戦姫の迷い(6)
「こっち!」
追いつくと、木の壁にわかりにくく作られた扉を潜って小さな建物に案内される。
中に入ってから、帽子と眼鏡をとって、彼──いや、彼女はにこっと笑った。
「ありがとう。助けられてしまったわ」
「なら良かった。……元気そうだね」
どぎまぎしつつ、とりあえず笑い返す。
「あら、もっと驚くかと思ったのに。我ながら、よく変装できていたと思うの」
「誰かとは思ったけど……雰囲気で分かったよ」
秋にはあれだけ試合をしたのだ。見間違えようがない。
「あなたは雰囲気が少し変わったけれど、一目で分かったわ」
二つに分けた長い髪を高いところでだんごにまとめ、人形のような大きな瞳で、この領における有力貴族の一人娘、ピアニー=ディーズリーは華やかに微笑んだ。
「ピ、ピア。知り合いなのか?」
もう一人の少年がラズを見下ろして、二人を見比べながら訊いた。
「この人がラズよ。……ほら、手配書の」
「<錬金術師の少年>……! 領主軍の大隊を退けたっていう……!?」
彼は驚いた表情で後ずさる。短いツンツン髪に、意思の強そうな太い眉。背は二人よりも頭一つ高い。
そのオーバーなリアクションに苦笑いが漏れた。
「それをやったのは……ほとんどファナ=ノアだけど」
「そう言えば、先月その人に会ったわ」
ピアニーは少し表情を陰らせた。
「あなたにも何かあったんだと……無事で、本当に良かったわ」
それを口にするということは、凶敵マガツとの決戦当日、彼女はファナ=ノアと一緒にいたということか。
「一月前のことだね……。ファナは……苦しんでいた?」
「術を暴走させて、盗賊を焼き尽くしてしまったの。気を失ってしまって郷に運ばれたからその後を知らないのだけど……辛いのではないかしら」
彼女の言葉に、不安が膨らんだ。その後夢で会った時は平気に振る舞っていたが、そんな大変なことが、ファナ=ノアの身にも降りかかってしまっていたのか。
彼女は哀しげに微笑んでから、戸惑った顔の自分の仲間に声をかけた。
「クレシェン、分からない話でごめんなさいね」
「肝心なことを聞いてなかった。どうしてそんなカッコして、こんなところにいるの? ピ……」
「ピア、って呼んで? レイ」
「う、うん?」
偽名にもなっていない気がするが、そもそも良家の子女がまともな共を連れずこんなところに居るはずもない。天井裏からかさりと衣擦れのような音がしたから、隠密の護衛かなにかがいそうな気もするが。
「えーと……ピア。従者の人は?」
「もうすぐ来るのではないかしら。──私が……鋼務卿を良く思っていないのは言ったわよね」
「うん」
「それで、大事なお友達が……ある組織に潜り込んで、鋼務卿との繋がりを探ってくれていたの」
先ほどの少年たちとのやりとりを思い出す。名前はたしか……
「それが、『アイビス』さん?」
「ええ……三日前から連絡がとれないの」
「あの人たちが君たちを捕まえた方が良いって言っていたってことは……」
「……身元を疑われて、勾留されているのかもしれないわ。仲間が見つかれば、それを人質にして口を割らせる手もあるものね」
私のせいで、と彼女の瞳の輝きが陰った。
ガチャ、とまた部屋の扉が開く。
入って来たのは、ピアニーの初老の従者だった。さっきの一団にいた少年の一人を抱えている。ぐったりとして意識がないようだ。
「レイ殿が口を出してくれたから、私が怪しまれず追跡に回れました。嬢はこれを読んでおられたんですか?」
「まさか」
ピアニー嬢は肩を竦め、伊達眼鏡をかけて帽子をかぶり直した。
従者が少年を床に転がし、低い声を出す。
「……起きろ」
「──うっ」
恐る恐る目を開け、見知らぬ強面の老人を見て少年は這いつくばったまま後ずさる。
ピアニーは少年の前に膝をついた。雰囲気が打って変わって、眼鏡の奥に冷ややかな光が垣間見える。
「私たちが聞きたいことは分かっているだろう? アイビスのことを話してくれるなら、命までは奪わない」
「……っ」
口調のみならず声色まで違う。その様子にラズは内心舌を巻いた。いつも上品で華やかなのに、完璧に下町の少年を演じきっている。
(……や、役者みたいだ……!)
