戦姫の迷い(4)
ラズたちの荒野への復路は概ね順調だった。
雪道についた蹄の後はすぐに降り積もった雪に消されていく。
騎獣としている怪馬は平地の生き物なので、山道だと思い切り走れず、体温が奪われてしまう。術を使えば温度調節くらいしてあげられるが、何時間も持続させるほどの体力はラズにはない。だからずっと相棒であるスイを心配しているのだが、当馬は強がって弱音を吐こうとしない。
牙の郷を出て一日目の夜。
ラズと女司祭ウィリ、それから竜人アクラキールは、道程の途中にある竜人の郷に宿泊をした。
終始びくびくしていた新しい仲間アクラキールは、今は毛布に包まって、フクロウみたいに動かない。
「キール……ねえ、もう寝たの」
昼間にポツポツ話をして、彼が牙の郷からほとんど出たことがないことや、語学や美術が取り柄なこと、水を操る術が得意なことを聞いたが、今ひとつ打ち解けられていない。
ラズの呼びかけに、毛布のダルマがびくっとしたが、寝たふりのつもりか、固くなったまま一向に動かない。
「…………」
──そんな反応をされると、いたずら心がもたげる。
『ラズ……それは駄目』
毛布を剥がして驚かそうと足を忍ばせ近寄ろうとしていたら、小人の女司祭ウィリに咎められた。今度はラズがぎくっとする。
『ちぇ』
おもちゃを取り上げられた子どものようにすねて部屋の隅に戻ると、彼女はラズと毛布の塊を交互に見て眉を顰めた。真面目な彼女はこの状況をあまり良くないと判断したらしい。
『うーん……。言葉の勉強をしましょって……声かけてくれる?』
『あ、うん』
ウィリは小人の言葉しか話せない。挨拶ならしているのは見たことがあるが、主述の順番も違う他言語になかなか苦労をしているようだ。一方ラズは、白銀の竜が残してくれた記憶のおかげで、今では小人の言葉も竜人の言葉も苦労なく聞きとり話すことができる。
彼女の言葉を伝えると、毛布がもぞもぞと動いての隙間から眼鏡がぼんやり光った。
『アクラキールは、好きな食べ物は何?』
彼女は頬杖をついて穏やかに笑いながらゆっくりと質問する。それを単語の対応が分かるようにゆっくり訳すと、どもり気味の、今にもひっくり返りそうな声が帰ってきた。
「ええと……パンケーキ、です」
「パンケーキ?」
ラズは目をパチパチさせた。
「族長代理の奥さんが、一度だけ焼いてくれて、あの……」
「ふわふわで甘い、卵入りのパンだよね」
彼はおどおどと頷く。それをウィリに伝えると、彼女はにこりと笑った。
『だから、人間のことが、嫌いじゃないのね?』
「そ、そう……もっと、知りたくて。でも、怖くて一人では山を降りられない……」
「唯一山地から出るシャルはあんなだしね」
二人の会話を想像してみる。どもるアクラキールにシャルグリートが『ああん?』とひと睨みして速攻終了しそうだ。
「なら、帰り道、人間の町に寄ろうよ。君は僕たちの保護者役してくれたら嬉しいな」
「え、ええ……! ラズ君たちの……保護者!?」
「うん。傭兵……は無理あるから、旅の学者かなあ」
「だ、だめだよ……バレたら。ぼくは、戦えないし」
「大丈夫だよ。バレないように頭を使えばいいんだって」
にこにこと笑いかけてみたが、眼鏡の竜人アクラキールは自信がなさそうにまた毛布に埋もれていく。
(ああ、失敗したかも……)
『───お前といると自信を無くすのだろうな』
厩のスイの声が頭の中に響いた。
怪馬のスイは、念話を使える。何もしなければ、ラズの考えていることもスイには筒抜けだ。
(……そう、みたいだね)
最後の、『頭を使えばいい』、という言葉が追い討ちになってしまったのかもしれない。
どうしたものか。しかし、誰に対しても誠実であれ、というのがかつての父の教えだ。──どういう意味かをちゃんと理解している訳ではないが、今の自分の態度は良くない気がする。
少し途方に暮れながらも、ラズは彼に謝った。
「あのっ……、調子に乗った。ごめん、キール」
毛布の奥で、分厚い眼鏡が傾いた。
「なんで、謝るんだい……。きみは間違ったことは言ってない……」
「……嫌な顔をさせた」
「……ぼくにそんな気を遣う価値なんてないのに」
「え?」
アクラキールの言葉がぽそぽそと聞こえてくる。
「対等に……扱ってくれるんだね。ぼくは、もう二十歳になるのに、何もできなくて、弱くて、頼りない」
「族長代理が君のこと、とても頭がいいから大丈夫って言ってたよ。そもそも、人間の言葉が流暢に話せるだけですごいよ。ね、ウィリ」
『あんたは言わばズルしてるもんね』
少し冷ややかな視線をラズに送ってから、ウィリがにっこり笑って見せた。
