>なので、<虚の王>の気配に紛れて正確な位置は掴めません」

「<虚の領域>……」


 円盤型のこの世界の中心にある、<虚の王>がいる場所。小さい頃、ここに何があるか大人たちに質問したが、答えられる人は誰もいなかった。


「ここが世界の中心なら、<虚の王>はどこにいるの?」

「……さあ。そこまでは」


 彼は肩を竦めた。


「そっか。──はぁ。レノが竜かどうかより、ディグルエストさん……じゃなくてマガツ?が僕たちを狙う話の方が大変な訳だね」


 レノは自分なら必ず勝てるという言い方もしていない。それが、少し──いやかなり、恐ろしい。


「そうですね。──迷惑な話です」

「レノ……無理しないでね」


 そう言うと、彼は意外そうな顔をして、ふっと笑った。


「私は大丈夫ですよ。ここで消えるつもりはありません」


 言いながら、彼はすとんと手近な岩に腰掛ける。

 ゆっくり話ができそうな雰囲気を感じて、ラズは今まで気になっていたもう一つのことを口にした。


「全然話が変わるんだけど、最近、夢に尻尾が二本ある猫が出てくるんだ」


 それを聞いて、彼は不思議そうな顔をした。


「……それで?」

「伝言を頼まれたんだ。『ハリは見つけた』って」

「……。……ふむ?」


 レノは微妙な顔をして手で口元を覆う。


「知り合いじゃないって言ってたけど」


 彼は少し目を逸らして考えた後、口元を隠していた手を緩慢に下ろした。


「……その猫は、私の記憶を見ているんですよね」

「うん、たぶん」

「なら──」


 曖昧な笑みを浮かべ、続ける。


「また会ったら、『おやつは食べていい』と伝えたらいいと思います」

「訳分かんないんですけど……」

「はは、ちょっと表現しづらくて。すみません」


 彼は困ったように笑った。


「……レノの記憶の夢──なんか僕の想像?で、いろいろおかしくなってるみたいなんだよね」

「ほう?」

「山みたいに大きな木があったり、『妖精』が出てきたり」


 まるで御伽噺に出てくる世界そのもので、レノの記憶が変化してしまったのだとすると、もうどこまで真実か分からない。


「……それは、楽しそうなことになっていますね」


 夢の話になってから、レノの返事はどこか歯切れが悪い。


「不思議な猫も、結局、僕の想像なのかなあ」

「……結論を出すにはまだ早いでしょう」


 考えるようように腕を組んで口を(つぐ)み、レノは牙の竜の洞窟の方を見つめた。


(──誰か、出て来る)


 レノの言わんとすることが気になるが、この話はここで終わりにするしかなさそうだ。


「何か、ご用ですか?」


 今し方洞窟の入り口に姿を現した、シャルグリートの義姉──ルクエは注目されたことに戸惑いながら口を開いた。

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