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巨人の憎しみ(1)

「あ、こら! それは素手で触っちゃだめ!」


 リンドウが鋭く制止した。


「これ、野苺じゃないの?」


 素直に手を引きながら、ラズが訊くと、彼女は首を振った。


「全然違う。普通、毛に触れたら数年痛むよ」


 だいたいの毒はリンドウが錬金術で治してくれる。『普通』ということはその範疇なんだろう。

 ちなみに、彼女くらい錬金術を使える人は故郷の國にも数えるほどしかいない。ラズの母の双子の姉である彼女が國を出た時には、大騒ぎになったそうだ。


 リンドウが葉を採取するのを横目に見ながら、レノはしゃがみ込んでその植物をまじまじと見た。

 彼は谷の國の出身ではないはずだが錬金術に長けている。それに、長年旅をしているからかとても博識だ。


「これは、毒にしかならないと思うんですが……何に使うんですか?」

「解毒剤の研究」


 リンドウはふふふ、とやや病的に笑った。彼女は薬の調合が大好きだ。それに関連して、医術にも詳しい。

 錬金術と薬剤処方を組み合わせた彼女の治療を受けに、遠くからわざわざ訪れる人もいるくらいだ。

 ……薬のこととなると人が変わる、癖さえなければ美人で優秀な薬師なんだが。

 その時、近くの茂みでガサッという音がした。


「……瘤イノシシの、変種かな」


 姿を見て、リンドウが呟く。

 ラズは少し前から気配には気がついていた。肉食でない野生動物が、こんな風に近づいてくるとはあまり思っていなかったが。

 膝より少し上くらいの体躯で、鼻の上に瘤がたくさんできている。


「背中に、きのこ?」

「わあ、なにこれ」


 ラッパ状の赤いきのこが背中にまばらに生えている。

 狩人ならまだしも、普通の人なら怖がるはずだが、リンドウはとても興味深そうにイノシシを観察している。


「変な臭いがする……」

「ええ、毒の胞子ですかね」

「そうだね。神経性の。ラズ、離れてな」


 体に入る前に、術で無効化すれば毒は効かない。ただ、今ラズは輝石がないのでそんな繊細なコントロールを要する術は使えなかった。


「分かった」


 すでに指先に痺れを感じながら、服の袖で口元を押さえ、言われた通り数歩下がる。


()()面白いのがでてくるけど……これは焼いたほうがいいね」


 リンドウは残念そうに言ってから、腰のポーチから、小さな筒を二つ取り出した。

 栓を抜いてイノシシの鼻面にサッと投げる。


(──逃げない? やっぱり様子が変だ)


 吹き出した煙をものともせず、イノシシは一歩前に出てきた。目が白く濁っていて、気味が悪い。

 ボッ!

 リンドウが投げたもう一つの筒から火が吹き出して、イノシシの体は火に包まれた。


 腐った肉が焼けるような臭いが一帯を漂う。

 イノシシはもう一歩前に出て、そのまま崩れ落ちた。

 延焼しないように植物を遠ざけながら、リンドウは燃えるイノシシを見遣る。

 レノは顔をしかめて一歩下がり、目を細めた。


「これは、ほとんど死んでますね。胞子を吸って動けなくなったら、きのこが生えて徘徊することになるんでしょう」

「ええぇっ……」


 ラズも結構吸ってしまっているのに、怖いことを言う。


「感染力が強ければその辺既に半死体だらけのはずだから、ちょっとくらい大丈夫でしょ。からかっちゃだめ」

「さて、なんのことでしょう」


 レノは悪びれた様子もない笑みを浮かべて肩を竦めた。


「でも念のため、この辺りにほかに感染源がいないか見ておこうか」


 ぼちぼち自分の解毒も試みつつ、ラズも頷いた。




 その夕方、三人は街近くの川まで来た。

 リンドウの小屋と街は、徒歩で半日ほどの距離があり、そこは彼女の小屋の近くにある川の下流にあたる。

 少し川幅があって魚が住んでいるので、獲って帰ろうと話していたとき、風にのってカンカンカンカン……と、鐘の音が聞こえた。

 街の方角にある丘を見て、ラズは呆然と呟いた。


「……巨人がいる」

「……え? どこに……?」

「丘にある林のところ────」


 それでもリンドウは見つけられなかったのか、ラズの位置に移動してきた。

 巨人たちはこちらに気づかない。木の影から街の方を見ているようだった。


 夕暮れ時の風景も合間(あいま)って、()()()のことが脳裏によぎる。身体が小刻みに震えるのを感じた。


(──怖い。でも、逃げたくないっ……)


