竜の旅人(13)……狩
「退がれ!!」
レノの声が耳もとで響いた。
大きな手に腕を掴んで引っ張られた、と認識した次の瞬間、視界いっぱいに白い爆発が起こった。
「────っ」
閃光。
目がくらんで視界がホワイトアウトした。
手探りで上体を起こし、混乱する心を叱咤する。
(<薬績>の術で──はやく、目を)
爆発に巻き込まれた割には爆風は大したことがない。ウィリが守ってくれたのだろうか。
ぼやける視界で何度か瞬きして状況を確認する。マガツは結晶で身体を覆って爆発から身を守っているように見えたが、所々シャルグリートが打ち込んだ黒水晶によって手傷を負っていた。
「……?」
マガツの向こう側には、シャルグリートの姿が見える。水晶で防御したらしく無事だ。とっさに片目を腕で隠したようだが、ラズのように治療の術が使えないのでもう片方の目はしばらく見えないだろう。
レノは左側の少し離れた位置で立ち上がった。退避が間に合わなかったらしく右腕に火傷ができているが、気にした様子はない。
少し遅れて、竜人たちが動き出した。──向かってくる。また、混戦の振り出しに戻るしかないのか。
「──レノ、さっきの銀の粉!」
竜人たちの間を掻い潜ってレノのもとを目指しながらラズは叫ぶ。
「アルミニウムだ! たぶんあの結晶はコランダム! 金剛石じゃない!」
もし金剛石なら、シャルグリートの黒水晶でああも傷を負うことは無いだろう。そもそも、金剛石は燃えるから、爆発から身を守るためになんか使えない。
「……使えないのだとしたら、あの体はディグルエストではない、ということになりますね」
「さらに乗り移ったってこと?!」
「分かりません。人格を刷り込まれ、力を与えられた偽物かも」
「人格を刷り込む──!?」
精神支配はつまり暗示だが、そういうことも可能なのだろうか。──記憶まで共有して?
(……記憶の共有なら、前例を体感してるじゃないか──!)
レノと背中合わせになりながら、身体を覆う結晶を消した後も状況を静観する銀髪の男を睨んだ。
「なら、尾根側の方が本物の可能性がある──!?」
† † †
ウィリは牙の竜の背でその爆発を目にして真っ青になった。
レノに引っ張られ投げ飛ばされたラズをとっさに風の術を使って受け止める。
盾を作りながら後ろに跳びすさるシャルグリートを熱風から守って、ウィリは少しほっとした。二人とも大事には至っていない。──が。
『レノさん……!』
遠目にも彼は腕に火傷を負っているように見える。
それを確認した時、牙の竜が咆哮をあげた。
『何!?』
この時まで安定していた背中が激しく揺れ動く。
『──きゃあ!!』
掴まっていられず空中に放り出された。
たちまち急降下する。
『『ウィリ! 大丈夫!?』』
強風の中で微かにラズの声が聞こえた。自分だって大変だろうに、ちゃんと小人の言葉をかけてくれる。
『──っ大丈夫!』
ウィリはファナ=ノアの様に自在に飛べはしないが、一定時間滞空するくらいはできる。
ファナ=ノアに、一緒に空を飛ばせてもらうこともあるので、空中の落下もそこまで怖くはない。
『『ウィリ! こっち側、谷の上に降りられる?!』』
『できるけど! ──でも、牙の竜が!』
尾根側で雪崩に阻まれていた一団が、透明な矢を牙の竜に向けて射っている。
預かった白銀の耳飾りごしに竜人の言葉でレノと赤竜がやりとりしているのが聞こえた。
『『牙の竜、誘導されている、戻りなさい!』』
『『言われずとも分かっている!!』』
矢が二本、牙の竜の翼の膜を射抜いた。
苦々しい咆哮をあげて、牙の竜の高度がゆっくりと下がる。
『『狙い撃ちにされてんぞ、さっさと降りちまえよ!!』』
焦った様子のシャルグリートの声も聞こえた。
しかし牙の竜は方向を変える様子はない。
ウィリは落下方向を調節して、谷の最も高い位置に降り立った。
『──はぁ、はぁ……』
疲労感が全身を襲ってくるが、ここで弱音を吐くのはプライドが許さない。
『『ウィリ、牙の竜がこっち側に降下できるように…………サポートできる!?』』
『……分かった!』
ウィリは羽を畳んだ牙の竜の巨躯の周囲にさらに風の渦を作りだす。
(力が足りない──! 牙の竜はどこに向かっているの?!)
