奴隷(2)
『小人の郷に行かないなら、遅くとも次の街で別れた方がいいですが……』
そうレノに言われて、リンドウは迷っているようだった。
国境を越えてから、はや二カ月。ここは平原の国最西端のリーサス領と呼ばれる地域で、目的地である荒野まではあと一週間ほどとなっていた。
リンドウは考えておく、と言っただけ。
ラズは、ため息が増えた彼女が一体どうしたいのか、聞くことができずにいた。
十二歳になったら郷を出て、一人で旅に出たい、と考えていたくらいだったはずなのに、今は漠然とした不安と、彼女の側から離れることへの罪悪感のようなものがラズの心に影を落とす。別れると言われた時の心の準備に努めているが、そう簡単には割り切れそうになかった。
ともかくその日、道すがら作った薬や見つけた鉱物をお金に換え、食料や衣類を買い求めるため、ラズはリンドウと一緒に街に立ち寄っていた。
「……何か、物々しいね」
街の市場に差し掛かった辺りで、リンドウが眉を顰めてそう言った。
「そうだね。衛兵が……誰か探してる?」
事件でもあったのだろうか。見回していると、走ってきた兵士とバチッと目が合った。
その兵士は、突然足の向きを変えて、こちらに向かってくる。そして、声を大きく張り上げた。
「動くな!! おい女、そいつを捕まえておけ!」
「?!」
隣に立つリンドウに言っている──しかも、自分を──ラズを捕まえろと?
リンドウはというと、兵士の剣幕に身がすくんですぐに動くこともできず、向かってくる兵士に焦っているようだった。
「あの、どういう……」
「分かんないけど──」
困惑しながらも、ラズは頭の後ろで手を組んで無抵抗を示しながら一歩前に出る。
兵士はたった一人。それにそんなに強そうな雰囲気もない。怪物の方がよっぽど怖いというものだ。とはいえ、もしまずい雰囲気になってお尋ね者になるのは避けたい。
「抵抗すれば、殺すぞ」
「へっ……」
ドスの効いた低い声。
突然の物言いに、声がひっくり返る。
街中で随分と物騒だ。普通に関所を通って入った旅人に対して、この扱いは一体。
目の前で立ち止まった兵士は、ラズの耳をジロジロと見つめた。
「ちっ、お前──小人じゃないのか」
「……小人を探してるの?」
小人の見た目は十歳の人間の子供くらいで、あとは耳が尖ってるかどうかくらいしか差がない。
──小人を探しているが、特定の人物ではなくあてずっぽう? 状況が見えず、ラズは怪訝な顔をした。
しかし少なくとも物騒なことにはならずにすんだようだ。緊張から解放されたリンドウが口を開く。
「私とこの子は旅をしていて、ここに来たばかりなんです。事情を教えてくれませんか」
やや険のある口調に、兵士は渋い顔で頭を掻いた。
「貴族の屋敷からまた、小人が消えたんだよ」
ラズとリンドウは顔を見合わせる。
「偉いさんは手引きした小人がいるに違いないつっててな。街中を捜索しているところだ」
「『抵抗すれば殺す』って……」
「生死は問わんって命令だからな」
フン、と兵士はふんぞり返った。──どうして、殺す、なんて簡単に言えるんだろう。
その後二、三、言葉を交わす間も兵士はまだ疑わしげにラズをじろじろと観察しているようだった。
気を持ち直したリンドウが兵士に文句をつける。
「……あのね。この黒髪を見れば、私たちは東の出身って分かるでしょう? なんでそう疑うの? まさか小人って、黒髪が多いの?」
「……普通茶色だが……、しかし、最近噂の奴は白髪だというし、変な髪色なのが他にもいるかもしれん」
「! 白髪? 噂ってなんのこと?」
「そういう、化け物みたいな奴がいるんだと。荒野に迷い込んだら、そいつに攫われるんだとか。早くディーズリー候が退治してくれたらいいんだがなぁ」
「…………」
迷信じみた話である。でも、ということは、『あの子』は捕まって虐げられているということはなさそうだ。
(だけど、あんな、悪者みたいに……)
仕事に戻る兵士を見送って、浅く息をつく。複雑な気分だ。
ふと、リンドウが物憂気な表情でラズを見ているのに気がついた。
「……街には、もう寄らない方がいいか。あんたが毎回そんな風に疑われたら肝が冷える」
