憎しみと亡国(2)
そこに倒れていたのは、体型的には確かに五歳ぐらいの子どもに見えた…………が、背丈は大人と同じくらいの大きさだった。
全身擦り傷だらけで、腕と足が変な方向に曲がっていたが────信じられないことに、意識があるらしかった。
ラズを見ると、その子は目を白黒させて、
「きゃあああああ!!!!」
と物凄い悲鳴をあげた。
動かない手足を必死にバタつかせ、少しでもラズから離れようとする。
「ちょっとちょっと!! 落ち着いて!! 大丈夫だよ~っ」
悲鳴をあげたいのはラズの方だ。山脈には色んな生き物がいるとはいえ、大きな人なんて初めてだし、大きさの感覚に違和感しかなく、恐ろしい。しかし、外見も仕草も幼い子どもそのものだったので、可哀想だという気持ちがわずかに勝った。
甥っ子たちのお守りを手伝った記憶をひっぱりだし、精一杯の笑顔を顔に貼り付け、敵意のないことを示す。
しかしその努力も虚しく、その子は一層怯えて拒絶をあらわにした。
「ほら、だいじょう──」
「やああぁぁああっっっ!!」
「ああっ! ちょっと、ストップ落ち着いて!」
振り回される歪んだ足が見るからに痛ましい。大きな子どもの両目に、たちまち大粒の涙が溢れた。泣き声混じりの悲鳴は益々激しくなる。
「……っ!」
鼓膜にびりびりと響くけたたましい声に耳を塞ぎ、ラズはどうしようと思案した。
──そうだ、こんなときの錬金術。
立ち所に治せたりはしないが、たとえば痛覚を遮断したり、細部までは無理でも骨をそこそこ修復することならできる。人体に作用させるのはコントロールが難しく、かえって破壊することになるので危険なのだが、やってみる価値はあるはず。
子どもが痛みに動きを止めた合間に折れた足に触れる。錬金術を作用させるには、手を触れて力を伝えないといけない。
その瞬間、ラズは不思議な違和感を感じた。
「あれ……? 錬金術が……打ち消される?」
錬金術は、いわば気というか、独特の波動を発してもののあり方を変化させる技術だ。だというのに、その波動がこの子どもの身体には届かない。
試しに別のものに向けて錬金術を使ってみたが問題ない。どうやら、この子の体にだけなぜか術が使えないようだ。
「むぅ……」
頼りの力が通用しなくて、ラズは口を尖らせて呻いた。
しかし、効かないものは仕方がない。
──こういう時は、さっさと頭を切り替えるべし。なんて教えてくれたのは父だったか。
「ごめんね! ちょっと待ってね!!」
錬金術がだめなら、折れた骨を固定できるような枝があった方がいい。それに、痛み止めになる薬草がその辺に自生していると叔母から聞いたことがある。
たったっと軽やかに山道を走りながら、ラズは考える。
──もしかしてあの子は、御伽噺に出てくる巨人、という種族ではないだろうか。
『裏の山脈には巨人が住んでいる』
それは言うことを聞かない子供への脅し文句で、実際は今まで誰も姿を見たことがなかった。
大きさは人間の十倍だとか、角があるだとか、人間を頭からバリバリ食べるとか、耳にするのはリアリティがない話ばかり。
(大きさは、僕たちの二倍くらい? けど角なんてないし……)
枝と薬草を持って戻るとまた悲鳴の洗礼を受けたが、ラズは笑顔でとりなして、懸命に怪我の手当てをした。
その子は、だんだんと落ち着いきたらしく、ベソをかきながらも不思議そうな顔をしていた。
ラズはにかっと笑ってみせる。
「固定はしたけど、動かさないようにね。腕も見せて」
そして、折れた腕を指さしてから、ゆっくり触れる。抵抗はなかった。
──落ち着いてくれてよかった。
擦り傷には持参した薬を塗る。叔母特製の傷薬だ。ちょっとしみるがよく効く。
「×……×××××」
巨人の子が、短く声を発した。
意味はわからないが、お礼を言われているような気がして、
「どういたしまして」
と笑って答えると、巨人の子も少しだけ笑った。
(……巨人って、人間と変わらないんだな)
コミュニケーションが取れることが分かれば、どうということはない。これなら、山脈の中腹に生息する黒い類人猿の方がよほど怖いと思う。見つかって囲まれる前に気配を隠して逃げるしかない。
それにしても、落ちてきたということは、巨人はこの崖の上に住んでいるんだろうか。
多分、まだ幼い子のようだから、日が暮れるまでに戻らないと親が心配するだろう。
「えーと……。崖の上に、連れて行ったほうがいい?」
言葉が伝わらないようなので、崖の上と子どもを交互に指差して訊いてみる。──うーん、苦しいジェスチャーだ。背負う、登る、いろいろと身振り手振りを付け足す。
ようやく、その子は戸惑った表情で、確かにこくんと頷いた。
「オッケー、分かった。じゃあ、ここを登るには……」
この辺りまで来たのは初めてだが、さっき遠目に見渡したから地形は頭に入っている。
高さがかなりあるが、少し歩けば傾斜と落差がましな場所が見つかるはずだ。
巨人の子をおんぶして、崖沿いに歩くことにした。
体格差がかなりあるからずっしりと重い。でも、錬金術を自分の身体に使えばなんとかなる。だいぶと無茶な術の使い方であるが、年相応に非力なラズではそうするしかない。
仕組みとしては、脳が無意識にセーブしている運動能力に対して信号を送り、無理矢理引き出す、という荒技である。関節や筋肉に負担がかかるが、それは修復を同時に行う要領でカバーしている。
ただそれをしたところで、運動能力が大人より少し高くなるくらいで、崖登りまでは難しい。
少し条件のいい場所で、ラズは立ち止まった。すでに汗ぐっしょりになっている。
「……ふぅ、」
一度深呼吸してから、「せーの」で地面を蹴る。
たんっ!
