旅立ち
いつも通り朝日と共に目を覚ましたが、昨日の疲れをまだ強く感じた。数時間しか寝ていない。
あくびを噛み殺しながら、井戸で顔を洗う。
「おはよ」
部屋からリンドウが顔を出したので、挨拶する。
「うん……おはよう」
彼女は少し元気がないように見えた。
食堂に行くと、黒髪の男性がお茶を飲んでいた。
「おはようございます」
彼……レノは手に持っていた新聞から視線を外し、少し微笑んで挨拶してくれる。
いつもと変わらない様子に、ラズは少しほっとした。
「それ、昨日のことが書いてある?」
「閃光弾は街の兵がやったことになってますよ」
「ふーん。なんで嘘つくの?」
「住民を安心させるためでしょう。自分たちで巨人を撃退した、ということにしたいんです。今ごろ誰がやったか探すのに一生懸命でしょうね」
それはつまり、戦況を大きく変え、巨人達を撤退に追い込んだ大手柄だった、とも言える。
「僕たちがやった、って言ったらどうなるの?」
「さぁ。これからも協力するよう強制されるか、口封じに消されるか」
さらっと物騒なことを言う。
「領主様はそんな人じゃないよ」
リンドウがテーブルにつきながら話に加わった。
「リン姉、大丈夫? 顔色よくない」
「……大丈夫。それより、これからのことなんだけど」
リンドウは暗い表情で切り出した。
「私は街を離れようと思ってる。ツェルや知り合いもいるけど、また同じことが起こると思ったら怖くてたまらなくて……」
「きっと多くの人がそうするでしょうし、私もその方がいいと思いますよ」
「レノは……どうするの?」
訊くと、レノは新聞をテーブルに置いて、ラズを見つめた。
「私はもともと根無草なので、ここに長居する気はありません。君はどうしたいか──決めたんですか」
「…………」
ラズはテーブルの上で組んだ手に目を落とす。握り過ぎたせいか、微かに震えていた。
「また、この街が巨人に襲われたら──……」
「その問題は君がここにいてもいなくても、たいした解決になりません。君自身がこの街が大切だから守りたいのか、約束を守って友達に会いにいきたいのか、本音はどちらですか?」
「う……」
ラズは頭を抱えた。
この街でたくさんの人の死を見て、とても哀しかったが、それは故郷を重ねたからだ。この街を守っても、時は戻らない。
兄のように兵役についたら、巨人を殺すことを強要されるだろう。ここに留まれば、きっと苦しいことばかりだ。──本音はどちらかと言えば、答えは決まっている。だけど。
「……そんなの、逃げてるのと同じじゃないか」
「望んでいないことに縛られて生きるのは、賢い選択とは言いません」
彼は言い切ってから、それ以上は興味がないとでも言うように、席を立った。
「っ」
思わず立ち上がるが、踏み出せない。
階段の手前で、彼は振り向いて手を差し出した。
「行ってみますか? ──荒野……小人の郷に」
その大きな手と、プラチナの瞳を見比べる。
荒野に行って『幼馴染』に会ったら、何か変わるのだろうか。強くなって、巨人たちが人間を苦しませるのを止められるようになるのだろうか。
白い髪をした『幼馴染』の訴えが心の奥で反響する。
(『約束、したじゃないか』『君が、必要なんだ』)
じっと考えてから、ラズはレノの差し出した手を握った。
「────行く」
──だけど、いつか必ずこの大山脈に帰ってくる。そう心に決めた。
急に彼はくっくっと笑って、ラズの頭にぽんと手を置きくしゃくしゃにした。
「試してすみませんでした。毎度君には、ついつい、気をかけてしまう」
リンドウが躊躇いがちに口を開いた。
「私もその……一緒に行くからね。小人の郷までは着いていくのはちょっと……だけど、すくなくとも、途中までは」
「リン姉も?! ……へへ、やったぁ。リン姉のご飯美味しいから」
そう言うと、リンドウは、やっと今日初めて笑顔を見せた。
朝のうちにリンドウの家を一往復し、また街で集まって、ツェルには会えなかったので手紙だけを残し、その日のうちに街を発ったのだった。
† † †
「小人の郷に行ってみます、ね……」
相変わらず、自由な奴だ。可愛くて羨ましい弟。
──そうだ。皆の無念を晴らす為に生きるのは、自分だけでいい。
ツェルは手紙を畳んで引き出しにしまう。
「ツェンヴェル、領主様が呼んでいる。……君が生け捕った巨人の件だろう」
「……承知しました、伺います」
† † †
こうして一人の少年は、憎しみを憂い、希望を求めて旅に出た。
対して一人の少年は、憎しみを胸に人々を守り戦う道を選んだ。
兄弟の分たれた道が再び交差するのは、しばらく先の未来の話となる。
ここで序章、一区切りです。
序章と二章を合わせて単行本一冊分量で、
第二章は序章の昏さから立ち直って活躍する展開ですので、どうぞお見守りいただけますと幸いです。
次話は挿絵集となりますので、苦手な方は目次にお戻り下さい。
なお世界の風景について補足しますと、太陽が球体ではない、のです。
リング状の発光体……円形の蛍光灯のイメージです。
それが、地上の周りを、縄跳びするみたいに回っているので、常に虹がかかっているような世界の風景となります。
序章ツェル兄のスピンオフも公開しておりますのでよかったらご覧ください。
https://ncode.syosetu.com/n6628gu/
 