「うん。この街も、早めに出よっか。買い出し、早く済ませちゃおう」
荒野まで、残り一週間ほどの道程だ。
昔からかすかに感じていた、不思議な感覚……あの夢だけで会う小人の友人のいる方向というか、気配が、以前よりとても近く、リアルに感じられる。近づいてみれば、それは錬金術の<波動>の気配と少し似ているようにも思われた。そしてその気配は、ここ数日で少し北に移動している。──すなわち、この街からまっすぐ西。今向かっている方角と少し違うが、一時的に遠出している……とかだろうか。
リンドウと二人で市場に入ると、ラズが疑われているのを遠目に見ていた露店の商人たちが災難だったなと気遣ってくれた。
彼らに挨拶を返しながらリンドウの後ろについていく。ふと、宝石商の露店を広げているのが目に入った。
(あれ……輝石もあるな)
この地方は鉱石の採掘量が多く、その中に輝石がある可能性も高い。錬金術を使う人間がほとんどいないため仕分けられることなく、研磨前のただの綺麗な石として安く売られているらしい。
自分にも使える輝石かどうかは近づけば分かる。──少しくらい見ておくべきか。
† † †
「……っ」
市場で何度目かになる小人の奴隷を目にして、リンドウは思わず目を逸らした。
少し前に助けられなかった小人の死に顔が脳裏に染み付いて離れないのだ。痩せこけた哀れなあの老人は、悲しげでありながらどこか優しい表情をしていた。
──ラズやレノと別れたとして、果たしてこの国の暮らしに慣れることなんてできるのだろうか。
「お姉さん、あれ、苦手?」
急に話しかけられて振り返ると、そこに甥と同じくらいの年格好の少女がいた。茶色の髪を三つ編みにして、帽子を目深にかぶっている。
「……うん。まだ、慣れないかな」
「どこから、来たの?」
「森の国」
「何をしに?」
「……珍しい薬の材料を探しに。私は薬師だから」
「…………。へえ、すごいね! ……あ、ねぇ、あれみて」
「え?」
指差した方を振り向くと、
「あっ!」
肩からかけた鞄をひったくられた。
「うそ、ちょっ、ラズ」
「え、何?」
慌ててラズに助けを求める。宝石商の前に屈んでいた甥はきょとんと顔を上げた。
「鞄を盗られて!」
† † †
リンドウの言葉を聞くやいなや、ラズは少女の小さな背中を追ってパッと駆け出した。
(──足、速いっ!)
術を使わなければとても追いつけそうにない。
軽く息を吸って意識を研ぎ澄ませる。
二歩目を踏みしめる瞬間、解き放ち、跳躍。──一気に追いついて手首を掴む。そのまま、中側に捻って自由を奪った。大きな帽子が少しずれる。
市場にいた人々は、しばらく呆気にとられていたが、
「憲兵を呼んでくる!」
と動き出そうとした。しかし、ラズは慌てて声をあげた。
「──いいですいいです! 友達同士の悪ふざけなので!! お騒がせしました!!」
「え? 何言って……」
「リン姉も、ほら!! 早く行こう」
市場の人々は唖然としている。
ラズは彼女の手首を掴んだまま、人気の少ない広場の角を指差した。
困惑しているリンドウを促してそこで一息つく。声を潜めて、ラズはリンドウに耳打ちした。
「この子、小人だよ! 捕まったら何されるか分かんなかった」
帽子から半分覗いている耳。長いかどうかまでは分からずとも、人間とは形が違う。角度的に気づいたのはラズだけのはずだ。
彼女がしたことは褒められたことではないが、それでも事情も聞かず殺気だった街の兵士に引き渡すのは憚られたのだった。
少女は真っ青になって震えながら、少しずれていた帽子の位置を直した。
「あの、ごめんなさい」
「……薬が欲しかったの?」
「リン姉?」
その様子にすっかり責める気を失ったらしく、リンドウが少しかがんで目線を合わせた。
彼女はこくんと頷く。
「仲間が、病気になって」
仲間とは、十中八九小人だろう。
しかしリンドウは躊躇いなく問いかけた。
「会わせてくれる? 何の病気か分からないと、どの薬が効くか分からないから」
少女は唇を引きむすんで黙り込んだ。
ラズとリンドウを交互に見る。
しばらくして、「こっち」と歩きだしたので、二人は後を追った。