荒野の盗賊(10)……野盗
白い息を吐きながら、乱れていた髪を梳かして三つ編みにし肩に垂らす。
結局西のマフィアを除く野盗たちをほとんど丸ごと引き受ける形となり、彼らの根城である町近くの廃村に同行することとなった。
荒くれ者たちに対してこちらは女子供がいるため、この判断は少し迷ったが、彼らの性格は概ね長いものに巻かれる風潮らしく、首領シュラルクが睨むだけでこちらには手出しはしてこなかった。
ファナ=ノアが恐ろしいからという理由もあるだろうが。
意外だったのは、当の女子供──特にユウが野盗たちに対して物怖じしなかったことだ。
ユウはリンドウについて回り、夜遅くまでその手当てを手伝っていた。少し見ただけで、指示通り手早く対処できるようになった、とリンドウが褒めていた。──まだ、術は使うなと念を押してある。
そのユウは今まさに、野盗の首領の肩の包帯を巻いている。
「──お前、よく平気で触るな」
首領の男はぶっきらぼうに、ユウに声をかけた。
「……? 血が出たら、痛いの痛いの飛んでけしなきゃ、です」
さも当然のように言いながらこくんと首を傾げる。先刻もそうだったが、ちょっとした切り傷……という程度ではない流血の量なのに、見慣れているかのように全く動じない。彼女のかつての日常はどのようなものだったのだろうか。
毒気を抜かれたようにぽかんと口を開けて、首領の男は小さなユウを見つめた。
「みーんな、します」
「……く、くくっ……。──そんな奴、見たことねえよ」
両方を振り回して表現したユウに、堪えきれないように、首領の男が吹き出した。 何気なくやり取りを見守っていた野盗たちが目を丸くする。
「おじしゃんも。飛んでけってします」
「はあ? するわけねーだろ! こんなオッサンがしたらキモいだけだ」
「しますー! でないと、『会いたい人にふさわしい人でいられなくなる』んですー!」
つられて笑いながら、ユウが一生懸命主張する。──誰かの受け売りだろうか。
人が傷つき倒れていることに無反応であることを除いて、ユウの振る舞いは年相応の幼女そのものだ。かと言って、不用意に過去について訊くのは、心を壊してしまうのではないかと躊躇われる。
彼女の出自が分かったところで、その郷は既にないかもしれないが、それでもまだ肉親が生きているなら会わせてやりたい。そのためには、ここ南東部からしらみつぶしに貴族や工場で働かされている同胞を助けて聞くしかないだろう。
それはそうと、未だ動きのない小人の郷を狙う盗賊のことも忘れてはならない。
「首領殿。荒野の『仕入れ』は別の人々が画策しているのですよね」
「ああ、小人を狙う盗賊団は、俺たちとは違うやつらだ」
野盗の首領は上着を羽織りながら乱暴な口調で言った。なんとなく、そう振る舞わないといけないかのようなわざとらしさを感じる。
「最近手を組んだ──俺の思い通りになる奴らじゃねえ。大した奴はいねえがな」
「なら、伝令一つで止まってくれるとは限りませんね」
「ふん、……そうだな」
首領は憮然として頷き、立ち上がった。
三十人程の野盗たちが、注目する。
† † †
「<赤の悪魔>は解散だ。てめーらも、どこへなりとも消えろ」
(だいぶ減ったが、誰が死んだのかも、分かんねえな──)
首領シュラルクは初めてちゃんと見たかのように、部下たちの顔を見回した。
ファナ=ノアは殺さないように手加減をしていたが、フリッツの従者や憲兵隊はそんな配慮はしなかったから、今回──二十人近くの部下を喪っていた。
しかし、少しも心が傷まない。──そのことが、今は情けないことだと思った。
ピアニーの言葉が脳裏を過ぎる。
(『労い』ってなんだ)
「……よく、俺なんかによくついてきたな」
やっと口についた不器用な言葉に、男たちは微妙な顔をした。いつも自分たちを見下し、従うのが当然としてきた彼が、しおらしいことに戸惑っている。
「…………首領はこれからどうするん……ですか」
「……」
今更、『いい奴』になりたいと思わない。
しかしまた野盗を繰り返すと言えば、ファナ=ノアはもう容赦しないだろう。甘いと言っても、部下たちを恐怖に陥れても平然としていたこの人物は、本当に必要ならば犠牲も厭わないかもしれない。
──かと言ってヘコヘコと付いて行きたくもない。
(『目指すものは自由だ』、と言っていたな……)
「……騎士になる」
それは、東の戦争に出兵した頃に抱いていた憧れだった。
仕える主を己で定め、その剣としての誇りに生きるのだ。
男たちの目が点になったのに気づいて、彼は慌てた。
「いや待て、今のはナシだ……」
はっとして手を額に当てる。
ファナ=ノアがくすくす笑った。
「私は似合うと思いますよ。あなたの主君はどんな人物像ですか?」
──騎士を目指す者は多くの場合仕える己に酔いたいだけであるので、主君と言われても想像がつかないが。
(一国の王がいい)
──どうせなら、一番優れた人物に、優れた片腕と言われたい。
「──さあな」
シュラルクは誤魔化した。
「まずは汚名の返上だ──とりあえずは、お前に協力してやる」
