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竜人の長(2)

 夏の虫が煩い。そこは森の中にあるポツンと建った木こりの小屋の中だった。

 少しだけ、血の気の戻った弟の顔を、ツェルはじっと見つめていた。

 首元で一つにまとめたブロンドの長髪は、弟の黒髪とは似ても似つかない。

 その青みががった目は、怒りと憎しみで燃え滾っていた。


 なぜ、あんな醜い化け物たちが。


 門の前に転がっていた骸。幼馴染が、叔父や祖母が。鼻をつく、人の焼ける臭い。そして、母が。

 ──なぜ、自分はあの時逃げるしかできなかったのか。


「「憎いのか」」


 突然、嗄れた老人の声が頭に直接響いて、ツェルは顔を上げた。


「「許せないのか? ──しかし、全てを招いたのは、そこの、お前の弟だぞ」」

「──……」


 見回せども、声の正体は見当たらない。


「──そんな、ことを言う為に、俺の夢の中に入ってきたのか」

「「……」」


 老人の声が途切れる。


 ツェルは知っている。これはこの半年何度となく見てきた夢で、弟と道を違える前、最後の日の光景だ。

 老人の言葉の意味を反芻しながら、昏い眼差しをもう一度弟に落とした時、また、老人の声がした。


「「憎しみも強烈な生の感情……しかし落ちていくだけのもの。心が壊れるのは時間の問題」」

「……何が言いたい」

「「取引をしようじゃないか、少年。お前の復讐に力を貸してやる。その代わり、(つい)えたとき、その魂を明け渡せ」」

「何なんだよ、お前……」


「「禍々しき、神さ」」




 † † †




 その話し合いは、牙の郷の族長の応接室で行われた。


 竜人たちには謁見の間というものもあるが、マガツが最初に血の海にしてしまったため、使用は躊躇われたのだという。

 細々とした政治ごとに長けた重役もその時に喪われ、今やまともに人の采配ができるのはシャルグリートの兄(ディグルエスト)だけらしい。

 しかし、竜人達にとっては彼の兄は大罪人である。いくら竜人にとっては強さが全てと言っても、やっていいことと悪いことがある。

 だから今、正面の椅子に座っているのは、滝見の郷の長だった。


『すまんな、代理で呼ばれた程度の俺が相手で』

『分かってます、むしろこんな状況なのにこっちの都合で時間を設けてもらって感謝してます』


 ラズが落ち着いて言葉を返すと、その後ろに控えるように立ったディグルエストが少し微笑んで口を開いた。


『ウィリさんから、君たちの状況と大まかな要望は既に聞いている。人間との外交が春から始まるが、──依然緊張を要する関係であることから、武術指南役及び、友好関係を証明する使者のやりとり、商業の自由化、だったな』


 彼の左の目元にはまだうっすら青痣が残っていて、男前が大変台無しだ。


(本当は荒野と山地の間に共有地を作ったり有事の際の同盟協定もあったはずだけど)


 しかしそれは、今話しても難しいだろう。ウィリもそう思って伏せたようだ。


『共同で部隊を編成し人間への新たな圧力としたい、というのが私の狙いだったのだがな……呼びつけたのはこちらなのに、本当に申し訳ない』


 ディグルエストは深く頭を下げる。

 滝見の郷の長が続けた。


『人間の国境が騒がしいためか、心配していた爪の民からの侵攻はなさそうだが、上位と頭脳役が軒並み不在とあってな……』

『来年のコロシアムはどうするんですか?』


 その問いにディグルエストが複雑な顔をした。


『開催するよ。むしろそれで統率と団結を取り戻すしかない。──私が自由でいられるのもそこまでだ』


 壁にもたれて腕を組んで聞いていたシャルグリートが浅くため息をついた。


『中位のヤツらが軒並み催眠術で人が変わった、って事実があるから、兄貴もその線で片付けてきたぜ』


 一同の注目を集めたまま、彼は兄に向かってキッパリと告げる。


『だから、コロシアムには兄貴も出てくれ。その方が皆も安心する。──だいたい、戻ったっつったら泣いて喜んでたぜ、あいつら』

『……』


 ディグルエストは目を伏せて、深く一呼吸する。何が最も一族に対する誠意となるか、ずっと考えているのだろう。──マガツに乗っ取られたのは不可抗力だというのに、責任感の強い人だ。


『……話が逸れたな。今回の件で君たちには返しきれない恩がある。感情的には、全面的に協力したいくらいだ。……ただこの状況というのもあるし、私達は基本的に恩などで動くことはないから、建前が必要だ』

『はー……。やっぱり、力を示せ、的な?』


 彼は頷く。


『五位のグレイテンスを倒してくれたらいい。シャルからは大丈夫だと聞いている。それで小人の勢力が私たちの上位だと一時的にでも押し通せる』


 ラズは隣に座っている女司祭ウィリと顔を見合わせた。


(……上、ねえ)


