巨人の憎しみ(2)
西の地平線が紫色に染まっていた。
もうすぐ、日が沈む。
丘のふもとまで移動してからリンドウとレノとはそこで別れ、ラズは一人、気配を殺して傾斜のある獣道を登っていた。
やるべきことは至極単純、忍び寄って閃光弾で視界を奪い、催眠煙で眠らせる。巨人の指揮官が襲われれば街を襲う巨人たちは攻めるどころではなくなるはず。
問題は、いかに有効な距離まで気付かれずに近づけるか、だ。
丘の上までの落差はラズの身長の四倍もあり、かなりの傾斜がある。
枯れ木や落ち葉を踏み鳴らしては一巻の終わりだ。
錬金術が使えれば数人に囲まれても逃げられると思うが、自分の輝石がないのでそれは難しかった。
もし気付かれたときにはリンドウたちがいない方向に逃げて、なんとか身を隠して逃れるしかない。
頭の中をからっぽにしたいのに、巨人の憎悪の顔や、生身を貫く武器の感触の記憶が、見つかったらとどうなるのかいう恐怖とともに、心の底に絶えず細波をたてる。なんとかそれらを堪えながら、音を立てないように一歩ずつ斜面を登っていく。
……カサ
(ひッ──!!!)
喉から出かけた音を寸前で飲み込み、慌てて頂上の巨人の後ろ姿を確認する。
林には、九人の巨人がいるのが見えた。
こちらには、気づいていない。
じっとりと、嫌な汗が背中を伝う。
(ここからでも届くかな? ……いや、確実に全員の視界を奪う場所を狙うならあと少し近づかないと)
投擲は実のところ得意ではない。緊張で手元が狂わないとも限らない。
さらに、抜き足で数歩──。
そこで一呼吸おいて、ラズは腰に括りつけた細い円筒を手に取った。
異常がないことを確認し、筒から伸びた導火線に、錬金術で点火する。
ジッ!
突如、振り返った後列の巨人と……目が、合った。
「──ッ!」
総毛立つ思いで、握りしめていた円筒を高く高く放り投げる。
それは巨人たちの頭上で弾けた。
────パパンッ
夕闇を激しい光が照らす。
身を低くして目を守っている間、いつ攻撃されるかと思うとゾッとしなかった。聴覚をそば立て、巨人たちの混乱を帯びた怒声の位置が、近づいて来ないよう念じる。
辺りが再び夕闇に戻るまでなんとか耐えて、浅く息を吐く。恐る恐る掲げていた腕を下ろし面を上げた。
視界を奪われた巨人たちが互いに触れ合って状況を確認している、その姿を見据える。
(──まだだ)
もう一つの筒を腰から引き抜き、点火する。
手が震えていた。
──あの巨人たちを、あんなめにあわせているのは……ラズ自身。
(ッ、自分でやるって決めたんだッ!!)
ラズは唇を噛み、リンドウから預かった催眠煙筒を巨人たちの足元に投げつけた。
筒から煙が吹き出し、巨人たちを包む。
大きな人影が、一人、また一人と地面に崩れ落ちていく。
どうしてか、目が潤んだ。
ラズは息を殺したまま布を口にあて、姿勢を低くし、じっと待った。
「×××××ッッッ!」
「──っひ」
怒号。
一人の巨人が、夕陽を背に、凄まじい形相でこちらを睨んでいた。足元には、その同胞が折り重なるように倒れている。
その巨人は、膝に小さなナイフを突き立て、目眩と必死に戦いながら、重い足を引きずり踏み出した。その顔には、見覚えがある。
──門にいた、子どもの父親らしき巨人。
「わ……、あ……っ!」
手足が、ガクガクと震えた。──思うように身体が動かない。
巨人が接近してくる。身長は二倍以上。その手には、大きな斧。
(動けッ──動け動け動け────ッッ!!!)
バキッと、巨人が踏んだ枯れ枝が、一際大きな音を立てた。
「────はっ!」
背中に悪寒が走り抜け、呪縛から解放される。しかし、すでに横薙ぎの斧の軌道が、ラズの首を捉えている。
ゴォッッ!!!
頭上を猛烈な勢いで斧が通り過ぎた。
──どうにか、伏せるのに間に合った。
(逃げ──)
巨人と、目が合う。
(──られない!)