『自信がない、自信がある、どちらも解釈でしかないわ。それなら、自分に都合のいい解釈をしたらいいのよ? 人間の言葉を話せることは、胸をはって言っていいし、荒野への使者をかってでた勇気はとてもすごいと思う』
「ぼくが、すごいなんてこと……」
彼は顔を赤くしてもごもご言いながら、今度こそ毛布に深く潜り込んでいく。
ラズとウィリは顔を見合わせた。ラズは、聞こえないように小さくため息をつ。
『──そうだウィリ、レノの正体が竜だったこと、荒野の皆には伏せて欲しいんだ』
彼女は眉を顰める。
『なんで? 嘘を重ねさせるつもり?』
『吹聴したら荒野に来づらくなるだろ。信頼する間柄だけ分かってたらいいことだと思う』
『ファナ=ノアには言うわよ。あんた、リンドウには言うつもり?』
リンドウ……叔母がレノと別れたときの、複雑な表情を思い出し、少し考えてからラズは呟いた。
『……様子を見て、かな』
†
竜人の郷伝いだとそれほど困らなかったのだが、行き道通った農村に近づく頃には、手持ちの食料がかなり減っていたので、同行の竜人アクラキールが嫌がったとしても寄るほかなさそうだった。
辺りは雪一面で、狩りも採集も骨が折れる。
『……どうする?』
懐かしい農村を遠目に見つめながら、ラズはウィリに問いかけた。
『……皆、元気そうだわ』
彼女は嬉しそうに目を細める。得意の見聞きの術で農村の様子を探ったのだろう。
『たった、一日、通り過ぎただけの人間の村なのに……そんな風に思うんだね』
『? 大変な思いをして小鬼を倒したわ』
『それはそうだけど』
──そうか。彼女は人当たりはきついが人間だ竜人だと嫌がったりしないし、誰でも助けようとする人なのだ。ファナ=ノアがウィリのことを信頼する理由の一端が垣間見えたような気がした。
『私は待ってるから、アクラキールと寄ってきたら?』
──確かに、彼女の言うようにした方が良いかもしれない。
六本の脚と一角を持つ巨大な馬を人間の集落に連れて行くと騒ぎになる。かと言って、野生では彼らは捕食される側なので、三頭の怪馬を平野に放置して離れることはできない。怪物が出ても倒せるラズか、危険をすばやく察知できるウィリのどちらかが側に残る必要がある。
「……て話なんだけど、キール、一緒にいく?」
「あ、ええ……! い、行きます!」
説明を聞いた彼はどぎまぎしながら答えた。
「キールはぱっと見、人間にしか見えないから、普通にしてれば大丈夫だよ」
──その普通が、人間にとっての普通ならばだが。
†
村の外塀に、中年の兵士が立っているのが見える。兵士は、近づいてくる少年と青年の姿に、うろんげに目をすがめた。──以前はこんなところに警備兵などいなかった筈だ。
しかし、あの顔はどこかで見た。確か……。
往路の記憶を思い返しながら、びくびくする竜人の青年を置いて数歩前に出て、ラズは軽い調子で兵士に呼びかけた。
「憲兵隊のダリオ中隊長、だよね」
「ああ……ん? どっかで会ったか、坊主」
兵士は渋い顎髭をなぜて、油断なく目を細めた。
『憲兵隊』とは荒野に面する人間の領──リーサス領において、治安維持や怪物退治などを担う組織だ。
「会ったよ。稽古付けてもらった」
「むむ……まさか、レイか。なんかでかくなったな。つうか声がわりか」
言いながら、兵士は肩の力を抜いた。
『レイ』というのは、以前街に寄った時に名乗った偽名だ。
ラズも緊張を解いて彼の側に近づいた。竜人の青年は後ろで見ている。
「そう……ダリオさんはここで何してるんだい」
「何って、警備だよ。このところ、各地で怪物騒ぎが多いから、小隊に分かれて要所に駐屯してんだ」
「なるほど……お勤め、ご苦労様です」
「しっかし……驚いたな。山地からの帰りか」
「あれ、それ誰に聞いたの?」
「ブレイズ様を舐めるなよ。小鬼の退治の報告からして全てお察しだ。……無論揉み消している、感謝するんだな」
「あー、だからダリオさんがここにいるってことか。でも、その件については小鬼を退治したってことで貸し借りなしだと思うけどなあ」
彼は憲兵隊において、五人小隊を十束ねる立場である中隊長だ。つまり結構偉い。北部一帯に敷かれているという警護のトップはおそらく彼だろう。
「──じゃあ、村の人は詳細を知らない?」
「小規模な群を通りすがりの傭兵団が退治して解決した、程度の認識だ。……宿を借りたいなら大丈夫だろう」
「いや、怪馬で移動してるから宿はいらないよ。でもありがとう。食べるものを分けてもらいたかったんだ」
礼を言ってから、少しトーンを下げる。──人間の土地に来る度、いつも気になっていること、それは。