ずうん、と重い衝撃音とともに、牙の竜が着地する。谷より少し北の位置──ラズの指示とは違う場所だ。
その場所へ、尾根から降りてきた一団がまもなく着くことがウィリには分かっている。
『『牙の竜、どういうつもりですか』』
『『我を舐めるな……足止めくらい、してやる』』
少し遅れてラズが牙の竜の意図を伝えてきた。
『『単独じゃ無茶だ──それに、そっちの方が危険かもしれない、ウィリ……』』
『牙の竜が私たちを守るためにそうするって決めたんなら、私たちだって牙の竜を守らなきゃ』
ここまでウィリはラズたちの役にあまり立っていない。そもそも彼らの乱戦に何かするのはウィリには無理だ。
しかし、牙の竜のサポートなら何かできるかもしれない。
『『絶対、無理するなよ』』
ウィリは近くの岩の陰に隠れて小さくなりながら、震える手を押さえつけて笑った。
『任せて。ファナ=ノアならここで信頼してるって言うわよ』
『『はは──だね。僕たちも、すぐにそっちに行くから』』
ウィリの気丈な言葉に、ラズからは曖昧な肯定の笑みが返ってきた。
自分で自分を奮い立たせて、岩陰に隠れたまま牙の竜の状況に集中する。
牙の竜は前方の雪を溶かし、霧を発生させて退がっている。
羽が傷ついて高く飛ぶのは難しくなったようだが、動きはとても軽やかだ。
赤や黄色の尖った石礫を作りだし、霧の中に包まれた竜人たちに目掛けて打ち込んでいく。
ツンとした臭いがウィリの方にも漂ってきた。
(……あれは、毒霧……)
ラズが牙の竜の毒はおそらく致死性だと言っていた。──きりりと心が痛む。
霧の中の竜人たちは擦り傷を負った程度のようだが、毒が回るには十分だろう。
一際大柄な竜人が、何か叫びながら、仲間を掴んで霧の外に投げた。
見ている限りマガツ以外の竜人たちはどこか惚けた顔でただ戦いに興じていたから、あの竜人は少し様子が違う。
更に何人か仲間を助け、その竜人はがく、と膝をついた。霧の中はウィリの見聞きの術が届かないが、慟哭しているように見えた。
体内の毒の解毒は近づかないとできないし、彼が死なないように処置する余裕はウィリにはない。ないのだが。
『──八人くらい、牙の竜が……倒したわ。後の奴らは毒霧を迂回してるって牙の竜にも伝えて』
ラズに伝言を頼みつつ、そろそろと、竜人たちに鉢合わせしないように岩陰を移動する。
竜人たちを助ける余裕などない。それは分かっていても、彼らを死なせたくない気持ちが足を動かしていた。
牙の竜は臭いで竜人たちの位置が分かるらしく、迂回して現れた竜人たちに猛烈な勢いで襲いかかった。
巨体に似合わない緻密な動きで、四肢と牙、尾を使って竜人たちをなぎ倒していく。そこに手加減など一切ない。
対する竜人たちも一方的に蹂躙される訳ではなく、即座に陣形を整えて牙の竜を囲い込む。その中に、銀髪の姿も見えた。結局、どちらが本物なのだろうか。
ウィリはようやく毒霧に倒れた大柄な竜人のもとにたどり着いた。
『まだ……息がある』
その男が、五位のグレイテンスという竜人であることは、ウィリは知らない。知らないが、彼が必死に仲間を助けようとしていた姿は強く印象に残っていた。
ウィリは彼の解毒をしながら、さらに牙の竜の放つ火炎の方向を少しずつ風で変え、竜人たちの動きを牽制する。
(……? 何? ──後ろのやつ!)
フードをかぶった男が、気配を殺して静かに背後から牙の竜に近づくのが妙に気になった。
牙の竜は前方の銀髪の男に引きつけられて、背後に気付いていない。
ウィリはフードの男を引き離すため、突風を起こしたが、男の足は止まらない。
コートがはためき、フードだけが外れて、その髪が風になびいた。
(……銀髪?! こいつも?!)
『『牙の竜!! 後ろだ!!』』
レノの切迫した声が響いたが、その男の手が牙の竜に触れる方が少しだけ早かった。
† † †
† † †
ウィリの風が熱風から守ってくれるのを感じる。
(あいつ──)
正直助かった。シャルグリートは少し口の端を引き上げた。
ラズやレノの方は、すぐに別の竜人達が襲いかかっていったため、息をつく暇はなさそうだ。
上空のウィリたちの方も慌ただしくしている。その声はレノの変わった技により、今も間近に聞こえてきている。
シャルグリートは、爆発の時谷の下側に跳んだため、間近には『マガツ』しかいない。
(くそっ、片目が見えねー。光のせいか)
遠近感覚が取りづらくなるため、しばらく間合いを広めに取らざるを得ないだろう。
こちらから手は出さず、用心深く様子を窺う。
爆心地の『マガツ』は腕に刺さった黒水晶を引き抜いた。手足に切り傷もできている。
空中で粘ろうとする牙の竜に毒づいてから、シャルグリートは最初から感じていた違和感の正体を探していた。
『お前は兄貴じゃねえ……誰だよ、クソ』
身を守る透明な結晶を塵に変えながら、兄によく似た男は気味の悪い笑みを浮かべる。
『兄弟愛か。涙ぐましいことだ』
『うるせえよ。殴ってやるつもりでここまで来たんだ』
『それは、お前のことを見向きもしない女の為にか?』
『昔の話を掘り返すなっての……マジうぜぇ』
それは兄しか知らない話のはずだ。
しかし顔貌は兄とは少し違う気がする。それに、口調も声色も似ていない。
(……? ……そうだ、声が違う。この声は──誰だ?)
