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竜の旅人(17)……魂を喰らう者

「……ここ?」


 灯火が静止してかき消え、ラズは立ち止まった。


「己が分からなくなって薄れ、霞となっているのでありんしょう」

「そんな……」

「呼びかけてみては?」


 猫はどうせ無理だろうが、と言いたげだ。ラズは何もない空間を見回した。


「……シャルも、奥さん(ルクエさん)も、諦めてない!」


 何週間、何ヶ月、ひょっとしたら何年も、ここに閉じ込められていたのかもしれない。そんな人に、どんな言葉が届くのだろうか。


「シャルは……分かりやすい。あなたのことをすごく尊敬していて、なんでも力になりたい、って今だって思ってる、絶対に!」


 ここにいた人がどんな人なのかラズは知らない。手探りに、彼に纏わる記憶を辿る。


奥さん(ルクエさん)は……泣いてたよ! レノに、あなたを殺さないでくれって頼んでた……戻って……しっかりしてよ、ディグルエストさん!!」


 ラズが言葉を区切ると、しん、と辺りが静まりかえった。


「無駄なことを」


 誰かの声がした。

 艶っぽい響きのある少し嗄れた男の声。

 声の方を見遣ると、背の低い老人が立っていた。


「あれが、禍ツ神でありんす」

「……意外。あっちの世界ではイケメンだったのにな」


 老人は落ち窪んだ昏い目をして、薄く笑みを浮かべた。この笑い方には見覚えがある。


「猫又よ、宿主を間違えたか。或いは縁を捨てられたか」


 ゆらり、とその姿が煙のように消える。


「!」


 急に後ろに気配を感じて、ラズは短剣を抜きざまに振り抜いた。


「おお怖い。──(オン)


 両手を組み合わせ何かを形取る。

 猫が頭の上でぶつぶつと何かを言った。


(オン)摩利制曳(マリシエイ)莎訶(ソワカ)!」

「なに、それ」

「基本の護りの真言(マントラ)でありんす。……覚えなくて構いんせん。使えないでありんしょうから」


 御伽噺に出てくる、魔法の呪文みたいなものだろうか。それにしても、猫は少しイライラしたような口ぶりだ。爪が肩に食い込んで少し痛い。


「──猫さん、結構短気だね。不可抗力だから気にしない方がいいよ」

「分かっておりんす。──わちきらも会話はそろそろ慎まないといけんせん。声色を真似てくることもありんす」


 今度は老人の足元から黒い人形がたくさん出てきて襲いかかってきた。


「器はただの人だ。──お前たちと違ってな。ここで姿を保つことすらままならない」

「──っ」


 振り下ろされた黒子の腕を避けながら、肩に刃を立てると、ドプン、と割れ目ができて、すぐに元どおりになった。


「何これ……」

「……式、でありんす。額の呪紋を壊せば消えんす」


 簡単に言うが、現実世界で戦った竜人たちより速いし、動きが読みづらい。


「お前には、意地しか感じられない。どうせ他人に希望を預け、己の願望は二の次なのだろう? ──だからなんとしても、守り貫く気がない」

「──っ」

「答えてはいけんせん!」


 ぴしゃりと猫が言い放ち、ラズは反論を呑み込んだ。

 レノは『真似しなくていい』と言った。それはどういう意味なのだろうか。


「意地も意思! 決めるのは自分でありんす!」

「しかし、だからお前は弱い。主君などと他人を頼り、自分が前に立つ勇気がない」


 猫は尖った歯をギリギリと噛み締めた。

 黒子に気を取られる間に、老人がグニャリと頭の上に現れた。


「──(シキ)

「!?」


 本能的にその場から離れたが何か背筋がぞわりとした。猫又は早口で「(オン)吉利吉利(キリキリ)……」と唱えてから、すぐに中断して苦い声で鳴いた。


「──おゆるしなんし、間に合いんせんでありんした!」


 老人がにたあ、と嗤った。

 パンパン、と近くの黒子が弾けて朱い液体が飛び散る。


「────っ! サイテーだ」


 音に振り向くと、そこに見覚えのある光景が再現されていた。猫が尾を振って陽炎で覆い隠そうとする。


「──いらない! 視界を奪われたら戦いにくい!」

「……しかし、わざわざ禍ツ神が再現したといわすことは」

「いい! どうせ向き合わないといけないと思ってたんだ!」


 黒子の姿がぐにゃりと変化して、次々に國の人々の姿をとる。


「叔父様──……皆……!」


 額を狙った剣を振り抜けず、ラズは後退する。


「ラズ……生きてたのか」


 叔父の姿をした何かが、叔父の声で言葉を紡ぐ。


「お前だけ」

「──っ」


 ──そうだ。自分のせいで皆が死んで、自分は生き残ってしまった。


「しっかりしなんし!」


 猫又の鋭い声にハッとする。

 気がつけば、頬を一筋涙が流れていた。


 もう一度退がって、ラズは深く息を吐く。

 ──こんな風に動かされるみんながかわいそうだ。


「……無理だ。斬ったらたぶん、罪悪感で自分が嫌になる」


 ラズは短剣を腰の後ろの鞘に戻した。


「逃げたら前と変わらない」


 かと言って、刃を受けるのも避け続けるのも無理がある。


「……! 本当、サイアク……」


 見覚えのある人々の中にちらりと見えた、剣を振る黒髪の少年の姿。

 ラズはぱっと駆け出した。


 キィン──!!!


 その刃が巨人の首を貫く前に、短剣で弾く。

 その少年は、まるで自分で自分に刃を突き立てる直前のような、悲壮感の漂った虚ろな黒い瞳でラズを見ていた。


(……こんな顔、してたのか)


 ぎゅっと、目を瞑る。


「──<紫電(しでん)>!!!」


 バチバチバチ!


