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領の動乱(19)……Day 3

「ビライシェェンッ!!!」


 突如、太い声が外壁を震わせた。


「────!!」


 ビライシェンがびくりと反応し振り返る。<狼男>はすぐに馬から降り、傭兵の姿のまま短剣を構えた。

 弧を描く外壁の向こうから姿を見せたのは、ピアニーの父──警務卿ブレイズ。続いて副官と何人かが駆けてくる。見慣れない旅装束──ということは、あれがファナ=ノアの言っていた『竜人』だろうか。

 父が来てくれた──そのことに、ピアニーは少なからず安堵を覚えた。しかし、得体の知れない組長と<狼男>に対し安易に動けないうちは、油断できない。

 参謀役であるゲイルが居る前で、あんな遠くから気を引くように叫んだりするのはわざとらしい。ということは既に背後に伏兵を配置しているはず。

 ピアニーは切羽詰まった口調を装って、ビライシェンに問いかける。


「──ッ私を置いて、すぐにお逃げになった方が良いのではなくて?」


 これで慌てて逃げ出してくれれば、おそらく父の勝ちだ。──しかし。

 思惑に気づいてか否か、ビライシェンは踏み止まって<狼男>からピアニーの手首を縛る縄の端を奪い取った。人質のカードをどう使うかが勝敗を分けると判断したのだろう。ピアニーは唇を噛んだ。


 ブレイズはもう、走れば十秒ほどの距離に来ている。

 彼は抜き身の長剣を構え、ビライシェンに向けた。


「問答は不要だろう──覚悟はできているんだろうな」


 背筋が寒くなるような、凄みのある低い声。

 続いて咎めるように、上空から涼やかなアルトの声が響いた。


「ブレイズ殿……! 首を刎ねるつもりなら、私は止めますよ」


 見上げた先に、白い髪を風になびかせた小柄な人影が浮かんでいる。金の刺繍がほどこされた白いローブをはためかせる、さながら天使のような出で立ちのあの人物は──ファナ=ノアだ。

 ブレイズは鋭く言い返す。


「それでどうするんだ? 救い難い人間というのは必ずいる。こんな危険なやつ、牢に繋いでもおけんだろう」


 その言葉に、ファナ=ノアは小さく嘆息した。


 後ずさるように、ビライシェンはピアニーに一歩近づく。仮面の奥に見える赤銅色の瞳には、緊迫した色が浮かんでいる。


「!! 娘に、近づくな!」


 ブレイズが怒鳴った。──たった一歩で、いくらなんでも過敏に反応し過ぎではないだろうか。もしあれが例えば気を引くための演技だとしたら──ラズはどこだろう。


 ざわ……


 突然、背筋が凍るような<波動>を感じて、ピアニーは身を固くした。ブレイズが舌打ちして後方に大きく跳躍する。発生源は──


(ビライシェン様が──特殊な力を隠し持っている!?)


 それはピアニーではなく前方のブレイズや竜人らに向けられたものだったが、ともすれば気を失いそうな(おぞ)ましさを感じた。一瞬後、それを遮るように、ふわりと別の気配が周囲を満たす。


 ビライシェンは上空の白い人影を一瞥して苦々しげに呟いた。


「まさか……オレの死の力を打ち消しているのは、あなたか」

「あなたの力の本質は光……死ではなく、生の力でしょう」


 ファナ=ノアは答えながら、少し高度を下げる。

 仮面の奥の赤銅色の眼差しが憎悪に歪んだ。


「竜巻を起こさないのは、側にこの令嬢がいるからかな」

「……私はあなたのことだって、傷つけるつもりはありません」


 ファナ=ノアの紅い双眸は物憂げに揺れていた。

 そんな中、ブレイズが大きな声で叫ぶ。


「ピアニー! 無事か!?」

「……え、ええ!」


 ──しかし、さっきからなんとなく耳鳴りがしている。


 ァァァァ………


 まるで、どこかから叫び声が聞こえるような。

 ピアニーは身体が小刻みに震えるのを感じた。この仮面の青年の近くにいると危ない──早く、離れたい。縄を切って──? しかし、それをこの青年が良しとするはずがないだろう。嫌な予感がして、足が(すく)む。


 不意に、ファナ=ノアが空を見上げた。


「…………?」


 ピアニーもその目線の先をちらりと見る。


「ぃゃぁぁぁああ────」


 ──耳鳴りじゃない。上空から、小さな声が降ってくる……?


 ばさっ。


 ひときわ大きな羽音が轟いた。そして、どんどん近くなってくる声……というより悲鳴。


「ゃああああああ!!!」


 ばさっ!!!!


