領の動乱(1)……Day 1
高い石塀で作られた、領主の城がある街の外壁。
それは数ヶ月前に、あちこちを爆破されてしまっていた。そして、修復も未だ完全ではない。夜間警備を増やしていても、不審な人物が行き来している、という市民からの陳情が後を断たない。
だから、眠たい検問でも、あまりサボっていられない。
今月の南門の責任者である中隊長リゼルは欠伸を噛み殺しつつ、詰所の二階で書類を確かめていた。
二十代前半、金髪碧眼、垂れ目がチャームポイントな二枚目。馬で三日かかるところにある実家に妻子を残し、この領都に単身赴任をしている身だ。
「……ん?」
南向きの窓にちらりと、二頭の馬の影が見えたような。
遠目なので大きさが分かりづらいが……。
手元にあった単眼の望遠鏡でその馬を追う。一瞬でレンズから出てしまったが、頭部に角が見えた。あれは怪馬だ。
しばらく、その方角に目をすがめる。
程なくして同じ方角から二つの人影が歩いてくるのがはっきりと確認できた。
片方は、遠目にも分かる黒髪。
「はは……もうそんな時期か」
彼は少し笑って青いマントを翻した。
† † †
「ご無沙汰しております、イリゼルト=フリッツ殿」
「なんだ、堅苦しいなぁ」
「一応これでも、正式な使者として来たので」
金髪の青年騎士を見上げて、ラズはにこっと笑ってみせた。
彼と会うのは数ヶ月前ぶりだ。なんだか小さくなったように感じるのは、こちらの背が伸びたせいか。
「使者……あー、使者ね」
彼は部下を呼んで、城への連絡を言伝る。
「東側の詰め所の応接室の方が整ってるが」
「憲兵の訓練施設は南側でしょう? 軍の兵が迎えに来るまで、きっと相当待たされるでしょうし……こちらでお茶を頂いても?」
すらっとぼけて言うと、金髪の青年騎士は破顔してキザな仕草で腰を折った。
「ははっ、なんだ、本当にそれらしくなったな。では狭いところですがどうぞ、錬金術師殿」
ラズと、もう一人の小人の使者……ノイは南門の詰め所に備え付けられた応接室に通された。──本当に狭い。そして応接室という割には質素だ。
そもそも南側は荒野しかないので、ちょっとした休憩室くらいの設備しかないらしい。まあそのほうが、緊張しなくて済むというもの。
フード付きの薄いコートを脱ぎ、硬い椅子に腰を落とす。その横に、小人の戦士ノイが静かに座った。オールバックの髪を撫で付ける金環には輝石……錬金術を使うための媒介があしらわれている。
正面の椅子に、騎士リゼルも腰をかけた。
「俺が当直の日に来るなんてついてるぜ、お前」
「というと?」
「最近は城壁警備で人手不足だからなぁ。客を放置なんてざらなんだよ」
「うっ、それは……」
「気にすんな。今日は一日休みのつもりだぜ、もう」
金髪騎士はへら、と笑う。
その台詞に、思わずラズは吹き出した。
相変わらずの適当っぷりだ。好意で時間を割いてくれようとしているように感じられて純粋に嬉しかった。
「じゃあ、チェスでもしながら世間話でもしますか」
テーブルの片隅にあった折り畳みのチェス盤を手に取って誘うと、彼は意外な顔をした。
「へえ、できんの? 貴族の遊びだぞ?」
「それが、竜人たちの間で流行ってるんですよ、今の族長代理がすごい強い人で……」
山地の話をしながら駒を並べる。ノイもなぜかルールを知っているらしく、そのやりとりを面白そうに眺めていた。──竜人シャルグリートは小人の郷にいる間彼らの家に泊まっていたから、その時に教えてもらったのかもしれない。
(そういやシャルは春になったらまた荒野に来るって言ってたけど、いつになるんだろ?)
