一歩(2)……斥候
そこには、ファナ=ノアと、地面にへたり込んだ一人の人間の男がいた。
とりあえず、大変なことになっている訳ではないようだ。ラズは少しほっとした。
少し離れたところで、男が乗ってきたと思われる馬が様子を窺っている。
ファナ=ノアは、男を正面から見つめ、問うた。
「手荒な真似をしてすみませんでした。あなたは何故ここに?」
「……」
男は答えない。恐れと、微かな敵意を感じる眼差しは、ラズたちのようにファナ=ノアに会いにきた人間、という訳では無さそうだった。
「話す気ナイなら、殺せばいいのデハ?」
男の顔がサッと青くなった。
「……シャルグリート殿。ご意見は嬉しいのですが、これは私たちの問題です」
静かな圧に、シャルグリートは口を閉じる。
ファナ=ノアは男に向き直った。そして穏やかに声を掛ける。
「お立ちください」
男が恐る恐る立ち上がった。宙に浮かぶファナ=ノアと目線が合う。
ファナ=ノアはノアの郷に戻ってからは、金の刺繍が施された白いローブを身に纏っていた。風の中で宙に浮くと、その下に重ねている薄いレースと一緒にはためいて、作りもののように美しい。
髪と同じ白の長いまつ毛が瞳の赤さを和らげ、優しい雰囲気を醸し出している。顔立ちもあどけないが整っていて、もし初見で寓話に出てくる天使だと言われたら誰もが納得してしまうだろう。
「私はファナ=ノアと申します。あなたのお名前は?」
「…………」
男は表情を強張らせている。返答がないのを気にすることなく、ファナ=ノアは小首を傾げてまた問うた。
「私たちを探すのが、あなたのお仕事ですね」
柔らかな口調に、男の目尻が微妙に動く。そして初めて、吐き捨てるように、低い声を発した。
「…………ああ、そうだ」
ファナ=ノアはゆっくりと一度瞬きしてから、色白い唇を緩慢に動かす。
「……ありがとうございます」
敵対する相手にかけるものとは思えない、深い敬意のこもった声色だった。
男は小さなファナ=ノアをまじまじと見つめる。
「……しかしそれならば、争いが終わるまで、あなたをお返しする訳にはいきません。ですが必ず、ご家族のもとにお帰ししましょう。それまで、あなたには辛いこととは思いますが、私たちのところで過ごしていただきます」
「……っ……」
ファナ=ノアは静かな口調に、男は立ったまま俯いた。
彼は武器を持っていない。ファナ=ノアの言う通り小人たちを探りに来たなら、そうでなくとも猛獣や怪物だっている荒野を移動するのだから、武器を持ってきていないはずがない。
ということはおそらく、男の武器はファナ=ノアが術で消し去ってしまったのだろう。もしここで解放されても自軍に戻るのは難しく、男にはそもそも選択肢がないと言える。
シャルグリートが呆れたようにため息をついた。
「脅して、企みを聞き出せばいいノニ」
「そんなことしなくても、リン姉なら自白剤とか作ってくれるよ。ファナはそうしないだろうけど」
遅れて郷から何人かの小人たちが走ってきた。
ファナ=ノアが彼らに事情を説明し、男は小人たちに囲まれて郷に連れて行かれた。
一行の背中を見送ってから、ファナ=ノアはラズの方を振り返った。
「こんなところまで、人間は探索の手を伸ばしているのだな」
「蹄の後を追ったんじゃないかと思うけど……」
「だとすれば、タキの郷が心配だな」
ファナ=ノアを連れて最初に滞在したのがタキの郷だ。普段なら荒野で起こることは全て把握できるファナ=ノアも、病み上がりの今は、ノアの郷を囲む岩場までしか見通せないらしい。
「……私は戻るが、二人も風で郷まで送ろうか?」
「うーん……僕は大丈夫。ファナが元気なときにお願いするよ。空は飛んでみたい」
ファナ=ノアはくすりと笑って頷いた。
『それなら送る』と言わないのは、本当に調子がそこまでよくないのだろう。
「シャルグリート殿は?」
「イエイエ!」
シャルグリートは笑顔で首を振った。
「では、お先に」
優雅に一礼して、ファナ=ノアは背を向け飛び去った。
大岩の向こうにその姿が消えるのを見守った後、岩の谷間、帰り道を見遣る。
(入り組んでるから、来るとき一回通っただけの記憶じゃ戻れるか自信ないな)
ある程度頭の中に地図は描いているものの、完璧かと言われると心許ない。
また岩の上を行く方が無難だろうか、などと考えていると、シャルグリートが話しかけてきた。
「ラズ、偉くないと言っていたノニ、ファナ=ノアとなぜ対等に話す?」
「小さい頃からの友達だから」
「人間が……? バカか」
「ひどいなー。シャルグリートさんだってレノと親しげに話してるじゃん」
「……それは、レノが偉いと言いたいデスか?」
むっとして言い返した言葉は、シャルグリートの地雷を踏んでしまったらしい。
レノの方が年上だしなんとなく強そう、程度で過ぎた発言をしてしまった。
「アナタは、レノと一緒にここに来たが、レノが戦うところを見たことがあるデスか?」
「本気は見たことないけど……」
「ケド?」
「修行に付き合ってくれるから、強いのは知ってる」
「『修行』って何デスか?」
「戦う……練習?」
「ほー」
シャルグリートはぞんざいな手つきで、腰のポーチから素早く何かの石を取り出した。──透明な……まるで水晶のような。
それを両手に握り込んで、拳法の構えのように、片足をすっと後ろに下げる。
その眼差しがギラリと光った。
(ちょっと、怒ってる……?)
