輝石と竜(8)
──魂の奥底がざわざわする。
──なんだ、この感情は。
──カナシイ? ……クヤシイ?
(『くそっ……かっこ悪い……!』)
急に知らない声が頭の中に響いて、竜は混乱した。
意味は全く分からないが、白い頭の獲物と何か関係があることだけは理解していた。
──白い方を早く殺したい。この訳の分からない思念がチラつくのはあいつのせいだ。
しかしそれを、黒い頭の方が、尽く邪魔をしてくる。
小さい癖に、かなりの痛みを与えてくるのだ。
腹の傷がズキズキと痛む。深くて治りも遅い。
空腹が満たせず腹立たしい。
急にそいつは刃を竜にまっすぐ向けて、ただならぬ気を発した。
「皆に手を出すなら、黙ってないからな」
(────!?)
ぞわり。
背筋を悪寒のようなものが走り抜ける。
まるで死刑宣告を受けたような恐怖を感じて、竜は身を固くした。
しかしそれは一瞬だった。
慌てて恐怖を振り払う。
──そう、あれはただの餌のはずだ。
──白い方も黒い方も、早く殺して、食事にしよう。
† † †
ファナ=ノアは竜を挟んですぐ近く、シャルグリートとウィリは反対側にいる。
シャルグリートが戦線に復帰するまでに、まだ時間がかかりそうだ。
目の痛みは先に取り除いたが、手の止血はまだだ。血液の凝固を妨げる毒のようだから、先に毒の無効化をしないといけない。
ぐるぐるぐる……
竜は不気味に喉を鳴らして膨らませる。その直後、離れた位置にいるラズとファナ=ノアに、竜が何か黄色い液体を勢いよく吐き出した。
反射的に横に跳んで逃れ、しぶきを分解して振り払った。──やはり、強酸性。触れるだけで大怪我になるだろう。
息をついたとき、視界の端で、もぞもぞ、とその強酸の液体が動いた。
目だけ動かしてそれを確認して──
「うそ!」
通路にいた粘菌状の怪物だ。──まさか、この竜が生み出していたとは。
それらは広範囲で発生しくっついたり離れたりしながら動き始めたが、次の瞬間しゅうっと消え去った。
(ファナが分解してくれたのか!)
竜も気づいたように体ごとファナ=ノアの方に振り向く。
「っよそ見はさせない!」
あえて声も出して注意を引こうとしつつ、今度はラズの方から竜に近づいた。
手前で踏み切って高く跳ぶ。黒い巨大な肩でもう一度踏み切ると、竜はうっとうしそうに身震いした。
「君の相手は……僕だ!!」
眼下には黒竜の巨大な頭。宙返りしながら体勢を変え、その目に剣を突き立てる!
「シャアアア!」
竜は叫び、頭を大きく振り回した。太い前脚が襲い来るその前に首筋を蹴って地面に滑り降りる。
「左手の術を解いてくれ。治すから」
すぐ後ろでファナ=ノアの声がした。
片目を失った竜はさらに怒りのボルテージが上がっている。ラズを見とめると、無茶苦茶な動きで向かってきた。
「……助かる」
それだけ答えて、目の前の大きな顎を横に跳んでかわす。続けて振り下ろされた前脚を後ろに跳んでかわした。これだけ注意を引けたのだから、今はもう、反撃することは考えなくてよさそうだ。
左手の力を抜くと、ファナ=ノアの術の波動が手を包み込んだ。少しこそばゆいが叔母の治療のように温かく、不快ではない。
(避けるだけなら……体力的にももうちょっと保つかな)
仲間の位置関係を気にしながら、ラズはひたすら竜の追撃から逃れることに専念した。
† † †
『ウィリ、あの気配、覚えがないか?』
ファナ=ノアはラズを襲う竜の鱗の分解と、彼の手の治療をしながら、シャルグリートの側にいるウィリに話しかけた。
『……え? ううん、私には分からないわ』
彼女は疲労を堪えるような表情で竜を見つめたが、首を振った。
『そうか』
(どういうことだ……? 中に、いるのか?)
