奴隷(4)
「いたぞ!!! こっちだ!」
急に、狭い路地に大きな声が反響した。
兵士と思しき、革鎧を纏った男が一人、こちらを指差して叫んでいる。
小人たちは瞬く間に恐怖の表情を浮かべた。
「×××××!」
逃げて、と言ったのだろうか。小人の少女の声に弾かれるように、小人たちは逃げる準備を始める。
この路地裏から出る道は──兵士がいる路地の他にもう一本。震えながら、動けない者を背負って走り出した小人たちの動きは鈍い。
兵士が小人たちを追って駆け足で近づいてくる。
(逃げる時間を稼がなきゃ……!)
反射的にそう思った。
旅の間、怪物や動物を相手に戦ったことはあるが、人間相手は今日が初めて。
膝のポーチに入れていた絶縁用のグローブを手早くはめる。これはレノからもらったものだ。この方が、加減を誤ったとき感電しなくて済む。
そして、今し方叫んだ兵士に向かって駆け出した。
まさか向かってくるとは思わなかったらしい兵士は、慌てて腰の剣を抜こうとする。
(──遅い!)
剣筋を読んで脇をすり抜け回り込み、兵士の首筋に指先を伸ばす──!
バチッという音と共に、兵士が倒れた。
気を失っただけであることを確かめて顔を上げた時、リンドウの驚いた声が聞こえた。
「ラズ!?」
「大丈夫! リン姉! 逃がすの、助けていいよね!?」
彼女がどう答えたとしても、例えばここにとどまって他人のふりをするといった選択肢はもうない。一緒にいるところを見られてしまっているのだから。
しかしラズは不安だった。
──分からないのだ、未だに。小人たちがあんな扱いを受ける理由が。もしかすると間違っているのはラズの方かもしれない。ラズの行動のせいで、人間が、あるいは小人が、たくさん、傷つくかもしれない。でも、夢で会う幼馴染の小人のことは信じているし、先日の小人の老人も、今日会った少女も、ラズにはどうしても『汚らわしい存在』と思えない。一体、どうするのが正解なのか。
問われたリンドウは、一瞬驚いた顔をしてから、その黒い双眸に意志の光を宿らせて笑ってみせた。
「……私も、助けたいと思ってた!」
その言葉を受け取って、ラズはほっと胸が熱くなるのを感じた。
──小人たちを、助けたい。助けて、いいんだ。
リンドウと共に、小人たちの後を追う。
反対側の路地の向こうに、彼らの小さな背中が消えるのが見えた。
病人を背負っているので、走る速さはそれほど速くない。これならすぐに追いつけそうだ。
「×××……!!」
先頭を走っていた少女が、突然何か叫んでたたらを踏んだ。
その視線の先に、複数の人影がある。
「見つけたぞ! 黒髪の小人だ!」
「異常に素早いらしい、気を付けろ!」
正面に立ち塞がった二人の兵士たちが剣を抜く。その視線の先は──
「……えっ!? ──僕!?!?」
彼らの言葉に一番動揺したのはラズだろう。
この場にいる小人たちは皆茶色からブロンドの髪色。この兵士はラズを見てそう言ったとしか考えられない。
耳の特徴もないのに、随分横暴な判断だ。市場での騒ぎに誤解と尾ひれがついて広まったのか。
「僕は人間です、けどっ……!」
しかしだからと言って、することが変わる訳でもない。今は、逃げるのが先決で、そのために目の前の兵士たちを一刻も早く退けないといけない。
ラズは小人たちの間をすり抜けて素早い動きで兵士の一人の懐に入り、首筋に右手を当てた。
数秒、火花が散り、バチッと音がして兵士が倒れた。
その間にもう一人の剣が振り下ろされるのを左手をかざして分解し、体を捻って上段の蹴りを繰り出す。
さらに前のめりに体勢を崩した兵士の頭を蹴って路地に叩きつけた。体格差があるので一撃で昏倒させるには至らないが、怯ませるにはこれで十分。
──故郷の大人たちより数段弱い。素人が武器を持って多少訓練した程度なら何人きても怖くない。
兵士たちはすぐに立ち上がれず呻いている。
ラズは、小人たちに先を促した。
「×××……!」
彼らはラズに対しても怯えているようだったが、少女がはっきりした口調で何か言って、なんとか再び路地を走り出した。
さっきナイフを振り上げてきた小人は少し足を引き摺っていたが、仲間を背負ったまま、遅れることなく付いてきている。
「ちょっと。さっきの火花は一体何?」
走りながら、リンドウが訊いてきた。
「弱い雷。レノに教えてもらったんだ。……まだ自信なかったんだけど。上手くいってよかった」
「あんな形質の変化、よくやるね。私は力学的な力への変換しかできない」
「でもリン姉、<波動>はすごいじゃん」
「まあ、ぼちぼちね……」
走り出してしばらくして、何度か角を曲がったとき、ラズは急に立ち止まった。
右側の壁を指さす。
「ちょっと待って。これ、街の外壁だよね」
「……たぶん」
少女が驚いた様子で答えた。
ラズは方向感覚には自信がある。何回曲がっても頭の中にある地図が歪んだりしない。大山脈を一人で探検していて身についた能力だ。
「リン姉、穴開けられる?」
「なるほど……分かった」
リンドウは外壁に手を当てて集中する。
この規模の錬金術は、今のラズは使えない。時間をかければできそうだが、輝石が合わない分燃費も悪いので一回でヘトヘトになってしまうだろう。
継ぎ目を崩れ人が通れるだけの穴が開くと、小人たちが驚いた目でリンドウを見た。
「早く通って……!」
リンドウが促す間も、路地裏には慌ただしい足音が響いてくる。一人、二人と小人たちが穴を通る間に、その足音はどんどん近づいてくるようだった。
小人たちがあと二人、後はラズとリンドウだけになった頃合いになって、緊迫した叫び声がこだました。
「いたぞ!」
「外壁が……どうやったんだ!?」
「やばっっ」
今捕まったら、確実に投獄……重い刑罰が待っているのは間違いない。リンドウが焦りながら、最後の小人が穴を通るのを手助けしている。ラズは短剣を構え、増える兵士たちを牽制した。
「女もいますが……」
「構わん、撃ち殺せ!」
「────!?」
物騒な単語が聞こえて、息を呑む。
何人かの兵士達が見慣れない長い筒を構えてしゃがんでいる。──確か、火薬で鉛の玉を飛ばすと言っていた……
(ここで避けたらリン姉に当たる! 当たる前に術で分解を──)
ドガン! ドガン!