 話を伝えると、彼女は眉を顰めて首を振る。その反応に、ラズも頷いた。


『……気遣いは嬉しいけど、その話は受ける訳にはいかないかな。だから……シャル、親善試合をしない?』

『は?』


 急に話の矛先を振られた彼は目を丸くした。

 彼が<虚の王>から与えられた力は健在だ。力を借りる際の条件というものをラズは知らないが、まだ約定は継続しているらしい。

 ちなみに、マガツが撒いた力の方はレノが全て回収したそうだ。無理矢理引き剥がしたに近いため、中位の戦士たちは憔悴して一時的に術が使えなくなっているのだとか。

 ともかく、今のシャルグリートと戦っても、ラズが勝てる見込みはまずない。しかし。


『僕たちはシャルの友人だ。それを示せればいい。僕たちの戦いを見て、皆がそれでも文句があるって言うなら同盟の話は先送りでいい』

『はーん……わざと負けてはやらねーぞ?』

『僕だって、ただで負けてやる気はないよ』


 不適な笑みを浮かべる彼に、同じように口の端を吊り上げて返す。

 ふむ、とディグルエストは顎に手を当てた。


『……なら、コロシアムに郷の皆を集めるか?』


 これには滝見の郷の長が首を振る。……コロシアムもまた、凄惨な悲劇の記憶が新しい。


『前の件を恐れて、誰も来ないんじゃないか? 広場でいいだろう』


 話が前向きに進んでいることに、ラズは表情を緩めた。

 結果的には当初快く思っていなかった『腕試し』に近い形に収まるが、意味は違う。

 これで得られるのは、たまたま人間を共通の敵とする『隣人』ではなく、『友人』の認識のはずだ。


『明日、籠球の少年試合があるから、その後にしたらいいんじゃないかな』


 提案すると、一同がきょとんとした。


『なんで知って……もしかして、君も出るつもりか?』

『ううん、西のチームの監督役』


 にっと笑うラズに、シャルグリートが苦笑いして補足した。


『こいつ、兄貴に似てんだよ……昨日はガキどもの動きが変わってビビった』

『へえ、じゃあ東側の監督は私がやろうかな?』

『えっ……やめてください、本気で』


 先日のマガツの策略は正直怖かった。あれがマガツの能力なのかディグルエストの頭脳ありきなのかは分からないが、ラズは反射的に彼に詰め寄って懇願した。


『ふふ、冗談だよ』

『いや、兄貴の冗談は冗談じゃねーぞ。気をつけろ、ラズ』

『うわあ……作戦練り直さないと』


 ラズが頭を抱えるのを見て、シャルグリートがカカカと笑う。

 滝見の郷の長もそんな甥たちをみて緩く微笑んだ。

 マガツの支配は一ヶ月に渡り、それが去ってから二週間も経っていない。心の傷は一向に癒えないが、少年たちはそうではないのがせめてもの救い、なのかもしれない。




 † † †




 郷の広場に賑やかな歓声が上がる。


 籠球の試合の勝敗は互いに全く譲ることなく延長戦にもつれ込み、最終的には東側が勝ちを譲る結果となった。


 竜の大群の襲撃で親兄弟を亡くし、荒んでいた少年たちが流す涙を、臨時で指南役をかって出た仮面の青年はきつくきつく抱きしめていた。


 一方、勝利に歓喜する少年たちに囲まれた人間の少年は、満面の笑みに目尻を濡らしていた。──その本当の理由を知る者はその場にいない。



 そして、事前通告通り始まった親善試合。

 その前置きの口上を務めた短い銀髪の青年は、はじめに父を悼み、そしてすべての犠牲者に弔いを述べた。

 普段から口が悪く、奔放だった前族長の末の息子の変化に、観衆は最初は戸惑った。

 その演説は、今回の顛末と平原や荒野の状況、一族の未来に触れる。次第に聞き入り、最後には拍手を送った。


 そして青年は、以前と変わらぬ悪人面で笑う。


『お前は?』


 手のひらを上にしたまま、くい、と指を引くと、その先にいた人間の少年は呆れたように笑いながら輪の中に入った。


『なぜここに来た? 人間の()()

『チビゆーなっての。試合を見る為に皆寒い中残ってくれてるんだから、長話はしないよ』



 その戦いは時間にして十分ほどだったが、瞬きすら忘れるほどの真剣勝負だった。


 その戦いの中、少年は切れ切れに語った。旅をした理由と、譲らないと決めたこと。


 降参したのは少年の方だったが、青年は珍しく勝ちに酔いしれることなく少年の腕を引いて立たせた。



『……なら、まだやることは山積みだな』



 少年は朗らかに笑い返す。



『そーゆーこと』




 † † †




 白い雲のようなものに包まれて、白銀の竜はその身体を丸め込んだ。人の姿をとる理由もないし、その気力もない。


(旅は、ここで終わり……か)


 少し心残りがあるとしたら、小さな友人の成長を見られないことか。


秋茜(アキアカネ)……迎えに行けなくてすまない)


 すうっと意識が落ちていく中、鬣を優しく撫でられたような気がするのは錯覚だろうか。

 雲が空間を満たして閉ざし、やがて、竜の姿はどこにも見えなくなった。

3章、完です。


ここまでお付き合い下さり、本当に感謝です。

私自身普段から読み逃げ派ですので、ブクマ登録してくださっている方のお気持ちがより一層、心に染みます。


ここから物語は折り返し地点、巨人や兄との直面、大戦、成長、恋、そして完結に向けて、走り切る予定です。


3章のサブ主人公、一時退場したレノさんは、終章で彼自身の物語を綴り切りますので、レノさんファンの方(他ならぬ筆者ですが)、どうか次章はラズの成長をお見守りください。


次話は挿絵集となりますので、苦手な方は目次にお戻り下さい。

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