レノはシャルグリートにとってそれほど特別な存在なんだろうか。
さっきファナ=ノアに向けていたにこやかな態度が嘘のように、獰猛な雰囲気をまとっている。──こっちの方が、素なんだろうか、もしかして。
「……ラズ、戦え」
「……!」
「アナタ、チビだが、レノの弟子なら戦ってみたい」
それからシャルグリートはニヤッと、迫力のある笑みを浮かべ、挑発するように拳を前に突き出した。
その拳に、透明な石が絡み付いてナックルの形状をとる。
「ああ、剣。作ってやるデス」
「……いらないよ」
荒野の赤い岩は金属含有量が多い。とはいえもちろん鉄鉱石ほどではないので純粋な金属状にしようと思えばかなり広範囲から元素を集めないといけないが。
掲げた手に、黒いモヤが現れ、やがて赤銅の剣の形をとる。
(……まあまあかな)
錬金術で作り上げた即席の剣を構えると、シャルグリートはひゅう、と口を鳴らした。
数日前に己の無力さを実感したところなのだ。戦ってみたいという気持ちもある。
数秒の対峙。
「いくゾ」
短い宣言とともに、シャルグリートが踏み込んできた。
(っ、やっぱり速い!)
シャルグリートの身体能力は、ラズが錬金術で運動能力を上げても比べものにならないほど高い。踏み込みでスピードを上げたとしても、彼の動きの方がそれより少し速い気がする。さらに小柄な分ラズの方が不利だ。
素早い連打をぎりぎりで見切って剣の腹で受け流しつつ、風を操って体勢を崩し、風の刃を纏わせた斬撃を繰り出す。
振動を惑わせて切れ味を良くする<是空>の技より、中距離攻撃の応用もきいて使い勝手が良さそうだったので、ノイにせがんで教えてもらったのだ。……<剣を操る>という名の技らしい。
ヒュウゥッ──ゴォッ!!
シャルグリートが下がったところを風の刃が追いかけるが、透明な盾が現れて防がれてしまった。
逆風に乗って距離をとったラズは悔しさに顔を歪める。
(接近戦は避けたいけど……)
現段階で防ぐのがやっとだし、速くて重い攻撃は当たるだけでダメージが大きそうだ。しかも、数撃受け流しただけで急拵えの剣はひしゃげてしまっていた。さっきは反撃できたとはいえ、同じ手が何度も通用する相手には思えない。
ラズはすうっと息を吸って、呼吸を整えた。
シャルグリートが嬉々とした表情で吠える。
「へっ、逃げ腰ッ、案外ヨワいのカ?」
「……どうかな!」
すかさず踏み込んでくるシャルグリートをそのまま横に跳んで躱す。──同時に、展開した<波動>で一気に現象を具現化……一体に雷を発生させる!
……バチ、バチバチィッ!!
「わぶっ! ×××!?」
紫の光の筋が体をかすめた瞬間、シャルグリートが何か叫んだ。
ラズは内心拳を握る。──この青年、動きは素早いが単純で読みやすい。
動きが鈍った隙を狙って一歩前に出る。その瞬間、透明な刃が複数空中に急に現れた。
「……!!」
研ぎ澄まされた刃が音もなく宙を滑り、ラズに向かって落ちてくる。
(<分解>……だめだ、びくともしない?! 水晶だってことは分かるのにッ!)
レノが以前言っていたことを思い出す。
(竜人は扱える元素が限られてる代わりに、他からの<波動>の影響を受け付けないって、そういうことか…!!)