彼のことだから、もしかするともうこちらに来ていて、今頃人間の街の繁華街に寄り道して飲み歩いていたりするかもしれないが……。
ラズの口調もだんだん砕けてきた頃、金髪の騎士がおもむろに話を切り出してきた。
「お前、東の国境がどうなってるか、聞いてるか」
ラズは小さく息を呑む。それは、ずっと気にしていたことだったからだ。
「──聞いてない。教えて」
前のめりに問うと、彼は珍しく険しい顔をしながら、騎士の駒を倒した。
「森の国の、巨人の討伐隊は壊滅──。バランスが崩れた契機に平原の国が先制攻撃をかけた。……それが、二ヶ月前の話だ」
「…………!」
ラズは言葉を失った。浮かせていた戦車を取り落としてしまい、からん、と乾いた音が応接室に響き渡る。
(壊滅……二ヶ月も前に)
戦いの火蓋が切られたであろう国境と、ラズが今いる西端のリーサス領は普通の馬で旅して四ヶ月の距離がある。情報の時差は仕方ないのだ。都市間は伝書鳩が使えるが、広大な西方自治区は間に砂漠もあって、早馬くらいしか通信手段がない。
(ううん、ツェル兄は絶対、無事だ……! そうに決まってる!!)
手の震えをなんとか抑え、深呼吸する。ローテーブルに転がったルークの駒を拾い上げて、ナイトを倒した女王の横に置いた。
──一瞬、昏い顔でラズを睨みつける兄の眼差しが脳裏に浮かぶ。しかしあれは異界の敵マガツがラズの深層心理から作り出した幻だ。慌てて思考から締め出す。
「今は、まさに戦時中、なんだね」
「なんだよなー。伯父貴なんかご指名で呼ばれちゃってて」
彼が伯父貴と呼ぶ人物……憲兵隊の総隊長ブレイズ=ディーズリーは平原の国における御前試合で準優勝した人物──超有名な武人である。
その時、金髪騎士の部下が領主城への遣いから戻ってきた。
「明日の夕方、鋼務卿と軍務卿がお会いになります」
それを聞いてラズは口を尖らせた。
「明日? 今日だって余裕あるくせに」
領主城で行われる会議のスケジュールを、ラズたちは知っている。なぜなら、ファナ=ノアが見聞きの術を使って常に領の動向を探っているからだ。鋼務卿は鉱山都市にいることが多いから、わざわざこのタイミングを選んだのに。アポなしの訪問とはいえ、秋の戦いに勝ったのはこちらだし、最低でも席官を遣わして応対するのが礼儀ではないのか。
伝令した憲兵も戸惑った様子で首を捻っている。
「それが、城内がやけに慌ただしくて。政務室の中にも入れてもらえませんでした」
金髪騎士は肩を竦めた。
「明日になったら明後日って言うかもな」
「なんだそりゃ。まあ、伸ばされても明日行っちゃおうか、ノイ」
「お前……そんな過激なことに俺はついていけないぞ」
隣でノイが額に手を当てた。
「大丈夫だって。何かあってもファナ=ノアがサポートしてくれるから」
けろっと言うと彼は観念したようにため息をついた。
† † †
子飼いの隠密から、荒野からの使者が来たという報告を受け、丘でサンドイッチを頬張っていたピアニーは何度か瞬きした。
「──あら。お手紙の予告通りね。ところでお<猿>さん、あなたも食べていく?」
「いや、俺はい……」
しかし側に控える従者の剣士がぎろりと睨むと、 <猿>は面の下で苦笑してサンドイッチを受け取った。
(せっかくだけれど、ラズとは……すぐには、会えないわね……)
昼の予定はあいにく埋まってしまっている。婚約者ミクレル=エンデイズが訪ねてくるのだ。
だからピアニーはいつもよりきちんとした装いをしている。
隠密の男は芝生には座らず、松明の支柱の側に立ったまま口に入れる。猿の面は目元だけを覆うものなので、飲食を妨げることはない。無造作に伸ばした髪は後ろで一つに縛っており、顎にはちくちくとした無精髭。もぐもぐとサンドイッチを咀嚼する口元はどこか嬉しげだ。
押し付けがましいかもしれない、と心配していたが、彼も満更でなさそうでよかった。隠密の彼らとはビジネスの間柄だとしても、目的を共有し、そして個人的な関係も築いていきたい。
「それで?」
