一歩(5)……斥候
教会の中庭に、ファナ=ノアの姿があった。
杖に寄りかかって目を瞑り、考えごとをしているようだった。
「……ファナ?」
呼びかけると、薄く目を開けた。汗をたくさんかいていて、呼吸が浅い。
ラズは慌てて駆け寄った。レノは少し距離を空けて中庭の外縁に佇む。
「大丈夫!?」
「……ああ、タキの郷を『視て』いた」
ファナ=ノアは虚ろな表情のままそう言った。
その頬を一筋、涙が滑り落ちる。ファナ=ノアは慌てて袖で拭った。
「何度見ても、慣れることはないな」
「何が……あったの?」
「あの兵士が言っていた通りだった」
ファナ=ノアは郷の中で起こることを見るだけでなく、聞くことも自在らしい。──わざわざ伝えに来なくても、先程の会話はすでに把握していたということか。
その力は本調子なら、荒野全体を探れるが、今はノアの郷周辺にとどまるはずだ。それならタキの郷を視た、というのはかなり無理をしたのかもしれない。
「彼らは徒歩移動だから、おそらく、ここに来るまではまだ数日かかる。途中の郷を襲う前に止めたい……」
ファナ=ノアは額に手を置いて俯いた。
「ファナ?」
その暗い様子に、ラズは戸惑いながらも背に手を添える。
「……正直、どうしたらいいか分からないんだ。今の私は、せいぜい数十人浮かして無力化するだけで、力を使い果たしてしまうだろう」
「──それなら、偉い人と人質だけ狙ったらいいんじゃない?」
ラズの提案に、ファナ=ノアは既に考えたというように首を振った。
「そんな長時間は難しい。それに、今大きな術は近づかないと使えないから、その間に銃で狙われてしまう」
銃。その言葉を口にする時、ファナ=ノアの表情が険しさを増したように見えた。
──この数日、何のためにレノに猛特訓をしてもらったのか。
「銃なら僕が防ぐし、指揮官数人くらいなら、こっちに移動させた時点で僕に任せてくれたらいいよ」
「……え」
ラズの自信に満ちた口調に、ファナ=ノアは目を見開いた。
例えば警務卿ブレイズ=ディーズリーを一人で倒せと言われると難しい気がするが、ファナ=ノアが自由を奪っておいてくれるなら、抑え込む手段はいろいろあるのではないかと思われた。
──懸念すべきは相手方に強い術師がいることだろうか。しかしこの西の荒野部では錬金術師は相当珍しいので、可能性は低そうだ。
後ろにいたレノがおもむろに口を開いた。
「君が協力することで、今後彼らは君なしでは問題を乗り越えられなくなるかもしれません。……問題がなくなるか、自分の代わりが見つかるまで、共に立ち向かう覚悟はありますか?」
「それが、レノがいつも協力しない理由?」
「……それも一つの理由です」
彼は悪びれる様子もなく、淡々と肯定する。
──尊大な目線のものの考え方だが、中途半端な手助けはかえって迷惑だということは、分からなくもない。それよりもきっと、レノが言いたいのは。
(共に立ち向かう、覚悟……)
ラズは深呼吸して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕は……今、僕の望むことは、誰も憎しみ、傷つけ合うことがない世界……、だから、ファナの目的を叶えることが必要だと思う。どこまでも、協力するよ」
最後の言葉は、ファナ=ノアの目を見て言った。
「ラズ」
ファナ=ノアは赤い双眸で、真っ直ぐにラズを見つめ返す。
「それが君の望みなら、私もなんだって協力しよう。私は、誰もが助け合い、共存する世界をつくりたい。……だから今回は、手を貸してくれ」
「もちろん!」
ファナ=ノアが差し出した華奢な手を、ラズは強く握り返した。
小人たちとラズはその日の晩にノアの郷を出ることとなった。
ラズの主張により、同行することとなった捕虜の兵士グレンは、共にスイの背に乗っている。
随時人間側の情報を訊けるし、成功すればそのまま解放して故郷に帰ってもらえばいい、という理由だ。
