戦姫の迷い(2)
『いーやーだー! 俺も行く!』
聞き分けの悪いだだをこねる少年のアッシュブロンドの短髪に、ごちん、と大きな拳骨が落ちた。彼の父親である無精髭の濃い男性は、そのまま息子の頭をわしゃわしゃと混ぜる。
『お前が行ってもしゃーねーだろーが』
『はなせー! くそおやじ!』
その様子を見て苦笑いしながら、ラズはマフラーを巻きなおした 。
そうすると隠れて見えなくなるが、この一ヶ月で髪の裾が伸びて首にかかる長さになっている。──前髪はさすがに鬱陶しいので自分で切った。ちなみに髪色は、旅に出る直前に茶に染めてからそのままだから、根本部分だけ中途半端に黒い。
この髪色は、七つ上の友人シャルグリートには実はウケがよかった。彼は側頭部に稲妻の剃り込みを入れたりと、見た目のカッコよさにもこだわる方だから、彼が良いと言うならそのままでいいか、などと思ったりしている。
しっかり防寒具を着込んでいる理由は、……今日が、この竜人たちの住まう山地から、小人の親友の待つ荒野に発つ日だからだ。
目の前の、同年代の竜人ローウインは、隣の郷からわざわざ見送りに来てくれたのだった。
『ロー、嬉しいけどさ、ローがいなくなったら皆すごく困ると思うよ?』
『皆って誰だよー!!』
『あれー? ローなら言わなくても分かると思ってたけどなぁ』
ラズがにやにやと仄めかすと、ローウイン少年はううっと口籠もった。ローウインの父親が、呆れたように笑う。
『……本当に息子と同い年なのか、君……』
その言葉に、隣にいた、短い銀髪を刈り上げた青年──シャルグリートが怪訝な顔をした。
『ん? ローっていくつだ?』
『今頃何言ってる? 十一だよ』
『……』
その言葉にしばし固まってから、彼はごほん、と咳払いした。
『……春になったら俺も荒野に行くから、寂しくなっても泣くんじゃねーぞ』
──今、絶対何か誤魔化した。
『は?? 誰が?』
と、ラズは笑いを堪えながら言い返す。
『は、はーん? なら、レノがいなくなってベソかいてたのは見間違いか』
腕を組んで見下す顔にはどこか余裕がない。
『あ、当たり前だろ。シャルの方が、寂しがって黄昏てたくせに』
『ゲッ……見てたのか』
あわわと口を開いたので、竜人の特徴である尖った歯が見えた。
あの日ラズはレノがいなくなった後二度寝して、次に目が覚めた時は夕方だった。手持ち無沙汰になったので窓伝いに屋根の上に登って景色を眺めていたところ、シャルグリートの後ろ姿を発見したのだった。
『いやあ、しんみりしてたから声かけづらくって。っていうかごめん、僕も確かにちょっと泣いたかもしれない』
彼の表情が本当に居た堪れなそうだったので、ラズは少し申し訳なくなって素直に謝った。
彼はきょとんとしてから破顔する。
『……お前、そういうところ、変わんねーな』
そういえば、初めて喧嘩した時も、先に謝ったのはラズだった。最初彼は『強いやつが周りを従わせるのが当然だ』、とよく言っていたが、実質竜人最強となった今、周りに威張り散らす様子はない。──少し変わった、と思う。
ふと、少し離れたところからこちらを見ている銀髪の青年と目が合った。現在竜人の族長……その代役をしている青年──ディグルエストだ。隣には、その妻が寄り添っている。彼女は竜人の郷において唯一の人間だ。
『ディック? どうしたの?』
首を傾げて覗き込む妻に、青年は複雑そうな表情をして呟いた。
『……おれは、牙の民しか大切にできないが、弟はそうじゃないんだろうな、と』
きょとんとする妻に笑みを残して、彼はこちらに近づいてきた。
肩にかかるきれいな銀髪を、頭の後ろで一つにまとめた、爽やかな美形。弟とは似ても似つかない知的な碧い目で、ラズを見下ろす。
「小人の代表によろしく伝えてくれ」
「うん。ファナ=ノアと、次は直接会えるといいね。きっと、気が合うと思う」