至近距離で数が多いので避けきれない。
いくつかは剣で弾き、致命傷は避けたがあちこち傷ができてしまった。──でも、これくらいなら。
とっておきの技だったのだろう、勝ち誇った顔でラズを凝視していたシャルグリートが驚いた声をあげた。
「……××××!?」
『治せるのか!?』と言ったのだろうか。みるみる傷口が塞がっていく光景は少し気味が悪く見えたかもしれない。
「っくそ!」
ラズの全快を待たず、シャルグリートは再び構えて距離を詰める。
その右からのジャブを屈んで避け、腹を狙う左の拳を剣の腹で弾く──
ガィンッ……! ガッ! ガッッ!
電撃によって速度が落ちたシャルグリートは、ラズの剣の間合いの内側に潜り込めなくなってきていた。
衰えた攻勢の隙を縫って、ラズは左下段から剣を振り抜く。
ギィィン!!
シャルグリートはその剣筋を腕に纏わせた水晶で受け止めた。次の瞬間、ラズは息を呑む。
「───っ!」
足元から水晶が剣山の如く突き上がってくる!
「危なっ……」
「×××!」
慌てて高く跳んで躱すと、次は頭上、複数方向から水晶が襲いかかってきた。
(これ、直撃したら死ぬやつ……)
ゾッとした。──こんな、ところで。
ラズはきっと水晶の槍を睨みつけ、気合を入れるように叫んだ。
「──<是空>ッ!!」
キン! キン! キンッ!!
振動を纏った剣身が、いとも簡単に水晶を両断する。
何本か切り落としてなんとか退路を作り、ラズは着地した。
「っ痛ぅ……」
「まだまだァ!!」
シャルグリートが追撃してくる──しかし、さっきのは大技だったらしく、消耗の色が濃い。
ラズは剣を構えて半歩足を滑らせて体勢を整える。切り傷から血が吹き出すのに構わず、迎え撃つ。
「いや……終わらせる!!」
ドッ!
すれ違い様に返した攻撃がきっちり決まって、シャルグリートががくっと膝をついた。
手を地面について身体を支えて、痛みに顔を歪めている。
切れ味は鈍くしてあるので、血は流れていないが、しばらく動けないはず。
「クソッ、まだダ……!!」
「……もう、やめようよ……」
勝負はついたと言ってもいいと思えた。ラズはまだピンピンしているが、シャルグリートはフラフラだ。
(四ヶ月前にこのくらい戦えてたら、何か変わったかな……)
浮かんだ考えを振り払う。──その思考に捉われたくない。この先後悔しないように、できるだけのことをするだけだと自分に言い聞かせる。
(それにしても、さっき、僕のこと、殺す気だった……?)
しかし、彼の目からは、ラズに対する敵意はそれほど感じられない。──そうだ、あの瞬間も、ただ戦いを楽しむ表情をしていた。つまり、全力で戦うことが愉悦、結果相手の生命がどうなるかは考えないということか。……竜人の倫理観は理解に苦しむ。
ラズは息を吐いて、この戦いのきっかけを思い返した。
「シャルグリートさん。戦う前、余計なこと言ったと思う。ごめんなさい」
剣を土に戻してそう言うと、シャルグリートは複雑な顔をした。
「…………シャルでいい」
沈黙の後、シャルグリートは諦めたように呟いて、水晶のナックルを石の形に変えて懐にしまった。
「俺は、レノの戦うところ、見たことナカッタ。強いクセに、戦おうとしない。ラズを倒せば、もしかしてと思ったデスが……」
悔しそうに呟く。そして皮肉げな笑みを浮かべた。
「ラズは、チビなのに強い。兄貴とも互角で戦えそうダ……」
「一言多いよ! あと、それは流石に無理だと思う」
荒野から出るとまた合わない輝石で錬金術を使うことになる。
(……輝石、探さないとなぁ)
その状態ではおそらく、シャルグリートにも勝つことはできないだろう。
「……ところで、やっぱ動けないデス。郷まで持ってけ、デス」
そのあっけらかんとした物言いに、ラズはぽかんとした。──血みどろの戦いの後だというのに随分さっぱりしている。実力主義……とはよく言ったものだ。
内心呆れつつ、ラズは座り込んだシャルグリートに手を差し伸べた。
「……連れてけ、ね」
設定溢れ話。
シャルの技の名前は下のような感じです。
英語のない世界なので、そういう雰囲気だということで。
・水晶のナックル
→『ハリケーンクォーツ』
・水晶の刃
→『シンギングクリスタル』
・水晶の盾
→『スケルタス』