ファナ=ノアは考えを巡らせながら、仲間の状況を確認する。
ラズは怪我をしているが、動きや顔色にはまだ余裕がある。
シャルグリートの治療はあと少しというところだろうか。
「面目ない……デス」
「あなたもラズくらい強いことは知っています。あと少し、ちゃんと休んでください」
「ハハ……、ラズの方が強い。チビなのにな」
「ふふ、チビと言ったらまたラズが嫌な顔をしますよ」
シャルグリートはラズと竜の動きをじっと観察している。その目の闘志は潰えていないようだ。
『ファナ=ノア、入るときに言ったけど、この後こいつが戦うときのサポート……毒ガスの無効化は、私がやるから』
『……頼む』
彼女がかなり無理をしているのは分かっていたが、ファナ=ノアは何も言わなかった。こういう時のウィリは意地でも言ったことを貫くのだ。
(何かあれば、必ず守るだけのこと──)
心中の決意を顔には出さず、ファナ=ノアは黒竜を真っ直ぐ見つめた。
†
†
『人間との和平の会談』の後、ファナ=ノアたちは中庭のある客間に通された。
「細工はないな」
メグリは部屋を慎重に調べる。
「毒なんて、あっても効きませんのよ」
「急に爆発したら流石に危ないだろ?」
「こんな建物で爆発なんてさせたら、上階まで崩れちゃいますのよ、おばかさん?」
「……クシナ? 今日ずっと言葉を訳してやった恩を忘れてないだろうな?」
「ふふふ……難しい単語がちっとも分かってなくてファナ=ノアを何度苦笑させたか分かって言ってますの?」
「二人とも、そこまで」
仲が良さそうに喧嘩する二人を、ファナ=ノアが止めた。
放っておいても問題はないが、今はそれどころではなさそうだ。
「やはり直接討ちにくるようだ。もう動きだしている」
「先手を打てないのが辛いですわね……」
向こうが先に手を出した、という事実を作ってからのほうが逃げたときの名分が立つ。
「金属の筒を持った人間ばかりだ……火薬で中の鉛を飛ばすんだろうか」
「……もし、弓より速いと対応できないぞ。囲まれる前に打って出た方がいい」
「分かった」
中庭に出た瞬間、凄まじい爆音が響き渡った。
(まさか、あんな距離で……っ!?)
弓の二倍は距離があったろうか。そして着弾が凄まじく早かった。
狙いは甘く、ほとんどが壁や地面を穿ったが、それでも左の太腿に激しい衝撃が走った。
(術を……使わないと)
視界の端でメグリとクシナの身体からたくさんの血が吹き出しているのが目に焼き付く。
メグリは一瞬早く前に出て、盾になってくれていたのだ。
ゆっくりと血液が宙を移動する。
(せめて……二人だけでも)
ファナ=ノアは片膝と手で身体を支え、風の壁を作るために練った気を、真っ先に二人の治療に充てがった。
少し遅れて壁の術が発動しかけたが、頭に鈍い衝撃が走り、そこでファナ=ノアの意識は途絶えた。
†
†
(守れなかった)
──自分の痛みより、二人の痛みが深く心に突き刺さった。
(────駄目だ。後悔しても、自分を責めても、時間は戻らない。私にできることは、繰り返さないことだけだ)
† † †
それからもう数分たった頃、シャルグリートがウィリに礼を言って立ち上がった。
「ふっ……かーーーつ!!!」
洞窟内に乱反響した大きな声に、竜が動きを止めた。
「遅いよ、シャル!!」
「ラズ、待たせて悪い! そろそろ、鱗は脆くなってるはずだ!」
ファナ=ノアがよく通る声を投げてきた。
「分かった!」
ラズはすう、と大きく深呼吸した。
あまり良い空気ではないが、気分は入れ替わる。
左手はまだものを握れない。今はこれ以上の回復は無理だろうが。
ここからは反撃だ。
