領の動乱(12)……Day 2
同時刻──。
領主城のある街から北西に馬の足で約一日かかる場所。背の低い雑草がまばらに生える程度で土地は貧しい土地。
怪物も多く、領民が立ち寄らないその岩石地帯に、今は小さなテントがいくつか張られていた。
年齢にばらつきのある、五人の男女。
夕食後の跡片付けなのか、燃料の火種を踏み消している。
人間の平均より身長が高く、いやに尖った歯が目立つ──その種族を、竜人という。
雨上がりの静かな岩場で、彼らは雑談をしている。
『結局シャルグリートさんに追いつけなかったねぇ』
『俺たちの方はほとんど道に迷ったようなもんだからな……あいっつ、南にまっすぐって適当すぎんだろ。しかもこの付近、怪物が多すぎる』
竜人の一人がぼやきながら、飲み水をあおる。ちなみにこの辺りはまだ小川が流れているが、ここから先、荒野に近づくほど、だんだんと水は貴重になっていく。
彼ら……竜人<牙の民>の使節団が、山地を発って一週間と少し。馴馬様の怪馬での旅の中、リーダー役であるはずのシャルグリートが急に『人間の街に用ができた』、と姿をくらましたのは昨日のこと。そのため彼らは仕方なく、地図に頼りながらなんとか旅を続けていた。──まあ、もともと一番強いから従っているだけで、誰もシャルグリートに集団行動など期待はしていない。
そろそろランタンの明かりを消そうかという頃、ばさり、と大きな羽音がした。
竜人たちははっと身を固くする。
『野良竜か?!』
『こんなところにいる訳ないだろうが! ……あれは────でかい、鳥?』
『背中に誰か乗っているぞ!』
竜人たちが固唾を飲む中、二羽の怪鷲が地面に舞い降りた。馬ほどもある体躯の巨鳥。翼を広げれば その幅は人の身長の三倍もありそうだった。
その背中から降り立った……いやずり落ちた青年は、たたらを踏んでずれた瓶底のような分厚い眼鏡を持ち上げた。
『や、やっと見つけました……!』
† † †
使節の竜人たちはなんだ、と拍子抜けした表情をした。
『お前……アクラキールか。それは小人の騎獣なんだな』
『は、はい……』
アクラキールは竜人だ。ただし、彼ら<牙の民>ではなく<翼の民>の血が濃いので、歯は尖っておらず、服の上からは分かりにくいが肩甲骨付近に小さな翼をもっている。
巨鳥の背には、まだ二人乗ったままだ。羽飾りがたくさんついた白いローブに身を包む小人の少年と、もう一人、人間の青年。竜人たちは一瞥しただけで興味がなさそうに視線を戻した。たぶん、あまり強そうではないと思ったのだろう。
使節団の中で、アクラキールと同年代の若い男が前にでてきた。
アクラキールは自然と身構えてしまう。その男のことはよく知っているからだ。──それはもう、とても。
『なんで、ノコノコ迎えにきたんだ? そんなに俺たちのことが恋しかったのかぁ?』
いきなりの威圧的な態度。
故郷だとだいがいこうだ。もはや条件反射的に身体が硬直して、 縮こまってしまう。
『ち、ちが……』
『違う? つれないこと言うなよ。あーそうだ、喉が渇いたんだ! そこの窪地に、湖を作ってくれよ。俺の言うこと──もちろん、聞いてくれるよな?』
竜人の若者が、アクラキールの肩にがしっと腕を回した。仲間の竜人たちは笑っているだけで特に咎めない。こんなのは、いつもの光景だから。
そういえば、この一団を率いているはずの義弟、シャルグリートの姿が見えない。……まあどうせ、いたところで彼もアクラキールのことをまともに扱ってはくれないだろうが。
竜人の掟は、『戦う力が強い者が弱い者を従える』……臆病なアクラキールは、族長の息子でありながら、序列を決めるコロシアムにすら出ない。ゆえに故郷では奴隷並みの扱いを受けていた。しかし、だ。
『え、ええと……』
ここは故郷の山地ではない。そして、荒野に一人先んじて派遣された彼には今、重要な役目がある。
青い顔でぱくぱくと口を開閉させながら、しどろもどろに言葉を発する。
『そ、それはまた後で……』
『は?』
いつもと違う反応に、同胞の若者は目を点にした。
『……なんで、口ごたえするんだ? お前、族長代理に指名されて調子に乗ってるのか? 厄介払いだぜ? ただの』
