一歩(9)……決戦
そこは岩山を右手にした、だだ広い平地だった。
肌寒い昼下がり、剣を握る指先が冷える。
しかし、身体の芯は緊張と覚悟で燃えるように熱い。
ラズはファナ=ノアを背に庇う位置で、剣を構え直した。片手で扱える子供サイズの細身の剣。半身で後ろに引き、前に出した左足に均等に体重を乗せる。
眼前には、数百人の兵士。
円弧状に展開し、前も左右も、すでに武器を構えた兵士たちによって囲まれつつあった。
重い足音と、鎧の擦れ合う金属音絶えず恐怖を掻き立てる。
『まだ……なの?』
数十の銃口がこちらを向くのを見て、ウィリ──女司祭が怯えた声を出した。
一斉に向けられた敵意に、必死の様相で耐えている。
彼女は銃を見たことすらないという。主たるファナ=ノアが敗れた武器として、より恐ろしく感じていることだろう。
『大丈夫。ラズは、信じられる』
ファナ=ノアは優しい声で彼女を宥めた。
溢れ出る膨大な<波動>が空気を揺らめかせ、透き通る白の長髪がさわさわと波打っている。
その<波動>は、一帯を覆い尽くし、その範囲の空気をじわじわと減らしていた。しかしまだ……範囲内に、目前の人間たちが入りきっていない。
ラズは背中ごしにその気配を感じながら、ふと独りごちた。
(結局、ウィリとまともに話せてないな……)
彼女はラズのことを嫌っているから信用など無理だろうと思う。──ただ、今考えることではない。
考えを頭の片隅に追いやって、ラズもまた自分の術に集中した。
足元一帯の土の中に強度のある岩と金属の板を形成していく。──銃を防ぐ壁。
見えるところで錬成してしまえば、歩兵の前進を誘発してしまうだけだ。ファナ=ノアのために時間を稼ぎつつ、使うタイミングを見計らわないといけない。
距離からいってそろそろ撃ってくる。──引き金に指をかけるところを見逃さないようにしなければ。
先頭の銃兵が膝をついた。
「撃て── !」
分隊長と思しき何人かの声が狙撃の合図を出す。
──今だ!
ラズは左手を握り込んで振り上げた。
ドドドドドン! ドドドドド!
銃が火を吹いて、耳がおかしくなりそうなほどけたたましい銃声が鳴り響く。
「ひっ……!!」
ウィリの悲鳴が微かに聞こえた。
一帯が土煙に包まれる。
ラズは拳を振り上げたまま、微動だにしない。
ウィリのみならず、他の小人の顔も真っ青だったが、ファナ=ノアの表情は変わらなかった。
荒野に吹く冷たい風が視界を晴らす。
目前に、土が大きくせりあがって分厚い壁が現れていた。──全ての銃弾を受け止めて。
「……っ!」
一つ、乗り越えてラズは息を吐いた。冷や汗が首筋を流れ落ちる。
「なんだあれは……」「いつから?!」「まさか!!」
一気に、兵士たちに動揺が広がった。──しかし。
「うろたえるな! 串刺しにしてやれ!!」
朗々とした声が戦場に響き渡る。
「────!!」
その声が兵士たちの動揺を吹き飛ばした。
「槍兵、前進!!」
彼らが、躊躇して見せたのはわずかな間で、兜から垣間見える目に再び戦意の火が灯る。
そして、統率のとれた動きで、槍を構えて走り出した。──最前列がここに到達するまで十秒ほどだろうか。
身の丈ほどの壁がすでにあるので、攻めてくる方向は限られるとはいえ、戦ってなんとかなる数ではない。
「うおおおおおおおお!!!」
喊声。
さしものラズも剣を握る手にびくりと動揺が走った。──しかし、今度はラズがファナ=ノアを信じる番だ。
小人の戦士たちとともにそれぞれ武器を構えてファナ=ノアとウィリを背中に庇い、その時を信じて待つ。
兵士たちが半分の距離まで迫りくる。心臓の音がひどく大きく鳴り渡り、時間がひどくゆっくりに感じた。
「────<天の窓を閉ざす風>」
嘆くように、ファナ=ノアが呟いた。澄んだ声は──どこか底知れない寒さを孕んでいた。
