領の動乱(9)……Day 1
東の繁華街に移動して酒場に入ると、クレシェン少年を見た大人たちがわっと囲んできた。
「クレス!」「おおい、なあ、警務卿が小人と通じてるとか、嘘だよな!?」「お嬢様が鋼務卿の屋敷に捕まったって──助けに行かないと!!」「憲兵隊と領主軍が戦争するなら、俺たちは憲兵隊の味方をするからな! 伝えてくれよ!」
「お、おいちょっとっ……待って一気に言うなって」
クレシェン少年はバタバタと大きく手を振って、大人たちを宥める。
ようやく静かになった後、額に汗をかきながら、彼は話し始めた。曰く、ピアニーと夫人は無事で隠れていること。明日には、青年団の会合があること。何かあったらしっかり家族と自分の身を護って欲しいこと。
「ブレイズ様は、俺たちの味方だよ! 本当に、それは間違いない」
「小人と通じたっていうのは……」
「そ、そんなのは、濡れ衣に決まってる!」
クレシェン少年がそう言い切ると、大人たちの不安の表情が少しだけ和らいだ。
押しのけられる形で退がって見守っていたラズは、そのやりとりに、微妙な気持ちになって床に目を落とす。
(…………)
街の青年団、というのが、市民にどれほどの影響を持っているのか不思議だったが、思っていた以上にクレシェンたちは信頼されているらしかった。ひいては、彼らの信奉を集めるピアニーの力か。数の力は数千人……しかし、一人一人には力がない。街の中で何かが起これば真っ先に血を流すことになるのは彼らだろう。
(そして荒野の住民は、嫌悪と恐怖の対象……)
──きっと彼らの誰も、警務卿ブレイズやその娘ピアニーがラズと仲が良いことを望まない。
そんなラズの胸中を知るはずもなく、クレシェン少年ははきはきとした口調で続けた。
「──だ、だけど、小人とは仲良くできるはずだって嬢がいつも言ってるだろ! いっそのこと、本当にブレイズ様と仲良くしてくれりゃ、鋼務卿ももっと慎ましくなると思わないか? ……なあ、ラズ」
「……へ。何?」
まさか、ここで話が飛んでくるとは思っていなかったラズは頬を引き攣らせて顔を上げた。
「お前から言えよ。そのために街に来たんだろ!?」
「────え、ええ?」
酒場に集まっていた人々の、怪訝な視線がラズに向けられている。
(──なんで、今!!)
──ここで、正体を晒して何を演説しろというのか。
しかし、そんな話の振り方をされて、無関係です、と言うのもクレシェン少年を困らせてしまうだろう。……仕方がない。
ゆっくりと、白いフードを下ろす。──酒場のランタンに照らされた髪は、おそらく焦げ茶……黒には見えないかもしれない。
「すみません。騒がせるつもりで酒場に来たんじゃないんだけど……クレシェンさんにはお世話になってて」
掠れ気味のやや低い声で挨拶をしながら、一歩前に出る。小人たちより少しばかり背が高くなったから、ちゃんと人間の少年に見えるだろう。
「僕は、荒野からの使者として、今日街に来た……錬金術師、ラズです」
「は、はああ?」「子どもじゃないか?」
半信半疑の彼らに、曖昧な笑みを向けながら、手の平を上にして胸の前に掲げる。
その手の中に、光球が浮かび上がった。
エネルギーの変換だけで発現する事象は、錬金術というには科学感が薄いが、不可思議な技を使うこと、そして照らし出された黒髪黒目を見れば彼らも疑う余地はないだろう。
光球を浮かべたまま、言葉を続ける。
「今回のこと……、僕はブレイズ様にも恩があるから、何か、力になりたいとは思っています」
しん、と場が静まり返る。
互いに目を見合わせていた大人たちは、ラズに戦意がないと判断したのか、戸惑いながら口を開いた。
「き……君は、なんで、小人に従っているんだい?」
「従っ…………」
光球を消して、ラズは頭を振った。『違う』と言いたいが、こういう時否定的なワードは逆効果だろう。
「好きだから──です。価値観の合う友達もたくさんいるし、彼らの郷や文化はとても素敵です」
大人たちの表情を見回す。誠心誠意話したつもりだが、やはりこの程度では気持ちが通じない。『どうやってこの子どもの目を覚まさせよう』……──皆、そんな顔をしている。
(参ったなぁ……)
この状況をどうしたものかと考えあぐねているとシャルグリートが口を開いた。
「ラズ、ナンデ下手に出ル? その気になれバ、お前一人でコイツら全員倒せるダロウが」
「いっ、いや!?」
──何を言い出すかと思えば!!