ファナ=ノアは足が動かないままなので、白い僧服の女司祭ウィリの後ろで両足を揃えて横向きに腰掛けていた。
他に同行したのはファナ=ノアを助けるときと同じジルたち五人である。
つまり、兵士グレンを除きたったの八人。
リンドウは今回はノアの郷に残っている。直接戦いの助けにはなれないと謝られた。シャルグリートはお手並拝見したいとついて来たがったが、ファナ=ノアが断った。また、ノアの郷を手薄にすることはできないので、ソリティ司祭や他の戦える小人たちは郷に残っている。
夕方の出立までに決めたこととしては、夜のうちに兵糧を焼くこと、決着は日中につけることの二つだった。
兵糧を焼いても退却につながるとは言いきれないが、初冬のこの季節、士気はどうしても下がる。その上で小人の郷を守ることができれば、撤退せざるを得ないはずだ。その為に、引火性の高い酒を数瓶持ってきてある。
日中に動く理由は、イメージの問題だ。戦力差を埋めるならば夜に紛れたり不意を打ちたいところだが、この先友好関係を築きたい相手に騙し討ちをするのは印象が悪い。──難度は上がるが手段はきっとある。
「……お前、やっぱり『錬金術を使う黒髪の小人』だよな?」
背後で兵士グレンがぼそりと訊いた。ラズは振り返らずに返事をする。
「小人のふりをした覚えはないよ。ブレイズさんはすぐ見抜いてたし、僕もそう名乗ったけど」
「警務卿は交戦したことしか報告なさっておられなかった。多彩な錬金術を使って、ファナ=ノアに並ぶ脅威だと」
「あはは……あんな強い人から、そんな評価されるなんて光栄だな」
──それにしても、小人でなく谷の國の人間だというのを黙っているのは、単に子どもに逃げられたと言うのは恥だからだろうか。
「ブレイズさん……警務卿ってどんな人?」
「剣の腕は実質領内最強だ。組織としても大きな反乱をいくつも平定した実績があって、民衆からの信頼も厚い。平民を幹部に登用しているのもあの人だけだ」
そんな人を出し抜いてファナ=ノアを助けられたのは、相当運が良かったのかもしれない。小人はこれまでああいった動きをしたことがなかったらしいから、油断していたんだろう。
「ファナ=ノアを騙して撃ったのはブレイズさんなの?」
「いいや、軍務卿の隊だ。発案は鋼務卿」
「えっと……」
確か、レノは鋼務卿が小人についての最高責任者だと言っていた。
「警務卿は領内の治安維持、軍務卿は対外的な軍事行動を統べておられる。つまり、鋼務卿が小人に対する対応を決めて、軍事的なことを軍務卿に要請されるんだ」
「で、最終的に捕らえた囚人の監視は、警務卿の管轄、と」
「ああ。……なあ、警務卿があれほどの評価をする相手が人間なのなら、なぜ平原の国でなんの噂もたっていないんだ」
「それは、僕が谷の國から来たから……」
「最近、巨人に滅ぼされた、という國か」
「そうだよ」
兵士はそれきり考えるように黙り込んだ。
一方ラズはレノが言った『ブレイズに気に入られたんじゃないか』という言葉について考えていた。
──あの人は、好敵手を探しているような手合いだったから、そういう意味だと思う。ただ、彼の剣から感じた正義感とさっきの話からして、もしかすると彼も、小人の扱いについて疑問に思っているかもしれない。興味を持ってくれているついでに、話を聞いてくれたりしないだろうか。
(話をするなら、今晩のうち……。もし決裂しても、逃げられる手立てを用意しておけば、作戦には問題ないはず)
思案しているうちに、はたと思いついたことがあった。
「ファナ、思ったんだけど」
馬越しなので少し大きな声で話しかける。
「風を操って、息ができないようにするのは?」
ファナ=ノアは首を捻った。
「息を……? やったことはないが、そうだな、理屈は分かる」
「加減すれば、目眩を起こさせたり、意識を奪ったりできると思う」
「着いたらもう少し詳しく教えてくれ。空気を薄くするだけなら、今の私でも広範囲でできる」
「分かった」




