一歩(3)……斥候
郷に戻った時には、既に夕方になっていた。
捕まった兵士は、ノアの郷にある人間の住居に軟禁されているらしい。郷の空気は少しピリピリしていた。
「あ、スイ。お帰りなさい」
教会の前で遠乗りに出ていた七頭の怪馬とばったり会ってラズは声をかけた。
怪馬は少なくとも十頭で群れを作る。東の平原でラズが遭遇したのは小さなものだが、冬に荒野から平原に移動するときには、千頭近い群れになるらしい。
怪馬たちは日常から運動しないと調子が悪くなるそうで、郷にいる間は怪馬が認める誰かが遠乗りに連れていかないといけない。
今日は、ウィリという女性の司祭がそれをしてくれていた。彼女は白い僧服を動きやすいように腰でまとめて、短いズボンを履いている。同い年くらいに見えるが、実際はラズの兄と同じ十四才なんだとか。
『ありがとう』
教わったばかりの小人の言葉で礼を言うと、彼女はツンとした顔でラズに何か言った。そのまま返事を待たずぷいと踵を返し、馬屋に怪馬たちを誘導する作業を続ける。
(なんか、嫌われてるよね)
『───お前が、ファナ=ノアと気安いからだ』
心の中で誰にともなく呟くと、ウィリの誘導に従いながら、ラズの相棒である怪馬、スイが念信で言葉を送ってきた。
怪馬の念話も、錬金術と基本の仕組みは同じで、<波動>を使って対象の心を読み取っている。
その<波動>をわざと跳ね除けることをしない限り、スイには考えていることが筒抜けなのだ。
ラズは胸中で苦笑いする。
(はは……。なるほど、ありがと)
スイはそれ以上何も言わなかった。
──子ども同士でも、誰と誰が仲が良い悪いで、空気が悪くなることは割と経験がある。こういう時は、気にしないに限るか。
ウィリたちが厩に消えた後、ラズは教会に足を向けた。もうすぐ夕食の刻限だ。
ラズ、リンドウ、レノは現在、ノアの郷の教会の一室を借り、教会の食堂で食事をとっている。ちなみにシャルグリートはジルたちの一族の家に居候をしているそうだ。
炊事場では、すでに食事の準備が始まっていた。ここでは、働かざる者食うべからず……食べる分、手伝わないといけない。
食事にはファナ=ノアも同席する。
食堂にはほかに若い白い僧服の小人が男女それぞれ一人ずつ、それから元奴隷だったという小人が六人。元奴隷の小人のうち三人は、人間の街から逃げるときに見たことのある顔だ。
ジルたちに助けられた小人は、各郷にある教会に散らばって自立まで支援を受けているそうだ。
食事は祈りから始まり、概ね穏やかである。ファナ=ノアは微笑を絶やさない。会話は小人の言葉が主で、数時間教えてもらっただけのラズには、内容はまだ分からない。
(でも、不穏な感じではない、のかな……)
人間の兵士が捕まった、という話題ではなさそうだった。
リンドウは、隣のソリティという白い僧服の小人と何か話をしている。彼は教会の頭脳役で、ファナ=ノアがいないときは彼がその役を代行するのだとか。下がり眉に糸目なのでいつも笑っているように見える。
実は医師の家の育ちで、薬品に対する情熱においてリンドウと通じ合うものがあり、言葉が分からなくても気が合うらしい。
食事の終わり頃、ファナ=ノアがふと首を傾げて人間の言葉で世間話を始めた。
「レノさんは、食事が足りないのではないのですか?」
食事の量は基本的に小人と同じで、育ち盛りのラズにとってもかなり少ない。──文句は言わないようにしているが。
問われたレノはやんわりと笑った。
「いいえ、年をとるとあまり食べなくなるもので。気にしないでください」
「そう……なんですか?」
「うーん? お爺様はあまり食べてなかったけど……」
ファナ=ノアが怪訝な顔をするので、ラズも首を捻った。
彼は旅の途中でも、少ないことで文句を言うことはなかったし、多いときには食べるのを面倒そうにしていて、たくさん食べているのを見たことがない。
彼は父と年が近いと思っていたが、父はもっと食べていた。見た目より歳をとっているのだろうか。『昔は』とよく口にするので、そういう面では年寄り臭い気もする。
「レノって何歳なの?」
「うーん……三十を超えてから数えていないんで……」
「ええー、本気で言ってる?」
「いやでも、私もそれは分かる……。二十を超えてから数えるのが面倒になってて」
リンドウが苦笑いしながら話に加わった。
「ラズはもうすぐ十一になるんだよね」
「うん、冬生まれ。ファナは?」
「実は、生まれた季節がいつか聞いたことがないんだ。なんとなく冬の数を数えているな」