竜人の極端な実力主義を忘れていた。
彼の背の高さと悪どい目つきも相まって、酒場に集まっていた人々にたちまち恐怖の波紋が広がっていく。クレシェン少年も含めてだ。
悪びれもせず仁王立ちしているシャルグリートに、ラズは声を荒げて反論した。
「やめろよ、そんなこと言うの! 力づくで人に言うことを聞かせようとするなんて最低だ!」
「チッ……、やめナイと言っタラ? 今のお前は俺より弱い癖に、エラそうに指図すんナ」
妙に強い語気に、グッと詰まる。周囲の人々の視線が痛い。……ラズや荒野の者たちをこれ以上『恐ろしい存在』扱いされてはたまらない。──友好関係を築きたいのに!
ラズは負けじとシャルグリートを睨みあげる。
「──ここで暴れたら、お酒の一滴も飲めないよ」
「フン、お前の首根っこ捕まえて錬成させるから問題ナイ」
「あーそう、絶対錬成してやんない」
「ナラ、そっちのガキを脅して──」
「発想がただのチンピラじゃんか。あーあ、成長したと思ったのになぁ〜。ちょっと故郷で羽伸ばしたからって退行してるなんてなぁ」
「うぐっ……」
身長差のある二人の口論を、人々はハラハラと交互に見比べている。
「──じゃアどうやって言うコト聞かせるんだよ、この人間タチ」
「言うことを聞かせる気なんて、ないよ」
少し険しい表情と、大きな声でラズははっきりと言い返した。
「仲良くすることにメリットを感じて貰えるようになるまで、でき得る限りの誠意を尽くす。それは貿易然り、交流あってこそだ。……一足飛びには解決しない。当たり前だ」
最後はきつく言い放ってから、じっとこちらを見ていたクレシェンと大人たちに向き直る。
「小人たちに協力してる人間は僕だけじゃありません────その気持ちは、いずれ、皆さんにも理解いただけると思ってます……ただこの場は、見苦しいところをお見せしました」
軽く頭を下げる。人々の顔に浮かぶのは戸惑い、あるいは拒絶の表情。クレシェン少年は思っていたのと違う、というように口をへの字にした。
「この話はこれで終わりにしませんか。こっちの人はただの傭兵、僕は検問を通してもらってここにいる正式な使者……少し、この店に滞在させてもらっても?」
ラズは店主に向かってにこっと微笑ってみせた。少しの間唖然としてから、店主は焦った表情で頷く。
「え──ああ」
「お、終わりだ終わり! 皆それぞれ楽しんでたろ!」
店主とクレシェン少年が仕切って大人たちは各々の席に戻っていった。
カウンターの空席に向かって歩き出すラズに、クレシェンが呆れたように声をかける。
「お前、店を変えるとかしないのかよ。図太いな」
「どうせ噂が広まるだろうから、どこ行っても居づらいよ」
ハイチェアに腕を置き、よっと身体を浮かして座る。足を置くためのステップに、微妙に届かない。軽くつま先をぶらつかせると、ため息が漏れた。
周囲からちらちらと向けられる目は奇異と、戸惑い。さっきの大人たちも居づらそうだ。
(僕たちがブレイズさんを助ければ……この人たちは味方になってくれるのかな)
しかし、小人への偏見は根強い。警務卿ブレイズがラズの肩を持てば、気がふれたと思う人だって少なくないだろう。だからこそ、ファナ=ノアは貿易を通してゆっくりとイメージを改善しようとしているのだ。
静かな酒場で、シャルグリートの酒を注文する声だけが妙に大きく感じた。
ラズの視線に気がついた彼は、文句あるかと見下ろしてくる。
「つかお前は飲まナイのか?」
「……まだ成長期だからさ。兄様の背に追いつくまでは飲まない」
今ひとつテンションが上がらず、水とつまみで夕食にする。街に一緒に来たノイは今頃街の外で怪馬スイや近くまで同行してくれた小人の仲間たちと別で食事をしているだろう。ちなみに憲兵隊の中隊長が南門近くに宿を手配してくれているので、今日はそこに泊まる予定だ。
ラズを挟んでシャルグリートの反対側に座ったクレシェン少年が目を丸くした。
「あれ? お前、こないだは麦酒飲んでたろ」
「あれは錬金術で水に変えてたんだよ」
答えながら、彼のグラスにちょいと指先をつける。
「え、おいなんだよ、やめろよ」
「まあ、飲んでみなよ」
おそるおそる口をつけた少年は、驚いた顔をした。
「えっ、なんか美味くなってる」
「雑味を沈殿させて、アルコールを少し強くしてみた」