にこにこと笑いかけると、彼は肩を竦めてから報告を続けた。
「憲兵隊の者から、特に何か『伝令』があったという情報はありません」
「まあ、極秘事項は大隊長にしか共有しないから、当然ね」
ピアニーが期待する『伝令』とは、鉱山都市の武装組織への実力行使のことだ。先日の一件の後、ピアニーはアイビスから紹介された組織のメンバーを保護し、父警務卿に掴んだ情報を共有した。ものすごく叱られたが、膠着していた捜査は大きく進展し、ついに摘発一歩直前というところまできた。鋼務卿側の予定からすると、今週あたりのどこかでそれが行われるはずだが、残念ながらそれがピアニーに知らされることはない。
「……お父様を信じるしかないわ」
深呼吸して、ピアニーは立ち上がった。
†
午後。
「これが警務卿家の中庭か……」
小太りの二十代前半のその男……ミクレル=エンデイズは満足げに広い庭をどたどたと歩き回って感想を述べた。
ディーズリー家の中庭は、東から取り寄せた冬でも緑の針葉を見せる木々と、珍しい色の巨石が織りなし、大山脈の情景を表現して造形されている。
また、初春に咲く赤い花が艶やかな彩りを添え、美しく厳かな雰囲気を醸し出していた。
「いや、武家らしく、見事」
「……お気に召したようで何よりですわ」
一定の距離をとったまま、ピアニーはにっこりと笑ってみせる。
「歴史と誇りあるディーズリー家の家長となる重みを感じるね」
「……お父様がおりますもの。まだまだ猶予がございます」
なんて失礼な男──そんな思いを抑え込み、冷静に返答すると、彼はふいっと踵を返した。
「時に、ピアニー様」
「……何でしょう」
「なぜこの領には、領主家に相当する貴族が二つ存在するのか、ご存知ですか」
「まあ。もちろん習っておりますわ。そのことが、何か」
警務卿家と軍務卿家、権力を二分することで良い意味での競争を生み、善政を敷く。それが百年程前の領創設時の取り決めだ。……表向きには。
「要らないと思いませんか? 私は、憲兵隊を預かったら、リーサス候へと従属させようと考えていたのですよ」
「それは……西方自治区の公爵様がお許しになりませんよ」
微笑みながら言い返すと、婚約者は一瞬へんな顔をしてから、にたりと肥えた顎に醜悪な笑みを浮かべた。すり足でこちらに近づき、声を落とす。
「いやね、ここだけの話……兄上は西方自治区──ひいては、平原の国からの独立をすべきと考えておられるんだ」
「…………!」
独立。一瞬耳を疑う。しかし実は、そう非現実的な話ではない。驚いたのは、この男が口にしたことと、聞かれれば即刻反逆者として捕まる類いのものだからだ。
平原の国の目は今、国境に向いている。独立を宣言しても、大きな戦いは起こらない可能性が高い。荒野の小人たちの協力やその資源があれば、大国が大戦で疲弊している間に今後手を出されないほどに成長できるかもしれない。
しかし鋼務卿家が何を以て民衆を支配するのかは、鉱山都市の様子を見れば分かる。
憤りで、握り込んだドレスグローブが微かに震えた。
「ピアニー様には、こんな話はまだ早かったかな?」
「まあ、私ももうすぐ元服ですのよ」
内心の動揺をおくびにも出さず、完璧な作り笑いを浮かべて答える。
ピアニーはあと一ヶ月で十二歳だ。その時には、フレイピアラ、という名前を戴くことになっている。そして、成人後間もなく婚儀が行われる────
「そう、もうすぐであったな……いや、楽しみだ」
ミクレル=エンデイズはにたりといやらしく笑ってこちらをじっとりと舐めるように見てくる。
その目つきに、背筋がゾッとした。ドレスで隠した右腿の短剣に反射的に手がいきそうになるのをぐっと堪える。
その時、中庭から見える一階の廊下に、たくさんの人影が走り込むのが見えた。
何事だろう。
はっとして気を引き締め、周囲を警戒する。
「ルータス! 何かあったの!?」
初老の従者も血相を変え、分からないと首を振って守るようにピアニーの側に立つ。
ピアニーはきっと侵入者たちを睨んだ。
(一瞬見えた……あれは領主軍の紋!!)