ざわ……
一層力強く波打った<波動>が戦場を揺るがす。
「ぐっ……!?!?」
あと数歩の距離だった、兵士たちの勢いががくんと落ちた。
「何……だ、これは……!?」
「苦しい……!!」
呻き、苦しそうに胸をかきむしる。
立っていることすら叶わず、地に膝を突く者。
空を掴むようにもがき、その何かから逃れようとする者。
兵士たちはバタバタと倒れ、次々に地に伏していく。
数秒後には、目の前のみならず、やや後方にいた兵士を含め、中央の二十人ほどを残した全ての人間たちが戦闘不能の状態に陥っていた。
「………!!」
「こんな……ことが」
「夢を……みているのか?」
中央に残った馬上の兵士たちは、驚愕の表情で何度となく周囲を見渡していた。
その二十人ほどの中に、白い僧服の司祭、ニールが捕まっているのが見える。
色素の薄い茶の髪を首元で束ねている彼は、見た目の年頃はラズと変わらないが歳は四つほど上だったはずだ。同じ色の瞳は、今は苦悶に揺らめていた。
中央の何人かは馬を降り、倒れた兵の容態を確認している。
数百人の人間が苦しみ悶える様子は、さながら地獄絵図のようでもあった。──この状況を、ファナ=ノアがたった一人で引き起こしたというのは……しかもこれが本調子でないというのは信じがたい。
「はぁっ……」
そのファナ=ノアが、大きく息を吐いて疲労の表情で右膝をつく。慌てて戦士ノイが支えた。
『ファナ=ノア! 大丈夫か』
『ありがとう、平気だ』
その目は凛としたままだった。
ノイの腕を握り、身体を起こす。そして、前方……馬上の指揮官を見据える。
「手荒な真似をして申し訳ありません。正当防衛とご理解いただきたい。何度も言いますが、私は話し合いに来たのです」
小さい体とは思えない、よく響く高い声が平地に轟く。
呼応するように、一際意匠の凝った鎧を来た男が前に出た。──あれが司令官……軍務卿か。
「こちらには話すことなど無い! この者の命が惜しいならば、さっさと命を差し出せ!」
朗々とした声に従って、人質……ニールの首に刃が当てられる。
ラズは思わず叫んだ。
「ニールさん!」
『ニール、大丈夫だから、抵抗しろ!』
ファナ=ノアが鋭く叫ぶ。
同時にラズは壁を擦り抜け駆け出した。──地面を蹴って加速すれば数秒かからない。
ニールは恐怖の表情だったが、ファナ=ノアの声を聞いて、ぐっと堪えるように応えた。
『……分かりました……!』
そして、喉元に突きつけれた剣に震える手を添える。
その剣が、ほろほろと濡れた紙のように崩れた。
「な、んだと!?」
ニールの腕を掴んでいた兵士が驚愕した。
驚く兵の動きをつむじ風で乱し、ニールは拘束から逃れる。
「さすがっ!」
ラズはそんなニールと兵士たちの間に割り込み、背に庇った。
「な……そんな、まさか!!」
まさか人質の小人が術を使えると思っていなかった兵士たちは驚きと焦りの表情で、口をぱくぱくさせた。
軍務卿は、額に青筋を浮かべている。目の闘志を潰やすことなく、朗々と指示を出す。
「ファナ=ノアを殺せばこちらの勝ちだ! 騎兵!」
「……はっ!!」
十人以上残っている騎兵がこれに応じて動き出そうとする。
『行かせない!!』
司祭ニールが風の刃を複数馬の足に目掛けて放った。二騎抜けたが、そちらは、女司祭ウィリが起こした小さな竜巻に絡めとられる。
しかし落馬した兵たちはほとんどが受け身を取ってそのまま走り出した。
その前にラズも動いている。
(数が多い! 一人ずつ相手にしてられない。一気にできるか……!?)
ラズは駆け出しながら、できる限り広範囲で雷を発生させた。
……ッバチバチバチィィ!!!
凄まじい破裂音がした。同時に、近くの五人の動きが止まり、崩れ落ちる。
(っ、ほとんど当たらなかった──!!)
