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平原の国(23)……爪の竜

「火がつかない?」

「それが、油が何か別のものとすり替えられていたらしく。おそらく、錬金術による仕業かと」

「竜人がコソコソと幕内に入ってきたというのか?」


 公爵軍の最高司令官──若き公爵レインドール……平原の国王家第六王子レインドール=アル=ローランドは前方の裾野上空に浮かぶ怪物を睨んで唸った。

 なお昨夕、敵対する子爵……スレイン=リューンの名を(かた)って、フレイピアラという少女と話をした青年と同一人物である。

 愛くるしい美少女が発した、レインドールのことを助けようとする言葉の数々に舞い上がってしまって、彼は正体をばらすタイミングをすっかり逃してしまったのだった。しかも、彼女の正体も確かめられていない。なんと間抜けな話だろうか。……しかし、また話す機会は十分にあるはず。

 それより今は、目の前の問題が先だった。

 竜人の襲来は彼にとっては頭の重い事案に違いない。どうしたって、森の国の巨人侵攻の事件が思い出されるからだ。もし公爵領が竜人に滅ぼされたとなれば、今は同盟である海の国がどう動くだろうか。……考えるだけで面倒だ。

 それにしても、砦を攻め落としたなら、その兵力を従えて公爵軍(こちら)にぶつけることもできただろうに、なぜあえて解放したのだろうか。


(よりによって、信のおけないリューン派の連中ばかり! 内部崩壊を狙って──? そんな人間みたいな謀略を竜人がするなど聞いてないぞ、ったく)


 あるいはこちらの全力をねじ伏せるため、と解釈すれば竜人らしい気がするが──果たして。

 そう思案していた時、突然天幕に伝令が飛び込んできた。


「レインドール殿下! 竜人から……使者が」

「────使者ぁ?」


 思わず聞き返してしまった。そもそも、竜人と言語が通じた話など聞いたことがない。


「お会いになりますか?」

「ごほん。通してくれ」

 

 咳払いして、レインドールはきりりと表情を引き締めた。

 使者として現れたのは、無礼にも口元を布で隠した──どこかで見たことのある眼差しの少年だった。




 † † †




 公爵の元に案内すると言われ、ラズは大人しくその後をついて行く。

 武装は愛馬スイのもとに置いてきたから、丸腰だ。

 ほぼ正方形の白い布地の両端を耳で留め、口元を隠しただけ。髪の色は、都に入った時からずっと同じ茶色である。


「御目通りが叶い、光栄に存じます。……レインドール=アル=ローランド公爵殿下」


 大きめの天幕に通され、ラズは頭を下げた。

 遠目には煉瓦造りの館があったのでそちらに通されるのかと思ったが、得体の知れない者をそんな奥まで通すことはしないらしい。公爵の足元には分厚めの絨毯がひかれているが、入り口付近は土間。物々しい兵士たちに挟まれるとさすがに緊張する。

 ここでの名前は適当に父の名前(フェリクスと)でも名乗ることにした。本名だと、ここにいるリンドウたちに迷惑がかかるかもしれないからだ。


 儀礼通りにひざまづき、ゆっくりと顔を上げる。

 公爵殿下……レインドールは派手な出立ちをした美丈夫だった。──年齢はシャルグリートと同じ十代後半くらいだろうか。思ったより若い。シャルグリートが野生の狼なら、レインドールは孤高の虎に例えるとそれらしいかもしれない。鋭く研ぎ澄まされた雰囲気は常に周囲を威圧している。

 緊張を覚えつつ、ラズは用意していた口上(こうじょう)を言い終える。


「……私は元々双方の言葉が分かるだけの若輩です。無礼な振る舞いがあれば、何卒ご容赦を」

「御託はいい。竜人に礼など期待してないからな」

「…………」


 ──なんだろう。どこか引っかかる。そう、声だ。

 聞き覚えのある声色。

 確か、ザアザアと雨の降る……


(宿場町にいた騎士!?)


 あの騎士は子爵という話ではなかったか。

 もし記憶違いでないなら、公国に害なす森の国の兵を公爵自ら征伐しに来ていたということになる。しかしそれならそうと名乗れば良かっただろうに。


(素性の分からない僕たちを警戒して、とかか?)


 理由は不明だが、今は深く考えている余裕はない。

 レインドールは煌々とした目でラズを見つめている。

 ──彼の方はこちらの正体には気づいただろうか。でも、髪色と名前は違うし、ちょっと会ったくらいで目の色や声を覚えていることは稀だろう。──自分の記憶力を棚に上げて淡い期待を生唾とともに呑み込む。

 しかし側近に小声で何か言っているのを見ると、嫌な予感がした。

 時間をかけるのはまずい──そう判断して、大きく息を吸う。


「上空にいる竜は、竜人たちの守り神…………その気になれば、人間の国を簡単に滅ぼすほどの力を秘めています。そしてあの竜は、先の大雨で故郷を失った竜人のため、公国の土地を狙っていました」


 ラズはゆっくりと言葉を紡ぐ。嘘を言っている訳ではないのだが、この人物の前だと妙に緊張した。


「……しかし、そんな広大な土地は必要ないんです。砦も不要……農業が軌道に乗れば、それこそあの裾野で十分……彼らの、ささやかな願いを叶えて貰えないでしょうか」

「丁寧な言葉を使うな。要は脅しだろうが? ────舐めた真似を」

「…………」


 厳しい声色に、交渉の先行きが良くないことを察して、ラズは唇を噛んだ。……話が決裂するケースもある程度想定してはきたが、できればここでなんとかしたい。

 しかしさっきから、裏側を伝令らしい兵が行ったり来たりしている。耳打ちを受けて、レインドールはわずかに眉根を寄せた。


「今、この砦には()()なんたらとかいう腕のいい薬師がいる──過日のお返しに、あの女を使って飲み水に混ぜる毒を作って貰おうか」

「!!」


 その名前が出て、ラズは心臓が止まるかと思った。


(────だめだ、動揺したら!)


