聖者の憂鬱(6)
静かに朝日が差す中、剣を構えて集中する。
最近のもっぱらのイメージトレーニングの想定は竜人の悪友シャルグリートだ。
なんだかんだ負けたのは悔しいので、春に再会したときには、なんとしても一泡吹かせてやりたい。
教会の裏の空き地で一通りの素振りを終えた頃、背後から声がかかった。
「おはよう、ラズ」
振り返ると、流れるような白い髪に、尖った耳……荒野の盟主たるファナ=ノアその人が
穏やかな微笑みを湛えて佇んでいた。
「おはよう。ファナも朝早いね」
「日が昇ると目が覚めてしまうんだ」
「同じく」
自然に頬が綻ぶ。──この幼馴染の空気感に、毎度心底安心している自分がいる。
下ろした剣を一瞥して、ファナ=ノアはふと思いついたように口を開いた。
「もし良かったら、私の鍛錬に付き合ってくれないか?」
「ファナの鍛錬? 何するの?」
意外な頼みに首を傾げる。
「主に守りなんだが。接近戦に対しての」
「へえ? よく分からないけど、普通に斬りかかればいいのかな?」
ゆっくり左足を引き、剣を構えてみせると、ファナ=ノアは緩く笑った。
「お手柔らかに」
「こちらこそ。──じゃ、いくよ」
いつもの世間話をするような言葉を返しながら、ラズは踊るように、なめらかに足を踏み出した。
舐めている訳ではないが、怪我をさせたくはないので、心持ちゆっくりと。剣の切っ先が弧を描く。
あと少しで胴に入る──しかしファナ=ノアは動かない。
ごおっ!!
途端、足元から小さな竜巻が巻き起こるのを感じた。慌てて飛び退るが、後退した位置にも突風が巻き起こる──
(でもこれくらいなら、<波動>で打ち消せる!)
錬金術で相殺し、再び間合いを取る。
風を纏って宙に浮いたファナ=ノアは、余裕の笑みを崩していない。
「やっぱり、君には通用しないか」
「まだ小手調べだろ」
にっと笑い返す。
そのまま、さっきより速く踏み込んだ。
ラズが繰り出した中段からの横なぎの刃は、到達する前に、空気の壁に阻まれる。
「なら……! 次はその風も、打ち消す」
宣言しながら剣を引いて返し、さらに速く。
ファナ=ノアは苦笑いを浮かべた。
「それは怖いな」
瞬間、ファナ=ノアの周りの赤土が弾けた。
「うわっ」
打ち消すとかそういう問題ではなく、視界が塞がるので本能的に避けたくなる。
(土の操作を奪え……ないか、範囲が広い!)
ごく近くの土だけを支配下におき、固めて石礫を錬成する。それらを投擲しようとした段でラズはためらった。こんな狙いが定まらない中で当たりどころが悪いとただでは済まないだろう。
逡巡し、結局足元を狙う。
今は土煙に巻かれて見えないが、ファナ=ノアは身体を浮かせているらしく、土を叩いて跳ねた小石が何かに当たる音がした。
(あんまり高くは飛んでないのかな? ──なら、<八風>!)
切先を切り上げると同時に風を操るイメージを練り上げる。
──シュッ! ズザザザ!!
素振った剣の軌跡から生み出した巨大な風の刃が、舞い上がった土埃の壁を風が切り裂く。ラズはその間を縫って接近した。──近づけばファナ=ノアの見聞きの術と同じ要領で相手の居場所が分かる。
しかし攻撃する前に、ファナ=ノアの周囲で旋風が舞い踊った。
(っ! 直接斬りかかるには隙がないな)
襲いくる風の刃を避けるが、下がれば相手の思う壺。であれば、責め手を変えるしかない。
地面に剣を突き立て、剣身の金属を太めのワイヤー状に変形させて見えづらくし、地中を這わせる。──レノの戦い方を参考にした罠系の技だ。
ファナ=ノアがいるであろう座標の足元で垂直に持ち上げ、触れたものを絡めとる。
「──捕まえた!」
──ここで電撃を加えればラズの勝ち──!
「そうはさせない!」
ファナ=ノアの、どこか楽しげな声が土煙の向こうで反響した。捕縛具たるワイヤーが端から分解されて塵になっていく。
しかし、そう簡単に行使中の術の邪魔を許したりしない。数瞬の、攻めぎ合い。
「むぅ……」
──持久戦では分が悪い。
不毛な押し合いを諦め剣を元の形に戻す。
(けど!)