目の感覚が戻ってきた。
相対する『マガツ』と目が合う。
シャルグリートと同じ青い虹彩が、逆光による加減か少し灰色がかって見えた。
単独で足止めをするという牙の竜の宣言を聞き流しながら、シャルグリートも息を整える。
『死んだ方が都合がいいんじゃないか? お前にとっては』
『は? 生きてねえと文句が言えねえだろうが』
その男は一瞬目を丸くしてから、肩をすくめてニヤリとした。
『……ああ、すまない。単純馬鹿なんだったな』
『は?』
さすがにイラっとしたが、そこにレノの冷静な声が水を差した。
『──シャル。コランダムやアルミニウムを使う銀髪に心当たりは?』
『────……!』
そう言われて、シャルグリートははっとする。
『──従兄弟だ。どーなるんだよ、この場合』
『偽物だとしても同じです。倒して力を抜き取れば、精神支配が解けるでしょう』
『力を抜き取れば戻る、か? 浅はかな希望をチラつかせたものだな、ラズレイド』
『先に言っておくと、あなたが100%無理だと言っても、説得力などありませんよ』
レノはあえて強く『マガツ』の言葉を否定したように思えた。
彼は話しながらも、ラズと協力して部下の竜人をまた一人倒している。あと数人、元罪人と思しき手練れだけだ。
『くくっ……、可能性があるとすれば、代わりの器を用意する必要があるだろう』
『あなたがそう思い込んでいるだけです』
レノが放ったワイヤーをかわし、『マガツ』はまた退がった。
† † †
「なんで、何もしない……、何かを待ってるのか?」
ラズは戦いながら、『マガツ』の様子を横目で観察していた。
例えばそれが、雪崩のような一発逆転がありうる危険なものだったら。交戦を中断し、退がるべきだろうか。
しかし、ラズの思案は、レノが赤竜に向けて発した警告で打ち切られた。
『牙の竜!! 後ろだ!!』
普段と違う鋭い声に、ラズはぱっと振り向く。
「どうしたの?!」
「牙の竜が……これは……、正気じゃないな」
「!!」
坂の上を振り返ると、赤竜が猛スピードでこちらに低空飛行してくるのが見えた。
(一直線で────! 狙いは僕か?!)
レノが間に入ろうとしたが、『マガツ』はこれを待っていたのだろう。タイミングを合わせたようにレノに全方位からの透明な刃が囲い込んで邪魔をする。
『させるか!』
コランダムの透明な刃をシャルグリートが黒水晶で打ち砕いて、ラズを守るように間に飛び込む。
「シャル!」
「てめーは退がっテロ──、ッ!」
赤竜が振り回した尾がシャルグリートを吹き飛ばした。
『マガツ』は籠手上に鎌のような刃を作り出し、血塗れのままニィッと嘲笑う。
『今は、白銀の竜だけを狙え──!』
その指示に、ラズの目の前にいた竜人たちが、一斉に矛先を変えた。ラズの横をすり抜けてレノに同時に攻撃を仕掛ける。
一方で、赤竜の狂ったような眼光がラズを追いかけてくる。──レノなら大丈夫のはずだ。自分の身は自分で守らなければ。
そう思った時すでに、牙の竜の前脚が目の前にあった。
「く──!!」
斬りつける訳にもいかず、素早く伏せてなんとか避け、横に転がる。
間近でレノの声がした。
「……無事ですか!?」
「──レノも──、っ!?」
視界に映った彼を取り囲んでいたのは、赤。
鋭いワイヤーに容赦なく手足を絡め取られ、倒れた竜人達と夥しい血。
その光景を見て一瞬固まったラズの胴を、牙の竜の後脚が掴んだ。
「しまっ──」
声を上げる間もなく景色が走る。
冷たい風が痛いほど頬を打ち、目を開けているのが辛い。
赤竜の硬い指が食い込むが、以前のように握りつぶされるほどではない。おそらく連れ去るのが目的なのだろう。
──大人しく捕まっている訳にはいかない。
(──ごめん、牙の竜!)
鋭い鉤爪を擁した指を、ラズは剣でこじ開けた。
赤竜が悲鳴の咆哮を上げる。脚が緩んだ。
投げ出されるように逃れて、雪原を転がる。
(……っ、どこだここ)
身を起こして真っ先に視界に入ったのは、流れるような銀髪だった。