ファナ=ノアは自分から言っておいて意外そうな顔をした。それから、緩やかに微笑む。
「ありがとうございます。では私は、あなたが認める主君に出会ったときに、あなたが認められる存在となっているようご協力しましょう」
それから、ファナ=ノアは立ち上がり風を纏い浮かび上がった。
「ここにいる皆さんは、なぜ、首領殿についてきたのです?」
強いから。選択肢が無かったから。そんなところだろう、と彼は思う。
男たちが、おもむろに口を開いた。
「……首領は、俺たちを盾にしない」
「──は?」
それはどうでもいいから細かい命令をしてこなかっただけだ。──弱い奴らにやらせるより自分がさっさとやる方が早い。
「あんたは、ちゃんと分け前をくれる」
──自分が欲しい分以上はいらないからだし、全体に行き渡るように配慮した覚えもないが。
「首領は負けなかった」
「首領のやることについていけば間違いない」
野盗に身を落としてから、実質今回が初めての敗北だった。襲うターゲットも妥当なところを選ぶからだ。
「──だそうですが、あなたはこれから彼らを護る気はありますか? 騎士殿」
ファナ=ノアはゆったりと振り返って微笑んだ。
「────」
彼は言葉を失って棒立ちになる。
治りかけの肩と足の傷が熱く疼いた。
(なんだ、こいつら──)
男達が心なしか期待を帯びた目を彼に向けてくる。
(弱さを棚に上げて、寄生するつもりで──……)
──違う。彼らは確かに弱い。その弱い者たちを集めて従え、いい気になっていたのは自分だ。
(どこに行っても、周りに集まる人間は変わらん……これが今の俺の現状か……なら)
首領シュラルクはいつも通りの、ドスの効いた声を出した。
「まだくっついてくる気なら、……一緒に根性叩き直してやる」
† † †
ひとまずまとまった一団に、ファナ=ノアは内心安堵した。
一方、リンドウとノイはやや遠巻きにこちらを眺めたまま何か話をしている。
「まさかこうなるとはな」
苦笑気味に零したノイに、リンドウは首を傾げた。
「ファナ=ノアは最初からこのつもりだったの?」
「そんなことはないだろうが、ファナ=ノアらしいと言えばらしい」
ノイは昔を思い出すようにふっと笑った。
「味方に引き込むってことが?」
「というより、目的を取り戻させるところだな──そして、大概その目的と自らの目的を照らし、共存を持ちかける……というか」
「前にもそんなことが?」
「ああ。……俺たちは、最初はノアに反抗していた」
なぜなら、かつての教会はただ綺麗事を並べるばかりで人間の侵略に何ひとつ動いていなかったからだ──ファナ=ノアが郷長を継いで改革に踏み出すまでは。
故郷を人間に焼かれ、あてもなく旅をしていたノイたち<シヴィ>の民には、そんな事情を知る由もない。初めて出会った時の、ひどく軽蔑する目をよく覚えている。
ノイの言葉に、リンドウは意外そうに目を丸くした。
ファナ=ノアは術でふわりと身体を浮かし、二人の側に舞い降りた。
「何の話をしてるんだ?」
これまでの話は聞いていなかったように尋ねる。──常時使っている見聞きの術<空の目>でほとんどの会話は把握しているとしても、『聞いていようがいまいが分かりたい』という姿勢が大事だと思っている。
ノイはニヤリと笑って答えた。
「ファナ=ノアが泣いてごねた最初で最後の話だ」
「──ああ、そんなこともあったな」
懐かしい話だ。思わず頬が緩む。
「その直後、ビズとウィリが迷子になって、一時休戦になった」
「そうだ。……ちょうど去年だな」
「この寒いのに、下手したら死んでしまうかもとノイが焦って飛び出そうとして、止めたメグリと大喧嘩してたな」
「そこまで言わなくていい……」
ふふ、と悪戯っぽくファナ=ノアは笑った。
以前までは、皆がからかうような言い方をしてきたときには、動じず笑ってやんわりと受け止めてきた。
(やっぱり、ラズの影響かな)
最近は、感情を表に出すことが増えたし、悪ふざけも満更ではない。
むう、と黙ったノイに、ファナ=ノアは爽やかに微笑みかけた。
「悪いな、言い過ぎた。……そろそろ戻ろうか。レイヤ=ハイチの目覚めには間に合わないかもしれないが」
そして振り返り、紅い双眸でシュラルクを見据える。
「──首領殿。私は荒野に……同胞を守りに行きます」
首領の男は地面にあぐらをかいたまま腕を組んでファナ=ノアを斜に見上げた。
「ここまで来て、じゃあサヨナラとは言わねえよ。しかし、怪馬のペースにはついてはいけん。俺たちは後から行くから、不調だとかいってあっさり負けんじゃねえぞ」
昨日の最初に見たのと同じ高慢な顔だが、口調はそうでもない。
ノイは首領の男の顔を見つめた。本当にこの男はついてくるつもりなのか、と言いたげだ。
「ええ。頼りにしています」
ノイの心配をよそに、ファナ=ノアは今度は凛とした教主の表情で、彼に笑い返した。
ちなみに小人的に11歳のファナ=ノアは人間でいう15、6歳くらいの扱いなので、自分が子供という認識があまりありません。




