竜と記憶(3)
教会での昼食後、ラズはレノを呼び止めた。
「レノ、お昼、もう用事ある?」
「いいえ、特には」
たまに小人たちの狩や採集を手伝って、報酬をもらったりすることもあるそうだが、今日は何もないらしい。
また修行に付き合ってほしいと頼むと、彼は一つ微笑んで、
「それならシヴィの家に行きましょうか」
と言った。
シヴィの家は、ジルたち──人間に捕まったファナ=ノアを助けるために 一緒に行動した、武術の心得がある小人たちが住む家だ。
今は竜人の客人、シャルグリートが居候しており、裏手に広い修練場がある。
教会を出て、彼はのんびりと歩き出す。それでも大人の身長なので、ラズからすると歩幅が大きい。
緑がかった癖っ毛の黒髪と、不思議なプラチナの瞳を持つレノは、黒を基調にした動きやすい服を着ていることが多い。彼曰く、汚れが目立たないからだそうだ。
今は肌寒いので、その上に皮のコートを羽織っている。
速足で後を追いながら、ラズはレノに話しかけた。
「あのさ、今朝、変な夢を見たんだ」
「夢?」
「変にリアルで、レノと大きな『竜』が出てきて」
夢の中で聞いた声────口調も響きも違ったが、あれはレノの声だった。
「……」
前を歩くレノが、少し口籠る。そして横目でちらりとラズを見た。
「……その話は帰りに別の場所に寄ってしましょうか」
「? ……うん」
いつもと少し、雰囲気が違う気がする。真意が読めないまま、レノの背中を追った。
シヴィの家に着くと、シャルグリートが駆け寄ってきた。
「ラズ! 今探しに行こう思ってタ」
ツンツンしたシルバーの短髪の側頭部に、剃刀で描かれた稲妻のラインがかっこいい。服の上からでも分かる鍛えられた体をした、十代後半くらいの青年だ。口を開くと竜人の特徴である尖った歯がチラリと見えた。
彼は竜人であるが、人間の言葉が少し話せる。──カタコトで、時々ちょっと怪しいが。
「強いヤツはいたのか?」
その問いかけにラズは苦笑いした。──やはり、二言目には戦いの話。
彼に限ったことではなく、竜人は皆暴力主義的で、好戦的らしい。ラズとも、会って二日目で派手に喧嘩したくらいだ。──あのときはラズの圧勝だったが。
「そういや、いたよ。リーサス領一の武人、ブレイズ=ディーズリーさん。全然勝てなかった」
「なにー!? そんな人間がいるノカ!」
シャルグリートはいかにもわくわくしている様だ。
レノはそんなシャルグリートを素通りして、客人を出迎えた三つ編みの少女──ビズに軽く挨拶した。
見た目はラズと同じくらいの少女だが、それと裏腹に彼女は隠密行動の達人だ。それと、小人であるが人間の言葉も流暢に話す。
「こちらの修練場を借りられますか?」
「うん。今誰も使ってない」
彼は何度か来たことがあるのだろう、勝手知ったる様子で礼を行って修練場に向かう。ラズも彼女に挨拶してからまたその後を追った。
シャルグリートがついてくる。
「なあ、もしかしてレノが戦うところが見られるのカ!?」
シャルグリートはいつもレノと戦いたがっているが、ついぞ相手にされたことがないらしい。
修練場で軽く準備運動をしてから、ラズは背中にかけていた剣を下ろして引き抜いた。
見物の小人が驚いた顔をする。ラズは彼らにとりなすように笑いかけた。
「いいんだ。いつもこうだから」
旅の途中で修行につきあってもらっている時も、いつも真剣だった。そして、掠った試しもない。
対するレノはだいたい素手である。かと言って、シャルグリートのように拳士という訳でもない気がするが。
そのまま構えをとろうとするラズに、レノが声をかける。
「ラズが勝ちたいのは、ブレイズでしょう? 覚えている範囲でいいので、そこに彼がいるつもりでどんな立ち回りをしたのか見せてください」
「あ……はい」
──なるほど、そういう修練方法もあるのか。
修練場の中ほどに一人立って剣を構える。
一度息を吐いて、目を閉じる。
(『数歩の距離に、ブレイズさんがいる』)
つい昨日のことだ。丸一日も経っていない。
(中盤動きが読まれ始めたあたりから)
目を開けると余計なことを考えそうなので、目は閉じたまま、ラズはブレイズの影に切り掛かった。
