憎しみと亡国(4)
麓の畑の手前で母らに追いついた。
「母様!」
「ラズ!! よかった……よかった…………」
「でも、これは……一体」
畑もまた、燃えていた。
民家の火がこんなところまで延焼するはずがない。
──麓側でも、何かがあった……?
夏だから、畑にはたくさんの人がいたはずだった。
畑焼きとは違う、嫌な臭いが立ち込めていた。
しかし今来た道を戻る選択肢はなく、燃える畑の間の道を下る。
女性たちは目を腫らしていたが、子どもたちを守るように、必死に恐怖と絶望に耐えて走った。
このまま國を出て、山を下り、隣の国の方へ逃げれば、命だけでも助かるだろうか。
その小さな希望は、炎の先に揺らめく巨大な影に打ち消された。
「門にも……あいつらが!?」
その場所を、見覚えのある巨人の子どもと、三人の大人の巨人が塞いでいた。
正確には、大人の巨人が斧をふるうのを、子どもの巨人が必死に止めようとしていた。大人は気遣いながら子どもを振り払おうとしている。まるで親子のように見えた。
そして、彼らの足元には、國の人々が倒れていて、大きな血溜まりが広がっていた。
「……ラズ?」
急に足を止めたラズを、母が訝しんだ。
「……」
ラズは何も言えなかった。
これまでこの巨人の襲撃はなにか天災のようなものだと感じていた。……しかし、あの巨人の子がここにいるのは、偶然とは思えない。
そもそもなぜ、巨人達はわざわざ資源の乏しい高山地帯に住んでいたのか? 巨人の子を送り届けたあの日、その母親のラズを見る顔は──恐怖の表情だった。
(人間に会っては、いけない理由があった──?)
──この惨状を招いたのは自分なのではないか? ……心臓を鷲掴まれるような疑念が浮かび上がる。
大事な人と場所が、もうたくさんたくさん失われた。──その理不尽を作ったのは自分だったのか?
あの門を通らなければ、國の外に出られない。
外が安全かは分からないが、そこを目指す以外の選択肢はなかった。
友達となった巨人の子の、おそらくその父親に、これから刃を向けないといけないのか。
ぽろぽろと涙が溢れた。
さっきは死にたくないと思ったが、死んだ方がましだと思った。
でもこの巨人と戦わないと、きっと誰も逃がせない。それを放棄することも赦されない気がした。
「ラズ……?」
「……大丈夫……」
心配そうな母の声を背中越しに聞きながら一歩前に出た。
剣はさっき手放したので、土中から錬金術で剣を生成し、正面に構える。
手が少し震えるのを、気力で持ち直して巨人との距離を詰めていく。子どもがしがみ付いている巨人は動きが鈍い。
代わりに、別の巨人が石のナイフを構えて前に出た。
カウンターを狙ってくるのが分かったが、ラズは構わず踏み出した。巨人はラズのスピードに反応できない。そのまま剣を身体の中心に突き刺す。
今度は剣をすぐに手放し、横に跳んで距離を取ろうとした。が、足に力が入らず、着地に失敗してしまう。
(?! やばっ……)
「××!!」
もう一人の巨人が叫んで突っ込んでくる。
石が仕込まれたその拳をなんとか立ち上がって紙一重で躱して跳躍し、足元に落ちていた鍬を拾って頭を狙ったが、大したダメージにはならなかった。
振り向きざまに再度振り上げられた拳を躱し、踏み出した足元を錬金術で崩す。巨人が体勢を崩している間に間合いをとって、手近に落ちていた剣を手に取ったが、握る力が怪しい。
(ああ、この剣は……)
兄の友人の名前が脳裏に過ぎった。否応なく、視界に知古の虚ろな表情が映り込む。
がくん、と膝から力が抜けた。
(あれ……立ち上がれない……?)