ファナ=ノアの集中が緩んだのか勢いが衰えていた土と風の隙間を、ラズは見逃さなかった。
ジグザグに縫って素早く背後に回り込む。もう加減などしていない。
「!」
この速さは想定外だったのか、ファナ=ノアはさすがに反応が遅れた。
背中に当てられた刃に、その細い肩が硬直する。
「……降参だ」
さらさら、と赤土が地面に落ちた。
「ファナも本気だった?」
「そりゃあ。そうでないと君に失礼だろう」
「ごめん、最初加減した」
「実際、二ヶ月前だったら初撃で終わってたさ」
それを言うならラズも数ヶ月前まで複数の術を同時に使えなかった。土煙への抵抗と踏み込みの加速を同時に行えなかったあの頃だったら太刀打ち出来なかっただろう。
ぱんぱん、と土埃を払っていると、ファナ=ノアは楽しそうに笑った。
「こういうのも、たまにはいいな」
「……結構、楽しかったね?」
「ああ。君相手に本当に勝ちたければ、戦略的には距離を取るのが一番なんだけどな」
「銃の射程くらい離れてても大技が使えるんだっけ、ファナは」
「そうだな。あとは地形を変えていいなら……」
「待って! 何その怖い発言」
ラズの焦った様子を見て笑ってから、ファナ=ノアはうーんと伸びをして、そのまま腰を折って体を前に倒す。
「ようやく地面に指先が付くようになった」
「おー……? おめでとう」
「その顔、面白がってるだろ」
「だって、余計な力が入っててバランスが悪い」
「……そうなのか?」
尖った耳がどことなく残念そうに倒れるのを尻目に、ラズはひょい、と同じように前屈してみた。
ぺたん、と造作もなく手の平がつく。
「……ラズは、普段どんなストレッチしてるんだ?
「うーん、てきとー?」
身体を起こして首を捻る。小さい頃から木登りしたり泳いだり、とにかく身体を動かすのが好きで、特に意識したことがなかった。
一方ファナ=ノアは小さい頃から空を飛んだりしていて、体を動かしている印象がない。術を使わない場合、かけっこをすれば三歩でこけるし、水に入るといつのまにか沈んで溺れかけるという運動音痴っぷりだったから、むしろ身体を動かそうとしている現在の方が新鮮だ。
……左足もまだ満足に動かないのに、何を焦っているんだろう。
ラズは伸びをして明るく笑いかけた。
「それよりさ、朝ごはん食べにいこーよ。お腹すいた」
「──だな」
淡く笑って杖をつき、踵を返すファナ=ノアの後ろ姿からは、幼いながらに種族全員の命運を背負う確かな覚悟が感じられた。
†
翌日午前中、ラズはシヴィの面々の武術の訓練に参加していた。過去に人間の街に潜入して、奴隷にされた同胞を助けていた三人……小人の少女ビズや、一際目つきの悪いジル、リーダーの戦士ノイの姿もある。
そして陽が高くなった頃、昨晩遅くまで飲んでいたのかかなり眠たげな目をしたアイビス青年と元野盗の首領シュラルクが顔を出した。……完全に仲直りしたのか、肩まで組んでいる。
アイビス青年は訓練をしばらく眺めてから、立てかけてあった試作品の麻酔銃を手に取った。
「……火打式か。よく出来てんな。しかし、もう少し小さければな」
「小さいって、どれくらい?」
これでも、小人の体型で扱えるように随分小型化されているはずだが。
「片手サイズだが……これ撃ってもいいか?」
彼は手慣れた様子で形状を確認して構える。
その様子を見て、小人たちが怪訝な顔をした。小人たちのうち、人間の言葉も話せる少女が、代表して口を開く。
「もう少し、的に近づいた方が、いいんじゃ?」
「あのなー。その距離じゃボウガンだろ。せっかくライフル形状なんだ」
言いながら彼は引き金を絞った。
銃声が岩石地帯を反響する。
「大外れじゃん」
「まあ見てなって」
飄々とした様子で一分程かけて次弾を丁寧に装填し、彼は再び狙いを定めた。
バキュン!
