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領の動乱(8)……Day 1

 月輪が地面を柔らかく照らし出す。ところどころ白いのは、荒れた土地をほのかに飾る、桃色の小さな花。冬の間凍土の下でじっと待ち、霜の僅かな水で発芽するのだ。春が終われば苔のように緑褐色の蔦を延ばし、秋に思い出したように種をつけて枯れ落ちる。

 ふわり、と風が吹いた。

 柔らかな風に誘われて、古い花がぽろっと(がく)から(こぼ)れ雪のように舞う。

 窓の外で可憐に舞う花を見つめ、ファナ=ノアはゆっくりとまばたきをした。開け放たれた窓から吹き込む風は少し湿っていて冷たい。明日は、雨が降りそうだ。

 ようやく、積み上がった報告の書類全てに目を通し終わった。──ながら作業は慣れているにしても、今日は手が止まることが多く時間がかかってしまった。

 付き合ってくれたソリティが顔を上げる。


『お疲れ様』

『ああ。……あと一山は、明日の朝で片付けられるかな』

『本当に行くつもりなの? 任せるって言ってたのに』

『そのつもりだよ。もう、行くことは打診したしな』


 おそらく、もうそろそろラズに伝わるはずだ。

 念信……騎獣として仲間になってくれている怪馬たちが伝言をしてくれるおかげである。怪馬と人の間は街一つ分くらいの距離、怪馬同士ならそ彼らの足で走って一日の距離で念話ができる。そして、ここからラズのいる街までは怪馬の足で夜休憩を挟んで二日の距離……すなわち数時間走れば、念信できる圏内に入る計算だ。あまり難しいことは伝えられないが、至急の連絡の場合はとてもありがたい。

 杖に体重をかけて立ち上がる。足はまだ指先が動く程度で、普通に歩くには程遠いし、全身の火傷は今でも時々(うず)く。──心配をかけるのでわざわざ口に出したりしないが。


『コリンたちが到着するのは明日の昼だ』

『了解。誰を連れていくつもり?』


 コリンは、白き衣の司祭の一人であり、怪鷲の騎獣を訓練している仲間だ。彼の育てた騎獣に頼れば、明日の夕方には渦中の街に駆けつけられるだろう。ただしその扱いは彼がいないと心許ないので、定員はあと二人。


『アイビスと、アクラキール殿』

『え、ええ?? シュラルク殿とウィリかと思ってたけど。どうして?』


 いつもファナ=ノアのことはお見通しであるはずのソリティが驚いた顔をした。──能力だけいえば、たしかにその二人が適任だろうが。


『心情を配慮して。あと、シュラルク殿は憲兵とは折り合いが悪いし、ラズの邪魔になるかもしれない。アクラキール殿は……』

『面白いから?』


 その冗談にくすくすと笑いながら、ファナ=ノアは北の空を仰いだ。


『まさか。彼にしかできないことがあるんだよ』




 † † †




 真っ暗な路地に、一人の旅人が立ち尽くしていた。とても背が高い。裾の長い薄手のコートにはこのあたりでは珍しい紋様が縫い付けられている。

 彼は、低い声で呟く。


「……ドコだココ」


 春だというのに、分厚いマフラーを巻いているせいで口元は見えない。さらに頭にはターバンを巻いて頭髪も隠している。布の間から垣間見える青い三白眼が恐ろしいのか、時折通る街の住民はそそくさと遠回りをしていた。