 ──だって、巨人が人間を襲い始めたのはラズのせいで。

 側にいるリンドウに気づかれないよう、右腕を左手で強く掴んで押さえ込んで震えを堪え、巨人たちを注意深く観察する。


「街の偵察をしている……?」

「いいや。もっと悪い状況のようです」


 冷静な声色で答えるレノの目線を追う。

 その方角……街の方から煙が上がるのが微かに見えた。


「街を襲っているの!?」

「街を襲う巨人たちをあそこで指揮しているんでしょう。指示するかのように腕を振っている」

「……そんな」


 ──止めなければ。でもどうやって。


 剣もないし、あったとしても、術の使えない今は巨人一人相手にするのでやっとだろう。

 木の陰に見える巨人は一人や二人ではない。


「街の人に気づかせられれば、兵隊が送られてくるかな?」


 わざわざ隠れているということは、人間の兵を警戒しているということだ。


「丘の上で眩しい光を起こすのはどうかな」

「まあ、閃光弾なら持ってるけど……」

「持ってるんですか?」


 リンドウの答えに、レノが怪訝な顔をした。


 言ってみたものの、術だけで光を発生させることは今のラズにはできなかったので、リンドウがそう言ってほっとした。


「じゃあそれを、後ろの斜面から忍び寄って投げるのは」


 そうすれば、街に巨人の場所を伝えられるし、上手くいけば巨人の視界を奪えるかもしれない。

 そう言うと、リンドウが、ふと思いついたように口を開いた。二つの小さな煙筒を取り出す。


「それなら、これも使えば確実ね……でも」


 リンドウの表情は固く青ざめている。


「……駄目。もしも、気づかれたら危なすぎる」

「……リン姉」

「駄目」


 ラズは唇をひき結んだ。街の人たちが今苦しんでいるのに、何もしないなど受け入れられるはずがない。


(……僕には、何もできないの)


 目頭が熱い。こんなときに涙腺が緩むなんてどうかしている。

 レノは静かにラズに視線を落とした。


「どうするかは、自分で決めるといい。本気なら、リンドウさんから、それを奪うことだってできるでしょう?」

「……!」


 ラズは何度か瞬きした。それは確かにそうだ。


(……どうするか、自分で決める……)


 ラズはもう一度リンドウを見上げた。


「……リン姉、心配かけてごめんなさい。ここで何もしなかったら……皆に、顔向けできないよ」


 彼女はそれでも強張った顔で首を振った。


「……」


 ラズはすっ、と踏み出した。手荒なことをしなくてもいい方法なら知っている。

 何事もなくすれ違うように横に近づき、彼女の手首の関節を軽く叩く。ポロリと手から溢れ落ちた二本の筒をかすめ取って、そのまま背後に回った。

 リンドウに背を向けたまま、ラズはまんまと手に収まったそれを見下ろす。

 術を使って物質の理解を試みたが、輝石が合わないせいでよく分からない。


(閃光弾のほうは中身が金属って分かるけど、こっちはなんだろう……、この程度が分からないなんて……悔しいな)


 少し遅れて慌てて振り向いたリンドウに、ラズは煙筒を差し出した。


「……泥棒はやめとく。閃光弾なら今の僕でも作れそうだから、それでなんとかしてみるよ」


 彼女は青ざめたまま、ラズを信じられない目で見つめた。


「───ラズ……」

「リンドウさん?」


 リンドウは、ぎゅっと目を瞑ってから、そっとラズを抱き寄せた。声が震えている。


「分かったから……。必ず、帰ってきなさい! 必ずよ!」

「……はい」


 前に母に抱きしめられたのはいつだったか。その温もりを思い出して、ラズは目を閉じた。

 それから、ゆっくり目を開く。

 今度は、間違えずに済むだろうか。

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