奴隷(1)
「これが怪馬……」
「スイって呼ぶことにしたんだ!」
旅荷物を背負ったリンドウは興味津々に見上げて感嘆した。
「哺乳類なのに脚が六本なんてけったいだね。大山脈の怪物みたいに突然変異でできたんだろうけど。この角、薬の材料になるかな──」
「ストップ! リン姉、角を削る気!?」
『───断固拒否するからな』
「そらそーだよね、はは……」
「? あんた誰と話してんの?」
叔母がきょとんとする。本当にラズ以外には声が聞こえないらしい。
「あ、怪馬は念話が使えるんだって──」
『───……私はその人間と話す気はないぞ』
「どうしても?」
『───……』
無言の主張に、ラズは苦笑いした。翡翠色の瞳が剣呑にすがめられている。怪馬のスイは、気難しく、無口な性格なのかもしれなかった。
「……で、なんでもう一頭?」
ラズは首を捻る。
そう、スイのそばには、黒毛の怪馬がもう一頭。一回り小さく、目の色はスイより少し薄い。
疑問に答えてくれたのはレノだった。
「晩のうちに、契約を取り付けていたんですよ。自分でもやり方を分かっていないと教えられませんし。……まあ、結果的には必要なかったみたいですが」
「ええーっ!? 先に言ってよ!」
「そうしたらやる気を無くしていたのでは? 君は対抗意識を燃やすより効率を考えるたちでしょう」
「そ……そうかな」
彼はプラチナの目を細めて笑った。
その後ろで黒毛の怪馬が首を下げる。その仕草はどこか恭しい。レノはこの怪馬と一体どういうやりとりをしたんだろう。
(対抗意識が燃やすより効率、ね……)
たしかに、そうかもしれない。たとえば兄に勝つか負けるかも割とどうでもよくて、楽しくて楽な方を選びがちだったように思う。やると決めたことについては意地でもやるが、怪馬を得るかどうかについて別に自分がやらなければとまでは思っていなかった。楽しそうだから精一杯やったまでだ。そんなに長い付き合いでもないのに、ほぼ見透かされてしまっている。
振り返ると、見送りにきてくれた商人夫妻と目が合った。
彼らは初めて間近に見る怪馬を、おっかなびっくりの表情で見上げている。
「乗っていた馬はどうしたんだい?」
「宿に引き取ってもらったけど」
ラズはちょっとしゅんとする。
なんだかんだ、二ヶ月もお世話になったのだ。それなりに愛着も湧く。
「あの馬、すごく賢かったし、悪いようにされないといいな」
『───ふん』
「スイ?」
スイがどこか憮然として鼻を慣らした。何かまずいことを言っただろうか。
「そんなに良い馬なら、ウチで買い取らせてもらおうかな」
「いいの? 大事にしてあげてね。それと、短い間だったけど、お世話になりました」
ラズがぺこりと頭を下げると、商隊の主は、朗らかに笑った。
「いや、助かったのはこっちの方だ。一緒に行けないのは残念だが、達者でな。……平原の国の首都が平和ならそこで商売をするつもりだから、寄ることがあれば頼ってくれて構わない」
「うん──ありがとう!」
「しかし、怪獅子がいるとなると、下手に出発できんな」
「その件なら」
レノは「占い程度ですが」と前置いて続けた。
「今日のところは、街道に危険はないようですよ」
例の広範囲の探索をしたんだろうか。
できれば昨日やっておいて欲しかった。そうしたら、スイとは仲間になれなかったかもしれないが。
†
夢で見た通り、怪馬の乗り心地は快適だった。
スイはリンドウと二人で乗っても余裕のある様子で、馬より速く、一日中走ってくれた。
そして、覚悟していた通り、基本的には野宿となる。
人の街に立ち寄りたい時には、街から少し離れたところで二頭を待たせ、ラズとレノのどちらかが彼らを守るために番をした。野生では彼らは捕食される側であり、単独で待たされることを嫌がったためだ。
そして、何回目か立ち寄った街でのこと。
「ねえ、リン姉……あれ」
ラズは耳の尖った小さな体躯の人を見かけて思わず立ち止まった。
かなり痩せており、腰に頑丈そうなベルトを巻いている。
そのベルトには同じく頑丈そうな長い革紐の端が固定されており、もう反対の紐の端を、人間が持って引っ張っていた。
その人は髪がボサボサで、何日も体を洗っていない臭いが漂っていた。耳が尖っていて、体型はラズとそう変わらない十ばかりの子どものように見える。ただ、生気のない骨ばった顔立ちには年齢をいくつも重ねたような諦観が感じられた。
「たぶん……小人だよね」
ラズは目の前の状況が理解できず、とりあえず分かることだけを口にした。
リンドウも戸惑いを隠せない様子で、返答に困っている。
「そうだよ、旅の坊や」
代わりに、すぐそばにいた商店のおばさんが答えた。
「ええと……なんで引っ張ってるの?」
「これから工場に連れて行って働かせるんだろう。小人は手先が器用だから」
おばさんはそう言うが、なんだか釈然としない。
労働をしてもらうためにあんな風に引っ張っていくものだろうか。
「……あの小人は、何か悪いことでもしたの?」
「他所から来た人は皆そう言うねぇ。小人は大地を汚す汚らわしい種族なんだよ。見て分かるだろう? 生かして働かせてやるのは、貴族の慈悲さ。それでも、反抗したり、逃げたりするやつがいるから、ああやって連れていくのさ」
「───」
ラズは言葉を失ってしまった。
──あの、優しい赤い目をした友人が、大地を汚す種族な訳がない。むしろ、狩の遊びなど暴力的なことについては難色を示され、喧嘩をしたこともあるくらいなのに。
「大丈夫。この国にしばらくいれば、きっとすぐ慣れるよ」
──慣れる?