「あークソ、久しぶりに飲みたかったノニ」


 妙な訛りでぶつぶつ言いながら、彼は路地から通りに出た。そこで目が合った少年を適当にひょいと捕まえる。


「オイ、酒場はドコだ」

「は、はァ!?」


 少年は素っ頓狂な叫び声をあげて手足をばたつかせた。襟首から掴み上げられ、つま先が地面についていない。


「サカバ。ドコ、デスカ?」

「っぎゃ、逆だよ! 東門の方!! こっち西側! ってか離せ! ──わあっ」


 喚くように答えた少年を、旅人の青年がぱっ、と離した。べしゃ、と地面に落ちた少年はおっかなびっくりの表情で青年を見上げる。


(わり)ぃナ」

「っつつ……どこの訛りだよそれ……」

「ヘヘッ、さァな」


 青年はニィ、と笑って、少年が指差した方に歩き出す。


「ちょっ、と待てよ」

「あン? 何か用カ?」


 首だけ振り向くと、少年は太い眉を歪めたまま、立ち上がって微妙な表情で意外なことを言い出した。


「……そっちは路地が入り組んでて迷い易いから、案内してやるよ」


 青年はきょとんと目を見開く。ターバンが少しずれて、短い銀髪と、首筋を彩った羽飾りがしゃりんと(こぼ)れた。この辺りではあまり見ない髪色だ。

 位置を直して頭髪を隠しながら、彼は今度は愉快そうに目を細めた。


「アナタ、良いヤツだナ。名前は?」

「クレ…ス」

「クレイス?」

「あ、ああ。あんたは?」


 少年は歩き出しながら、尋ねる。その歳はおそらく十代半ば……ツンツンと跳ねた短髪に、意思の強そうな太い眉。

 一方マフラーごしのくぐもった声で、青年が名乗った。


「──シャルグリート」


 これまた、この辺りでは聴き慣れない響きの名に、少年の方が目を丸くする。


「……へえ。どっから来たんだ? 何しに?」

「質問が多いナ」


 面倒そうにぼやいて、彼は思いついたように横に並んだ。


「一杯奢れよ。デシタラバ、答えるカモ?」

「げっ、年下にたかんのかよ……」


 シャルグリートはハハッと愉快そうに笑った。少年は不服な気持ちを我慢するように咳払いして青年の三白眼を見上げる。


「──けど、一杯くらいなら付き合っても良いぜ? 旅人の話には興味があるしな」

「…………」


 青年は興味深そうに少年を見下ろした。


「ソレを言うなら、俺もこの街には興味がある。ナンデ、憲兵の見回りがこんなに少ナイ?」

「警務卿が急に捕まったせいで、軽いストライキ状態なんだよ」

「ふーん。で、アナタは何を調べて回ってるデスカ?」

「俺は嬢のために西門に潜伏してる怪しいやつらを……って」


 はっと口元を手で覆う。シャルグリートは吹き出した。


「……ククッ、アホだなー」

「……っ」


 青年はニヤニヤ笑いながら、少年の頭をペシペシ叩く。

 少年は冷や汗を浮かべて、青年を見上げた。緊張したその表情を、青年は余裕の目で見下ろす。


 不意に、脇の路地から声がかかった。


「アホとか……シャルにだけは言われたくないと思うけどな」

「「!!」」


 少し低い、掠れた声。

 二人とも驚いたように、声のした方をばっと振り返る。──一体(いったい)、いつから。

 そこには、フードを被った人影が一つ、腕を組んで建物にもたれるように立っていた。

 人影を見て、青年はマフラーをつまみながら、ニヤッと笑う。


「やっと出てきたナ……ラズ」




 † † †




 ラズがシャルグリートを見つけたのはたまたまだった。


 そもそもここに来たのは、どうもじっとしていられなくて、武装組織が潜んでいるという西門付近を調べてみようと思い立ったためだ。

 愛馬スイから、ファナ=ノアがこの街に駆けつけてくれることを伝え聞いてほっとする反面、明日の鋼務卿や軍務卿との対談をどうするか決めきれず落ち着かない。明後日以降に延期してもらうとか──いや、警務卿の審問が行われる前に、荒野として意見を出しておきたい。


(今回の(いさか)いに対する、荒野(ぼくたち)のスタンスを……)


 西門近くは下級から中級貴族の屋敷が立ち並び、夜は静かだった。大きな建物が多いので、怪しい人影があったとしても遠目では見つけづらい。ピアニーの隠密は、多分怪しい建物をあらかじめ把握していたから、短時間で不穏な動きを察知できたのだろう。

 そんな場所に竜人シャルグリートが紛れこんでいたのは不思議だ。彼は方向音痴ではないし、この街だって初めてではないはずだが。

 彼を見つけてすぐは、人違いの可能性もあるしと、接触するのは後回しにして探索を続けていた。が、どうも頻繁に出くわすのでそろそろ声をかけようと思い始めていた矢先、これまた偶然通りがかったピアニーの仲間であるクレシェン少年を掴まえて不穏な空気になりはじめていたので止めに入った、というのがことの顛末だった。


『久しぶり』


 とん、と挨拶代わりに拳を合わせる。

 シャルグリートはマフラーを下げてにかっと笑った。ラズにだけ見える角度で、竜人の特徴たる尖った歯が覗く。


『おお。ったく、逃げ回んなよな面倒臭え』

『なんだよそれ、聞き捨てならない発言』


 知らない言語で親しげに会話する二人を、クレシェン少年は戸惑ったように見比べた。彼はきっとこの地区を彷徨(うろつ)いていたシャルグリートを敵の武装組織のメンバーだと思って、何か情報が得られるならと誘いに応じたんだろう。


「知り合いだったのか……」

「うん。ま、害はないから安心していいよ」


 シャルグリートは「てめーら師弟ハ……」とぼやいてから、


「とにかく! 酒ダ酒!」


と陽気に肩に腕を回してきた。


「どんだけ飲みたいんだよ」

「アナタたち、ここをこれ以上探っても意味ナイの分かってるダロ。付き合えよ、二週間ブリなんだ」

「牙の郷で飲んだくれてて追い出されたんだろ、さては」

「うっせ」


 ──それにしても、彼はここまでどうやって来たのだろうか。怪馬で山を降りてきたはずだから、街の外に仲間を待たせている?

 シャルグリートに引っ張られるまま、三人は西の地区を後にした。

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