──しかしその結果を気にしている暇はない。
ラズはすぐに切り替えてさらに加速し、残りの兵たちの中に突っ込んだ。一人をスピードと力任せに腹を蹴り飛ばし、もう一人は下顎を柄で強打して倒す。
「ラズ! 斜め右後方!」
ファナ=ノアの声に振り向くと、拾った銃を構えた兵士がこちらを狙っているのが見えた。
ダァン!
振り向き様にその弾を斬り払い、別の兵士の槍を姿勢を下げて躱す。そのまま懐に入り込み槍を持つ肩を剣で突いた。
怯んだ兵士の後ろに回って頭を剣の腹で殴り、素早く引いて横から斬りかかってきた兵士の剣を受け止める。
両手で柄を握り込み、身体能力強化の術で大柄な兵士の重い攻撃を軽々と跳ね返すと、その兵士は長剣ごしに驚愕の表情を浮かべた。
「化け物か……っ」
「失礼な」
ラズはもっと恐ろしい人を知っている。脳裏にプラチナの瞳が一瞬浮かんで苦笑がこぼれた。
兵士の長剣を錬金術で分解し、首を剣の腹で叩き沈ませる。
その間に、銃を撃ってきた兵士が別の銃を拾い上げてこちらを狙っていることは──把握済みだ。
ダァン!
ラズは弾道を予測して避けながら接近する。
「く、来るなぁ!」
喚きながら剣を抜いた右腕を掴んで引っ張り、首筋に電撃を浴びせて失神させた。
「はあっ……」
息を整えながら周囲を見回すと、大きな術を使って疲労した司祭ニールに軍務卿が馬で近づくのが見えた。
「っ、離れろおっ!」
シャルグリートの真似をして、土中から何本か剣を作って撃ち飛ばす。
一本が馬の腹に刺さったが狙いが甘く他の剣は空を突いた。馬が嘶き、軍務卿は馬を飛び降りる。
ラズはさらに襲いかかってきた二人の足元に風の刃を打ち出して転かし、ニール司祭と司令官の間に滑り込む。
(──<是空>!)
キイィィン!
下から振り上げた剣に纏わせた振動が、軍務卿の剣を弾き……いや切断した。
派手に宙を舞った剣先が地面を穿った時には、ラズの剣の切っ先は軍務卿の首に肌一枚で静止していた。
遅れて、ザァッと土埃が舞う。
「警務卿が認めるだけあるな……凄まじい」
「……あなたが軍務卿?」
「そうだ」
四十代後半あたりだろうか。背が高く、武人然とした雰囲気がある。
ラズは周囲を一瞥した。
まだ数人ファナ=ノアに向かっているが、小人の戦士たちに任せて大丈夫だろう。
ほかに三人、逃げていく者がいる。先頭の一人は身なりがいいので、あれが鋼務卿かもしれない。逃してはまずい相手だが追う余裕はない。
(あっちに待機しているジルを信じよう……!)