『────っ』
凄む彼の目に映る、アクラキールの色素の薄い茶色い瞳が、みるみる潤んでいくのが分かる。彼に課せられたのは同盟を結ぶ小人の言葉や文化を学ぶ役目──君しかできない、と銀髪の義兄は肩を叩いてくれたのだ。しかしそれも、厄介払いと言われればそんな気がしてきてならない。
『そ、そうです、よね……』
弱々しい愛想笑いが漏れた。
『僕なんてどうせ、役立たずの浄水器です──』
『……ぶっ』
『ははははっ! なんだコイツ、相変わらずヘンなこと言いやがる』
……馬鹿にするように、腹を抱えて笑われるのも、いつものことだ。
同じ鳥に乗ってやってきた人間の青年は、その光景を後ろから気分が悪そうに眺めていたが、やおら咳払いした。
竜人たちは、鳥の背から降り立った青年をギラリと睨む。彼らからすれば、随分と横柄な態度だった。
「おい──」
青年が何か言いかけた時、竜人の一人がつかつかと詰め寄った。三十路半ばの女……その冷たい表情に、人間の青年はぞっとしたように身構える。
バキッと、鈍い音が岩石地帯に響いた。女の竜人が、唐突に腹を殴り飛ばしたのだ。青年の方は防御すら間に合わなかった。
『調子に乗るんじゃないよ、人間が。アタシたちは強いやつしか認めない』
地面を滑って倒れる青年を見て、アクラキールが悲鳴を上げる。
「──アイビスさん!」
「くっそ……」
身を折ったまま、人間の青年──アイビスは顔を歪めた。その手は腰のホルスターにかかっていたが、竜人の女に睨まれて、悔しそうに手を下ろす。銃を使ったところで一発撃ってもし当たったとしても一人倒せるのがせいぜいで、相手を逆上させるだけである。
彼は代わりに、アクラキールに向かって叫んだ。
「キールの旦那! 胸を張れ。深呼吸して、冷静になれ! 俺たちは、話をしにきたんだぜ!!」
「は、は、はい……っ!?」
こんな状況で、気持ちが挫けないなんてすごい。そりゃそうだ。あの人は郷に来たその日から皆のリーダーになっていた。初日から目をつけられ、逃げ回っていたアクラキールとは別次元の人種なのだ。──けれど。
震える手をどうにか握り込んで、言われた通り深呼吸する。
ファナ=ノアに『頼む』と言われた。あのファナ=ノアにだ。
以前のアクラキールなら『無理です』と言っただろう。あるいは『出来るだけやります』と濁して、竜人たちが話を聞いてくれないと『ほらやっぱり、無理だった』とすぐに諦めただろう。
(
『キールはどうして、荒野に来てくれたんだ?』
『そ、そ、それは……。ラズくんが、すごいと思ったんだ……あんな小さいのに、辛い思いをしたのに、みんなで仲良くしたいから力を貸してほしいって……。だから、何か……してあげたかったんだ』
)
……そうだ。なんのためにここに来た?
もう一度、深呼吸する。
荒野の人たちはみんな優しかった。ファナ=ノアも、リンドウも、エンリもウィリも。何もしてないのに、『ありがとう』と言ってくれた。アクラキールのことを『すごい』と。『頼りにしている』と。大好きな人たちができたのだ。
竜人たちに向き直る。
肩を回して、胸を張り、肺いっぱいに息を吸う。
『──こ、こここ荒野の盟主は、ぼくら竜人に、同盟の誓いに基づいて、い、今、手を貸すことを求めているんです!』
震えているがはっきりした声に、竜人たちは驚いた顔をする。
『なんだよ突然、お前がそんなに喋るなんて、珍しいな……』
『荒野の盟主? お前もう乗り換えたのか? この負け犬が……!』
肩を組んでいた竜人の腕に力がこもり、アクラキールの首を締めた。たちまち、恐怖が戻ってくる。奥歯がガチガチと鳴った。
『っ──』
『話は聞いてやる……それが俺たちの仕事だからな。だが、先に口答えしたことを謝れ、今なら土下座で靴をなめるだけで、赦してやるよ』
『…………』
黙っていると、突き飛ばされた。足が震えて、膝をついてしまう。
(土下座で……靴を……)
それで事なきを得るのなら、言いなりになるのが一番の近道かもしれない。今まで何度もやってきたことだ。今更何も──
仲間の人間……アイビスが、立ち上がれないまま、アクラキールを凝視している。
『…………』
──本当にそれが一番いいのだろうか?
