憎しみと亡国(3)
「世界は真ん中に穴が空いた円盤の形をしています」
あれから二日後の昼下がり。
今日は、國長である父と兄が帰って来る日だ。
ラズは年下の子ども二人に、世界の成り立ちについて講義をしていた。
山に遊びに行かない日、下の年代に錬金術や武術を教えるのは今はラズの役割である。
といってもやっていることはほとんど子ども同士の遊び。修行と称して川遊びしたり、雑談をして終わることも多い。
夏の最中だが、果樹の日陰に陣取れば山脈から吹き下ろす風が心地よかった。
ラズは話しながら、柔らかい地面に木の棒で丸を二重に描いて円盤を表現する。
「円盤の片方が山脈で、もう片方には深ーい谷があります」
ギザギザと山の形を円盤の絵に付け足す。そして反対側には、円を切るように横に二本線を引く。大山脈と対になる、大渓谷だ。
「お日様は、こう、桶の取手みたいな細くて丸い形をしていて、朝に山脈側から出てきて、夕方は大渓谷側に沈みます。
夜中は裏側をぐるんと回って、また朝には山脈側からでてくる訳」
半円形を腕で表現して、地面の絵の上で動かして見せる。縄跳びの縄が自分の周りを回っているのをイメージするのが近い。
「磁石は常に大地の円盤の中心を指すから、そっちを北に、反対側を南、右手側を東、左手側を西といいます。……さて、僕たちはどこにいるでしょう?」
「ここー!」
二人が一斉に山の上を指す。
ラズが初めてこの話を父から聞いたとき、こう聞いたものだ。
『ここは? 円盤の真ん中には何があるの?』と。
父は不思議な顔をして、そこには何もない、とだけ答えた。
考えたことがないようだった。
子どもたちも、一切気にする様子はない。
「……正解。山脈の反対側にある大渓谷の手前には荒野や山地があって、小人と竜人が住んでいます」
「知ってる! 毛がぼうぼうの!」「でっかいトカゲになるんでしょー」
二人が思い思いに小人と竜人について親から聞いた話を披露する。残念ながらラズも見たことはない。この話は、旅人に教えてもらったことだ。
「トカゲ? ならないって聞いたけど」
「えー」
つまらなそうに口を尖らせる子どもたち。
子どもたちの言うでっかいトカゲとはおそらく<竜>のことだろうが、それも童話にしか出てこない存在だ。──そういえば父は見たことがあると自慢していたような。
小人の方もよくは知らない。
どんな姿形なんだろう。小人というくらいだから小さいんだろうが、きっと頭が良くて独自の文化を持っているはずだ。ちなみに山脈には小鬼という怪物がいる。二足歩行で服を着ているが頭が良いとは言い難く、また利己的かつ衝動的すぎて人扱いする気にならない。──そういえば、夢で会う白い髪の子は國の皆と違って耳が尖っていたが、もしかしてあの子がその小人なんだろうか?
歳下の子たちが「小人を見つけたらやっつけてやる」と息巻くのに「まずは話し合いだって」と相槌を打ったところで、山脈の門の方から坂を下ってくる大人たちに気がついた。狩りから帰ってきたらしい。
「やっほー! おかえりなさい!」
「……ああ」
ラズの挨拶に、手ぶらにどこか浮かない顔をして答える大人たち。残念ながら今日は獲物が獲れなかったらしい。
「お前、今日は山に入るなよ」
「うん、なんで?」
彼らはラズにとっては山歩きの師匠だ。彼らがそう言うなら間違いないが。
先頭の男がしかめっ面で頭をかいた。
「小鬼一匹いねぇんだ──何かの兆しかもしれねぇ」
「……ふうん、分かった」
今晩兄が帰ってきたら、今の季節だけ裏の滝壺で見られる光虫の見物に誘おうと思っていたのだが。
「しかし、収穫ゼロとはな。せっかく今日は國長が帰って来るのになぁ」
「気を遣うなっていつも父様言ってるじゃん」
「あのな。うるさいのは若奥さんなんだ」
「母様はとりあえず思ったこと言っちゃうだけだから、大丈夫だと思うけど」
ラズののんびりとした物言いに狩人たちは苦笑した。
「相変わらず生意気だな……。まあいい。俺たちは先に戻る。遊びも程々にな」
「遊びじゃなくて勉強だよ! ねー!」
「そーだよ! ラズ兄ちゃんみたく頭よくなるんだっ!」
「あはは……まーがんばって」
子どもたちの賞賛を受けて、ラズは苦笑いした。
吹けば飛ぶ程度の小國であるが、ラズと兄は叔父の方針で武術や錬金術以外にもいろいろと叩き込まれている。習得度が低いと延々と拘束されるので、勉強は必死にやってきた。結果として周りの評価は高めだが、別に好きな訳ではない。