震える身体を叱咤して、振り下ろされる斧を避ける。柄を足場に跳んで樹上に駆け上がる。
「やああ!」
後頭部を狙った渾身の蹴り。
ゴッッ──
鈍い音が斜面の雑木林に響き渡る。
鉄心の入った靴から伝わる衝撃に顔を顰めたとき、そのふくらはぎを大きな手が掴んだ。
「っ!!!」
凄まじい腕力で振り回され、背中を木に打ち付けられる。
ゴッ!!
「──うぐッ」
──やばい。逃れないと──このまま──
再び浮遊感。身体を丸めて抜け出そうと捩るが、びくともしない。
焦った視界に、突然、黒い人影が映り込んだ。
とんっ。
彼はラズの脚を掴む太い手首に、軽い動作で手刀を打ち込む。あっけなく解けた手から解放され、地面に落ちる。
──鮮やかなほどに、洗練された動き。
へたり込んだままその人物を見上げた。
息を呑んで、その名を呼ぶ。
「レ、ノ……?」
癖のある黒髪にプラチナの瞳。その壮年の男性は、無表情で倍近い大きさの巨人と対峙していた。
戦いと呼べるものは一瞬だった。
消えた、と錯覚しそうなくらい素早い跳躍。次の瞬間にはその姿は巨人の背後──首の高さにあって、何か白いものが光ったことだけが分かった。
どおっと巨人が倒れる。意識を失ったかのように、痙攣している。
す、と地に降り立った彼は、穏やかな足取りでラズに歩み寄った。
「──立てますか?」
惚けていたラズは、はっとして頷く。
そして慌てて立ち上がった。背中は痛いがなんとか動ける。
──街の様子を確かめなければ。
レノとともに斜面を登りきり、林の陰から丘の向こうを覗いて、ラズは息を呑んだ。
東の一帯は火に包まれていた。
走れば五分とかからず通り抜けられるような小さなその街の中で、人々が逃げ惑っていた。早々に西門の外へ出て行く人々、じっと家に閉じこもっている人々もいるようだ。
遅れて斜面を登ってきたリンドウも青ざめ、その口元を手で覆う。
丘と反対側の南門に巨人の集団が見える。西側のバリケードを破壊すべく、破城槌代わりの大きな丸太を抱えていた。
その足元には兵士たちが倒れている。動ける者はいないように見えた。
巨人たちの視線の先にこの丘があった。
たちまち進路を変えて、三十近い数の巨人が──こちらに向かってくる!
「──ど、どうしよう」
「川の向こうまで行きましょう」
さっきの対峙を思い出して奥歯がガチガチと鳴る。その肩にぽんとレノが手を置いた。
三人は急いでその場を離れた。
†
川を越えたところの大きな岩影に身を隠し様子を伺っていると、巨人たちは眠っている者を背負い、丘を降りて川で水を飲んだようだった。
そして、山脈の方に歩き去って行った。
その背が小さくなってから、ラズは岩の上に登って暗闇に目を凝らした。
獣道を進む足取りは背負った仲間を気遣っているような丁寧さを感じた。
(仲間は、大事なんだな……)
どうしても、気持ちが割り切れない。彼らの皮鎧には、人間の血であろう黒い染みも見えるのに。
ふいに、先頭の巨人がこちらを振り向いた。
(視線を送りすぎたから気づかれた、とか!?)
しかしこの距離でまさか襲っては来ないだろう。
他の巨人たちも足を止めて振り返り憎々しげな顔でラズを睨みつける。
ラズは視線を外さず彼らを見つめた。
「────」
しばらくして、巨人は踵を返して森の奥に消えて行った。
「……行ったよ。もう大丈夫だと思う」
ラズは、大岩の下にいる二人に声をかけた。
レノが「見届けご苦労様です」と返事を返してくれた。
岩から降りると、リンドウは青白い顔をして小刻みに震えていた。
「そうだ……ツェルが街にいるはず」
「ツェル兄が、街に?」
街の様子を思い出す。たくさんの兵士たちが倒れていた。
「ツェルは、街の兵士に志願してたんだ。たぶん、巨人と戦うために」
その言葉に、一気に不安が押し寄せる 。
「っ! ──リン姉! 街に行こう」