白と赤の夢(2)
目をうっすら開けると、木造の家屋の窓から眩しい光が飛び込んできた。
布団に寝かされているようだ。鳥のさえずりが聴こえた。
悲しい出来事など何ひとつ無かったかのように、全てが穏やかだ。
「……?」
手を動かそうとして、ラズは自分の身体の違和感に気がついた。
全身が、鉛のように重く、動かし辛い。
「う……」
ゆっくりと目線を動かす。すぐ側で男の人が一人、気遣わしげにこちらを覗き込んでいて、目が合った。
その顔には見覚えがある。
「……レノ?」
かつて何度か父を訪ねてきて、ラズに旅の話を聞かせてくれた人だ。
ラズの父と同い年くらいだから、三十代後半くらいだろうか。不思議なプラチナの色の瞳が印象的だ。作り物みたいに整った彫の深い顔立ちで、癖のある黒髪が無造作に頬にかかっていてるのがどこかミステリアスで妙に様になっている。
目を合わせたまま、彼はふわりと微笑んだ。
「ここは、君の叔母さんの家ですよ。気を失っているところを私が運びました。……覚えていますか?」
穏やかで低いハスキーな声。彼の温かな雰囲気は、なんとなく、夢の最後に感じたものによく似ているように感じた。
ラズは不思議に思いながら、一つ瞬きしてこくんと頷く。
──あの惨劇は、やはり、現実なのだ……。
しかし、上から墨で塗りつぶしたかのように、記憶が曖昧だ。映像が抜け落ちて、淡々とした切れ切れの情報だけ……それ以上は、思い出すことを心が拒否しているかのような。
「……ツェル兄は」
──ずっと自分の名前を呼んでくれていた兄は、どこだろう?
尋ねると、彼はやや気まずげに瞼を伏せた。しかし、はっきりと告げる。
「君がもう大丈夫だと分かって、出ていきました」
「えっ……」
──まずは兄も無事らしい。
(でも、出ていったって……何それ……)
安堵の次に置いていかれた心細さを感じた。
ラズが何か答える前に、小屋の戸がガラガラと開き、女性が入ってきた。ラズを見て驚いた顔をし、それから嬉しそうに頬を緩めた。
「ラズ……! 起きてくれて、良かった」
「リン姉」
母の双子の姉、リンドウは、ラズからみて叔母にあたる女性だ。歳は二十八で、背中の中程まで伸ばした艶やかな黒髪を、頭の横でまとめている。
彼女は優秀な薬師であるが、故郷を離れて森の奥に一人で住んでいる変わり者だ。ラズもよく、彼女の作る薬をもらいに兄や父と一緒に遊びにきたからよく知っている人である。
ということは、ここは彼女の住居だろうか。
ラズはもう一度、体を起こそうと身じろぎした。先程より少し背を浮かせたものの、力が入らず固い枕に頭を打ちつけてしまう。
「っ痛ー……」
「一週間寝てたんだよ。無理しないで。そうそう、お粥があるから、ちょっと待ってね」
「……はぁい」
レノが支えてくれてようやく上体を起こすことができた。
徐々にだが、血液が身体中を巡って感覚が戻ってはきている。
──立つことはできるだろうか?
足に力を入れると、これまたふらついた。
深呼吸して、身体に意識を集中する。
「あれっ──」
──いつものように、錬金術で体をサポートすれば歩けるだろうと思ったのだが。
うまくコントロールできずに足元がふらついた。
結局、レノに掴まってしまう。
「……輝石──なくなっちゃったんだ」
ラズは呆然と呟いた。
──いつも首にかけていた銀細工……輝石がない。
輝石は、錬金術の発動やコントロールになくてはならないものだ。輝石それぞれに特徴があり、自分に合う合わないがある。しかも、肌身離さず持っていないと、術の発動の源である生命力が体の外に流れ出すのすら止められない。
術の才があるほど、生命力が流出する量が多くなる。ラズの場合は輝石がないと数日と生きられない。
首にかかった紐の先にある翡翠色の石は、ラズのものではなかった。たぶん、叔母が首にかけている石と同じもの。生命の維持には問題なさそうだが、また合うものを見つけるまでは、錬金術が思うように使えないかもしれない。
──物心ついた頃から肌身離さず持っていたものだから、当然愛着がある。心にさらにぽっかりと穴が開いたように感じた。
レノに掴まりながら小屋の隅にあった椅子にたどり着いて座ってラズは一息つく。
さっきまで寝ていた布団は片付けられ、代わりに壁に立てかけてあった小さなテーブルと椅子が置かれた。
レノがさらに椅子ごとひょいとラズを持ち上げ、テーブルに移動させてくれる。そこに叔母……リンドウがスープ皿を置いてくれた。
「最初は重湯ね」
「ありがとう……」
ほのかな甘味と、薬の味がする。体調が悪いときによく飲まされていた味だ。
食欲はあまりないが、食べるのは苦ではない。
ラズが食事を始めたのを見てほっとしたように微笑み、リンドウもテーブルについた。レノはラズの背後の壁際に立ったままだ。
たぶん、二人は何があったのか知っているのだろう。ラズと兄は助けられたのだ。
「他に、助かった人は……いた?」
湯気の出ているカップを口にしながら、彼女は黙って首を振った。
「そっか……」
國の門まで逃げられた人は他にも数人いたはずだが、兄に背負われたときのことも記憶が曖昧だ。
──そうだ、兄と、父の声がした……?
