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竜の旅人(10)……狩

 後から後から降り積もる雪が竜と人の死体を覆い隠していく。

 竜の大群の襲撃の復興作業は難航し、食糧難からくる暴動が起きるなど、牙の郷の治安は現在最悪の状態になっていた。


「他郷に……支援を要請してよいでしょうか」


 おずおずと申し出た義兄の言葉に、銀髪の男──マガツは口元を歪める。


「私達が他郷に移ればいいだろう」

「……っ」


 すなわち、牙の郷を見捨てると言っていると同然だ。

 伏せたままの顔を歪めて、しかし義兄は「承知しました」とだけ答えた。この場で逆らうのは賢明でないことは、既に嫌というほど理解している。


「しかしその前に、狩りはしておきたい」

「白銀の竜と、異種族のことですね」


 ドスの効いた低い声──側に控えていた元罪人の男が、相槌を打った。


「もう十分時間はやった。牙の竜の洞へ使者を送ろう。丁重にもてなしてやるとな」


 <虚の領域>の中に立ち入るには牙の竜の誘導がなければ方向感覚を惑わされいつの間にか元の場所に戻されるという。

 狩をするには、獲物を誘き出す必要があった。


「来るでしょうか?」

「『民を一日一人殺す』とでも言えばいい。それで来るなら、組みしやすい」




 † † †




 連携しての戦い方について議論していた時、のそり、と牙の竜が巣穴から這い出てきた。


『客が来ている……気づいているんだろう、白銀』


 トーンを抑えたくぐもった声。その場に緊張が走る。

 レノは目を細めて頷いた。


『ええ。通してもいいでしょう』




 しばらくして、三人の竜人が姿を現した。


『サスティナさん……』


 先頭の昏い表情をした三十代くらいの男に、シャルグリートの義姉が呼びかけた。

 サスティナと呼ばれた男は一瞬驚いた顔をしたが、後ろの二人の視線を受けて、すぐに牙の竜とシャルグリートに視線を戻した。まるで、後ろの二人に監視されているかのような印象を受ける。


『──マガツからの伝言だ』


 その後に続けた彼の言葉に、シャルグリートは嫌悪の表情を浮かべた。

 内容をレノから伝え聞いたラズは吐き気を覚えながら問い返す。──『民を一日一人殺す』……支配者の言葉とはとても思えない。


「──ありえるの?」

「まあ、やりかねませんね」


 彼は冷めた目をして答えた。──面倒な、と顔に書いてある。


「しかし乗る必要はありません。喜んで人質を増やされるだけです」


(それは分かるけど……!)


 あえて見殺しにするなどできようはずもない。ラズが反論しようとするのを制止し、レノは温度のない目で竜人の使者らを一瞥する。


「……伝言ゲームも馬鹿馬鹿しいな」


 彼は指先でピンと鱗を弾いた。


「聞こえていますか、マガツ」


「「……器用な術式だな」」


「────!!」


 宙に浮いた鱗から突如響いた声に、シャルグリートと彼の義姉、そして使者の男が表情を硬くした。牙の竜の表情はよく分からない。

 レノだけが平静に言葉を紡ぐ。


「しょうもない脅しをするものですね。民を皆殺しにして丸裸になるまで待ってあげましょうか?」


 彼の口調はいつも通りだが、どこかぞっとする響きを帯びていた。

 鱗がつなぐ向こう側で、嗤ったような息遣いが聞こえた。


「「……くくっ、貴様とは意外と、気が合いそうだ」」

「勘違いのないように。あなたとは趣味が合いません。──用があるならそちらから来るといい」

「「お前のお気に入りも、そこにいるのか?」」


 面白がるような冷たい響きに、ラズは身を固くした。──十中八九、自分のことだろう。

 レノに一瞥され、少し迷ってからラズは口を開く。──声が震えないように。


「──何か用?」


 精一杯抑えた声はいつもより低くなった。──自分自身の第一声に、呪縛が解けたかのように、こめかみに熱を感じる。


「「お前はラズレイドに守られるだけのひ弱な子供なのか?」」


(──! ……動揺してたまるか……! 考えろ)


 こういう時の言葉の駆け引きは、相手の弱みを探るためにあるものだ。まんまと話題に乗ることもすべきではない。


「……安い挑発だね。白銀の竜は僕をダシにしてあんたを狩ろうとしてるだけだ」

「「ふむ。それで、お前自身は何をしに来たんだ?」」


 声の主は少しも動じない。ともすれば喉笛に噛みつかれそうなプレッシャーを感じながら、ラズは煌めく白銀の鱗をキッと睨みつけた。


「……竜人を見定めに。少なくとも、あんたはいらない」

「「ほう。……なかなか、面白い。その生意気な声が絶望に染まることを楽しみにしている」」


 ザッとくぐもった音を最後にして、鱗は声を伝えるのをやめた。

 ──終わった。

 そう認識した瞬間、熱くなっていた全身から冷や汗が吹き出す。


「───はあー……」


 ラズは大きく息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。

 同じく緊張から解かれた様子のシャルグリートが、気を紛らわせるように口を開く。


「……何ダ、見定メって」

「竜人に味方するような言い方をして……また最初の脅しを使われたら困る」


 怪訝そうなシャルグリートに答えて、腕で汗を拭く。

 その頭をレノがくしゃくしゃ撫でた。


「十分渡り合えていましたよ。少し驚きました」

「はは……。ファナみたいにすごい信念はないけど、僕がやられたら次はファナだとか、レノが心折れるようなこと言われたら、挫けてられない」

「心の力とは想いの丈です。ファナ=ノアは世界を愛しているから強い。君は真似する必要はないし、しなくていい」


 先ほどと打って変わって穏やかに笑ってから、レノは立ち尽くしていた竜人の使者に話しかけた。


『これで返答はマガツに直接伝えましたから、あなた達は郷に帰らなくていい──むしろ、帰す訳にはいかない』


 彼らはラズたちが人質をとられることに対してショックを受けているのを見ているし、帰ってそれを伝えられたら困る。


『……!?』


 使者の竜人たちのうち、後ろの二人が色めきたった。

 逃げるつもりだろうか、踵を返そうとした瞬間、白銀のワイヤーが絡めとる。


 バチバチバチ……!