切り結び、一度離れたところを後追いされる。それは初動が見えていたので、下がるときに準備していた雷撃で迎え打ったつもりが、進路が予想していたものと違って当たらない。
単純な剣の応酬では、スピードはこちらに分があるはずなのに隙がなくて押し込めない。
(加速と振動を同時に使えたら、相手の剣を壊すとかできそうだけど……)
常時発動させるような術は一種類にしか集中できないため、ここぞという時で切り替えるほかない。
明らかに劣勢なのが改めて分かったところで、レノの声がした。
「……お疲れさまです」
目を開ける。
「感想を先に聞きましょうか」
「剣で勝てるようになるには基礎から見直しかなぁ……。錬金術は、二つの術を同時に使えるようになれば戦いやすくなるかも」
「ブレイズの守りの型は、剣技のレベルが数段上でないと破れないでしょうね。体格的にも経験的にも、その域に達するのはまだ何年もかかります。基本を見直すのは欠かせないですが、術の方を底上げする発想は悪くないんじゃないでしょうか」
「倍疲れるし、すぐに見切られて、負けることになりそうだけど……」
「おや、やる前に弱気とは君らしくない」
レノにつられて笑ってから、
「うん、考えるより体を動かすことにする」
そう答えて、まずは素振りでも、と剣を構えなおしたところで、シャルグリートが野次を飛ばした。
「オーイ、結局レノが戦うのナイのか?!」
「あはは……ごめん、その段階じゃなさそう」
がっかりした様子のシャルグリートは、すぐに立ち直ってレノに食ってかかった。
「なら、俺と戦え! レノ!」
「何度も言いますが、そういう趣味はないので」
シャルグリートが発する凄まじい期待の圧。一方レノは面倒そうにあしらって修練場の壁にもたれてしまった。
いかにも彼らしい、といえばらしいが。
「レノって戦うのが好きじゃないのに、どうして強くなったの?」
「たまたまですよ。あとは経験の積み重ねです。修練自体は苦ではないので」
シャルグリートは納得いっていない様子だ。レノをジト目で睨んでいる。
「なんでラズは特別アツカイなんダ?」
「君は私を倒せないと満足しないんでしょう? そういう土俵に立つ気はないと言ってるんです」
シャルグリートの目がみるみる剣呑になった。
(シャルってレノのこと好きなんだろうな……)
戦う戦わない以前に、レノのことを人として気に入っている。その上で、自分を見てくれないことが不快なんだろう。
他人同士の関係のことに、口を出すべきではない。──しかし、この空気はあまり好ましくない。
「レノは、僕となら真剣勝負してくれるの?」
そう訊くと、彼は少し考えてから答えた。
「いいえ」
「なんで?」
「……勝負にならないでしょう。目的の障害となるなら容赦しませんが、君はそうなり得ない」
「まあ、そうだよね」
予想通りの回答に、ラズは笑って剣を握り直した。
「ラズは、何故怒らナイ!? ×××!」
最後は竜人の言葉で何か叫んだのでよく分からなかった。
──何に怒るのか今ひとつ理解できないが、戦ってもらえないくらい、弱いと思われている、という点にもっと悔しがれ、ということだろうか。
「今怒るより、相手にしてもらえるくらい強くなる方が有意義かなって」
「……っ」
シャルグリートは顔を赤くして言葉に詰まった。
(やっぱり、ちょっと生意気だったかな)
口を挟んだことは失敗だったかもしれない。
せっかく打ち解けたのに、シャルグリートとの仲が悪くなるのは少し寂しい。
しばらく黙っていたシャルグリートが、ぽつりと口を開いた。
「……『有意義』ってどういう意味ダ」
(え、そこ!?)
ちょっとがくっとする。
「意味や値打ちがあること」
答えると、シャルグリートはさらに数秒考え込んでから、
「俺もやる」
と悔しそうにラズの横に並んで、宙に向かって拳を突き出した。技の練習を始めたようだ。
(なんで僕の言うことを受け入れてくれたんだろ……。……! もしかして、戦って勝ってるから?)
であれば、ややこしく拒否してないで、さっさと戦ってあげたほうがレノも楽なんじゃないだろうか。
剣を振りながら苦笑いが漏れそうになって、慌てて集中し直した。