いつの間にか小刻みに震えていた手を、リンドウがそっと握ってくれた。母の手と同じ、温かな手だった。
──これ以上思い出したらどうかなりそうだった。頭がぐるぐるして、息が苦しい。
「……ところで、さっき寝言で約束がどうとか言ってませんでしたか?」
「え? えっと……」
不意に、レノがそんなことを聞いてきて、ラズはさらに混乱する。でも不思議と、そのことを考える方が気持ちが楽になってくる気がした。
ラズの次の言葉を、二人は待ってくれている。
「……耳が尖ってて、白い髪で、目が真っ赤な子が、小さい頃から夢に出てくるって言ったら、引く?」
この話は小さい頃に母に話して変な顔をされたきり、今まで誰にも話したことがなかった。
レノとリンドウは目をぱちくりさせている。
ラズは居た堪れずスープに目を落とす。
──ラズが、國を出たかった理由。目覚める前に見た夢、そこで会った同い年の子ども。昔その子と、指切りをした。いつか会いにいく、と。
あの子もこの世界のどこかにいる、理由は説明できないがラズにはそんな確信があった。なんなら、どっちの方角にいるかすら、なんとなく分かる気がする。
レノはふむ、と手を顎に当てた。食事の献立でも考えてるのかと思うくらい、普通の様子だ。
「耳が尖ってるなら、小人族ですね。遠く南西の荒野に住んでいる」
「小人? レノは小人にも会ったことがあるの?」
変わらず穏やかな様子の彼にほっとした。彼はラズが突拍子ないことを言っても、当たり前のように言葉を返してくれる。そんなところが好きで、彼が國に来てくれるのをいつも楽しみにしていた。
「離れ住んでる変わり者なら一人知っています。集落には近づいていませんが」
「小人って、ネズミみたいに毛がぼうぼうで、頭の悪いやつらなんでしょ?」
小人と聞いて嫌な顔をしていたリンドウが口を挟む。
「それはひどい作り話ですね。ちょうどラズくらいの大きさで、耳が尖っていますが、あとはあまり変わりませんよ。
まあ、小人側も人間のことは『支配欲が強く野蛮な人種』って見なしてるそうなので、お互い様かもしれませんけどね」
リンドウは納得いかない、という顔をしたが、「ふうん」と返事をした。
「あんたが言うなら信じるしかないけど……」
「──巨人族は?」
ほとんど食べ終わり、スプーンを器に静かに置いて、ラズは尋ねた。
「巨人族は、人間のことをどう思ってるの?」
谷の國の人々が存在すら知らなかった巨人のこと。でも、小人のことを知っている旅人の彼なら、もしかすると何か知っているんじゃないかという気がした。
レノはじっとラズを見つめてくる。
言っても大丈夫か、測りかねているように見えた。
しばらくして、彼は小さく息を吐く。
「……森の国の伝承によると。谷の國ができるもっと前、巨人達を殺戮し、山脈に追いやったのが人間です」
「……え?」
「彼らはとても長命なので、当時のことを覚えている者も多い。人間は皆、彼らにとっては親兄弟の仇なんでしょう」
「……かた、き……」
この話はリンドウも知らなかったらしく、戸惑った顔をしている。
(──仇……家族の)
ラズはあのとき何人かの巨人に刃を向けた。そうしなければ殺されると必死だった。
そのたびに、彼らは憎しみを剥き出しにして、より激しくラズたちを攻撃してきた。
(それで、母様まで……)
その時の光景まで思い出しそうになった瞬間、強い吐き気がした。なんとか堪えて、荒く息をする。嫌だ、これ以上は、考えたくない。でも。
この、身を引き裂かれるような、深い怒りと悲しみ。
──彼らは、自分たちを殺したことで気持ちを晴らすことができたのだろうか?
なんとなく、そうは思えなかった。
「……なら、巨人たちは、僕たちの國を襲っただけじゃ止まらないんじゃ」
そう言うと、レノは少し驚いた顔をして、視線を落とした。
「そうですね。もしかすると、それはもうすぐかもしれません」
「こ……怖いこと言わないで」
リンドウは青い顔でレノを咎め、ちらりとこちらを心配そうに伺った。
ラズは目を逸らして、重たい体を椅子に預ける。
──あの巨人たちがまだこれからも人間を襲うなら。
(……僕のせいだ)
だったら、こんなところでのうのうと休んでるなんて到底許されないんじゃないだろうか。……ひょっとして、兄も同じように思って、だから行ってしまった?
「……早く、動けるようになりたいな」
ぽつりと呟いたラズの言葉に、二人はどこかほっとしたようだった。




