七話 Eについて
城に戻る前にエドナ・イーリィの事を調べようと事務局に立ち寄った。エドナ本人に見つからないように一人で行動する。
貴族令嬢特有の情報網を使って調べても良いけれど、男装を解かなくてはならないしこちらの方が手っ取り早い。
「生徒の個人情報を漏えいしろとおっしゃいますか。しかも女生徒の」
事務局の女性職員の視線が非常に険しいものになる。べリンダ辺りに頼んだ方が良かっただろうか。
「別にいかがわしい目的ではなくて。聞いた事ないかな?アルバート王子たちに言い寄っているご令嬢なんだけど」
「ああ、あの―――という事はこれも視察の一環という事ですか」
授業だけではなく様々な施設やそこで学ぶ生徒の調査もしたいと、留学ではなく視察と言う立場を取っている。
一応背後には女王陛下がいるので何も問題は無いと思うけれど、建前で用意した理由を話しておく。
「そうそう。知り合いに聞いても授業を受けている様子がまるで無いんだ。例外があるならどういうことかと調べようと思って」
「名前のつづりは分かりますか?」
「いいや。多分イニシャルはEだと思うけれど」
「少々お待ちください」
職員は部屋の隅にある情報板に魔法具の羽ペンで書き込み、操作をしていく。緑色の光の文字が何度か宙に浮かんでは消えていった。最後に赤い文字が出て首を傾げながら職員は戻る。
「そのような名前の生徒はただいま在籍しておりません。もしファーストネームとファミリーネーム以外を名乗っているようでしたら調べようがありませんし、領地が分かれば寮の名簿から調べることも出来ますが」
「ありがとう。誰かに聞いてみるよ」
―――もしも、もしも我がアシュフォード家が所持する領地内や周辺の下級貴族にエドナのような者がいたら、情報が入って来るなり私が注意をする。その地方の上級貴族の義務であるのは暗黙の了解だ。だけど、その前におそらくは中級や他の貴族たちが抑え込むはず。
子爵令嬢と言う貴族の中でも一番低い身分の者ならば、それより上に誰かいるのは間違いない。
なのに、なぜ誰も彼女を注意しない?
私やべリンダたちがした『窘める』程度では無く、二度と同じ行動が出来ないように反省を促す。或いは彼女の家に連絡して強制的に貴族学院を退去させる。
他の領地の侯爵令嬢たちに喧嘩を売っているのだから、後々の面倒を考えればそれくらいはするはずだ。
アルバートがその辺りを全く調べずにいるのも考えにくい。判断が出来ない程、色香に惑わされると言うのもあまりにも信じられない。……信じたくない。
城でいつでも会えるのは良い事だ。好きな時に逢引き―――ではなかった、調査が出来る。アルバートが戻っているのを確認して部屋へと向かう。フェリシア陛下の配慮もあって事前予告なしでも来訪に顔をしかめられないのは良い事だ。
これがアイリーンだったらきっと、考えるだけで悲しくなってくる。
「アルバート。エドナ嬢について聞きたいことがあるんだが」
「なんだ、やらんぞ」
そんなに彼女が大切なのですか――――っ!