つまり、国中で、小人に対してこういうことをするのが常態なのか。
憤りで表情が険しくなることを隠しきれないラズを見て、リンドウがまずい、という表情で取りなした。
「そうですよね! 教えてくれてありがとうございます。……ラズ、もう行くよ」
リンドウは女性に礼を言って、ラズにもその場を離れるように促す。
ラズは憮然としつつも、それに従った。
「ショックなのは分かるけど、トラブルを起こさないでね」
「……分かってる」
住民にとって小人は汚らわしいという認識なら、それに味方するのは『悪いこと』になる。
同行するリンドウをまずい立場にしてしまうことは間違いない。
「でも、もう少し、ちゃんと事実を確かめたい。絶対、リン姉に迷惑かけないから」
「……冷静でいるって約束できるなら。まあ、私も気になるし」
それは例えば小人が目の前で殴られるとか、そんなことがあっても、助けるな、ということだ。
(……助けるにしても、目先のものを見て動くより、全体を把握しないと、裏目に出ることもある)
心臓がばくばくと跳ねていた。同じ失敗を、絶対にしたく、ない。
爪の跡が残るほど握りしめていた拳をゆっくり解いて、ラズは息を吐いた。
「……うん」
さっきの女性は小人を工場に連れて行くのだと言っていたから、街の人に道を聞いて、二人で工場に行ってみることにした。
そこは街を流れる川の下流にあり、何十人と入れそうな大きな建物がたくさん並んでいる場所だった。
カンカン、と不規則に金属音が鳴り響いて騒がしく、一帯の熱気がものすごい。
「金属の加工をここでやってるんだ……」
森の国では武器を作るのは基本的に街の鍛治屋だったが、こんな大規模な設備を見るのは初めてだ。
ちらりと覗くと、男たちが汗を流して鋼を鍛えている。
小人ではない。
「君たち、こんなところで何をしている」
工場の前で休憩していた男が話しかけてきた。リンドウが遮るようにすっと前に出る。
「私は旅の薬師で、こっちは甥です。物珍しくて立ち寄ったのですが、お仕事の邪魔でしょうか?」
「……いや、知りたいなら仕事終わりで良ければ教えてやるぞ」
「あら残念。夕方には約束がありまして。ここは何を作っているんですか?」
「銃さ」
「銃……」
「火薬で鉛の玉を素早く飛ばす武器のことだよ」
男が話すには、ここで作られた銃器は、はるばる四カ月かけて平原の国の首都圏に輸出されるらしい。そういえば国境付近の兵士が長い金属の筒を肩に掛けていたような。
「この辺り一帯は全部、銃を作ってらっしゃるの?」
「そうさ。だが、隣の建物からは小人が労働しているから、近づかない方がいい」
「まあ、そうですの。教えてくださってありがとうございます。この辺で引き返すようにしますね」
挨拶をして穏便にその場を離れる。空気を読んで大人のやり取りをしてくれたリンドウに感謝である。
だが、ラズが知りたいことはこの先にあるようだ。
「むむむ……」
「また始まった……」
引き返す道中、どうにか手段を見つけようと考え込むラズを見て、リンドウが苦笑した。
一度興味を持ったらなかなか諦められないのがラズの性分である。
「私は先に街から出るから、もう適当に見てくれば? ただし、危ないことはしないで。それと、できるだけ錬金術師ってばれように」
「それって、なんで?」
「この国は森の国と違って無登録の錬金術師だからって拘束されたりはしないみたいけど、一応念の為」
「……。ちなみにリン姉って登録してたの」
「私は領主様がもみ消してくれてね。国に登録したら、あんなところでゆっくりさせてもらえないから」
「そっか……うん。わかった、気をつける」
頷いて、ラズは一人足を忍ばせて再び工場地帯に向かった。
人気のない裏道から、工場の裏手に周り、覗く。
建物は風通しよくできていて、風下であるこちら側に労働者の悪臭が漂ってくる。