ただ蹴っただけではない。術の作用を利用して、足元に強く下向きの力をかけている。それだけで、大きな荷があっても身長くらいの高さが得られた。
──崖を足掛かりに、もう一度!
それを数回繰り返して、なんとか頂上に到達する。
────さすがに疲労が半端ない。
「ぶわっ、きっつーーっ……」
登りきった場所で巨人の子どもを下ろすと、ラズはたまらず大の字で仰向けに倒れてしまった。
すーはーと、山嶺の薄い空気を何度も吸って吐いていると、高い空を鷹がすーいと横切った。その視界を、大きな子どもの顔がずいっと塞ぐ。
「××××、×××××?!」
興奮気味に巨人の子が何か問いかけてくる。
先ほどの人間ではあり得ない跳躍は、巨人にとっても驚くほどのことだったらしい。
ちょっとだけ、得意げな気分だ。
「へっへー、見てて……」
ラズは手近な虫を捕まえて、手を被せた。
そしてその手をどけると、虫がびっくりするほどビヨーンと跳んだ! 巨人の子は飛び上がって驚く。
「あはは!」
その様子を見てラズが笑うと、巨人の子どももつられたように笑いだした。
すぐに思い出したように痛みに顔をしかめたものの、初めて見せた笑顔に、ほっとした。
「×××××××??」
巨人の子どもが、ふと、ラズの胸元に揺れる銀細工に目を留めて、不思議そうに指差した。
翼を畳んだ鳥を模した、小さな細工。
「これ? ……輝石っていうんだよ。き、せ、き」
目の部分に埋め込まれた宝石がキラキラと斜陽を反射するのを、巨人の子はどこか物欲しそうに見つめる。
「これはだーめ」
輝石は、錬金術を行使するための媒介であり、術師にとって様々な意味でなくてはならないものである。
左手で首飾りを握り込み、にっと笑うと、その子はむう、と残念そうに唸った。
少し休憩してから、またおんぶして、時々痛そうな声が漏れるのを気遣いながら、巨人の子が指さす方向へ向かう。
空気は冷たく、足場も悪い。背の低い植物が多く、時々花を見つけては巨人の子が楽しそうに何か言った。
ラズはその子のことをもう、友達のように思っていた。
少し先に、集落のようなものが見えたとき、巨人の子が降りたがったので、そこで別れた。
離れてから振り返ると、女の子の側に母親らしき大きな女の人が立って、こちらをじっと見つめていた。遠目に見えたその表情がなんだか怖くて、ラズは足早に山道を降りた。
帰り道、立ち寄った崖下の岩陰で休むことにした。
辺りは既に暗い。疲労に抗いきれず目蓋が重くなる。
──また会えるといい。
國の皆にも会わせたら、きっとびっくりするだろう。
しかし、あの子がラズを見た時の怯えようと、最後の母親の目線。彼らにとって、人間とはどういう存在なんだろうか。
ほのかな高揚感と一抹の不安を覚えながら、ラズは眠りに落ちていった。
結局崖の下で一晩明かしてしまったラズは、次の朝に下山し、昼頃、國に帰り着いた。
開けた丘に立つと、人郷を囲む、背の高い木の柵がよく見える。ちなみに入り口は谷の麓と目の前の山脈側の二箇所だけだ。山には危険な獣も多い。
郷に近づけば、見張りが「帰ってきたよー!!」と声を張り上げているのが聞こえた。
「ラズっっ!!!」
門に着くと、母が怒った顔で立っていた。
山で数日過ごすことは初めてではないが、いつもより長かったため、心配させてしまったようだ。
母はラズの両肩を掴んで強く揺さぶる。
「三日で帰る約束でしょう!!」
そのあと、ブワッと目を潤ませラズを強く抱きしめた。
ちょっと苦しいが、ラズはされるがまま我慢した。
優しい匂いに包まれて、約束を守れなかったことを反省する。
「あんたはただでさえ、不思議な夢がどうとか、突飛なことを言う子だから……。うっかり山脈の向こう側に行っちゃったんじゃないかって心配したんだからね」
「──ごめんなさい、母様。でもほら」
いつもの小言に苦笑いした後、腰の袋から、崖に巣を作っていた鳥の卵をいくつか採って帰ってきたのを見せた。
あの巨人の子が倒れていたところには籠が落ちていて、この卵がたくさん入っていた。残念ながら全て割れていたのだが、見上げると鳥の巣がたくさんあった。きっとあの子はこれを集めていて崖から落ちたのだろう。
「あら、珍しい柄……」
「母様なら、美味しく料理できるでしょ?」
ぱちっとウインクしてみせる。
母は料理が大好きなのだ。
初めて見る食材に、彼女は目を輝かせた。これで少なくとも夕食までは、お小言を回避できそうだ。
「ええ、ええ! とにかく、水浴びしてらっしゃい」
「あ、うん、それより、父様は? すぐに伝えたいことがあるんだけど」
「え? あの人は、今日から街よ。知ってるでしょ?」
──しまった、そうだった。
國長である父と、四つ離れた兄は今朝から、隣接する森の国の北端の、領主の住む城下街に外交に出かける予定だった。
巨人を見つけたことをすぐに伝えたかったが、明後日の夕方まで父と兄は帰らない。
伝えるのは、少し先になりそうだった。