(勉強がみんなゲームとかならいいのになあー)
算術や化学ならまだしも、語学や礼儀作法はつまらない。
「はは、そうか。期待してるぞ」
男たちの背中を見送ってから、ラズたちは再び果樹の木陰に腰を落ち着けた。
「で、小人と竜人の話の続きなんだけど」
そろそろ陽が傾く時間だ。
さっき早く引き揚げろと言われたし、あのことだけ話して終わりにしよう。
「前に山に入ったときにね、……僕会ったんだよ!」
「なになにー?」
実を言うと、今日は最初からこの話がしたくてうずうずしていたのだ。
「……巨人!!」
「ええ!!?」「戦ったの?!」「やっつけたの!!?」
「違う違う。子どもだった。昔話と全然違ってて、可愛くて、食べようとなんてされなかったよ」
うきうきと楽しそうに話すラズに、子どもたちは目をぱちぱちさせる。
「今日、父様たちが帰ってきたら、集会があるからさ。大人たちにはそれまでまだ秘密ね」
「ふーん……」
年下の子どもたちはまだ半信半疑の様子だった。
「よっし、今日はここまで!」
「ええっ?! 剣の修行はー!?」
「それはまた今度! ほら、家まで競争しよ!」
「兄ちゃん五歳で始めたんだろっ、俺もう七歳なのになんでダメなんだよー!」
「えーと。前言われてた、素振り500回はやったの?」
「うわあああん! 兄ちゃんまで無茶苦茶言う!? そんなん何の意味があるんだよ!!」
「僕も初めのうちはそれを一日五セット以上やってたけどなあ」
「ウソばっかり!! いつもツェル兄とチャンバラやってんじゃん!」
子どもたちとやいやい言いながら、果樹園を小走りで通り抜け、斜面を走り下りる。民家や麓の門が遠くに見えるところに差し掛かった頃。
「……?」
何か聞こえたような気がして、立ち止まる。
「どうしたのー?」
「……うん、分かんないけど……先に行ってて」
振り返って果樹園を見渡す。
大人たちが農具を片付けている。
斜面に反り立つ木の柵。山脈側の門は既に閉じている。
──鳥がいつもよりたくさん飛んでいる気がした。そろそろ森で羽を休める時間ではなかっただろうか?
突如、鈍い大きな音が周辺に響き渡った。
ガンッ──ガガンッッ
メリメリメリ……と音をたてて、大人の身長の二倍はある木の柵が内側に倒れ始めた。
そして。
その向こうに、柵と同じくらいの大きさの人が、姿を見せた。
一人ではない。後ろに何人も。見える限り、分厚そうな皮の鎧を身につけ、大きな石斧や、剣、棍棒などを持っていた。奥に松明を持っているものもいる。
彼らは、柵の内側に入り、呆然として動けない人々を見渡し──
「×××××!!!!」
怒号を発した。
「────!!?」
彼らは──巨人は、手近にいた大人を──こともなげに棍棒で凪いだ。
果樹にぶつかって、どしゃ、という音が響く。
松明の灯火を照らしこんで、巨人の目はギラギラと揺らめいていた。
「に……逃げるんだ!!!」
誰かが言って、ラズもハッとする。
強張っていた足を叱咤して、パッと踵を返す。
(なんっ……、あれって、巨人……!?)
走り出しながら、混乱を必死に沈めようと懸命に頭を巡らせる。
──彼らの目的は? この國を、どうするつもりで?
ちらりと後ろを見遣る。数は──十か、二十か。
木柵の端からここまで多少距離はあるが、すぐに追いつかれてしまう気がした。
恐ろしい怪物が相手でも状況を整理すればいつもは頭が冴えるのに、何かが心臓を鷲掴んで、身が竦んだ。
果樹園を抜けると集落がある。一番手前が自分の家だ。こじんまりした質素な國長の屋敷。剣の修練場もそこにある。
母や、家にいた人々は、騒ぎに気付いて野生の獣でも出たのかと、身を守るものを持って家の前に出てきていた。
「なんだ……あれは!? 大鬼!?」
「とにかく、子どもたちを家の中に! 男たちは武器を!」
ラズがもう一度振り返ると、果樹園の入り口でその場所を仕事場にしていた二人が足止めをしようとして巨人に農具を振り上げていた。
巨人が高く掲げた斧が、斜陽を遮って農夫に一直線の影を落とす。
誰かが彼の名前を叫んだ。
他の大人たちも助けに入ろうとしたが間に合わない。
ドッッ……
激しい血飛沫が木々を染めた。今度は誰か……きっと、彼の奥さんが悲鳴をあげた。
悲しみか、怒りか分からない強い感情がラズの心を揺さぶる。
「やめ──」
途切れた声は誰のものか。また、鈍い音が果樹園に轟いた。
(父様──っ! ツェル兄──っっ!!)