 同心円上に広がった雷が、数歩の距離にいた巨人や故郷の人々の人影を飲み込んだ。額の符が焼き切れて、黒子の姿に歪んで煙のように消える。


(あの時は、必死だった。でも、あの時できるだけのことをした)


 雷撃の中心に降り立ち、倒れた過去の己の頭をくしゃくしゃと撫でてみた。


(全部、終わったことだ。──みんなの顔を見たら、もうこんなことを起こさせないって──思うな……この気持ちは、自分のためだけじゃない)


 ──繰り返さないこと。それが自分の償いだ。だったら尚更、ここで負ける訳にはいかない。

 ラズは静かに立ち上がって、宙に浮かぶ老人を見上げた。


「……マガツ、逆効果だよ」

「──そのようだな」


 ラズの目を見つめ、禍ツ神はつまらなさそうに手を振った。

 故郷の景色はそのままに、代わりに黒子が別の姿をとる。


(……ツェル兄)


 ──この人が自分の弱点だと、マガツは思っているのだろうか?


 怪訝に思いながら、ラズは間合いを取った。

 兄の姿をしたその人影は槍を構えて口を開く。


「お前……母様を殺したやつらに、剣を向けるのを躊躇っただろう」

「……答えてはいけんせんよ」


 黒猫の忠告に頷く。


(剣を、向けるべきは巨人でも人間でもない……)


「俺は憎い。すべてを壊したあいつらを──必ず殺し尽くす」


(そんなことしたら、今度はツェル兄が憎まれる!)


「お前はいいよな。すべてに恵まれて、自由奔放だ。どうせ、こんな俺のことを見下しているんだろう」


(……ツェル兄はそんなことを言わない……。そう思われていると、感じているのは僕だ)


「ムカつくんだよ! お前の存在が! お前なんて、生まれてこなけりゃ良かったんだ」


 耳を塞ぎたい衝動にかられて肩が強張った。

 それは、ラズの小さな自己否定の根源だった。


(僕がいなければ、ツェル兄はもっと幸せだったはずだった……巨人の襲撃はいつかはあったかもしれないけど)


 しかしラズが余計なことをしなければ、兄の代では襲撃はなかったかもしれない。


「……こそこそと、ぶつかるのを避けて、嫌われないようにヘラヘラして。バレてんだよ。ずっとそうしてるつもりか?」


 好きでもあり嫌いでもあり、ラズのアイデンティティの根幹に関わる兄の呪いの言葉に抗いきれず、ラズは唇を強く噛んだ。


「分かってるぜ。お前にとっても、俺が邪魔なんだよな。だからお前は生きていれば……いつかは俺を殺しにくる」

「「大丈夫でありんすか?」」

「──当たり前だ! ツェル兄が、あんなこと言う訳ないだろ!!」

「それは声真似っ……」


 猫がピシッとラズの頬を尾で叩いた。禍ツ神の顔が歪む。


「もう遅い……答えたな!」


 ぞわ、と紫の空間が絡みついてきて、ラズは慌てて跳んで逃れようとした。


「……っ! うわっ」

「呪術は避けてどうなるものでもない」

(オン)須陀(シュダ)須陀(シュダ)!」


 猫がまた何か唱えたがあまり効果がなく、ズブズブと足元から呑み込まれていく。

 猫がラズの肩から降りてゆら、と大きくなった。


 猫の耳と尾、鈴はそのままに、四歳くらいの着物を着た幼女の姿をした猫又は、先ほどの真言を繰り返し口の中で唱えながら、慌てた表情でラズの手を握って引っ張った。


「くっ……踏ん張りなんし……もう少し!!」

「このまま落ちたらどうなんの……!」

「内部世界の定義でありんす! 禍ツ神に答えた者は魂を喰われる、ぬしは世界を跨いで逃げられんせん! しかし……」

「嫌だっ……! 違うって、ツェル兄に伝えるんだ! 帰ったら、ちゃんと喧嘩だってする!」


 必死に助けようとしてくれている猫又の周りで灯火が一つ二つと増えていく。このままラズが喰われてしまったら、猫又も喰われると言っていた。

 胸の辺りまで沈み込みながら、猫又が掴まなかった方の手で、空を掻く。


 その手を、別の誰かが掴んだ。


「……ディグルエストさん……!?」


 長い銀髪に碧い瞳の青年は、外の世界で会った()とそっくりだった。


「兄というのは……結局弟に振り回されて……まあ、困るものだが……、それでもやっぱり、自分の一部なんだ」


 マガツと似ても似つかない、優しさを帯びた力強い笑みを浮かべ、ディグルエストはラズの手を引いた。


「君は、弟の友人なんだろう。見ていて──寝ていられなくなってしまったよ」


 両の手で引かれると、するっと紫の空間が解けた。そういう(しゅ)だったのかもしれない。猫又は間に合った、と言うふうに息をついて小さな猫の姿に戻り、再びラズの肩に陣取る。


「────ありがとう」

「死に損ないが──邪魔を!」


 老人の語気が荒くなった。しかし、動揺は一瞬で、形相はそのままに声のトーンが下がる。


「いい──構わん。少年の弱味はもう分かった。唯人(ディグルエスト)など恐るるに足らん」

「禍ツ神──……」


 ディグルエストはその姿に、表情を強張らせる。


「……ディグルエストさん、あいつを倒すにはどうしたらいいと思う?」

「──は……?」


 やられっぱなしでいる訳にはいかない。


 ラズは宙に浮かぶ禍ツ神を睨みつけた。

猫幼女

https://twitter.com/azure_kitten/status/1276790424204488706?s=20

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