 そうだ。この言い方からすると、彼はリンドウたちとラズの関係を確信している訳ではない気がする。それに、この場に連れてくることができないということは、うまく隠れているのかもしれない。

 だったら、当初の予定通り、シラを切り通すしかない。

 ラズは辛うじて無反応に徹して、訴えかけた。


「……あくまで竜人を敵としか思えないのなら、森の国の巨人と同じ道を辿るかもしれません。でも手をとれば、心強い味方になるはずです。──そんなに、竜人が嫌いですか?!」

「違うな」


 視線の先で、レインドール公爵はすうっと目を細め、険しくラズを見下ろした。


「────強いて言うならお前が嫌いだ。微塵も信用できぬ」

「なっ……」


 はっきりとした拒絶の言葉。

 ラズは言葉を失った。──正体を隠そうとしているのが気に障った? いやそもそも竜人に対して良い感情を持っているはずもない。だったら何を言えば良かった? 砦を奪える力を持つ相手を、こうも簡単に突っぱねるなんて。


 レインドールが出した右手に、従者が示し合わせたように大振りな矛を差し出す。それを合図として、取り囲む兵士達が剣を抜いた。


「…………僕をどうする、おつもりですか」

「普通の戦なら、使者殿には穏便にお帰り願うんだがな」


 公爵は手に取った矛を真っ直ぐとラズに向けた。


「舐めた態度の使者を、首と胴がついた状態で返すのもな」

「!!」


 言うなりレインドールはだんっ、と地を蹴った。矛が空を切って鳴る。


 びゅん──!


 ラズはその横薙ぎの刃を伏せて避け、横に転がった。使者として来たから当然丸腰である。視線を走らせるまでもなく、兵士の壁ができていた。逃げるのは簡単ではなさそうで────しかも今の攻撃は、完全に首を狙っていた。


(────ここで殺す気、なのか)


 背中を嫌な汗が濡らす。……それでも、なんとかして逃げるしかない。


「っ、借りるよ!」

「うわっ──」


 身体を起こすと同時に、一番近い兵士の槍の間合いに滑り込み、錬金術で軽く分解し叩き折る。兵士が怯んだ隙に腰から剣を抜き取って奪い、ラズはレインドールと対峙した。


「速いな──」


 公爵の呟きが耳に届いた時には、返した刃が上段から振り下ろされている。退がるには、後ろの兵士が邪魔だ。というか──


(兵士ごと!? この人、正気か!?)


──避ける訳にいかない!

 しかしあの重い矛を受け止めるのは無理に思えた。


(──<是空(ゼクウ)>!)


 剣に振動を纏わせ下から振り上げる。


 ギイイイン!!!


 振り下ろされた矛と、ラズの剣が激突した瞬間、激しい衝撃音が空気を震わせた。

 レインドールと目が合う。驚愕に開かれた目を、ラズは正面から睨め付けた。

 次の瞬間、矛の刃が半ばから折れ、上方に弾き飛ぶ。

 ────それで勝ちの、はずだった。


 公爵の表情が歪んだのはほんの一瞬で、その目がさらに気迫が宿る。

 首筋に、悪寒が走った。


 ぞくっ……


(!?!?)


 なんだ。今の、感覚は。

 本能で仰け反り、退がる。


 ブツッ───


 鈍い小さな音。次に感じたのは首元の熱と血が伝う感覚。

 カチャリ、と地面に何かが落ちる音がした。


(────輝石が!!)


 それ──白銀と翡翠の小さな石をレインドールの靴が踏みしめているのが見えて、どくん、と心臓が怯えるように波打った。

 ────首から下げていた輝石(きせき)を、切り落とされた? 愕然としながら、もう一度退がって距離をとる。


(どうやって────)


 矛ではない。何か、違う武器。

 そうだ────シャルグリートが言っていた。この公爵は、特殊な力を使うと。

 急激な、生命力が抜け出していく虚脱感。輝石を取り戻さなければ、術も使えないし、数時間も立っていられない。

 じり、と足の位置を変えたとき、またあの悪寒が襲ってきた。

 全身が総毛立つ。────やばいっ────!!


(っ動け────っ!!)


 ラズは劇的に重く感じる身体を精神力で叱咤した。

 後ろではなく、前に──!!

 地面を蹴る。

 少し遅れて、身体のあちこちを切り刻まれるような感覚が襲った。

 赤色が視界の端で弾ける。──多分、あれは自分の血。

 半ば他人事のように分析しながら、前のめりに倒れ込む。左腕が公爵の靴に触れる直前、輝石の感覚が戻ってきた。


「────<紫電(しでん)>ッッ!!」


 バチチィィッッッ!!!


 破裂音とともに視界がホワイトアウトした。


「──っ」


 うつ伏せに倒れたラズは荒く息をしてどうにか地面に肘をつけ、上体を起こす。──頭がぼうっとする。


 細かいコントロールをする余裕なんてなかった。────激しい雷は、命を奪うことだってある────そのことが頭に(よぎ)ったのは静かになってからだった。


「…………」


 その場の誰も、動けないようだった。

 あのゾッとするような気配はもう追ってこない。

 ────そして。


(…………立てない)


 腱でも切ったのだろうか。


 ────止血、しないと。


 そしてぼんやりと、力が使えないことに気がつく。

 血液と共に、生命(いのち)が流れ出していくこの感覚は。


 ────輝石を……探さないと。


 朦朧としかけていた意識を、誰かの声が叩いた。


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