正直めちゃくちゃかっこいい。
少年は完全にその演技に呑まれたらしく、真っ青になってがちがち歯を鳴らしながら、口を開いた。
「ア、アイビスさんは、急に会えなくなったんだ……。聞いて回ったけど、情報を外に流している疑いをかけられてる、ってことしかオレには分からなかったよ……」
おや、と思う。
その口調は、どこか、アイビスという人物への親しみが籠もっていた。
ピアニーも、少し口調を緩めたようだった。
「あなたも、アイビスのために調べてくれていた? それは……手荒にしてすまなかったね。それで──なんとか助けることはできないのか」
「無理だ……館に入れるのは組織の構成員だけ──」
「なら、取り入りやすい人物に、心当たりはないか?」
「……それでどうするんだよ! あいつを脅して言うこときかせたって、アイビスさんを助けるのは無理だ!」
「やりようはいくらでもある。教えてくれないか」
「……っ」
促された少年がこわごわ口を開く。
毎夕、構成員たちは決まった店に現れるのだと。
少年を別の部屋に移動させたあと、ピアニーは重いため息をついた。仲間の少年──クレシェンと初老の従者、そしてラズを見回して考え込む。
おもむろに、クレシェン少年がピアニーに声をかけた。
「……ピア。夕方には屋敷に戻らなきゃだめなんだろ。そろそろ帰れよ。アイビスさんのことはオレが探ってくるから!」
「…………」
彼女は唇を噛む。彼はさらに言葉を重ねる。
「帰ってくれないと、替え玉してるディミニが困る」
ピアニーは悔しそうに目を伏せた。
「……お願い。明日も都合、つけるから。無理だけはしないでね」
「ほかにもたくさん頼まれてるんだ。無理なんかしないさ!」
クレシェン少年がどんと胸を叩いて頷き返す。
二人の間には、長年で培った信頼関係があるように感じられた。
──口を出していいものだろうか。しかしここまで聞いて放っておけない。とはいえ、ラズがしゃしゃり出ても恩着せがましくて嫌な気持ちにさせるかもしれない。
ためらいながら口を挟む。
「ひとつ聞いていい? あんな危険な薬物を売るような組織……アイビスさんを助けられたとしても、今後ずっと狙われ続けるかもしれない。どうするつもり?」
「ほとぼりが冷めるまで、隠れてもらうしかないけれど──。どうして今それを? ……もしかして、あなたが言いたいのは」
彼女ははっとしてラズを見た。
人間の領地で肩身が狭いのはラズも同じだ。<錬金術師の少年>やら<黒髪の錬金術師>やら、小人に味方する者として手配書まで出されている身なので、髪を染めでもしないと街を歩けない。だから、今ラズの帰る場所は荒野しかないのだ。──アイビスという人もここにいることが危険なのなら、同じように荒野に逃げればいいんじゃないだろうか。ラズとしても、人間の仲間が増えるのは心強い。
「うん。それをアイビスさんが望むならだけど……」
そう言うとピアニーは目を丸くした。──以前も誰からか同じような言葉を聞いたことでもあるかのように。
「……分かったわ。アイビスに、あなたたちのところにいてもらうよう私から伝えるわね」
「じゃ、取引成立かな? 僕も協力させてもらうよ」
にっと笑いかけると、ピアニーの頬にわずかに朱が差した。硬かった表情を少しだけ緩ませ、ふい、と目を逸らす。
一呼吸おいてから目を合わせてくれた彼女からは、重い雰囲気が少しだけ軽くなったような気がした。
「アイビスは優秀だから、あなたたちにとっても、手を貸す価値は十分にあるわ」
「期待してる。──で、屋根裏のひと達も紹介してくれる?」
