騎獣(2)
「いないねぇ……」
「そうですね……」
広い草原を見渡すが、件の馬の怪物の姿は見当たらない。
兎のような小動物は見かけたので、せめて帰るまでに捕まえて帰ろう、なんてのんびりと考える。今の宿は共同の炊事場があるので、リンドウが美味しく焼いてくれるはず。
「まあ、こればかりは運になるので、普通に街を移動しつつ、探していくしかありません」
陽の輪が高い位置にある。秋口とはいえ、じんわりと暑く、汗ばんでいた。
「ところで、野生の馬って、見つけたって乗れるまで慣らすのに時間がかかるよね?」
小川の木陰で休憩しながら、ラズは気になっていたことを訊いてみた。
普通、餌を手から食べてくれるのにも結構かかるんじゃないだろうか。ラズさ動物に慣れてはいる方だが、野生のものが向こうから寄ってきたような経験はさすがにない。
「大丈夫だと思います。聞いた話ではありますが……怪馬はとても賢く、群れで行動して、危険を伝え合いながら身を守るそうです。騎獣にするには、こちらの実力を認めさせ、野生の群れにいるより安全だと思わせる必要があるのだとか」
「実力を認めさせる……ってどうやって」
「まあ、やってみるしかないでしょうね」
「えー……」
ラズは疑いの目をレノに向ける。
そもそも見つかるのだろうか。人の気配に敏感ですぐ遠ざかってしまったりするなら、かなり苦労しそうである。
そんなラズの不信に気づいてか、休憩を終えた後レノは腰のポーチから、中に入っているものをひとつかみ取り出した。
じゃら、と硬質な音がする。
「何それ?」
「私の輝石です」
レノはどこか意地悪げな微笑を浮かべて言った。
それは石というより、爬虫類の鱗のように見えた。一つ一つが小指の爪くらいの大きさで、陽光を受けてレノの瞳の色と同じプラチナに輝いている。
二十個はありそうなそれが、彼の手のひらからふわりと宙に浮かんだ。
ラズは呆気に取られて目で追う。
それらはゆっくりと高く登り、全方位に弾けて風のように飛んでいった。
ラズはそれらをぼーっと見送ったあと、はっして、
「何今の!?」
と食い気味に問いかけた。
彼はその勢いに苦笑いする。
「一つ一つが目や耳の代わりになって、広範囲の探索に使えるんです」
「錬金術……だよね?」
「そうですね。……君は錬金術を使うための<波動>は体から拳一つ分くらいしか届かないと思っているようですが、訓練すれば広範囲に影響を及ぼすことも可能なんですよ」
「試したことなかった……。確かに、剣を強化するときは刃先にも錬金術が届くけど、触ってるからだと思ってた」
「種族によって得手不得手があるみたいですね。
さっきのように<波動>を飛ばすのは、本来小人たちが得意とするところらしいです。
人間は細かなコントロール、巨人は<波動>の打ち消し。竜人は扱える元素が個体によって限られているようですが、他からの<波動>の影響を受けず力を使えます」
「<波動>の影響って?」
「私は今輝石を飛ばしていますが、見えない<波動>が私と輝石の間に存在します。
例えば、その<波動>がある場所に、君が自分の<波動>を使って、君の<波動>の方が強ければ、私は輝石をコントロールできなくなります。巨人なんかは無意識にそれができるので、錬金術の無効化ができるんです」
「そうだったんだ……」
言われて試しに、少し離れたところに錬金術を使おうとしてみる。──しかし、そもそも輝石が自分にあまり合っていないのでコントロールがうまくできない。
悔しそうな顔をしているラズの肩に、大きな手が置かれる。
「合っていない輝石で錬金術のコントロールができるようになれば、自分に合う輝石が見つかった時に以前より力の量や、コントロールの質、スピードも上がりますよ?」
「そっか……そうだよね」
旅の間も錬金術の練習をしていたが、あまり上達しなかったのでめげていたところだった。
「なんでうまくいかないのかなぁ?」
「なんでも直感でやってのけようとせず、一つずつ基本に立ち返ってみては?」
「……はい」
耳が痛い。武術で父に勝てなくて、山脈を散策する許可がもらえず悔しかったとき、父に言われたセリフだ。──あのときは、素振り一日一万回からやり直したなぁ。
それにしても、どうしてレノは巨人の特別な力についてまで詳しいのだろう。──立ち寄った街にいた物知りな老人も、そこまでは知らなかったのに。
「私からも一つ聞いていいですか?」
「なに?」
「君は、戦うのが好きなんですか? 強くなりたい?」
「……ええと」
その問いに、ラズは少しだけ答えるのを躊躇したが、レノの静かな目を見て仕方なく口を開く。
「……競い合うのは嫌いじゃないし、戦うのは、体を動かしたり、とっさの判断でうまく行ったり行かなかったりが楽しい、って思うかな」
ポツリポツリと、本音をこぼす。
「でも、誰かが悲しむならしたくない。今は……人の血を見るのが怖い」
──強くなりたいのか? という問いには答えられなかった。
話している間に、花びらのようにひらひらと、レノの輝石が戻ってきた。
ラズの期待を込めた眼差しに、レノは視線を泳がせる。
「あー……北の方角に見つかりましたが……歩いても六時間の距離ですね」
「おー! なら、走れば夕方までに行って帰れるかな?」
「あっさり言いますね……」
「だって数時間の走り込みの鍛錬くらい、やってたよ」
ふふん、と胸をはる。
レノが嫌そうなのが、ちょっと面白い。
