六話 Bとの手合わせ
ベイル・ブラウンズバーグは私の一番の友人であるべリンダ・ベティングフィールドの婚約者だ。アイリーンとしては当然だが、アルバートを追いかけて砦に潜入した時のエリックとしても面識がある。
というか、良き友人となった。もちろん同一人物だとはばれていない。
朝方、城から移動してくる魔法陣の前で彼は待ち構えていた。もちろん、べリンダとセリーヌとディアナもそこにいる。
「おはよう、エリック。砦以来だろ、今までどこ行ってたんだ」
女の子に囲まれている私にも嫌な顔せずに声を掛けてくる。気のいいやつなのだ、本来は。
「国に帰っていた。今はわけあって女王陛下の命を受けている。まだ未成年なんで体よくこき使われているだけだが」
「久々に手合わせしないか」
「ああ、いいぞ。皆も来るよね?」
周りに声を掛ければ「勿論です」だの「行きます」だの黄色い声が上がった。べリンダは少し不安げに私を見る。エドナはいない。
学院内には小さいながらも訓練場があり、剣術や馬術などを学ぶことが出来る。
久々に受けるベイルの剣は流石に以前よりも重くなっていた。こちらが本格的な戦闘訓練をしていない事に加え、砦に居た頃に比べておそらく性別の差がはっきりと表れている。
とはいえ、私だって砦できちんと稽古を受けたし、日々の鍛錬も欠かさずにいる。全くついて行けない程ではなかった。
刃のない剣で打ち合いながら、話をする。おそらく見物席にいる女の子たちには聞こえない。
「女王陛下って……お前、そんなに家格が良かったのか」
「いーや、裏稼業みたいなもんだよ。ベイルが騎士団長になったとしても会うことは無いと思う」
ベイルの父親は近衛騎士団長だ。生まれも代々騎士を輩出する家柄で低くは無い。だが母親は商家の出だ。経済的に没落しかけたブラウンズバーグ家を救ったのは彼女の手腕によるものだが、ベイルは時々母親の身分を気にし、劣等感を持つことが言葉の端々に取れる。
べリンダとの婚約はその劣等感を取り除くためのものだ。私と同じ侯爵令嬢と言う身分はベイルの助けになっても害にはならない。
「なぁ、どうしてべリンダ嬢に婚約破棄を突き付けたんだ」
それまで鋭利だった剣筋が鈍くなった。能天気にエドナにまとわりついているなら反応は変わらないはずだ。
絶対に何か、ある。
アイリーンだったなら親友であるべリンダ側の立ち位置として見られ、おそらくは話してもらえないだろう。
けれど、エリックならば。
砦に行ったのは十三歳の時。アルバートとベイルとエリックの三人で、時々馬鹿をやった。砦の団長室に飾ってある鎧に潜り込んで夜中に歩き回って見たり、食堂で盗み食いをしたり、外側の壁を命綱無しで上ったり。
あれから成長して立場と言うものを自覚してからは、あの時間がとてつもなく眩しいものに思えて仕方がない。
そんな友人が―――友人だったのはエリックなので一方的に私が思っているだけだけど―――堕ちていくのを見るのは忍びない。
「エドナ嬢はそんなに魅力的だったか」
畳み掛けるように打ち込めば、三手でベイルの剣を弾き飛ばした。女性陣から歓声が上がるがべリンダは息を飲んで見守っている。その姿をベイルはちらっと見て、眉をしかめた。
「殿下と打ち合った時に手加減をしてわざと負けたんだ。そんなことでは殿下を守れないとエドナは怒った。ただ見ているだけのべリンダとは違う」
「守る相手に向けた剣に手加減があるのは当たり前だろ。けがをさせたらどうなる」
ベイルが呼吸を整え再び剣を構えるのを待ってから、再度打ち込み始めた。
「強くあろうとするのをべリンダは否定し、エドナは賞賛した。エドナを選ぶのは当然じゃないか」
「それで弱くなっていたら本末転倒だな。べリンダが言うにはここしばらく訓練場に顔を出していない様だが、それこそ殿下を守れないのではないのかっ」
隙をついて力づくでベイルの剣を払うと、くるくると回転しながら地面の上を剣が滑って行った。呆然としながらそれを見送るベイル。
多少の心得はあるとはいえ本職でもないしかも女の私に負けるなんて、もしかして自室で筋力トレーニングすらしていないのではないか。
アルバートに関わるものとして少し、いや、かなり腹が立った。