乱れた息を整えながら、軍務卿に視線を戻す。
軍務卿は爛々とした目で喉元の剣とラズを見下ろす。
丸腰の相手をいつまでも牽制するのはためらわれ、ラズは背中の鞘に剣を収めた。
柄から手は離さない。
軍務卿の一挙一投足に気を配りながら、ラズはなおも話しかけた。
「何度も言うけど、話し合おうよ」
「…………」
彼は首元の刃が引かれても微動だにしない。
とさ、とファナ=ノアの近くで最後の兵士が倒れた音が聞こえた。
──いや。まだ少し離れたところに一人いる。
しかし、他の兵士と違った装備のその男は、戦意を失った様子で軍務卿とラズを交互に見ていた。足元に同じような軽装の革鎧の男女が数名倒れている。
「お前、何のために雇ってやったと思っている」
低い声で軍務卿が唸った。男は情けない顔をする。
「……もういい。私の負けだ。従いはしないが、話をしたいなら勝手に言うがいい」
彼は、苦々しい顔で両手を上げた。
勝機がない戦いをしないたちのようだ。
「あの人は?」
「錬金術師だ。全く役に立たんがな」
それでもファナ=ノアの術に耐えたのだからそれなりの使い手だと思うが、確かに強そうな感じはあまりしない。
その男は軍務卿の言葉を受けて、顔を赤くした。
「そ、そんなことはありません……!!」
うろたえながらラズに向き直り、叫びながら殴りかかってきた。
「うおおお! <真っ赤な拳>── !」
振り上げた拳、その手の甲に装備した鉄が赤熱している。
「……?」
隙だらけでまるで迫力を感じない。連続的な加熱と断熱は集中力を要するし、技術自体はすごいと思うのだが。
ラズはその場から動かず、素手でその拳に触れた。
ジュッ
彼の錬金術を打ち消して冷却する。そしてそのまま勢いを利用して投げ飛ばした。
それからはっとする。
「……あ、今の……もしかして技の名前!?」
錬金術師の男はそれだけで伸びてしまったため、返事はない。
(なんだかなぁ……)
「ラズは技に名前はつけないのか?」
戦士ノイに支えられたまま近づいてきたファナ=ノアが笑いながら言った。
「自分では……考えたことないけど。ファナはどうなの」
正直、あれはダサいと思ってしまった。<是空>のほかにもいくつか故郷で教えられていた技の名前はあるが、──自分で思いつく自信はあまりない。
「なくはないんだが……どうせ」
ファナ=ノアは遠い目をした。
「──教典に勝手に書かれるんだ」
「ぷっ」
その表情と言葉に、思わず吹き出してしまった。いつか小人の文字も読めるようになってからかってやろう。
「……」
ごほん、と軍務卿が額に青筋を浮かべて咳払いした。
枯れた岩山の谷間に、乾いた秋風が吹き抜ける。
ラズは表情を引き締め直した。
「さっき逃げた人……たぶん鋼務卿だ」
ファナ=ノアも頷いて彼らが逃げた方向を一瞥した。
「ジルなら、大丈夫だ」
† † †
鋼務卿を先頭に、だだ広い荒野をたった三騎、ひたすら敗走の道を辿る。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
十分離れたところで一度スピードを落とし、鋼務卿は気を落ち着けようとした。
「くそっ……」
──失敗した。ファナ=ノアの底は見えたが、黒髪の方が一人でほとんどの騎士を倒したのを見て、もう駄目だと思った。
思わず逃げてきたが、こんな荒野の真ん中で単騎では、逃げる場所も生き延びる物資もない。
兵士たちは気を失っているだけで、死んではいないようだった。隠れてほとぼりが覚めるのを待ち、退却に合流するしかない。
「──おい」
「なんだ!!!」
叫び返してはっとする。今のは部下の声ではない。
「鋼務卿──グラディアス=エンデイズだな」
前方に怪馬を駆る小人がいる。茶の髪と目をした中年のその小人は、目をギラギラさせてこちらを見ていた。
「……っ!」
(なぜ、小人が俺を知っている!?)
慌てて騎馬の手綱を引いたが、その怪馬は猛スピードで体当たりをかけてきた。
「うわあっ!!」
馬と怪馬は体格が違う。護衛の二人も対応できず、馬ごと弾かれ地を転がった鋼務卿の首を、細い腕が絡めとって締め付けた。冷たい金属が首に押しつけられる。
「ぐっ……! やめろ!」
「動くな。このまま殺してもいいんだぞ」
耳元で囁かれる、背筋が凍るほど冷徹な低い声。
「××××」
姿は見えないが、嗜めるような少女の声がした。小人の言葉か。鋼務卿の首を締めている男は舌打ちた。
「お前には言っておきたいことがある」
「……?」
「俺は、お前に会ったら必ず殺すと、妻と娘に誓った。お前の家で二人、死んでいただろう?」
小人の声が震えた。鋼務卿にも心当たりがあった。たった数週間前の出来事だ。
(妻と、娘……!?)
「生き長らえるより殺してくれと……お前が何をしたのか、知らないとは言わせんぞ……!!!」
地を這うような恐ろしい声に、鋼務卿はもう一度奥歯が鳴るのを自覚した。
「ガキどもに免じて、まだ生かしておいてやるが……忘れるな。お前は必ず殺す」




