領の動乱(10)……Day 2
翌日の午後、荒野の小人の郷にて。
あっという間に小さくなった二羽の鷲の姿を見送って、小人の少女ユウは不満気に足元の石を蹴った。
「いっちゃいました……」
五歳くらいの愛らしい容姿に、背丈ほどある茶色の長い髪。繊細な髪質であるため、風でなびくと茜色に光る。
石が転がったその先に、小さな鷲……怪鷲の若鳥がぴょん、と跳び降りて、ユウを見上げクルクルと鳴いた。今回連れていけない鷲は、女司祭ウィリが預かることになっている。
「さみしいですか? パパとママがいなくなって」
親なのかどうかは知らないが、決めつけて話しかけてみる。
ユウが近づいても鷲は逃げない。
「クルクル……」
「ねね、あそびましょっ」
ぱっと羽毛に触れ抱き上げる。首元はふかふかでとても柔らかだ。
「あっち! こないだ、くろいおにいしゃんとあそんだとこで」
怪鷲を抱いたまま、ててて、と駆け出す。
女司祭ウィリが気がついて声をかけようとしたがやめたようだった。──そうそう、ちょっとくらい大丈夫だ。
少女ユウが向かった先は、郷外れにある石油の研究施設だった。
施設といっても、岩を掘ってくりぬいて、換気と採光用に天井にいくつか窓があるくらいの簡単なつくりだ。同じく岩の机の上には、所せましと羊皮紙やガラスのビーカー類が並んでいる。彼女が来るといつもこうだ。
「リンおねえしゃん」
声をかけると、立ったまま目線の高さで試験官を睨んでいた黒髪の女性が振り返る。三十歳前後の、吊り目の美人。小人ではなく人間なので、ユウの身長だと目線はせいぜい彼女の腰辺りだ。
「その鷲……新しい騎獣だっけ」
「きじゅー?」
「背中に乗って、空を飛ぶんだよ」
「えー、おそら、とびたいです」
無邪気な物言いに、リン……もとい、ラズの叔母リンドウは苦笑した。
「石油で変異するらしいけど、何に反応してるのかなぁ」
彼女が興味深げに覗き込むと、怪鷲はくるっと鳴いてそっぽを向いて、ユウの腕から飛び出した。そのまま、机の上にバサッと飛び上がる。
「あー!」
「わ、ダメ!!!」
怪鷲は取り合わず、芳潤な香りが漂う透明なビーカーに頭を突っ込む。ズズズ、と嘴で器用に飲んでしまった。
「クルルー!!」
いかにも美味しそうに、バサバサと大きな翼を羽ばたかせる。
「ペンタン……飲んじゃった」
「ぺんぎん?」
今飲まれた精製油の名前だとは分からず、ユウは首を捻る。
若鳥が机から飛び降りた。心なしか……いや、明らかに大きくなっている。
巨大化を続けながら、むくむくとした羽毛に包まれた頭をユウに摺り寄せた。
「ペンちゃん?」
「クルクル!」
「あ! せなか、のっていいの、です?」
怪鷲改めペンちゃんは大きくなった翼を広げて、背中を低くする。その大きさはもはや、人間の大人二人でも余裕で乗れそうなくらいだ。ユウはドキドキした。
「わぁい!」
「あ、ちょっ──!!」
リンドウの制止の声を無視してもう建物の中だと窮屈そうなその背中によじ登る。
「おねえしゃんもー!」
「私はいいって……それより、気をつけなよ──ってあええ?!」
リンドウの体がふわっと浮かび上がる。ユウはこのひと月でかなり術が使えるようになっていて、高くは飛べなくとも人ひとり浮かすくらいなら、余裕なのだった。
「やめっ──きゃっ」
リンドウはどさっと鷲の背中に落とされ、とらえどころのない羽毛に顔をうずめる。と同時に、怪鳥は翼をバサバサさせながら洞穴の短い通路を走り出した。
「しゅっぱーつ!」
「クッルルー!!」
「うそおおおお!?」
元気に掛け声をあげて、二人と一羽は、あっというまに大空に飛び上った。
† † †
そろそろ日が落ちる刻限だ。
領主城を出て、側付きの兵士が憲兵隊に変わったところで、ぐっと伸びをする。
「会談、お疲れ様です」
「ありがと……」
ラズは微妙な表情で返事をした。
人通りの少ない南門近くで立ち止まる。
「僕は案内、ここまででいいよ。ノイ、悪いけど昨日言った通り、先に街を出てて」
やれやれという調子で頷くノイの横で、兵士が怪訝な顔をした。
「ええと……なぜ」
憲兵隊の中隊長が、今晩の宿も手配してくれている。なぜ宿に泊まっていかないのかと思ったのだろう。
ちなみに、昨晩シャルグリートも便乗とか言って同じ部屋に泊まり──一悶着ののち床に転がしたが──朝になったら居なくなっていた。
戸惑った様子の兵士の顔を横目で見遣る。
「……すぐに分かるよ、多分」
目を合わせることができず、ラズは言葉を濁した。
……今日の昼過ぎから行われた領主城での会談。
そこでラズが言ったことは、憲兵隊に対する裏切り行為に等しいのだから。
†
†
──昼下がり、物々しい警備が敷かれた、領主城にて。
かつては重たい木で作られていたはずだが、数ヶ月前に小人たちによって爆破されて燃えたため、今は鉄の門扉に置き換わっている。
午前中、春先のこの地方では珍しい雨が降ったため、コートなしでは肌寒い。しかし、昨日散々街を駆け巡って血痕までついたコートは着てくることができなかった。
今身に纏っているのは、黒を基調とし、人間の貴族のジャケットに似せた礼装だ。装飾も付いており、華美でないにしても城内を歩いても恥ずかしくはないようにあつらえてもらった。──余談だが、ソリティ司祭は『ファナ=ノアの白と対照的で良い』とたいそうご満悦だった。
案内をしてくれた憲兵隊は門の外まで。剣を預けてから、肩の紋章が違う──領主軍の兵士の後に続いて城内の階段を登っていく。
緊張した面持ちで後ろを歩く戦士ノイはさっきから一言も発しない。服装は似ているが、彼のジャケットの色は紺だ。
三階の大きな扉の前で、案内の兵が、コンコンコン、とノックをした。待つ間、すう、と深呼吸する。
「入れ」
天井の高い部屋に、大きな長いテーブル、窓を背にして、二人の人物が座っている。軍務卿レイチェル=リーサスと、鋼務卿グラディアス=エンデイズ。そして、鋼務卿の後ろに、背の低い青年が控えている。柔らかい物腰に、微笑みを浮かべる口元。
(…………!)