「それは楽しみだ。……そうだな。二年後の春には、私から会いにいこう。牙の民の代表として」
その言葉に、彼の妻が目を見開いて口に手を当てた。
彼は一ヶ月間、自分の身体を乗っ取った者が同胞に何をしたのか知っている。数日前までは、その罪を背負って政治の表舞台から去ろうとしていたはずだ。しかし、親善試合をした日から、その表情は少し変わったように思う。
あの日、ラズは自分が旅をした理由を彼らに明かした。故郷が滅びた原因が、自分自身にあること。決して繰り返さないと誓ったこと。それが、彼自身の生き方に前向きさを与えられたのかもしれない。
目と目が合う。どこか威厳を感じさせる笑みだった。
「その時、君にも会えるかな?」
「もちろん。チェス、勝てるようになっとくよ」
監督として参加した籠球の試合では、敵チームの監督になっていた彼の戦略に一歩及ばなかった。勝負には勝ったが、それは少年達自身の気概の差だ。
あれから何度かボードゲーム……チェスに誘われたが、一度も勝てていない。
「君が種族間の争いを止めたいと本気で願うなら、今後君の盤面は、世界になるだろう。駒を見つけて育てて、特徴を活かしながら動かしていくんだ。頑張りなよ」
「……え、と……はい」
そんな大袈裟な。と思わないでもないが、彼の言うことには妙な説得力を感じた。たしかに、それくらいのつもりでないと、ファナ=ノアの隣になんて立てないのかもしれない。
ラズが怪馬のスイのそばに戻ると、その横に立っていた小人の女司祭、ウィリがぽつりと呟いた。
『シャルグリート……ここに残るのね』
『うん、お兄さんの立場が回復するまでは、側でサポートがいるからね。……寂しい?』
怒るかと思ったが、彼女は耳の高さにきちんと揃えた髪を揺らしてふっと笑った。
小人の特徴である尖った耳に、紅い石がついたイヤリングが映える。
『少しね。あいつ、騒がしかったから』
言って彼女は、シャルグリートに一歩近づく。彼も気付いて視線を落とした。
『じゃ、またね』
『おー、また春にな』
彼はウィリの頭をぽんぽんと叩いた。彼女はもう嫌がらない。
言葉は互いに分からないはずだが、二人の間には奇妙な信頼感が漂っていた。
『……で』
ラズは隣に立つ竜人の青年を見上げて笑いかける。
『これからよろしくね、キール』
『……よろしく、です』
竜人からの使節の派遣は春のコロシアムが終わるのを待つことになったが、先立ってアクラキール……愛称をキールという細身の青年が荒野に同行することになった。
彼はシャルグリートの二つ上の義兄で、ひょろっとしていて、眼鏡をかけた、いかにも頭脳派な青年だ。
竜人であるはずだが、歯が尖っていない。彼は翼の民の血が混じっているそうで、肩甲骨から二の腕にかけて翼腕であるらしいが、分厚い服を着ていると人間と見分けがつかない。
『ええと……僕はただ、先に行って言葉と文化を覚える役、なので』
その言い方は、なんとなく消極的だ。
今まで会ったことのある竜人の中では珍しい、気弱な雰囲気を醸し出している。
(……実はちょっと、嫌だったり?)
しかし先日の親善試合の時に、ラズは自分に共感してくれる人だけ協力してくれたらいい、と宣言したし、それでわざわざ望まない旅に名乗りを上げたとは考えにくい。
族長代理がこっそりとラズに耳打ちした。
『こんな社会だから、肩身が狭いんだ、彼のような人は。しかし、とても頭がいいから……大丈夫だよ。それに、人間の言葉も話せる』
『……ディックのお墨付きなら』
ラズは頷いて、スイの背中に跳び乗った。
ローウイン少年が大きく手を振る。
『またな、ラズ!!』
『うん、またゲームしよう、ロー!』
荒野のノアの郷までの道程は約二週間。故郷……世界の反対側にある大山脈では梅の蕾が膨らみ初めている季節だろうか。