人差し指を立てると、彼女は驚いた顔をした。護衛の隠密がいるというのは当たっていたらしい。
「何人かも分かる?」
問われて、屋根裏に改めて注意を向ける。錬金術の波動を使って探ってみるか。
「……二人だろ?」
男女一人ずつ。言い当てたことに、驚愕の表情を浮かべているらしいことも波動を通して視える。
ピアニーは目を丸くしている。
「ちゃんと訓練された隠密なのに……」
顔に手を当てて頬を緩め、感心した様子の彼女に、クレシェン少年は眉根を寄せて語気を荒げた。
「なあ、ピアっ……! こいつ、信頼できるのかよ……」
「そうね、『相手を疑っているうちは、信頼関係は築けない』……だったかしら。でもクレシェン、彼は私の恩人だし、父の友人よ。それを覚えておいて」
ピアニーは彼の目を見て真剣な表情で言ってから、こちらに向き直った。
「早く帰りたいところを、危険なことに巻き込んでごめんなさい。あなたも、無理はしないでね」
「いいって、それに期待に添えるかは分からない。とりあえず、今分かってることを教えてくれる?」
その後しばらく、街の構造や組織の館の場所など話した後、ピアニーと老従者は領主の街に戻って行った。
†
「どの館に捕まっているのか……、その中のどこにいるのか、が分かればな」
ラズの呟きに、ピアニーの子飼いの隠密の一人が首を振った。
「組織にとって、アイビスはそこまで大きな存在ではないから、情報を持つ者は限られる」
「……そっか。難しいね」
隠密行動・諜報に秀でた二人は、彼女がここ半年の間に個人的に街で雇った傭兵らしい。腕がいいのはなんとなく分かる。コードネームだとかで、それぞれ<猿>・<犬>と呼ぶように言われた。<猿>は三十代の男性、<犬>は若い女性のようだが、それぞれ目元を名に因んだ面で隠しているので実のところは分からない。
一方、クレシェン少年は、領主の街の一般市民で、年は十五、お忍びで街に遊びに出るピアニーとは幼馴染らしい。話に出てきた、ピアニーの替え玉をしているというディミニはクレシェンの妹。そして捕まっているというアイビスはその二人の兄貴分で街の不良たちをまとめていた人物だったのだそうだ。
十分ほど議論したものの結局、捕まえた少年が言っていた『組織の取り入り易そうな人物』と接触してみるしかない結論となり、ラズたちはその人物が現れる酒場に向かうことになった。
隠密たちが先に出て行った後、クレシェン少年は頭ひとつ分背の低いラズを見下ろし腕を組んで口を開いた。
「ならお前、ピアのこと騙してないだろうな? 本当に、<錬金術師の少年>なのか?」
高圧的な言い方だが、どうにもあまり怖くない。ちょっとビビってるのに虚勢を張ってるような感じだ。
「クレシェンさんは、ピア……が心配なんだね。あんなに強いのに」
「そりゃだって、貴族の姫君っていうだけで、ただの女の子だしな」
ラズは目を瞬かせた。
「……武術の心得もないと思ってる?」
「剣が強いのは知ってる。でも、普通のレベルだろ」
「ええ……そうかな」
──憲兵隊の猛者と互角以上に渡り合う女子を普通とは言わないと思うが。街にお忍びで出ている分には披露する機会がなかったということか。
クレシェン少年はむしゃくしゃしたように頭を掻いた。
「……くそ、お前と話してたら調子狂うな……。そうじゃなくて、お前自身のことを訊いてるんだよ。一体何なんだよお前。あんなピア……初めて見た」
「あんなってどんな? ……あ、男っぽい演技、凄かった」
「いや、あれは街ではよくやって……くそ、もういい。腹立ってきた」
じゃあなんなんだ、と首を傾げると彼は不機嫌そうに顔を背けた。