「まあ、君がその気なら、久しぶりにおじさんも走ってみようかな」
「おー! いざ、怪馬探し!」
数時間後、『走る』などと簡単に言ったことを、ラズはとても後悔することになった。
†
「もう少し休んでからでもいいと思いますが……」
「だ、だいじょうぶ……」
例の怪馬らしき巨獣が八頭、遠目に見えるところで、ラズは荒い息を整えた。
実際には少し速めのマラソンペースで二時間ほどだった。
合わない輝石のせいなのか、あるいはここ二ヶ月旅で走ることがなかったからか、思ったより体力が落ちてしまっている。
一方レノは近所を走ってきた程度にしか息が上がっていない。先刻おじさんなどと嘯いたのはどこ吹く風だ。
(レノって本当すごいや……)
そんな人がラズの我がままに付き合って、大山脈から世界の真反対にある荒野まで道案内をしてくれるという。ひたむきに応えねばバチが当たるというものだろう。
──さあ、問題はここからだ。
ようやく呼吸を取り戻し、ラズは今回の目標を注視した。
怪馬たちは穏やかに草を食んでいる。
「……ん? あれ」
怪馬のさらに向こうの茂みに、大きな獣が隠れている。身体にしまがあって見えづらいが、怪馬を狙っている肉食獣の類に見えた。
あの位置関係なら、狩が始まればこちら側に逃げてくるかもしれない。危険だが、チャンスでもあるか。
手近な草から錬金術で縄を作ってみる。
強度が足りないがよりあわせれば使えそうだ。
そうして投げ縄が完成した頃、ちょうど怪馬が走りだした。
群れでまとまったまま、こちらと少し違う方向に走っていく。
「……!」
レノに目配せを送り、合流地点を目指して急ぐ。──間に合いそうだ。
ちょうど、近くに大きめの岩がある。
走る群れ目掛けて縄を投げる。
縄は一頭の胴にかかった。引っ張られて自然に締まる。ラズは引きずられる前に素早く、岩にもう片方をひっかけ錬金術で固定した。崩して固めるだけなら今のラズにもできる。
岩を引きずることになった怪馬の速度が落ちた。
そこに襲い掛かろうとした大きな獣の鼻面に向けて、今度は錬金術で加熱した石を投げる。自分自身の手も少し火傷してしまったが、獣の標的がこちらにうつったので気にしている暇はない!
「ぐるる……ッ」
きっと、ラズの方がひ弱そうでいい獲物に見えるだろう。
そんなことは初めから予想している。
獣が飛びかかってくる瞬間に姿勢を低くして前に転がりかわし、頭上を通り過ぎるその顎に手をあて、力を込める。
(────ごめん!)
錬金術で頭部を破壊し、吹き飛ばした。破壊するだけならコントロールもへったくれもない。
獣の体は勢いのままラズの頭上を通り越し、どぉん、と背後で音がした。
一頭取り残された怪馬は縄を切ろうともがいている。ラズが近づくと角を向け、威嚇してきた。
ええと……ここからどうすればいいんだろう。
「危険な目に合わせてごめん! でも、手を貸して欲しいんだ!」
言葉が通じるはずがないが、とりあえず訴えてみる。頭がいいなら敵意がないことくらい伝わったりするかも……?
「荒野に行きたい、君の背に乗せて欲しいんだ!」
怪馬は目をギラギラさせている。そして、
『───見返りは』
と低いくぐもった声を発した。
見返り? 言葉を操ったことに驚いたが、ラズは反射的に答えた。
「友達になろうよ! 色んなところを見て回ろう!」
『───否。興味がない』
間髪入れず、縄を引きちぎり、怪馬は群れを追って駆け出してしまった。追う暇もない。
遠ざかっていく背中を呆然と見送る。
「……だめだった」
「ああ、いや……すごかったですよ。初めてで手懐けてしまうのかとびっくりしました」
追いついてきたレノは辺りを見回して、顎に手を当てた。
大型の獣が複数暴れた痕跡と、頭部を破壊されて地面に倒れた猫科の大きな獣。小柄なラズが、たった一人でこれらと渡り合ったのだ。そして、ラズの必死で純真な呼びかけに、罠にかけられた怪馬は、通常なら怒るところを、なんと返答までしてくれた。
ほめられてちょっと嬉しくなっていたラズだったが、すぐに別のことに気がいってしまう。
「……はっ! ねえ怪馬って喋るんだね!? 『月喰み』ってそういう由来?」
「あ、いえ……私には聞こえませんでした。言語どうこうというより、念話でしょうね」
「へえ……すごい! 山脈にはそんなのいなかった」
雨を降らせるカエルとか、変身する狸とかはいたが。
「で、何て言われたんですか?」
「見返りはって」
「その次」
「興味ないって」
「ぶっ……」
レノは笑いを堪えている。
「君、そういえばまだ十歳だったんでしたっけ」
「……次は認めてもらえるようになんて言うか考えとくもん」
「認めてはもらってたんだと思いますよ、きっと。あまりに……興味がなかっただけで」
「はー……。あーあ」
ため息が出た。全力で走ったり錬金術を使ったりで、正直かなり疲れていた。
「今日のところは帰りましょうか。──走って」
「……え、う、うん」
走って往復することを提案したのはラズの方だし、夕方には帰るとリンドウに書き置きしたので時間は守るべきだ。
──でも。
「レノ何もしてないじゃん。ずるい」
「おんぶしてあげましょうか?」
「……いい」
輝石がないと生命が危ないんじゃ?飛ばして大丈夫なの?というツッコミをいただきました。
『ひとつかみ』という描写にある通り、全部じゃないので大丈夫です!
レノの探索の術名は、<細雪の導き>だそうな。




