5.ギルド
それに真っ先に気付いたのは、そこで働くという立場上、そいつのかんしゃくと床上のそれに神経を尖らせたギルド職員、その人だった。
職員は見た。破断面が寄り合い、その亀裂が消え、カニ身が詰まり、詰まる程に、カニ足が膨らんでくるのを。
「損した損した……損した損した……」
コア子の恨みがカニ足をどんどん復元する。それと同時に巨大化させる。
しかし次はボディかと思われた矢先、復元が唐突に止まる。
恐らくそいつの本体はギルド倉庫で今だ健在なのだろう。それでクローン誕生の面倒さを避ける為に足一本から先は復元しなかったのだ。
それならばと見切りをつけたのか、全長2mに達したカニ足がバネ仕掛けのおもちゃの様に勢い良く跳ね上がった。
あたりがオヤジどもの悲鳴に包まれる。
クリーチャー化は後天的であり、食ったものとは無関係。それでもまじまじと見入ってしまい、結果対処に二の足を踏んだ。
コア子が次のカニ殻を手にした。ギルド職員の手がすぐさまそれを叩き落した。
「ちょっとこっちに来なさい」
ぴゅーんという音を立ててコア子は職員にどこかへ連れていかれた。
カニ足が釣りあげられたサメのように身をくねらせ、椅子やテーブルを蹴散らしながらギルド内を暴れまわる。
オヤジどもがその暴走を止めようと、抑え込みにかかる。
にわかラグビーファンまるだしで言えば、ジャッカルの様に折り重なる。
カニ足は振りほどこうと尚も激しい動きを止めない。
コア子は体も顔もげっそり痩せて戻ってきた。
「やれやれ、カニの足全部治させられたのじゃ」
「ありがとう」と職員が言った。作者からも説明台詞に感謝。
コア子はよろよろと杖を頼りにテーブルに向かい、辿り着くや突っ伏した。
「早いよ! そういうシーンは倒してからにしてくれ」
俺は叫んだ。
しかし二人の登場を機にカニ足の行動に変化がみられた。力任せの暴走を止めたのだ。
それは力を与えたコア子の存在に気付いたためか、仲間の命を握るギルド職員の存在に気付いたためか。
カニ足は脱皮により抑え込みからカニ肉のみが殻を残して抜け出すと、壁を背にL字に半身を直立させた。
「痛っ!」
取り囲むオヤジ数人が飛び退き、掌根を押さえた。流血があった。
薄皮衣のカニ肉が半透明の剣を下段に構えていた。その、見えづらさにオヤジ達は不意を突かれた。それはカニ肉の中央を通る半透明の腱だった。
「厄介ね、そうだわ。絶叫丸! 墨汁をちょうだい」
ヨロイ女がカニの凶器を黒く染めようと、キャップを緩めて投げつけた。
鮮やかに楽々パリィされた。
「ちっ」
「慌てるな。あと4つある」
「慎重ね」
「よし、俺がぶっかける。できるだけ近寄りたい。守りを頼む」
守備陣形で距離を詰める。俺のプラン挑戦にはあと少しまで来た。しかし近寄るほどに危険度は格段に増す。
ならば位置エネルギーも使おう。よしテーブルだ。ラグビーの1シーンが頭に浮かんだが却下した。
その時、背後のギルド職員からの無言の圧を感じた。土足のままテーブルに登るのは許されない。
俺は脱ぎづらいブーツを脱ぐ間を惜しんだ。鞄から取り出たスリッパに靴先を、スリッパが壊れようが構わずに突っ込み、椅子を踏み台に、テーブルへと駆け上った。
墨汁の液漏れロックを外し、注ぎ口を向けて、塩ビボトルに一気に圧を掛けた。
「やったな。よし、そのスリッパを貸して。そいつで白羽取りしてやる」
「思い付きで挑戦するには難度高いよ。それより両手利きなんだから……」
後をヨロイ女に託して、俺はコア子の場所まで退いた。
ギルド職員は慌てふためくでも、隠された強さを解放するでもなく、ここぞと傭兵の査定をしていた。
俺は疲労したコア子の手に7x16cmの板チョコを握らせた。
これは意識の覚束ない幼女に何かを握らせたいという作者の願望なのだろうか……深堀りはよそう。
「平気か? 銀紙を剥いて食べるんだぞ」
「ありがとう。しかし増税後は市販品は店内で食べない。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さずじゃ。潔白であろうとも疑われてギルドに手間をかけてはつまらん。つまり後でここのデザートを店内飲食でおごってくれ。それと……リターンゲートが閉じた。帰るのを手伝ってくれるとうれしい」
「感謝と、子ども扱い無視と、世知辛さと、いまさら感と、代替案と、グレーターヒロイン! 情報量多いな」
コア子はテーブルに突っ伏したまま、だらりと伸びた腕の先、手中からテーブルにずり落ちたチョコにその掌を重ねながら、無防備に寝入った。
俺は(配達ネタか、今が旬だな)と思った。
カニは双剣士の本物からお株を奪うカニバサミに剣を封じられて、降参なのか、元の残骸に戻った。
みんなで荒れたギルドを片付ける。その最中、ヨロイ女が職員に何かを手渡した。
「あの、これ。こいつを連れて来ちゃってからの騒動のお詫び(……それと、墨汁ぶちまけちゃった件の……)」
見覚えのあるメガネ、俺のアイテムだった。
「おいおい、ひとの鞄から勝手に!」
「いいじゃない。私達もうチームなんだから。それに一つは布教用なんでしょ?」
勝手な奴だ……まあいいか。迷惑かけたのは本当だし、俺にはああも素直には渡せまい。
おかげで気分よく次のパートに進めるってもんさ。