──そうだ、父なら、皆を守って戦うはず。
何の為に、幼い頃から剣の訓練をしてきた。
涙を堪えて武器庫に駆け込み剣を取って戻るのに数秒かからなかったはずだが、すでに見渡せば立っている大人は三人しかいない。果樹園の入り口のあちらこちらに血を流して倒れている人が、何人も。
応戦していた大人の一人がこちらに気がつき、声を張り上げる。
「ラズ、お前も逃げろ!」
「嫌だっ!!!」
ラズは叫びながら飛び込む。
横なぎに振るわれ地を抉る棍棒に手をついて、錬金術で粉々にしようとした。
「……!?」
しかし棍棒の先がわずかに崩せただけで、何かに邪魔されて思った通りにいかない。この感覚は、数日前に覚えがあった。
棍棒から慌てて手を引き後ろに跳ぶ。
「錬金術は駄目だ!!」
焦りを露わにしながら男達の一人が叫んだ。さっき果樹園で話をした狩人だ。彼は棍棒を足場にその巨人に斬りかかろうとしたが、別の巨人に阻まれる。
彼らは訓練された戦士でもある。しかしこの体格差で錬金術なしの戦いは明らかに劣勢だった。
別の巨人が斧を振りかぶるのが横目に見えた。
──遅い。大丈夫、十分見切れる。
それが、少しだけラズを冷静にした。
剣身に意識を集中する。ヴン……、という小さな振動音。父から教えてもらった技の名前は<是空>──剣身の周囲の空気を振動させ、切れ味を劇的に上げる錬金術の応用技。
「──やあ!」
襲い来る直線的な斧の軌道を避け、その斧の太い柄を<是空>を纏わせた剣で斬りつける。
包丁で野菜を切るようにスパッと柄が両断され、斧の刃は勢いのまま回転して地面に深く刺さった。
やはり、巨人の子どもをおんぶした時と同じで、自分や武器に対してなら錬金術も使えるようだ。
獲物の破損に動揺してすぐに動けないそいつの膝を思い切り蹴れば、よろめいてその後ろにいた巨人もたたらを踏む。
「すまない、助かったよ……ラズ」
巨人と戦っていたのは、ラズの叔父だった。彼のだらりと落とした右腕からは、おびただしい血が流れている。
その彼は、ラズの背後を見て目を見開き叫んだ。
「やめろ! やめてくれ! ────火が!!」
松明を持った巨人がいつの間にか家に近づき、火をつけていた。
「皆、火が回る!! 家から出て逃げるんだ!」
家に隠れていた人々が慌てて飛び出してくる。その中に母や、さっきまで一緒にいた子どもたちもいた。
ラズは唇を噛む。
──みんなが逃げる時間を稼がなければ。
長くて太い木の槍の突きを避けて懐に入り剣を振り上げ、その巨人の太い腕を斬りつける。そうしている間にも一緒に戦っている人々が、足や腕に重傷を負っていく。
巨人たちは一人も減っていない。道が狭くて囲まれないことだけが不幸中の幸いだった。
「叔父様も行って!」
「そうはいくか! 死んでも通さん!!」
火はみるみる燃え広がった。
地面に倒れたままの大切な人たちもろとも、小さな國のすべてを、次々と飲み込んでいく。
ラズはここまでの状況になっても、怪物相手にそうするように、敵の急所を狙うことができていなかった。
──人を殺したことなんてない。
──でも、殺す気で戦わないと、みんなが殺される……?
柄を握りしめキッと睨みつけると、棍棒を持った巨人が憎々しげに何か吠えた。
振り下ろされた棍棒が地面を叩く隙をつき、高く跳んで太い首に剣を突き刺した。
「……っ!!」
ゆっくりと、返り血が宙を舞う。
手に伝わる感覚がひどくおぞましく感じた。
剣がすぐに抜けない。別の巨人が憤怒の形相で殴りかかってきたので、抜くのを諦めて巨人の胸を蹴り地面に滑り降りる。
落ちていた槍を拾って、さらに追撃してくる巨人の胸に突き刺した。
抜けない槍ごと押し込んで、後ろにいた巨人たちを足止めする。
(……嫌だ)
──これを、繰り返さないといけない?
冷たい汗が背中を伝うのを堪える。
母や子どもたちは十分離れたろうか。
周囲を見ると、もう、ラズの他に立っている人はいなくなっていた。
ショックで愕然とする。
──一人だけで、この巨人たちと戦う?
死の恐怖がじわじわと湧き上がってくる。
短い時間だったはずだが、錬金術の連続使用で既にかなり息が上がっていた。
──まだ、死にたくない。
──逃げられる、だろうか。
背後の麓への道は炎に包まれている。巨人はおそらく通れないが、術を使えば火傷せず通れると思った。
意を決して炎に身を投じる。
巨人たちは追ってこなかった。