鼓膜が破れるかと思う程の炸裂音が路地に響いた。
次いで、火薬の匂いが鼻をつく。
「──っ」
歯を食いしばる。──肩と脇腹が熱い。
リンドウが顔を蒼白にして叫んだ。
「ラズ!!」
「っ大丈夫だから! それより、行こう!」
足がふらつく。──被弾直前に玉を崩し勢いを削いだものの、この状態で反撃は無理だ……逃げるしかない。
リンドウが鞄の中から指程のサイズの筒を取り出し、点火して槍を持って走る兵士の足元に投げた。途端、しゅうう、と煙が発生する。
「うわあああ!」
煙に撒かれた兵士達は目を押さえて膝をつき身悶えした。──催涙効果の煙か。
その足止めが功を奏している間に、ラズはリンドウの手を借り、急いで穴を潜った。
ラズが通り抜けた直後、リンドウがもう一度外壁に手を触れる。
どおおお……
身長の三倍くらいある石壁の一帯が低い音をたてて崩れ落ち、視界ごと追手を遮った。
「う、わあ……」
……まじか。
叔母が、こんな派手なことをするとは。しかしこれで、脅威はひとまず去った。
小人たちは少し離れたところにある小さな低木の林に向かって走っていく。
ラズはリンドウに腕を引かれて数歩歩いたものの、すぐに膝をついてしまった。傷口が熱を持って、尋常でない痛みを訴えてくる。
「っ……!」
「無理しちゃダメ! 今、止血するから……!」
そう言うリンドウも立て続けに大きな術を使ったからかフラフラだ。
街の兵士たちが門から回り込んで追ってくるかもしれない。──早くここから離れなければ。
(っ、走れそうにない……どうしよう)
そう思ったとき、蹄の音が近づいてきた。
馬とは違うリズムの少し重たい音には聞き覚えがある。
「レノ!」
その姿を見て、リンドウが泣きそうな顔で呼んだ。
彼はラズとリンドウを自分の怪馬の背中に引っ張り上げてくれる。
背中に誰も乗せられなかった怪馬がぶふん、と鼻を鳴らした。
すぐにレノの腕に支えられる。ラズはようやく緊張から解放されたような気がした。
「っうぅ……、……勢い、殺しきれなかった」
力を抜くと、傷口は焼けるように熱く、叫びたくなりそうな激痛が走った。ラズはたまらず顔を歪める。
「銃口で弾道を予測して対応するんですよ。着弾位置に術を集中すればおそらく防げたでしょう。あとは、剣で弾くという手もあります」
「何、それ……」
レノのいつもの飄々とした口ぶりが少し可笑しい。顔を歪めたまま、ラズは少し笑った。
彼は見ていたような口ぶりだ。
実際、外壁が崩れたあたりから気がついてこちらに向かってくれていたのかもしれない。
「まあ、落ち着いてから話しましょう」
「早くラズの止血をしないと」
「……ええ、鉛を体から取り除いてあげてください」
レノの怪馬がゆっくりと加速する。
街の門から馬が出てくるのが見えたが、怪馬の方が速いので、追いつかれることはないだろう。
街から離れてしばらくしてから、リンドウが口を開いた。
「兵士を撒いたら、あの小人たちにもう一回会いたい」
「なぜ?」
「予備の薬を渡さないと」
「……わかりました」
ラズはそのやりとりを聞きながら、ぽつり呟いた。
「僕たち二人ともお尋ね者になっちゃったかな……」
──皮肉なことに、しばらくはリンドウが旅をやめられる状況ではなくなってしまった。彼女自身がその道を選んだと言えるが、そもそも自分が市場であの小人の少女を見逃さなければ──いや、それを考えるのは今はやめよう。
「に、人相書きなんてそうそう似ないよ」
リンドウはとりなすように苦笑いした。
† † †
「ごほっ、ごほっ……」
「あの小人、弾が当たったのに、歩いていたぞ……!?」
「着弾の瞬間、あいつの周りが揺らめいたように見えたが……」
壁の内側に残された兵士たちは、壁外警備の部隊に追撃を任せるしかなく、催涙成分を洗い流す対応に追われていた。
後方で難を逃れた隊長格の兵士たちは、厳しい顔をして現場を見回し毒づく。
「あれは、もしかして、錬金術……! 小人は荒野を離れると使えないはずじゃなかったのか!」
「ああ……。しかし、あんな使い方があるなど信じられん……早く、<警務卿>……ディーズリー侯に知らせるんだ」