「冬を数えることにした理由って?」
「荒野の冬は大地が凍る。私たちにとっては死の世界だ。だから、冬を生き延びるのを一区切りとすることが多いんだ。エンリが来てからは冬の備えについて色々と知恵を貸してくれて、今年は幾分か不安が減ったが」
「そうなんだ……」
ラズの故郷、大山脈の冬もまた厳しく、頻繁に起きる雪崩に命を狙われる。しかし、子供たちにとっては雪は待ちに待った遊び相手で、冬は楽しい季節だった。──それだけに、ファナ=ノアの言葉は重く感じた。
「荒野を出たいと思う?」
「……そうだな。しかし私たちはここから出ると力を失う」
「それなんだけど、輝石を身に付けるようにしたら荒野の外でも術を使えるようにならないのかな」
「輝石?」
ファナ=ノアは不思議そうな顔をした。
「これ」
リンドウが自分のものを見せる。ラズが借りている予備の方はシンプルに紐に通してあるだけだが、彼女のものは彫刻が入れてあって美しいペンダント状だ。
「大地の気配がする石……」
心当たりがあるらしく、ファナ=ノアは顎に手を当てた。
「ソリティ、×××××?」
補佐役ソリティと何かやりとりした後、ラズに向き直る。
「西の岩山に、同じような石がある。今度試してみよう」
「ほんと? 僕も、もともと持ってた輝石を無くしちゃって、自分に合うのを探してるんだ。探しに行くとき教えてもらえると嬉しいな」
「……ああ、分かった。ということは、相性があって、自分のものは自分で探さないといけないんだな」
「あ、うん。そうだよ」
食事の後片付けを始めながら、もう一人の白い僧服の女司祭、ウィリが口を尖らせてファナ=ノアに話しかけたので、その会話はそこで途切れた。
翌朝、ラズは郷にすむ人間の女性、エンリのところに行ってみることにした。彼女には昨日小人の言葉を教えてもらい、今日も約束をしていたというのもあるし、彼女の元にいるという、捕まった人間の男にも興味があった。
リンドウも誘ったのだが、苦笑いして断られてしまった。昨夕既に会っていて、何かあったらしい。
レノは昨日は、旅の途中と同様に一人で周辺をぶらぶらしていたらしい。地域ごとの地質や植生を見るのが面白いそうだ。一緒に行かないかと誘うと、あまり興味は無さそうだったが、暇なので、とついてきてくれた。
「おはようございまーす!」
赤岩に開いた横穴を広げて作られた彼女の家には、今は留守だがあと二人……人間の夫婦も住んでいるらしい。
昨日の兵士が軟禁されている部屋の前には、見張り当番らしくジルがしかめっつらで立っていた。
部屋といっても、入り口がすぼんでいるだけで扉などはない。居間にいると、部屋の中も少し見えるし、逆も同様だ。
「……ひっ」
その兵士は、ラズの姿を見て、怯えた声を出した。
「……? えーと、初めましてじゃないけど、僕はラズです。よろしくね」
笑顔で挨拶してみたが、警戒は解いて貰えないようだ。
「グレンさん、あの子も人間ですよ」
エンリがそう言うと、兵士は戸惑った顔をした。
「……錬金術を使う黒髪の小人というのは、あいつのことか?」
「え……?? いいえ、あの子は人間ですよ?」
「……」
話が噛み合っていない。
あまりそれを自分のことだと主張するのは憚られたので、とりあえず余計なことは言わないことにする。
「エンリさん、勉強、今日はやっぱりやめとくよ。でも、しばらくここにいてもいい?」
「もちろん、構いませんよ……そうだ、今日は彼を郷に案内するの。一緒にくる?」
「うん」
彼女は目元の綻ばせてにっこりと笑った。
会ってまだ二日だが、彼女がとても優しい人だとラズは感じていた。──捕虜の兵士とも既に少し打ち解けているように見える。
「……任せていいか」
外に出るとき、ジルがぼそっと囁いた。
「あ、うん大丈夫」
「離れる前にダブリス=シヴィの家に寄れ」
ジルはそれだけ言ってどこかへ行ってしまった。
シヴィというのは、ジルたちが元々いた郷の名前だそうだ。人間に滅ぼされて郷がなくなった今はノアの郷に十人ほどで居場所をもらっているらしい。
一族の長は郷の名前を姓として名乗り、長に対しては敬意を込めてフルネームで呼ぶのが小人の慣習なのだそうだ。
ジルが居なくなって兵士は不思議そうな顔をしながらも、ほっとしているようだった。──ジルは基本的に人間嫌いだし、目つきが悪いので一緒にいて和めという方が無理があるとは思うが。
「エンリー!!」
「エンリー! あそぼー!」
外に出ると、五歳とか三歳くらいに見える小人の子供たちがわらわらと寄ってきた。