 叫び声と共に、巨大なこげ茶の怪鳥がすぐ後ろに──視界いっぱいに落ちてきて、ピアニーは驚いて声を上げた。その背にしがみついているのは──


「リンドウっ!?!? ユウちゃんも!!??」

「ふええぇっ」


 砂埃の中で、ドサっと地面に落ちる音がする。馬が怯えて嘶いた。

 怪鳥がもがいてばさりと羽を打ち、みるみる小さくなっていく。

 誰もが唖然として見守る中、ビライシェンが何事か、ぽつりと呟いた。


「……()()──?」


 仮面越しのくぐもった声は平坦だ。怪鳥を腕に抱いてぐったりとしていた少女は名前を呼ばれてもぞ、と顔を上げた。──なぜ、ビライシェン……鋼務卿の息子が小人の少女の名を呼ぶのだろうか。


「…………」


 茜色の瞳が仮面を映す。しばらく見つめた後、ユウは心当たりがないようにきょとんと首を傾げた。そしてすぐに、ある一点──ビライシェンの側で震えている馬の後ろに視線を移す。

 あどけない表情でぱちぱちと瞬きした。


「おにいしゃん? ……かくれんぼですか?」

「!?!?」




 † † †




(──っ気付かれた!!)


 隣で吹き矢を構えていた犬面の女性が、間髪入れず矢を放つ。

 背後から足を忍ばせて近付いていたラズは、突然の乱入者に動揺したものの、どうにか気付かれずに、吹き矢の射程まで近づいた──のだが。

 ユウの目線を追って振り向いたビライシェンと眼鏡ごしに視線が交錯する。


「…………っ!!」


 首筋を狙った針状の矢は、すんでで避けられその立襟に刺さった。──失敗だ。

 ビライシェンが間髪入れず電磁波を放つ。ラズは退がって<犬>を庇いながら歯噛みした。

 警戒されているうちは、もう射程に入れないだろう。この距離では電撃も届かないし、あとは竜人の真似事をして物を投げてみるか──。

 距離をとったラズたちを、ビライシェンが鋭く睨む。


「犬の面……! (ミクレル)を襲ったのはやはりお前たちか」

「……叩きのめしたのはピアニーだけど」

「──その言い方はひどくない!?」


 ピアニーがビライシェンの脇から抗議した。さっきまで硬かった彼女の表情が少し緩んでいる。外傷もないし、様子はいつも通りだ。

 電磁波の攻撃が来たらいつでも退がれるように油断なく間合いを測りながら、ラズは少しつっけどんな口調で言い返した。


「どうせ()()も、自分でなんとかする気で捕まったんだろ」


 ぎくりとしたように表情を強張らせ、彼女は気まずそうに目を逸らす。


「怒っている──のね」

「べっつに! そうでもしなきゃ今頃ここにいるのはディーズリー夫人だったんだし」

「お母様はご無事よね?!」


 彼女は母親を助けたかっただけだ。──その気持ちは、痛いほどに分かる。だから、それで彼女を責めたくはない。なのに、なぜかムカムカする。


「そんなん、自分で確かめたら!」

「私は<犬>さんに訊いているの!!」

「あ、あのお二人とも……喧嘩してる場合では」


 犬面の隠密が呆れたようにぼやいた。まあ確かに悠長にできる状況ではないが、背後からの奇襲が失敗したなら、今度はこちらに敵の気をこちらに引いておく作戦だ。手段はなんでもいい。


 口論しながらも、状況には気を配っている。

 落ちてきたユウとリンドウはラズのすぐ近くで唖然としながら状況を見守っている。

 ビライシェンとは十歩程度の距離。ビライシェンの側には馬、そしてピアニー。

 彼らを挟んで反対側……距離は倍程度の位置にいるブレイズと竜人たち、そして上空にファナ=ノア。間には、大柄な傭兵が一人立ちはだかっているだけ。おそらくあれが<狼男>……どれだけ強いかは分からないが、ブレイズたちからすれば大した脅威では無いはずだ。

 ピアニーをすぐにでもビライシェンから引き離したいが、それは即ちビライシェンにとって負けを意味する。彼は他人を犠牲にすることをむしろ望むような傾向がある。下手に追い詰めると何をしでかすか分からない。