どこかで会った──そうだ、一ヶ月くらい前、山地からの帰りに、鉱山都市に寄った時。身なりから大商人か何かと思っていたが、鋼務卿に縁のある貴族だったのか。……確か、妻を亡くしたと言っていた。あの時ラズは髪を染めていて、傭兵団に同行していると身分を偽った記憶がある。
──しかし、だからどうと言うほどのことではないはずだ。落ち着かなければ。
ラズは扉を潜って、ゆったりと礼をとった。──練習通りに……身体を動かせば、緊張がとれていく。──大丈夫だ。
(重要なのは、相手をよく観察すること……)
こくりと唾を飲み込み、彼らを見回しながら名乗る。少し伏せ目で鋭い目つき──落ち着いて話せば威厳があるように見えるだろうか。
「ご無沙汰しております。荒野……<聖教国ノア>より使者として参りました。ラズと申します。成年前につき諱名はございません、何卒無礼をお許しください。──こちらは戦士長、ノイと申します」
隣でノイがぎくしゃくと頭を下げる。
対する卿らも、儀礼どおり厳かな口調で自らの名を口にした。その後で、鋼務卿の後ろの青年が口を開く。
「私は鋼務卿の補佐として同席させていただきます、ビライシェン=エンデイズです。以後お見知り置きを」
(────!!)
今度こそ身体が硬直した。
その名は聞いたことがある──鋼務卿の嫡男で、武装組織を裏で仕切っている人物のはずだ。
赤銅色に透ける長い髪と瞳。その表情はにこやかで、腹の底は窺い知れない。彼は配下の組織で折檻していたアイビス青年を助けたのがラズだと知っているはずだし、同時期に憲兵隊に情報が漏れたことからその繋がりを最も疑っていることだろう。
動揺をひた隠し、ラズはにこりと笑いかけた。
「……ビライシェン殿、お噂はかねがね。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
──平静に、返答できただろうか。
軽く頭を下げたとき、口の端が少し引き攣っていたかもしれない。
薦められてから正面の席につき、ラズはできるだけ落ち着いた口調で話を切り出した。
「私は本来、領主トーマ様に、我らが盟主たる法王ファナ=ノアとお会いいただくための書簡を届ける役なのですが──」
言いながら、取り出した封蝋つきの紙面を、扉の側に控えていた文官に渡す。
鋼務卿が眉を顰めた。
「さっきから、国……王と言っているか?」
「──ええ。ファナ=ノアの覚悟とお受け取りください。荒野の者は、この領、及び平原の国に伏するつもりは微塵もないと」
鋼務卿の後ろで聞いていた青年──ビライシェンがはは、と笑った。
「それは見上げたご覚悟だ。……本当に素晴らしい」
軍務卿が諌めるように咳払いする。青年は肩を竦めた。
「それはどうも。──ところで、街で気になる話を耳にしまして。本題の前に少し、宜しいでしょうか」
丁寧な言葉となるよう気をつけつつも、語気を強めて睥睨する。先の戦いで勝ったのはこちら──彼らが気持ちの上でいかに小人を見下していようとも、この場で強気には出られまい。
「秋の戦いの折私達に手を貸した、という罪で警務卿を投獄したのだとか」
一同の表情に緊張が走った。いや、鋼務卿の後ろの青年だけは涼しい顔をしている。
「私達にしてみれば、不愉快極まりない。彼の手を借りずとも、あの程度の師団を屈服させることは容易だったのですから」
すらすらと嘘を口にする。──故郷でマナーを叩き込んでくれた叔父に感謝しなければ。
本当は、警務卿ブレイズはラズたちが軍務卿と戦っている間、わざと援軍を遅らせてくれた。また、その後の葬儀では軍務卿の動きを牽制してくれていたのだとファナ=ノアから聞いている。それがなければ、望んだかたちの勝利は得られなかっただろう。……ただ事実がどうあれ、揉み消すことはまだ可能のはず。
「警務卿との繋がりはない、と?」
意外そうに首を傾げる赤銅色の髪の青年に、ラズは意味ありげに笑ってみせた。
「──あった方が良いので? 私達が、警務卿の味方をする義理が」
青年の顔から笑みがすっと引いた。




