騎獣(3)
汗だくになった服を洗って干してから宿の一階に行くと、肉の焼ける美味しそうな香りが漂っていた。
「うわー! すごい!」
一日中動き回っていたので、願ってもないご馳走である。
「あれ? 左利きだった?」
ラズが肉にかぶりつくのを嬉しそうに見ていたリンドウがふと気がついたように言う。
「両利きだよ。ごはんはいつもは右だけど」
リンドウが促すので、火傷した右手を見せる。
「昼間、何してたの?」
「街の外で、馬の怪物を捕まえようとしてたの」
「……なんでまた?」
その問いに、レノが代わりに答えた。
「平原の国から荒野まで馬でも半年の道のりだと言ったでしょう」
「ええ、その道のりを二ヶ月で移動する手段があるって……」
「そう、さっき彼が言った馬の怪物を騎獣にできれば」
「失敗しちゃったけどね」
「まあ、いきなりは無理でしょう。平原の国に入ってからいくらでも探すチャンスはあります」
この話題に、リンドウが森の国に残ると言わないかと、ラズは内心不安に思っていたが、彼女は特に何も言わなかった。そのことに、ほっとする。
リンドウは母親とは違う。それは分かっていても、当たり前のように身を案じ、居場所をくれる叔母のことを、心の拠り所にしてしまっている。
けれど、リンドウは小人の郷までは行きたくないはず。ならば、いずれ離れる覚悟はしなければいけない。
食事を終えて、片付ける前に、リンドウが右手の火傷を錬金術で治してくれた。損傷した細胞は流石に元通りにはできないので、熱を抑えて免疫を抑制する物質を錬成するらしい。
(そうだ……<波動>)
手に集中すると、ラズの力の影響下にない何かがそこに感じられる。跳ね除けようと思えばできそうだ。
錬金術は、まず物質のあり方を<理解>し、次に <理解>できた物質の構成元素をコントロール下に置き、そして、イメージしたとおりに変化させるもの。
単純に熱を発生させたり、混合物から純粋な金属を生成したり、化学反応を促進させたりするなど、用途は様々で、コントロールに必要な力は生体のエネルギーから変換され消費される。
普通は手で触れて<理解>を行うが、別に対象物質に触れるのは手でなくてもいい。
手から<理解>を行うための<波動>を出しているのが単にイメージしやすいだけにすぎない。
「……ありがとう」
ヒリヒリとした痛みが引いた右手を、今度は自ら<理解>してみようと試みる。
輝石にはいくつか役割があるが、一つは生体のエネルギーを<波動>に変換する際に使われる。
あまり意識したことはなかったが、輝石が合わないということは、その変換効率が低いということのように思う。錬金術が使える人の体からは常にエネルギーが放出されていて、本人に合う輝石であれば大部分を体に還元させることができる。
(放出するエネルギーを増やせば、疲れるけど前くらいの精度で<理解>ができそう……)
<理解>の段階においては、輝石は翻訳辞書のような役割をする。元素の膨大な情報を、言語や化学式ではなく直感で理解できるようにしてくれるのだ。輝石が合わないということは、曇りガラスで向こうの景色を見ている感覚に近かった。
(得られる情報が少ないなら、時間をかければ……。あ、昼間の破壊みたいに、<理解>がいらない単純な力の使い方の方を練習する手もあるか)
少しばかり現状改善する手立てを見つけた気がする。
食器を片付けながら、リンドウがところで、と言った。
「昨晩の商隊から、国境を一緒に越えないか誘われたんだけど、どうする?」
ラズはぱちぱちと瞬きした。
食堂を使うタイミングが重なっただけで、たいした話もしていないが、一体どうして。
レノを見上げる。
「悪い話ではありませんが。どうせ、騎獣探しの間、少しペースを落としますし」
「じゃあいいんじゃない」
リンドウに同意を伝えると、なぜか彼女の方が不安げな顔をした。
「ラズ……嫌だった?」
「?」
自分がどんな表情をしているか分からず、ラズは困惑する。
「嫌なことは、嫌って言っていいんだよ。あんたはいつも、変なとこで気を遣うんだから」
優しい叔母の言葉に、ラズはしょげてしまった。それは、ラズが彼女に一緒にいてほしいと素直に甘えられないことを指しているのだろうか。もしかして、ラズを置いて商人たちと行ってしまうのでは、という不安。それは仕方ないことだと、呑み込もうとしなくていいと言っているのだろうか。
リンドウは続ける。
「家族なんだから」
「…………っ」
でも。リンドウが旅に出ないといけなくなったのは全部ラズのせいで。
思わず下を向くと、リンドウは片付けの手を止めて、ラズの方に歩み寄り、軽く抱き寄せてぽんぽんと背中をたたいてくれた。