咄嗟に口まで出かかった激しく嫉妬モードのアイリーンを何とか押し込めて、何気ないように装う。奪おうとするのではなく、飽く迄エドナを心配するように。
「子爵令嬢と聞いたがどこの領地の出身だ?授業に出ていない様だが大丈夫なのか?」
「エドナは貴族学院の妖精だからな。我々には推し量れないような事情があるんだろう」
ふざけているのか真面目なのか、アルバートにはこうして人を謀るような時がある。真意を見抜けなければアルバートの中で評価が下がる。
私達の一番身近にいるのは屋敷妖精だ。住んでいる人間が働き者だと、仕事を手伝ったり幸せをもたらしたりするらしい。
残念ながら私は実際に見た覚えはないが、何かの気配を感じることは往々にしてある。場合によっては暗殺者の危険性もあるから、妖精さんかな?とほっこりしたり呑気に構えていられない。
転じて、屋敷付きの使用人をそう呼ぶことがある。住む者が変わっても屋敷から離れず整備や維持に努める者たちだ。
「貴族学院の屋敷妖精みたいなものか?」
「そういうことだ。あまりその辺りをつついてやらないでくれ」
私の出した答えは正解だったらしい。もしもこれでアルバートを侮蔑するような目で見たら、エリックの株は下がっていただろう。
貴族学院に生徒以外で滞在する事例はいくつかある。在学中に政変やお家騒動で領地へ戻れなくなった者、或いは学費が払えず学生証を取り上げられた者。大概は前者であればすぐに呼び出され、後者であっても将来的に側近になるのを見越して同じ領地の高位貴族が面倒を見るはず。そうして周囲に知られないうちに解決できるのが普通だ。
問題なのは呼び戻す人間が誰もいない時。
一時的に身柄を預かる場所にはなるが、後ろ盾も無く学費も払えなければ他の生徒と同じように授業は受けられない。留年だってするし卒業できなければ貴族としては認められない。
どのようにして解決するのか知らないがそれでもいつの間にかいなくなっているので怪談やおとぎ話のように扱われるようになる。
もしかしたら解決方法の一つが「学院内で結婚相手を探す」事かもしれない。相手も貴族と結婚するつもりでいるだろうから支援は惜しまないだろう。となるとエドナの行動にも一理あるわけだ。
「だからと言って人の婚約者を取っていい理由にはならないな」
「またそれか。お前に関係ないだろ」
この話題を出すたびにアルバートが不機嫌になるのが辛い。せつない。悲しい。べリンダたちの問題が解決できても、こんな態度を取られては私の婚約が元に戻せるかどうか自信が無い。
「……友人の将来を心配するのがそんなにおかしいだろうか。エドナを王妃に迎えたら苦労するのは君だろう?」
「エドナを王妃にするつもりは無い。アイリーンがどれだけ努力し、時間をかけて厳しい教育を受けてきたのかずっと見てきたつもりだ。代わりになる者なんていない」
く、口惜しい。先ほどまで辛いだのなんだのと思っていたのに我ながら、ちょろい女だと思う。
ほんの少し、労う言葉が出て来ただけで気分が浮上する。いや、むしろ有頂天だ。『ずっと見てきた』って……でも出来ればアイリーンの時に言ってほしかった。エリックでは喜びが表に出せない。参った、どうしよう。
「どうした、変な顔して」
「や、何でもない」
嬉しくて上がりそうになる口角を無理やり下げようとして歪んでいたようだ。慌てて口元を手のひらで隠す。だが私の顔に現れていた異変はそれだけではなかった。
「顔も赤いぞ。母上にこき使われて疲れて熱でもあるんじゃないのか」
「そ、それより!その情報源はエドナ本人だけか?」
窓際まで逃げて慌てて誤魔化し話題を変える。王妃教育で身に付いていた感情の制御が、エリックになっている為にどうしても不能になってしまいがちだ。
「ああ。嘘をついている可能性もあるが異を唱える人間がいない以上信じるしかない。辻褄もあっているしな。このままずっと何年も貴族院に居させるわけにもいかないし、結婚相手ではなく保護と言う名目で引き取る方法も考えている。その場合はアイリーンの協力が必要だが、今のままでは無理だろうな」
そう言ってアルバートはため息をついた。アイリーンが期待外れだと言外に示しているようで、気分はてっぺんから真っ逆さまに落ちる。
でも、協力が必要だとしたらどうして婚約破棄なんてしたのだろう。何をすればいいのか相談に乗ったのに。
もしかして―――
「婚約破棄と、エドナは無関係なのか?」
「全くと言うわけでは無い。アイリーンには教えるなよ。自分で気づかなければつまらんからな」
目の前に居りますが。つまらなくて済みません。
先程から一喜一憂を何度も繰り返させるアルバート。断然面白くないのでここらで一丁、からかうことにした。
口元をにやけさせ、顎に手を当てて考えている素振りを見せる。
「さてと、どうするかな。今の言葉を教えながら、婚約者殿に捨てられた哀れなご令嬢を慰めるのも悪くな―――」
「止めろ。いくらお前でも許さん」
気づいたら襟もとを掴まれて近距離で凄まれていた。今まで見たこともない怒りの表情にからかう気持ちはしゅっと引っ込んだ。
怖い。ドキドキするのは恐怖の感情からか、それとも顔が近いからか。
両手を上げて降参のポーズを取れば、締め付けも緩んだ。
「冗談。人の婚約者を取るなんてマネ、するわけがない。エドナはしているみたいだけど」
「だから、俺は違う。他はどうか知らんが」
「わかった。そういうことにしておいてやる」
正体不明感があるなんてうまいこと言ったのは誰だったか。本当に、アルバートの考えていることはいまいち読めない。