アクラキールの動きがぴたりと止まった。
──それは、背中を押してくれた人々を、裏切る行為ではないのだろうか。この先、彼らが小人の郷に立ち入って、小人たちに横暴を働くことがあったときも、口を閉ざし、下を向いて過ごすのか。
『…………です』
『あ?』
アクラキールは、膝をついて俯いたまま、声を絞り出した。
『いやです!!!』
『……おい』
震える足で、立ち上がる。呼応するように周囲の水分が凝結して、水滴が辺りに浮かび上がった。
────アクラキールの、水の錬金術。
『守る為なら、僕だって!!!』
『てめ──』
この力を人相手に使うのは初めてだ。水にしても氷にしても、金属などの攻撃手段を持つ同胞には敵いっこないと思っていた。
だが──人体の三分の二は水分だ。
殴ろうと腕を振り上げていた、竜人の男の表情が強張る。
『な──』
動けない? その額に流れた冷や汗が霧散して消える。
対するアクラキールも、ずり落ちた瓶底眼鏡の位置を直す余裕さえない。ここから、どうしたらいいか分からないのに、術の行使によって体力がどんどん削れていく。──リンドウが言っていた。血液を沸騰させれば、簡単に命を奪えると。でも、そんな恐ろしいこと。
相手は額に青筋を浮かべている。鋭く尖った歯をぎりと噛み締めると同時に、その腰から下げていた白い──石灰の三節棍の端が砕けた。
『!?』
アクラキールの水が引っ張られたかと思うと、途端凄まじい閃光が弾ける。ずれた眼鏡がちょうど光を歪めて目を守ってくれたものの、視界が真っ白になった。しかしそれでも、周囲の水分の支配だけは緩めてはならないと──そう思った。
唖然とした竜人たちの声が微かに聞こえる。
『アクラキールが……あいつと対等に渡り合えたなんて』
────渡り合えて……いるのだろうか。
『うっ……』
力の使いすぎで、目眩がした。ぼんやりと戻ってくる視界に映る竜人は巨大なものに鷲掴みにされたかのように微動だにしない。
その苦悶に満ちた表情を見上げ、アクラキールは叫んだ。
『ここは、竜人の土地じゃありません──! 僕のことなんか、どうでもいい! 竜人と小人の友好のために、僕と、ファナ=ノアに、協力してください!!』
『…………ッ!』
竜人の若者は、信じられない様子で瞬きした。
その時、突然、大きな声が響き渡った。
『よく言ったあああ!!!』
『!?』
岩石地帯に反響するバカでかい声に、その場の全員が振り返る。
少し大きな岩の上に、銀髪の青年が仁王立ちしていた。マフラーを引き下げ、尖った歯を見せて、ニカッと笑う。
『キール、かっけえとこあんじゃねえか!!』
『……っシャルくん?!』
シャルグリート……二つ年下の異母兄弟の登場に、アクラキールは目を瞬かせた。
『へへっ、ヒーローは遅れて登場するってな!』
彼はすたっと地面に降り立つ。
『か、かっこいい……!』
アクラキールが感嘆する側で、殴られた腹を押さえたまま、人間の青年……アイビスがぼそりとつぶやいた。
「言葉は分かんねぇけど……ぜってーしょうもないこと言ってるなアレは」
「おいソコの。後で覚えてろヨ」
半眼でツッコミながら、シャルグリートは殴りかかる体勢を解いた竜人の若者との間に割り込んできた。
『キール、ファナ=ノアの協力ってなァ何の話だ?』
『あ、ええと……とにかく人間の街に皆を連れてきて欲しいとしか』
『はぁん……? ま、いいぜ。今回、人間におかしな力を使う奴が混じってるからな。ラズに貸しを作るチャンスだ──へっへっへ』
彼はいかにも極悪な顔で笑ってみせる。
『どこが正義の味方だよ』
竜人の若者が呆れたようにぼやいた。シャルグリートは碧い三白眼でその若者をギッと睨む。
『そうだ、お前今後、キールを下に見んの禁止な』
『は? あんただって今まで一緒にやってたじゃねえか!』
『ケッ、興味ねえな』
シャルグリートは肩をすくめた。そして、振り返って異母兄の瓶底眼鏡を取り上げる。背丈は変わらないが彼の方が筋肉隆々だ。
『あっ』
『お前まだこれかけてんのな。……悪かったよ』
彼の手の中で、ガラスの眼鏡の形状が変わっていく。分厚さは変わらないものの、瓶底のような歪みがとれて見目がよくなった。シャルグリートの錬金術……ガラスや水晶といった構造物の操作を、彼は得意とする。
アクラキールは返された眼鏡をまじまじと見つめた。
『人からモノをもらったのは初めてで……。人の顔も見えなくなって、ちょうど良かったんだけど』
実はこれは十年近く前、シャルグリートがひねくれだした頃にアクラキールに贈ってくれたものだった。適当に錬成したダサい眼鏡……当人はからかいのつもりだったんだろうが、当時すでに居場所がなかったアクラキールにとっては嬉しかった。
あの頃、シャルグリートはアクラキールにとってヒーローだった。結局その後シャルグリートもいじめる側に回ったのだが、彼はやたらパシる──こき使うだけで、殴ったり罵ったりはしなかった。
『ありがとう、シャルくん』
すっきりとした眼鏡をかけなおして、アクラキールは照れたように笑った。
シャルグリートも明るく笑う。今の彼の表情は、昔みたいに真っ直ぐでかっこいい。
『いや、見直したよ。マジで。俺が来なくてもなんとかなってたんじゃねぇの?』
『い、いや……やっぱり僕は、戦うのは駄目だよ……』
『お前さ────……ま、いいか』
シャルグリートは人相の悪い三白眼を吊り上げて笑い返し、自分の怪馬に飛び乗った。
今しがた日輪が大渓谷に沈んだばかりだ。今から休憩を挟みながら移動したとすると──人間の街に着くのは、朝方になるだろう。