私は剣をベイルの首筋に当てた。かつての友に本気の剣を向けられるなんて思ってもみなかったんだろう。ベイルは目を見開いて私を見た。
「王家の盾となり剣となるのが夢だったのではないか?周りの言葉に左右されるようななまくらならば、ここで切らせてもらう」
自分で出しながら驚くほど冷たい声。ベイルのこめかみから一筋汗が流れ、くしゃりと顔が歪んだ。慌てて両手で顔を覆ってしまい見えないが、おそらく涙を流している。
泣かせるまで打ちのめすつもりのなかった私は焦って剣を収めた。
「すまなかった、冗談だ。この剣に刃は無いし、女性の前で傷つけるわけがないだろう」
「……有難う、目が覚めた気分だ。そうだ、一番肝心なのは誰かに言われたからでは無いな」
差し出した手を掴んで立ち上がったベイルは晴れやかな顔をしていた。……何だか男同士の友情が育まれてしまったようだ。
ついでにべリンダとの関係性も直ればいいとは思うけれど、きっとそう簡単にはいかない。
「エリック様、ベイル様。お飲み物とタオルを用意しました」
「ああ、有難う」
婚約破棄した相手にも用意するなんて、べリンダは健気だな。ベイルはためらいながらも差し入れを受け取っていた。何も言わないけれど、受け取ってもらえただけでもべリンダはほっとしたように微笑んでいる。
私も受け取ろうとする寸前で、横やりが入る。
「お疲れ様でした。お強いんですね、エリック様」
同じようにタオルを差し出したのはエドナだった。……メンタル強っ。あんなに無下に扱われたのにどういう神経しているんだろう?
べリンダの方を見ればさっとタオルを引っ込めた。ここはエドナの方を受け取っておけと言うことだろう。
「有難う、エドナ嬢。この刺繍は君が?」
「はい、只の真っ白なタオルを渡すのも味気ないかと思いまして」
べリンダの差し出したタオルは真っ白だ。エドナの言葉がはっきり聞こえたようで、べリンダの方から冷たい空気が漂ってくる。
「あーこの飲み物はポーションかな?」
「はい。特製レシピで、祖母から教わったものなんですよ。夜トカゲの黒焼きに火月花の花の蜜、それから……」
私は飲みかけていたそれを思い切り吹き出した。危ない危ない、思いっきり惚れ薬の原料じゃないか。フェリシア様から王妃教育として叩き込まれた知識の中には何故か表に出せないような物もあって、惚れ薬の造り方はそのうちの一つだった。
「大丈夫ですか?」
「他の男にそれを渡したことはあるのか?」
「もしかして……焼きもち?きゃっ」
いら立ちを顔に出さなかった私を誰か褒めてほしい。ほんの少しだけエドナに顔を近づけて、覗きこむようにしてもう一度聞いた。壁ドンできれば完璧なのかもしれないけれど、あいにくと手ごろな壁が無い。
「あるのかと聞いているんだけどな。答えられない?」
「べ、ベイル様に何度かあります。それ以外はありません」
被害者はベイルだけ、か。本当か嘘か分からないけれど、とりあえず信じておくしかない。
「もう二度と作らない事。確かその製法は副作用が強くて禁じられているはずだからね。約束できるかな?」
「……はい」
適当な事を言ってこれ以上被害者が出ないようにしておいた。惚れ薬だと言えばむしろ作ってばらまく様子が安易に想像出来てしまう。禁じられていないと指摘されたら自分の国の法律と間違えたとでも言えば良い。
エドナは頬を染めている。あーあ、皆の言った通り女たらしキャラなのかもしれない。
ベイルの婚約破棄の原因は二つだと分かった。一つは本人が今後どうするか、もう一つはこのままべリンダの差し入れを受け取り続け、体内から惚れ薬の成分を抜いていけば良い。
ベイルに関してはあと、もう一息と言ったところかな。
―――後日。
「エリック、有難う。ベイルをけちょんけちょんにしてくれて、胸がすっとした」
「私の大事な親友を泣かせたんだから、当然だよ」
「でも、もう少しいたぶってくれても良かったのに」
「あははは……本当に好きなんだよね?」
「え?もちろんよ」
べリンダはとってもいい笑顔で言った。もしかしてベイルが負けるのを見るのが好きなのだろうか。
……ちょっぴり歪んだベリンダの愛情を、私は気付かなかったことにした。