目を眇めて着弾位置を確認する。
「……うーん、そう上手くはいかねーか」
しかし一発目と比べれば、的に程近い位置の岩に弾──麻酔針が当たった痕跡がある。
「アイビスさんって銃が得意なの?」
「意外な才能だったんだよな。組織に入って初めて触ったんだが。……しっかし、この構造で針を飛ばすって考えた奴アホだろ。当たらない前提で山ほど撃つもんなのに、コスパが悪すぎる」
「俺たちは術で弾道を補正できるから命中率が上がるんだ」
目つきの悪い小人……ジルが腕を組んで言うと、アイビス青年は感心した表情を浮かべた。
「へえ、すごいな」
興味深げに見ていたラズに、小人の少女が一丁抱えて近づいてきた。
「ラズも、やってみる?」
「え!? う、うん……」
しどろもどろに銃を受け取る。
「これ、どうやって持つの」
「えっとね……」
「お前ら、それ元野盗に教わったんだろ? こいつは火縄式と違うから、ちゃんと肩に当てた方がいい」
アイビス青年にいろいろ教わりながら、おっかなびっくりで銃という武器を学んだ結果だけまとめると、ラズはあまり銃は好きになれなかった。
「装填が面倒臭い」
慣れないので一分はかかってしまう。複雑な構造なので錬金術で弾を内部に再構成するのもなかなか面倒だ。アイビス青年が言うには、手早くなれば二十秒くらいに短縮できるそうだが。
「ラズなら、二十秒あれば、向こう、行けるもんね」
「まじで?」
小人の少女がゆるく笑って言った言葉に、アイビス青年が引きつった笑みを浮かべる。
的までの距離は小人の足で四十秒ほど、人間の大人の足なら三十秒くらい。地面を蹴るのに術を使えば、足場がしっかりしていればだが、二十秒とかからないとは思う。
アイビス青年はずっと見ていた首領の男に話を振った。
「旦那は銃やんねーの?」
「けっ、派手さがねえ」
「……ぶっ。あそう。<赤の悪魔>サマだもんなあ」
「<赤の悪魔>?」
「旦那の二つ名だよ、<錬金術師の少年>」
「──もう捨てた。やめろアイビス」
「こりゃ失礼」
不機嫌そうな様子に、彼は肩を竦めた。
「赤、か……」
嫌になる響きだ。ファナ=ノアの目の色なら平気だが、他はどうしても血を連想する。
首領の男は少し刺の残る表情でラズを見た。
「ところでお前、今朝ファナ=ノアと戦っていたのは、喧嘩か?」
「喧嘩? ……違う、あれは鍛錬だよ、ただの」
ラズならまだしも、ファナ=ノアが怒って術を使おうとするなど想像できない。
側で話を聞いていた青年ノイがふっと笑って腕を組んだ。
「お前たちが本気で戦ったら、郷一つ消し飛ぶだろうよ」
「それ……」
冗談を返そうとして、ふと脳裏をよぎった考えによって途中で口ごもる。
谷の國の術師には口伝で伝わる禁じ手がある。
それは単純に言えばエネルギーを高密度に圧縮して爆発させるだけだが、使い手によっては広範囲を消し飛ばすことができるものだ。なぜ禁じ手かというと、通常手が届く範囲でしか起爆できず、自分の身を守ることができないためである。
「──ありえない」
「しかし、またファナ=ノアが力を暴走させたら?」
ノイがぽつりと言った。先日ファナ=ノアが術を暴走させた時、一番近くでその脅威を目の当たりにしたそうだから、より恐ろしいんだろう。隣にいた小人の少女が顔をしかめて、彼を咎める空気を出す。
たしかに、もしファナ=ノアがなりふり構わず本気で術を使ったら、誰が止められるだろうか。ファナ=ノア自身も、もしかするとそれを恐れているのかもしれない。だから、今朝ラズを試したのではないか。
……しかし。
「……ありえない。次があったら、ファナ=ノアはきっと自分でなんとかするよ」
ラズは口に出してそれを否定した。
──そうなったら自分が止めるとか、ノイはそういう言葉を期待しているのかもしれないが、そうならないように親友を信じるのが自分の役目だとラズは思う。
強い口調に、ノイはふい、と顔を背けた。
「それは、結局他力本願だろう」
「分かってる……僕だって、守るために、強くなることを放棄する気はないよ」
そう返すと、ノイはようやく、諦めたように苦笑した。
「俺たちではお前の相手にはならんけどな」
「そんなことないだろ」
ラズはすぐに否定した。錬金術を使わない生身の勝負だと、ラズとノイは五分五分だ。だから彼の自虐的な言葉は必要ないと思う。
「春まであと一ヶ月があるし、集中して鍛錬すればみんな肩が並ぶんじゃないかな?」
「……よく言う」
彼はさらに笑った。
春になれば、彼らはまた人間のもとで奴隷にされている小人たちを助ける任務で彼らは荒野を出ていくだろう。
「また肺炎にならないでよ」
「次は輝石があるから、おそらくそれはない」
冗談まじりに言うと、彼は肩を竦めた。
春までに、ラズとシュラルクが戦うんだと思ってたんですが、性格と状況的に衝突することがありませんでした……
挿絵落書き
https://twitter.com/azure_kitten/status/1302226382668218370?s=21
躍動感出せるようになりたい