そこに、巨人の斧が横なぎに襲い掛かった。避けられず、刃の腹で受け吹っ飛ばされる。
背中から木の柵に突っ込み、一瞬息が止まった。
その巨人は、ゆっくりとこちらを見て、もう一度斧を振りかぶろうとした。
──体が、動かせない。
(僕しか……いないのに)
──どうしようもできないのか。
真っ赤に染まった刃を見上げた。
「ラズ!!!!」
悲鳴にも似た自分の名を叫ぶ声が、すぐ横から聞こえた。
同時に、硬直していた身体に衝撃が走り、地面を擦る音とともに視界が滑る。
──突き飛ばされた? 誰に──……
揺らぐ視界に、振り下ろされる刃と人影が映る。
「かあさま!!!」
次の瞬間、視界が真っ赤に染まった。
呆然と血溜まりを見つめることしかできなかった。
肩から腰まで斜めに、二つに分断された母が指先をぴくりと動かした。
それだけだった。
(あつい……)
さっき火に入った熱さを、今になって感じているのかのように全身が熱い。
──どうして母が死ななければならないんだろう。母は何も悪く無いのに。
巨人がゆっくりと斧を振り上げる。悪鬼のような表情だ。──まるで、災いの面のような。
(……ごめんなさい)
生まれた頃から側にいた大好きだった人々の虚ろな目が、お前のせいだと言っているように感じた。
さらにゆっくりと、斧が落ちてきたそのとき、兄と、父の声がしたような気がした。
しかし、耳鳴りがしてよく聞こえない。
かちゃん、と何かが落ちる音。そして脱力感。
意識が混濁していく中で、兄に名前を何度も呼ばれた気がした。
† † †
ガキン!
巨人の斧の軌道を、間一髪で駆けつけた父が鉄の槍で弾いた。
「ラズッ! おい、ラズ !!!」
その隙に駆け寄ったツェルは、自分の弟……ラズの名を何度も叫ぶ。
弟は母の血を頭から被ったまま、呆然としており、瞬きすら怪しい。夕陽がいっそう赤く彼を染めていた。
「ツェル、行くんだ……! ラズを、頼んだぞ」
「……っ」
父の口調は、有無を言わせないものがあった。
ツェルは『自分も戦う』、と言いかけた言葉をぐっと飲み込む。
「……わ、分かった。父上も、どうか無事で」
母の骸に近づき、指先で目蓋をそっと閉じた父は、ツェルの言葉に静かに頷いた。
今は、自分しかいない。追い立てられるような気持ちで、ツェルは側でへたり込む弟を背に引っ張り上げる。
いつの間にか、自分自身の足がガクガクと震えていた。十歳の体がとてもとても重たく感じる。
背負ったときに、何かが落ちて乾いた音がしたが、構っている余裕はない。
──逃げなければ。
それ以外、頭になく、必死に足を動かした。
舗装されていない、隣国に繋がる林道。歩いて三日、馬を飛ばせば一日で着く距離である。
走り出してしばらくして、遠く後方で爆音がした。
ぞわぞわ、と背筋に寒気が走る。
浮かんだ嫌な考えをひたすら打ち消し、振り返らずただ走ることしかできなかった。
どれくらい走ったのだろう、過呼吸になりそうなほど、呼吸が乱れていたが、止め方が分からない。
すでに辺りは真っ暗で、彼の荒い息だけが、細道に響き渡る。
あの襲撃者──巨人が追ってきているような気がして、ツェルは未だに後ろも見れなかったし、足を止めることが怖かった。
とうとう、足がもつれ、転ぶ寸前で膝をつく。
姿勢を変えることがうまくできず、背負っていた弟の身体がどさりと地面に滑り落ちた。
体に染み込んだ護身の動きが、今まで恐怖で見ることができなかった背後へ振り向かせる。
頭に血が足りず視界がぐらぐらしたが、何の敵意の影もないことだけは分かった。
虫の声、風の音、自分の足が地面を擦る音、自分の喉からする乱れた呼吸の音。
ツェルはそのまま尻もちをついた。
一度腰を降ろしたら、もう、体が鉛のように重かった。
──まだだ。弟はどうなっている。
もう一つ、背後にあった恐怖は、背の弟の温もりが失われていったことだった。
もう、見ないふりなどできない。ツェルは弟の首に震える指を添えた。
──……分からない。自分の脈がうるさいのだ。
──いやだ。まさかそんなこと、あってたまるか。
今度は呼吸を確かめようと、鉛のような体をさらに動かした。
──息を、していない?
頭が真っ白になりそうだった。
「ラズっ……ラズ!!」
掠れた声にならない声で、弟の名前を呼ぶ。
触れると、顔の表面から乾いた血がポロポロと地面に落ちて行く。
「ツ……に……い…………」
弟の唇がわずかに動き、かすれた声がした。
確かに、聞こえた。
ツェルは押しつぶされそうな絶望の感情の中で、ほんの少しだけほっとした。
けれど、弟の体が異様に冷たいのは事実だった。ツェルは小さなその体を温めるように、守るように抱えた。
──何かあったらすぐ動かなければ。
しかし頭が朦朧とする。
いくら念じても疲れ果てた身体は思うようにならず、ほどなく彼は意識を失った。
しばらくして、柔らかな朝陽が二人の少年を照らす。
読了感謝いたします。
大事な1話、厳しいご意見も結構ですので、ご感想を頂けますと幸いです。
よろしくお願いいたします。