(だから誰もいないんだな……。服に臭いがつきそう)
戻ったらリンドウやレノに嫌な顔をされそうだ。
中には二十人ほどの小人が、何か小さなものを加工しているのが見えた。
彼らは一様に痩せ、表情に生気がない。
しかし手だけはせかせかと素早く動かしている。
「なんだこれは! 作り直せ!」
不機嫌そうな怒声が響き、一人の小人が殴り飛ばされた。
小人は何かを言ったようだが、聞き取れない。
起き上がる力がないようで、フラフラとしているところを、蹴り飛ばされ、壁にぶつかり倒れた。
気を失ったのか、動かない。
「ちっ。こいつはもうだめだな。新しい奴は入れられないのか」
「それが最近、荒野の掃除ができないってこないだ来た商人が言ってました」
「ちっ、年々、仕入れが滞っていくな」
殴った人物の部下と思しき男が、倒れた小人の腰ベルトの紐を取り、そのまま引き摺って出て行った。
……家畜にだって、あんな扱いはしない。一体彼らが何をしたというんだろう。
(「商人」……「仕入れ」……?)
妙に引っかかるワードに胃の辺りがムカムカする。理解し難い光景を目の当たりにしてめまいを覚えつつ、ラズは足を忍ばせて男の進路に回り込んだ。
そこには、たぶん、ゴミ捨て場だろう空き地があった。
木の柵の合間から覗き見ることができる。
定期的に焼却しているらしく、あまりたくさんは積まれていない。焦げた臭いがした。
男は小人をそこに放置して、敷地を出て行った。
真昼間だが、周囲に人の気配はなくなった。
「…………」
「で、助けてしまったと」
「それっぽい偽物を作っておいたから、騒ぎにはなってない、と思う……」
この一カ月で、時間はかかるが錬金術での物体加工はそこそこ使えるようになっていた。思わぬトラブルになる可能性はゼロではない。でもどうしても、そのままにしておけなかった。絶対誰にも見られていない。同じ失敗をすることも怖かったが、何もできない意気地なしにもなりたくなかったのだ。
レノは珍しくとても困った表情をしている。やっぱりまずかったのか、と上目遣いに見上げると、彼は首を振って緩く笑った。
「すみません。自慢じゃないんですが、私は鼻が利く方で……。早く垢を落としてあげませんか」
「分かった」
レノの言葉にほっとする。咎められなかった。……助けて、いいんだ。
川原で衰弱した体を洗い、毛皮でくるんで横に寝かせる。
身綺麗になった小人は、背の低いただの老人に見えた。
「リンドウ、……助かりそうですか?」
「栄養失調の上に病気みたい……。どうなるか分からない」
レノの問いかけに、リンドウは青白い顔で首を振った。
その小人は数日後に目を覚まし、何事か喋った。
──そしてそのまま、息を引き取った。
レノに、彼がラズにしてくれたように命を分け与えるにはどうしたらいいかと訊いたが、彼は申し訳なさそうに、条件が揃わないとできないのだと首を振った。
「最期、なんて言ってたんだろう」
誰にともなく呟くと、
『───家族の名前を。そして、先に逝ってすまないと』
と、怪馬のスイがラズにだけ聞こえる声で答えた。
自分から話すのは珍しい。
あの小人から事情を聞けたら、と思っていたのだが、それは叶わなかった。あの働かされていた小人達は、あれほどの扱いを受けるほどの何かをしたのだろうか。贔屓目かもしれないが──そうは思えなかった。
簡易に穴を掘っただけの墓に花を手向け、ラズは目を閉じた。
「助けられなくて、ごめんなさい……」
「君がしたことは、間違いではないと私は思いますよ」
ぽんとラズの背中を叩いて、レノが言った。
「……うん」
この先、いくらでもあんな光景を見ることになるのかもしれない。もしその矛先が、小人であるあの子にも向いていたら。
(何か……できることがあればいいのに)
ぐぐ、と拳を握りしめ、ラズはリンドウに急かされるまで、秋に色付いた草原の景色を見つめていた。