 電撃を受けて力なく倒れ込む二人を尻目に、最初にサスティナと呼ばれた竜人は拳を握って姿勢を低くした。

 その全身は微かに震えている。


『……シャル。後は任せていいですか?』

『は? お前、途中で放り投げんなよ……』

『彼に必要なのは対話でしょう。ならその相手は私じゃない』

『ああ──もう、わぁったよ、クソ竜』


 むしゃくしゃした様子で頭を掻いてシャルグリートはその竜人の前に出た。




 † † †




『……胸糞悪い銀髪だ』


 彼は機嫌が悪そうに吐き捨てる。

 シャルグリートは眉根を寄せた。


『お前、全部が嫌になってるだけだろ』


 ぞんざいな口調──彼はシャルグリートより十歳以上年上の義兄ではあるが、別にそれで遠慮するつもりはない。

 強気な態度に、義兄はわずかに逡巡した後、口調を変えた。


『……なあ、お前たちに勝ち目はあるのか?』


 どこかすがるような目つきをする彼に、内心驚いてしまう。


(……こんな奴じゃ無かったはずだが)


 三年前、歳下のシャルグリートに負けた時は相当逆上していた。

 彼に勝っている義弟はシャルグリートの他にも三人いるが、口の悪いシャルグリートは特に年長には疎まれやすい。

 それが今は、常に何かに怯えているような、負け犬の様相をしている。


『……あると言ったら、どうするんだよ?』


 戸惑いながら返した言葉に、義兄は堰を切ったようにその場に両手をついてくずおれた。


『──っ……なんでもする……! 助けてくれ──!』

『はああ?』


 突然の懇願に、シャルグリートは素っ頓狂な声をあげた。

 義兄は今にも泣き出しそうに顔を歪めて狼狽する。


『お、お前は……いなかったから分からないんだ……親父も兄者ももういないんだぞ!! 郷はめちゃめちゃだ、子供たちも、見つからない……』


 子どもの名前を口の中で呟いて、彼は肩を落とした。


『んなバカな……っ! 牙の郷は、竜の大群が来ても大丈夫なくらいの戦力があるだろ!?』


 滝見の郷であれくらいの被害に収められたのだ。牙の郷の方が竜の数は多かったが、それでも人口が五倍近くいるし、あそこには最上位の竜人の戦士たちがいるはずだ。──だから、大丈夫だと思っていたのに。


『マガツが邪魔をしたんだ──面白がって……』


 思い出したようにガチガチと義兄の奥歯が鳴る。


『家を失い、食べる物がないと、暴徒化した奴らもいる……妻は(ノル)に預けてきたが……』

『───……』


 シャルグリートもなんと言ったらいいか分からず、膝をついた義兄の背中にただ手を置いた。

 今までは早く帰って兄を元に戻すのだと思っていたのが、はじめて牙の郷の現状を見るのが怖くなった。


(──だからって、今更躊躇しねえけどな)


 きっと表情を引き締めて、シャルグリートは義兄に言い放つ。


『九位の権限で命令する。サスティナのアニキは、そこでのびてる二人を連れて雲の郷に行ってくれ。上位権限で救援の準備でもして、兄貴が元に戻り次第帰ってきたらいい。……聞けないってんなら、この場で勝負してやるぜ』

『……戻るのか、本当に』

『戻すんだよ』


 シャルグリートは強く言い切った。

 ──レノの言う話を完全に信じた訳ではないが、自分がやることは変わらないはずだ。

 ここまできてぐだぐだと悩む性格ではない。

 義姉も、不安げな表情をしつつ、シャルグリートの目に宿る光を見てほっとしたように息を吐いた。




 † † †




 宙を浮かんでいた白銀の鱗を握り潰して、マガツは顎に手を当てた。老獪な仕草だ。

 側に控えた竜人が、おずおずと質問してくる。


「行くんですか?」

「さてな」


 口の端を引き上げたまま、考えに浸る。


 ──数日前から、駆け引きはすでに始まっている。


 マガツは白銀の竜が千里眼のような力を持っていることを知っていた。だから、白昼堂々と洗脳の術を披露し、力を与える術は死角で施した。

 ここ数日あれだけこっそりと監視していた癖に、今日あっさりと遠隔通信の術を披露してみせたのは、これ以上監視するつもりがない──つまり、そろそろ動くという意味だろうか。


(案外と食えない奴だ)


 平坦な口調からは、心の内が読みとれなかった。


(……<旅人>は世界への不介入が掟。歪みを広げることになる手段をとる──外から仲間を呼ぶことはないだろう。それなら手の内は知れている。何を恐れることがある)


 数多くの<旅人>で最古の部類である、かの竜を狙うなど、普通なら身の程知らずも良いところだ。


 しかし、マガツは彼の旅の目的も、立ち寄る先々で情をかける性質だという情報も既に得ている。ならばつけ込む隙はいくらでもあるはずだ。

 借り物の碧い双眸を細め、マガツは薄く笑った。

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