「うおお、錬金術すげえ!」
興奮する少年を見て、シャルグリートも目を輝かせる。
「それ、俺にもやってくれヨ」
「はいはい。焼酎が好きなんだっけ? ──よっと」
「おおっ……! ってこれ違うゾ! 蒸留酒ミタイだ」
「あれっ……そっか、糖をアミノ酸にしないといけないのか。──これだとどう?」
「……味、ナイぞ」
「えっ? ごめん」
そんな他愛ないやりとりを横で聞いていたクレシェン少年は懐かしそうに笑った。
「仲良いなー。なんだかアイビスさんを思い出すよ。元気にしてるんだよな」
「うん、早速いろいろと仕切ってくれてるよ」
「そうかぁ……俺がアイビスさんみたいに皆をまとめられるのはまだまだ先だなぁ」
彼は残念そうに言ってから、頭を掻いた。
「でもお前も全然、嬢ほどじゃないのな。嬢が話したら皆大概納得するんだぜ」
「へ、へえ……」
あのタイミングで、しかも信頼関係ゼロから心を掴むなんて、ファナ=ノアでも難しいだろうと内心開き直っていたが、比較されるとなんだかんだ悔しいではないか。
「クレシェンさんはいつからピアニーと一緒にいるの?」
「あー……、もう五年になるかな? あん時は嬢、身体が弱くて車椅子だったなぁ」
「えっ!? てことは七歳くらいまで、車椅子?」
「立ち上がったらすぐ息切れするってさ。そんでも七歳んときは一時間くらい立ってられるようになってて、そっからだんだん」
「そうだったんだ──」
正体不明の虚弱症に、彼女は相当苦しんだんだろう。その原因は、錬金術の媒体であり生命力の維持に必要なもの──輝石を持っていなかったから。ラズ自身、輝石が何もなくなったら数時間と立っていられないから、その辛さはよく分かる。
彼女はそのハンディキャップとずっと戦ってきたから、逆境にも顔を上げていられるんだろうか。
ラズの思案する様子を気にせず、少年は話を続けた。
「俺たちってさ、孤児なんだよ」
「え」
「病気で親がいなくなってさ。アイビスさんはちょっと違うけど。……こんな底辺の俺たちにも、嬢は対等に接してくれるんだ」
そもそも、普通に暮らす市民より生き苦しい孤児という立場であるのに、ピアニーは全く気にしなかったのだという。
「孤児院の経営を立て直してくれてさ。ディーズリー家の財力なしでだぜ? ああ別の次元の人なんだなって思ってたら、『食べてるものも吸ってる空気も同じ』とか言われて。凹んだなー」
彼はそう言って口を尖らせた。ピアニーの昔の話といえば……
「アイビスさんは殴りかかったって言ってたけど」
「聞いたのか。そうそう。アイビスさんは街の青年団を取り仕切るようになるにつれて、施設の兄弟を遠ざけるようになったんだ。それを知った嬢は、怒って殴り込み!」
「うわ……」
あの行動力からしてその時の様子が目に浮かぶ。──それにしてもクレシェン少年は、本当に活き活きとピアニーのことを話す。
(ピアニーは、侯爵の娘としてでなくても、すごい人なんだな)
別れ際、彼女は一言も、『助けて欲しい』とは言わなかった。彼女はどんな立場であろうと、皆を守って堂々と戦える人なのかもしれない。
シャルグリートがグラスの底を振りながら、ニヤニヤと笑った。
「はは、そりゃ面白ー女だな。紹介シロよ」
「絶対嫌だ」
その軽口に目くじらを立てるクレシェン。
ラズは苦笑してとりなす。
「機会があれば、紹介するよ。シャルは会っといた方が良い気がする」
「何でだよ、ってかこいつ何者なんだ?」
「あー……、別の地方の、実はえらい人」
「ホメタテマツレ!」
シャルグリートはふふん、とふんぞり返る。要領を得ない説明に、クレシェンは怪訝な顔をした。
「そろそろ出よう。いい加減迷惑だし」
話し込んでいる間も、入れ替わりたち代わり街の住民がこちらを見てこそこそと何か噂している。クレシェン少年の立場的にもよろしくないだろう。
立ち上がって勘定を済ませ、夜の空を見上げる。厚い雲のせいで、月輪が見えない。
(明日の会談は、雨、かな……)
荒野の代表として何を示すか──その答えを胸の内に秘めたまま、ラズは夜の繁華街を後にした。
【宣伝】
ピアニー視点の恋愛スピンオフ。
夕方、彼女はどうやって危機を乗り越えたのかについて。(R15)
https://ncode.syosetu.com/n9449gj/3/