 ブレイズの横にいるシャルグリートに目配せしてから目線を戻したとき、ビライシェンは羽根のような装飾のついた仮面の奥で低く呟いた。


「……君たちが、羨ましいな」

「──何だよ、急に。……あんたさっき、ユウちゃんの名前を呼んでたけど……なんで」

「もともと、ウチにいた奴隷だった──それだけさ」

「あんたんちの奴隷は半年前に全員逃げたって聞いたけど」

「…………」


 彼は答えない。俯き加減で仮面の奥が翳り、全く表情が読めない。ぶつぶつと、何か呟いている。


「オレには、要らない……必要ない──そう言ったのに、どうして、今」


 その向こう側で、シャルグリートが水晶の針を錬成しながら走り出した。

 <狼男>が吠えて立ち塞がるのを、ブレイズが斬り伏せる。けたたましい断末魔に、ビライシェンがはっとして振り返った。その視界の中、水晶の針がシャルグリートの手を離れて加速を始める。


「……っ!」


 彼は即座に縄を手繰り寄せピアニーの腕を掴んで引いた。盾にするつもりか──シャルグリートは目を見開いたが、水晶の針は勢いのまま宙を滑っていく。たしかあの技は遠隔でコントロールが利くのだ──だから、人質に当たりはしないはず──。

 そう思ったとき、仮面の青年から、総毛立つような気配が迸った。ごく至近距離……ピアニーに対して。


「な……っ!!」


 なぜ。


(ビライシェンにとっては、人質を盾にして傷つけた時点でもう後がない──)


 ──彼女を危険に晒せば、こちらは見過ごせないと踏んで?

 それでもラズは、咄嗟に手を伸ばしていた。


 彼女の一つに束ねられた長い髪が緩やかになびく。


「やめろ、ビライシェン!!!」


 ブレイズが叫んで、地面を蹴った。


(だめだ──ブレイズさん)


 この状況で、ビライシェンに斬り掛かれば、巻き込まれてしまう……あるいはそれを狙っているのか。

 ラズがピアニーを庇っても、この距離で彼の術をまともに浴びれば、二人とも無事では済まないだろう。──その矛先を、自分に向けさせるため?

 ビライシェンの澱んだ<波動>が広がって、盾として引き込まれたピアニーと、かばうように反対側から飛び込んだラズを呑み込んでいく。


「……ピアニーっ!!」


 彼女の大きな瞳に映り込むラズの表情は必死で、今にも泣きそうだった。


 ──……友達だから、助けたい?


 突き飛ばすように、彼女の肩に触れる。強い力をかけられた縄は既に脆くなっていたらしく、あっけなく千切れた。勢いのまま、両の腕でしっかり捕まえる。せめて、自分の背中で守れるように。


 ファナ=ノアの声が、やけに遠く感じる。


「──ラズ──!!」


 いつもと違う必死な声。──大丈夫だと、返事をしなければ。


 次の瞬間、ビライシェンから強烈な電磁波が(ほとばし)った。


「────ッ」


 全く同時に、逆位相の電磁波を錬成する(ぶつける)。完全に打ち消すには、きっと生命力が足りない。そもそも輝石がなくて、力が出しきれない──それでも。母を、故郷を喪った後悔を、繰り返したくない。


((────守りたい!!!!))


 腕の中から、声が聞こえた気がした。じわり、と温かな力が(あふ)れて混じり合う。

 枯渇すると思われた生命力が、どこからか無限に湧いてくる。──自分だけのものではないような。


 数瞬の、せめぎ合い。


 仮面の奥の赤銅色の目が見開かれる。


 ──ザザッ


 飛び込んだ勢いのまま、その効果範囲から逃れ、石畳を滑り踏み止まる。


(──守り、きった)


 今度こそ。


「────ピアニー、大丈夫!?」


 間合いを取って腕を(ほど)くと彼女はその場にぺたんと尻餅をついた。顔色が悪いまま、こくん、と首を縦に振る。

 安堵を覚え顔を上げた視界に飛び込んで来たのは────腹部に長剣を浅く食い込ませたまま膠着するビライシェンと、ブレイズの姿だった。

 ビライシェンの四肢には、水晶の針が突き立っている。舞踏会風の仮面が割れ、石畳みに落ちてカラン、と音を立てた。

 赤銅色の瞳を苦悶に歪ませ、ビライシェンは腕に刺さった針を引き抜く。

 次の瞬間、ビライシェンは馬にひらりと飛び乗った。腹を蹴られた馬が、怯えたようにいななき、走り出す。

 はっとして風で捕らえようとしたファナ=ノアは、すぐに諦めたように腕を下ろした。弧を描く街の外壁に沿って走るその姿は、あっという間に見えなくなる。


 風が、岩間に伸びた草を揺らしさわさわと音を立てた。そして──


 がしゃん。


 ブレイズの手から、こぼれ落ちた長剣が石畳を叩く音が、いやに大きく響き渡った。


「────ブレイズさん!!!」


 領最強の剣士は、ゆっくりと膝をつき、うつ伏せに倒れ伏した。

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