「……国境の戦争って、もう始まってるの」
「まだ、睨み合いだと聞いている」
巨人の攻撃で弱体化した森の国を、ここ平原の国と隣国の海の国が同盟を組んで攻める、というのが専らの噂である。──もし本当に大国の三竦みが崩れたら、きっと、想像もできないくらい、大きな戦渦になることだろう。
「とりあえず、村に案内しよう」
兵士は、ラズたちを先導するように歩き出した。
「ラ、ラズくんっ! 大丈夫なのかい!?」
「?」
ひっくり返りそうになりながら、竜人の青年がついてくる。中隊長が怪訝な顔をして振り返った瞬間、彼は巨大な瓜に躓いて顔面から畝にめり込んだ。
「……あ」
「あーあ……、そこは種を埋めたばかりだったのに……怒られるぞ」
中隊長がため息をつく。
「ひいーー!! ち、…違うんです! これは、南瓜に宿ったご先祖から、土の中に宝があるとそういうお導きで……」
土にまみれた顔を上げて、竜人の青年はしどろもどろに言い訳を始めた。
ラズはぱちぱちと瞬きして、彼のそばにしゃがみ込む。
「手荒なご先祖様だね……。で、宝ってこの芋虫?」
髪に引っかかった大きな芋虫を指で摘まむ。彼は情けない顔をした。
「きっと綺麗で大きな蝶々になるよ……?」
「蝶の幼虫は土の中で冬を越さないよ。なんにしても、謝りにはいかないとね」
「うう、ごめん、ラズくん」
「ダリオさん、これ土に戻したら駄目だよね。食用?」
「知らんよ」
なんだこいつは、とうろんげに見ながらも、ダリオ中隊長はラズたちを村に案内してくれた。
†
アクラキール青年の不思議な言動はその後も続く。
「すみません……うっかり躓いて、畝を壊してしまって」
所有者だという農夫にラズが頭を下げると、竜人アクラキールもぺこぺことそれに倣った。
「ほ、本当にすみません!!! この芋虫、丸呑みするので許してくださいっ……」
「えっ、待ってキール! せめて砂抜きして火を通してからの方が。────じゃなくて! そんな謝罪方法聞いたことないんだけど」
「反省の印に虫を食べろって昔よく囲まれて……」
「それは相当陰湿ないじめだね……」
そんなこんなで農夫もうっかりホロリと同情してくれて、事なきを得たので、次は村の小さな朝市に出向くことにした。
「食べるものはあんまりないね。まあ、こんな季節だもんな」
仕方がないので、直接声をかけて干し野菜などを譲ってもらえないか交渉していると、そばでカチャンと陶器が壊れる音がした。
「す、すみません! 壺の中に小さなメダルがあるかと思ってですね!」
「お前! 俺の手作り全部割るつもりか!!?」
「……キール、そういうのはもっと水瓶くらいおっきなのの中にあると思うよ?」
「そ、そうだよね……! だから、これ以上割りません……」
弁償として竜人の市場で仕入れた象牙のアクセサリーを渡していると、以前小鬼退治を依頼してきた村長代理の男が近づいてきた。
「先月は礼もできず済まなかった。ダリオさんの知り合いだったんだな。一緒に居たお兄さんとお嬢ちゃんは?」
「……今回は村の外で待ってるよ」
適当に誤魔化しておく。嘘は心苦しいが、シャルグリートがいないと言えば無用な心配をかけてしまうだろう。
仕入れた食糧の代金は村長代理が肩代わりしてくれ、また藁を譲って欲しいと話していると、後ろでウギャアと声がした。
今度は老人の足を踏みつけたらしい。
「ご、ごめんなさい~!」
「わし、村長……」
†
「ウィリー! ただいまー」
「おかえり」
数時間後、少ない食糧と藁を仕入れて戻ってきた二人を、ウィリは笑顔で迎えてくれた。
『キールってとても……』
『ドジ?』
『そう、それ』
彼はその後も、村長のカツラを取ってしまったり、藁をぶちまけたり、これでもかと凡ミスを続けた。
見聞きの術を使って覗いていたウィリは、その度お腹を抱えて笑っていたらしい。
「初めて山地から出て、緊張してたんだよね~」
あはは、とラズは笑った。村の人も馴染みの中隊長の知り合いだからかすぐに慣れて、カチコチに緊張する彼をからかったりしていた。
アクラキール青年は肩を落としてしゅんとしている。
「……嫌にならないのかい」
「ん? んー……」
ラズが詰まると、ウィリが朗らかな表情で答える。
『慣れれば大丈夫なんでしょ、問題ないわ』
ウィリの言葉を訳してから、ラズは自分の考えを付け足した。
「危険な場所だと困るかな、って思ったけど……楽しかったよ。今日は」
そう言うと、彼はほんの少しだけほっとした表情を見せた。
彼のようなタイプが、ただ笑って過ごせるくらい、安全な世界だと良かったのだが。