「シャル! 刺は毒があるから気をつけて!」
「オウ、見てタ! 俺が頭でイイぞ!」
シャルグリートは黒竜の前方に向かって駆け出した。
「本当~? 気をつけてよ!」
「うるせ!」
シャルグリートは水晶のナイフをいくつも作りだし、それを竜の喉元に投げた。
鱗を壊して、厚い皮膚に刺さっていく。当然、竜にとっては浅い傷だ。チクリとする程度だろう。
「オラァ!」
そのナイフをシャルグリートが殴って竜の体内に叩き込んだ。
奥まで刺さるとさすがに痛いらしく、竜は叫び声を上げた。
その直後、傷口から中の肉を抉って回転しながら水晶の刃が飛び出す。どす黒い血糊をふりはらい、再びシャルグリートはナイフを構えた。
「かっこいいね! それ!」
あんな戦い方は竜人しかできない。ファナ=ノアの見聞きの術が邪魔されるのと同様、竜の体内の分解や物質の操作はラズにはできなかった。
「お前にばっかり、カッコつけさせん!」
「そんなこと……した覚えはないけど!」
そう言いながら、シャルグリートに気をとられている竜の後脚に、風の刃を組み合わせた斬撃を叩き込む。──この技に名を付けるとすれば──
(<八風>!!)
ごおぉっっ!!
風を纏い巨大化した斬撃は竜の脚を深々と切り裂き、骨が露出した。そこから、大量の黒い血液が流れ出す。
(赤くなくてよかった……)
血を見るのは未だに苦手だ。残虐なことをしていることには変わりないが、心傷は引き起こされないで済む。
竜の傷の修復は全く追いついていない。踏ん張りがきかなくなって、巨体が地に伏した。
それでも、尾を振り回してラズを追い払い、シャルグリートに噛みつこうとする。
反対側から、ファナ=ノアが尾から胴にかけて巨大な風の刃を複数放った。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
竜が洞窟の空気を激震させる悲鳴をあげた。
ラズたちは思わず耳を塞ぐ。
尾が八割方切り落とされ、後脚は動かせないほどズタズタになっている。胴にも内臓に至ったと思われる傷がいくつもでき、体液が激しく噴き出した。
凄まじい術を使った割に、ファナ=ノアの顔にはまだ余裕がある。これでまだ本調子でないとは信じがたい。
黒竜の身体からじゅうう……と修復のための煙があがっているが、あのペースで血を失えば、もう時間の問題に見えた。
「待ってください」
とどめを刺そうとしたシャルグリートを、ファナ=ノアが止めた。
「メグリ、クシナ……?」
ファナ=ノアはその場から動けない竜に話しかけた。
『うそ……まさか』
それは、かつてのファナ=ノアの仲間の名前だったはずだ。ウィリが呆然とする。
竜はびくりとした。
痛みだけではないだろう苦しそうな唸り声を発した。
巨大な頭をぐったりと地につける。
その額に、ファナ=ノアはゆっくりと触れた。
「…………」
† † †
身体が重い。どくどくと体液が流れ出て、竜は死を意識せざるを得なかった。
白い髪の方が何か言った。
それも理解できない音のはずであるのに、心がザワザワする。
──そうだ、知っている。それは名前だ。
──なぜか自分の記憶にある、二人の小人の名前。
──そして、その小人たちが家族のように想っていたのが、目の前の小人だ。
もはや空腹どころではない虚脱感に、竜は頭を落とした。
労わるように当てられた色白の細いの手がうっとおしい。
小人たちの記憶は、この白い髪の小人を守りたいと訴えかけてくる。
──うるさい。悲しみも、無念さも、自分とは関係ない話のはずだ。しかし、抵抗する気力が起きず、竜は再び唸り声をあげた。
† † †