†
次の日の朝、リンドウが仲良くなった商人に同行する形で、ラズ達は森の国の最後の街を出発した。
宿場町まで馬車で一日の道程。
和気あいあいとした人たちだった。たぶん以前のラズなら進んで関わり、いろいろと話を聞き回ったと思う。しかしなぜかその気が進まず、ラズは黙々と馬上で<波動>の復習に勤しんでいた。
しかし、その昼の休憩中、商人の女性が話しかけてきた。
「ねえ、疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「!」
しまった、顔に出ていたらしい。慌てて取り繕って笑顔を作る。
「だ、だいじょうぶ」
「ねえ、なんでそうまでして小人の郷にいきたいの? 叔母さん、困り顔だったわよ」
「……そう、決めたから、だけど……」
リンドウのことを持ち出されれば、耳が痛い。以前なんでわざわざ大山脈に入るのか責められたときには、あれこれとそれっぽい意義を並べたものだが、今は状況が違う。
それでも、故郷と巨人の問題を放棄して旅にまで出たからには、必ずあの子に会わないと気が済まないのだった。
とはいえさすがに、夢の話はあまり人にはしたくない。
彼女はラズが答えることを拒んでいることを感じたのか、話題を変えた。
「ところで! 私、リンドウさんって、レノさんのことお好きだと思うのよねー」
「…………はい?」
──今なんと。
あまりの突拍子のない話題に驚いて、点目になる。
叔母が。あのレノを。そもそも、好きとは?
ラズは考え方が大人っぽいと周囲によく言われるが色恋面については年相応である。
分かり易ければ大人を茶化したりすることもあるが、リンドウとレノがどうこう、というのは考えたことがなかった。
「私、応援してあげたいと思ってて!」
彼女はややうっとりした目をして、少し離れたところでレノと何か話しているリンドウの方を見ている。
この商人の女性は年はラズよりたぶん、五つくらい上…… 十代半ばか後半くらい。──叔母を慕ってくれているのは分かるが、……この年頃のお姉さんが考えていることはラズにはよく分からない。
「ええー……」
反応に困って胡乱げな表情をして見せると、女性はまた何か勘違いをしたらしく、
「……もしかして、君、リンドウさんのこと?」
などと言い出した。
「は? いや、そうじゃなくて! ええと……あ、ほら、人の恋路に口出すとろくなことがないって叔父上が言ってたし……?」
「ふーん」
商人の女性はなんだか面白くなさそうだ。
すると、彼女の後ろから、一回り年上と見られる商隊の主人……彼女の夫が近づいてきて、軽く小突いた。
「こら。他人の色恋を想像で話すのは悪い癖だとわたしは思うぞ」
「あっ……、そ、そう? ごめんね、ラズくん」
「いろいろ事情があるだろうに、思慮不足の妻ですまないな」
商人がラズに向きなおってとりなすように笑った。
「あー……、えっと。大丈夫。そういう話が好きな人がいるのも、分かるし……」
──巻き込まれるのは勘弁だが。夫婦の間に流れる微妙な空気に、気持ち後ずさり気味で答える。
商人は却って不思議そうに瞬きした。まさか十の子どもがこんな寛容なことを言うとは思わなかったらしい。
「君は、歳の割にしっかりしてるな」
「それ、私は歳の割にコドモっていいたいの?」
口を尖らせる妻に苦笑してから、商人は心配そうな目でラズを見下ろした。
「それにしても、本当に顔色が悪い。馬車で休むかい?」
その言葉に、ラズは慌てて笑ってみせた。
「ううん、気にしないで! 錬金術の修行してただけだから休めばいいだけのことで──」
「なに、錬金術!? どれくらい使えるんだ?」
「ま、まだ、ちょっとだよ」
笑顔が心持ち引きつる。悔しいが、今使えないものを使えると虚勢を張るのもかっこ悪いと思う。
「へえ。まあ、錬金術師は今は国から出られないだろうから、見習いに決まってるか」
「?」
錬金術師は森の国から出られない?
初耳だ。もう関所は抜けたから問題ないだろうが、今度リンドウにでもきいてみよう。
商人はラズの反応を気にせず、おおらかに笑う。
「そういや、平原の国は都がある東部はまだしも、西に行くほど錬金術師は少ないって聞いたことがある。食いぶちには困らないだろうから、修行、頑張りなよ」
「──そうなんだ。うん。ありがとう」
随分と、いい人たちのようだ。
もやもやした気持ちを打ち消すように、言葉を繋げる。
「──おじさん達の商品って、何?」
「ああ、基本的には反物だが、生活必需品なら何でも扱うぞ──」
商人の主人は熱心に訊くラズを気に入ったようで、その後いろいろなことを教えてくれた。