そして中庭にも、十数人の兵士たちがなだれ込む。
婚約者が昏い笑みを浮かべた。一体なぜ、この男は冷静なのか。
「ピアニー様、どうかご静粛に」
「!? ミクレル様……!?」
中庭から見える屋敷の四階の廊下から、慌ただしい物音がした。
「「突然何をするのです!!」」
「お母様!!」
ピアニーはぱっと顔を上げる。
四階に見える母は、武装した兵に囲まれている。
婚約者が大仰に肩をすくめ話し出した。
「もうすぐだったのに……とても残念ですが、|警務卿《ブレイズ=ディーズリー》は領主への裏切りの疑いがかけられています。先の出征の敗走は、彼が小人と内通をしていたからではと」
「な……!」
そんな話は知らない。しかし、父──警務卿が、小人の仲間である黒髪の少年ラズと妙に親しいことは知っている。出征中、何かあったのは間違いないが、それを何故、数ヶ月経った今?
(お父様は、今日は領主城に詰めているはず……ならきっと、もう捕縛されているのだわ)
ここで抵抗すれば、父の立場はより悪くなるだろう。短剣に伸ばしかけていた手をゆっくりと下ろす。
「ご夫人とご令嬢は、私の情状酌量の申し出により、当家の別邸にて保護することとなります」
「なんですって……!?」
この口ぶり、糸を引いているのは目の前の婚約者……ひいては鋼務卿家で間違いない。
(まさか、ここまで踏み込んだ手を使うなんて……!!)
こんなことをすればディーズリーの家格が下がる──だから、この手段だけはとらないだろうと思っていた。
西の武装組織に対する強制捜査まで、あと数日のところであったのに。──まさか、どこからかこちらの動きが漏れたのだろうか。
初老の従者が剣の柄を握り、青い顔で守るように間に立とうとしてくれる。しかし、従者の手の甲に制するように手を添えて、ピアニーは一歩前に出た。
「手荒なことはしたくありません。──さあ、お手を」
「……」
ピアニーはゆっくりと顔を上げる。
絶望的な気持ちをひた隠し、凛とした佇まいで彼を見据えた。
「……領の勢力を二分する当家に対するこの仕打ち、いかほどの覚悟がおありなのでしょうね。未だ、あなたは何も握ってはおりません。それを、ゆめゆめお忘れなきよう」
† † †
ピアニーとディーズリー夫人を乗せた馬車が、城下町の西側にある鋼務卿の別邸に向けて出発した後、鋼務卿の次男は軍の兵に向かって、ニタリと笑った。
「火を点けましょう! 調度品も全て、ディーズリーのものは何も残す必要ありません。──『激しい抵抗があったのだから、仕方ありません』とでも報告すれば問題ないでしょう」
屋敷の前で主を見送るしかなかったピアニーの従者が目を見開く。
「……貴様!!」
「っ! ……ああっ、なんと恐ろしい。彼は屋敷と運命を供すべきだ。では頼みますよ、兵隊さんっ」
彼は言い残して自らもそそくさと馬車に乗り込む。
領主城を守るように丘の東側に建てられた警務卿の屋敷から、火の手が上がったのは間もなくの事だった。