† † †
ファナ=ノアが乱暴に引き摺られていくのを、メグリは血で染まった視界で捉えていた。
そして、クシナも辛うじて生きていた。
ファナ=ノアの最後の術が二人の命を拾い上げたのだ。
────しかし。
人間たちは何事か言い合った後、二人をゴミのように荒野に投げ出した。
「くそっ……死んでたまるか」
「止めを刺さなかったこと……後悔させてあげませんと……」
すでに大量の血を失い、自分の身体を治癒しても追いつかない。
動かない身体で、愛馬を呼んだが返事はなかった。
「…………」
「ファナ=ノアは……人質になるんですわ」
クシナが苦しそうな声で言った。
「あの子は、死なないわ。良かった……本当に……」
「クシナ」
血の臭いに惹かれて、大トカゲがゆっくりと寄ってきている。
「打つ手なしか…… くそっ……かっこ悪い……!」
風の刃どころか、起き上がることすらできない。
大トカゲが首を傾げ、真っ赤な咢を開く──
「クシナ、……今まで悪かった」
「今更……ですの」
二人の最期の苦しみは、推し量ることなどできない。
† † †
† † †
(……確かに気配を感じる。……メグリとクシナは、この竜に喰われた、のか……)
死者の魂は、殺したものに取り込まれてしまうことがある。
そして、それによって取り込んだ記憶を夢で見たり、人格の影響を受けたりすることが稀にある。
二人がそこにいるなら、この竜を助けたい、とも思った。
しかし、この黒竜は、ただ本能に従って人を喰らおうとしているだけだ。
長く生きるなら知性が芽生えることもあるだろうが、それまで、共生するような道は見当たらなかった。
(殺すしか、ない……)
もう一度、黒竜の濁った金の両眼を見る。
目が合った竜は、ファナ=ノアの手を振り払おうとするかのように、めちゃくちゃに暴れた。
「グ……ガアァア!!!」
少し退がって、ズタズタになった黒竜の巨大な身体を視界に収めてから、ファナ=ノアは祈るように手を組んだ。
この結果を招いたのはファナ=ノア自身。ならば己の手で彼らを解放しなければならない。
(……すまない。君たちを二度、殺すことになる)
† † †
竜の苦しそうな喘ぎ声だけが、洞窟内で反響している。
ファナ=ノアは俯いて手を組んだまま、囁いた。
「……離れていてくれるか」
消え入りそうな、声だった。
「──ファナ」
「……頼む」
シャルグリートとラズが戸惑いながら下がると、ファナ=ノアを中心に風の渦が発生した。
「……!」
渦の外側にもごおっと風が吹いた。顔に腕を当てて薄目でファナ=ノアと竜に顔を向けると、石や黒い血が舞う渦の中で、竜の首がごとり──と切り落とされるのが見えた。
切り刻まれていく身体から急激に生気が奪われ、風が収まる頃には、竜はぴくりとも動かなくなった。
同時に、洞窟内の毒気も全て浄化される。
代わりにファナ=ノアの気配が少し増した、ようにラズは感じた。
(『殺すと相手の魂を盗むことになる』って前にファナが言ってた……。竜の魂を、ファナが取り込んだ、ってこと……?)
ファナ=ノアは黙祷するように目を閉じて、
『──おかえり』
と、小さなな声でぽつりと呟いた。
「……ファナ?」
その横顔はなんだか、泣いているような気がした。
シャルの技名
・水晶のナイフ→<レムリア>
ファナの技名
・風の刃→<剣を操る>
ラズの技名は密教系の言葉からとっています。
・風の刃→<八風>
もともとの言葉は『修行を妨げる8つの出来事の事(「娯楽」とか「衰え」とか)に動じない』というような意味合いです。
八種類の何かは特に考えておりません^^;




